うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

波間に揺られて丸6年 〜anniversary~

本日で、ブログ開始から丸6年となりました。2016年9月23日に開始したので、丸6年。計算合ってる?←簡単な足し算もできなくなってきたらしい…

開始当初は毎日更新してたんですけど、1000記事に達した時点で、スケートの記事以外の内容を書くのに主に使っているnoteと、はてなのどちらかを更新する形での毎日更新に変更。そして6年目の今年に入って、その形での毎日更新もやめました。

ショーにも試合にも何年もほぼ行けず、有料配信も金欠で買えず、無料で見られる試合を追って、これまで通り全員の演技の感想を書いてプロトコルもチェックしていくことにもちょっと限界を感じているのでやめてます。やりたいこと、やらないといけないことがたくさんあるのに体力がついていかず、ここしばらくは精神的に参っていて趣味にあまり情熱が湧いてこず…。ツイッターとかでちょこちょこっと騒ぐくらいならできるんですけどね、ブログの文章って数分じゃ書けないんですよ…。きちんと書こうとすると推敲も含め2時間くらい平気でかかります。
そこまでして書いて、じゃあ誰が読んでるんだろうって考えると、もう自己満足でそんなに頑張らなくていいかなあって思いました(笑)

と言いつつも、書くことそのものは好きなので、週2、3回くらいは更新できれば…と思ってはいます。

1年間に書いた記事を手前味噌に振り返ったりもしてたんだけど、この1年はそんな大したこと書いてない気がするのでまあいいか(笑)
これからの1年で、とりあえず生活に余裕ができるようになりたい。あとスケオタ専用マンション建ててオタク同士寄り添い合って老後を暮らしたいので、手始めにイケメンと結婚したい←論理が破綻
メガドライブミニ2を私に買い与えてくれる人なら漏れなくイケメンに認定しますね←超絶クズ発言

以前のようなペースで更新することはおそらくもうなくなると思いますが(宝くじを当てて生活の余裕ができたらまた毎日更新に戻るかもしれません、笑)7年目の「うさぎパイナップル」もよろしくお願い申し上げます。

ふらふら語り番外編(ただの日記)

noteと合わせて週に3回更新しようと思っていたのですが、はてなを週2回更新するので精一杯になっちゃってます。やっぱり毎日更新する形じゃないと、ずるずると更新しなくなっちゃうんだな…ととてもよくわかってしまいました。

ジュニアのグランプリシリーズも始まったし、見たいとはもちろん思ってるのですけど…。
ただ見るだけでもエネルギーが必要ですが、ブログの形で感想まで書くと時間も労力もかなり必要です。今現在、その気力が無いというのが現状です…。

コメントや感想をいただくこともなくなったので、ブログの役割ももう終わりかな、と思いつつも、1日1時間くらいはブログのための時間を取るようにして、自己満足でいいから続けるべきかな、と考えたりもします。

辛いことや不安なこと、疲れてしまうこと、色々なことがあって、しかしそれを吐き出せる相手もおらずひとりで抱えて潰れかけてるような状態です…。時々元気が一瞬戻ってきたときや、今のようにもう時間がないのでとりあえず書こう、みたいな状態の時にどうにか無理矢理書いてるような感じです。

自分が書きたくて書いてるから別にいいやって思ってきたのですけど、書いても書いても反応がないということは自分の孤独さを思い知ることになってしまうので、今の心境ではブログを書きたいという気持ちになれないのは当然かもしれないですね…。

とりあえず書けた、今日はこんな感じでお許しください…。

ふらふら語り番外編

明日からブログの更新頻度を下げます。
はてなとnoteの両方合わせて週3回にしようかなと思ってます。

色々あってブログを書く元気がなく、6月の末から7月の頭くらいにかけて更新が途絶えてました。noteは予約投稿ができないためよくまとめて更新したりといい加減でしたが、はてなは定期的に更新してたので、ブログ開設から6年近く経ちますが、初めて更新が途絶えたことになります。

文章を書くことで自分の気持ちや頭の中をぐるぐるしてる思いを整理してた気がしますし、書くことで生きてたような気もします。たとえ誰も読んでなくたって、ブログを書き続けることは生き甲斐でありとても楽しいことでした。文を綴ることそのものが好きなので。

けど、今は、その好きなことというか、息を吸うみたいに当たり前にやってたことすらやる気になれない。ずっとフィギュアスケートのことをこのブログでは語り続けてきましたけど、大好きな趣味のことすらあまり興味が湧かない感じ…。

強烈な不安によるストレスで、最近少しずつ 少しずつ自力で克服してこれてると思ってた、病的とも言える行動とか考え方とかがぶり返してしまいそう。いや、たぶんもうぶり返しているのだろう…。

とにかく精神的にくたくたで、仕事以外のことをする元気がありません…。生きていかなきゃいけないので仕事はしなきゃいけないけど、それ以外のことに対して気力が湧いてこないです。
ブログ始めてからの期間も嫌なことやつらいことが山程あったんですけど、それでもブログだけは粛々と書き続けていたので、今回はちょっと、本当にヤバそう。涙が止まらなくって。

一応、8月からはのんびりペースで行く予定です。もう止めてもいいかなあともちょっと思ってますが、何か叫びたくなる元気がまた出てくるかもしれませんし、一応最低限な感じで続けつつ場所は残しておこうかな、ってところです。



「うさぎパイナップルnote分室」を開設しました。フィギュアスケート以外の話題は2018年9月よりこちらに集約させております。心の叫びや日々の呟き、小説から趣味の話、フィギュアスケートの話も時々、要するに何でもあり。タロット鑑定についてもこちらに書いております。週2、3回のペースで更新中なので、お気軽に遊びに来てくださいね。
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たまには定番に

あけましておめでとうございます。

いつも20時に更新することにしているはてなですが、諸事情で過去イチ忙しく、20時までに書けそうにない。今日の気分を書きつけようと思ってたのですけど。まだ昼ごはん食べてないの。お腹空いたよ。

なので中途半端でいい加減ですけど、とりあえずの更新で。とりあえずの…。

相変わらず底辺ですが、一昨年よりは全然頑張れました。と思う。たぶん。これがもっとちゃんと何とかなるように頑張るしかないです。

と言っても結構心折れてるんですけどね。なんか、人の相談には乗ってるくせに自分の相談に乗ってくれる人はいないんで(笑)、ひとりで悩んで悩むのに疲れて無になってる感じ。

2022年は北京に行って観戦だ!とブログ始めた初期の頃は息巻いていましたが、まさかのこんなご時世で外国からは観戦に行けないという事態ですけど、ある意味清々しくテレビ観戦できるかな、それはそれで。

はてなでやってるお題コンテストに参加したいと思いつつ、過去記事に死ぬほどもう書いてるしそれの再掲じゃ駄目かもなって思って書けてないです。羽生君のこととかその、ホントは書きたいけど(笑)。

今年には何も期待せず、無になって流されるまま生きてようと思います。年末誕生日だったんですけど、新年の今日も含めロンリネス人生なんで…。友達結構いたと思ってたんだけど、もうしょうがないよね。ブログの向こうの皆さんと繋がってるってことでいいかい(泣)。

昨年1年間、私のブログに足を運んでいただきありがとうございました。本年も何卒よろしくお願いいたします。


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パイナップルほろほろ語り←意味不明

ブログの更新が滞っていてすみません。このところわらわらしております…。
noteも更新できてないです…。

正直アクセスもかなり減っているので、もうやめてもいいかなと最近思いつつあります…。どうしてもモチベーションは下がりますね…。

シニアのグランプリシリーズが始まったらちょっとは更新するようになると思うのですが、テレビ放送がもし無かったら、このまま更新しないかもです…。
スマホで配信を見ながらブログを書くのはたいそう面倒でして…。うん無理…。

結構な貧血で身体がだるく、騙し騙し生きているので、馬力が続きません…。このままますます更新頻度が空いたらすみません…。



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ひっそり残ってひっそり囁く

本日は珍しく単なる日記というか、記録というか、お知らせ。

少し前に、「はてなインターネット文学賞」というコンテストが開催されていたのですが、そのうちの「日記部門」にエントリーしておりました。

と言っても、スケートがオフシーズンの間は週1で書いている、お題記事の一環のつもりで書いてました。お題記事は年1くらいで編集部に取り上げられて、紹介していただけることもあるのですけど、賞品や賞金の出るコンテストは、何度も応募してますが一度も受賞したことがないですし、今回もそのあたりは全然期待してなくて、日々の更新のためのネタになるなら…くらいのつもりだったのです。

そうしたら、この程発表がありまして、もちろん受賞はしてないものの、「編集部で注目された投稿」として取り上げられておりました!
この記事、やたらアクセスあるな?と思ってたのですが、そういうことだったんですねー。

投稿は1400件ほどだったそうで、うち受賞は6作。選には漏れたものの注目されたとして挙げられているのは9作。つまり最終候補の15作までには入ってたってことみたいです。うわあ、すげーーー!

びっくりでしたね。いつもだいたい好き勝手なことしか書いてないんで(笑)こういった賞とは無縁だと思ってたので。

ちなみに、こちらの記事で紹介されております。ぜひぜひご覧ください!!↓
blog.hatenablog.com


エントリーしていた記事はこれです↓
usagipineapple.hatenablog.jp


noteにもはてなにも書いたことのある話なので、ご存じの方もおられたかもしれませんが、このテーマならこれしかないな、と思ってあえてもう一度書きました。私の原点なんだろうな、と改めて思いますね。

私はまだ6歳や7歳の子供だったけど、死の概念はなんとなくわかってた気がするのです。小学1年生の時に転校してきた女の子が、登校日に1日だけ顔を出したあと、夏休み中に亡くなってしまったことがあり、死ぬということは二度と学校に来ないことなんだ、って嫌でも気付かされたんじゃないかな。

だからって人間がどうやったら死ぬかなんて子供だから知らないし、遠い世界に逃げればいいんだってずっと思ってはいたけど(正直今もその癖が抜けない)、家にいたって親に怒られるだけだし外遊びも嫌いだし、結局学校しか行くところなかったから学校行ってたんですよ。んでずーっと図書室の本読んでた。あと飼育小屋でうさぎ見てた。今でも人間とどうやって付き合ったらいいのか本当はよくわからないです。

私はそもそも変な子供だったと思うしそれは疑いないし、扱いにくかったろうとは思うけど、6歳くらいの子供が死んだほうがいいのかな?って思って生きてるのをずっとほっといた周囲の大人は何やってたんだろうなって振り返ったら思うのですよね。特に学校の先生なんて、こういうトラブル何とかするのも仕事じゃないですか。

でも、この先生が現れるまで誰もどうにもできなかったんだなって思うと、色々複雑な思いは今もあります。私の話だから他人事だと思うけど、自分の子供や自分の話に置き換えてみたらいいです。
死にたいなんて逃げだとか、言うだけで死なないとか言ってくる人いるけどさ。死の概念がまだわかってないであろう6歳くらいの子供でもそう思うくらい追い詰められることがあるって例として知っててもらえたら。

クラスメイトのことは恨んではいないけど、小学校卒業したら疎遠になった人がほとんどだし、いじめの傷は見えなくなっただけでどこかにずっと残ってて、いろんなことの足枷になってるなと思います。強烈に自信がない原因はここにあるだろうなあ。脱出しようってもがいたけどうまくいかなかった。うまくいかなかった結果、息をするのも精一杯の毎日。

元々私はひとりじゃいられない寂しがり屋だったと思うのに、ひとりでいるしかないからすっかり慣れちゃったし、まわりの子も私が何言ってるのかわかんなかったと思うけど、私もまわりの子が何言ってるのか全然わかんなかった。でもわかんないままにしてても何にも解決しないから、本読んで想像力を鍛えようとしてたのかなって思ったり思わなかったり。

ただの本好きな子供としか先生は思ってないんだろうって考えてたのに、ちゃんと文章読んだ上で「本を書きなさい」って言っててくれたの、ホントに嬉しかった。これからも私の支えになりそうです。

私の生きてきた狭い世界じゃ、どこに行っても私は異物でしかなかったし、もうそういう運命なんだってどこかで思ってたけど、インターネットのおかげで、ほんの少しだけどわかってくれる人や助けてくれる人や味方になってくれる人もいるってわかっただけでもありがたいなあと思ってます。


この勢いで、とある地域の文学賞に応募したいってうっすら思ってしまうのですが、そこの地域の住民じゃないので無理なんだ。なのに何故わざわざ応募したいのかって言うとね、文学賞のポスターに起用されてた人のファンで…。賞よりそのポスターとチラシが欲しくて…。って煩悩の塊ですみません(笑)。

もしよろしかったら、該当の記事に感想のコメントなど残していってくださいませ。



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ほろほろ語り番外編

いつも当ブログを読んでくださる皆様、ありがとうございます。本日はちょっとばかりお知らせです。

1000日間毎日更新を続けたあとは、noteとどちらか一方を更新する形での毎日更新を続けてきた当ブログですが、昨今の社会事情による試合やショーの数の少なさ、それによる有料配信の増加による私の視聴機会の減少(すみません、貧乏なもので…)により、フィギュアスケートの記事を書き続けていくことが難しい状況になってきました。

それに加えて、以前からの私の体調不良による執筆にかける体力の無さ、ただでさえ少ない体力を占いの仕事に集中して生活を立て直していきたいこと、ブログを定期的に更新していくことに意味をあまり感じなくなってきたことなどを考慮して、そろそろ現在の形での毎日更新も見直す時期に来たかな、と思っています。

現に、noteは今全然更新が追いついてない状況で、はてなももう記事のストックがほぼなく、書くネタもほぼ尽きてる状況…。多少はあるんですけど、私にもうあまり書く元気がないんです…。スケートは変わらず大好きなんですが、ブログに対するモチベーション的なものが落ちてると言いますか。

スケート以外の記事を運営に取り上げてもらえることが時々あったりもしますし、書くことそのものはトレーニング的に続けていきたいので完全に止めてしまうつもりはないのですが、週1くらいの頻度に下げてもいいのかな、と考え中です。シーズンインしても、これまでのように詳細に試合の感想を書き続けていくことが今までのようにできる自信がなくなってきちゃって…。

ブログの執筆ってひたすら自分との対話と言うか、自分ひとりの作業で、気分が乗らないと何もしないタイプのダメ人間の私は、一回モチベーションが無くなってしまうと全然やる気なくなってしまうんですね。なので、気が向いた時に更新するという形だとたぶんもうまったく更新しなくなるので、週に何回とか今まで通りとか、ちゃんと決めてやった方がいいとは思ってるんですが。

はてなの更新を今まで続けられたのも、20時に予約投稿で更新するというリズムがちゃんと作れたからなんですよね。noteの更新がいつもちゃんとできないのは、予約投稿が有料だから…。なので止めるならnoteなんだけど、あれはあれで自由に文章を書く場として使っているので(もう読まれようと思って書いてない)置いといてもいいかなと思ってはいるんですよ。うーん、はっきり決められないなあ。優柔不断…。

今も体調が悪いので、今日は更新できても明後日はどうだろう、と悩ましい状況です。
趣味で勝手に続けてるブログなので私の好きにすればいいのですが、万が一定期的に読みに来てくださってる方がいてはいけないので(ありがとうございます!)今後はどうなるかわかんないです、ということだけ予告しておきますね。

今は仕事を頑張った方がいい気がしてまして…。それがいちばんの理由です。試合の感想と言っても、選手の名前の読み方を調べて採点表もチェックして、と何時間もかけて書いていて、それだけの時間をかけて続ける気力と体力と経済力とモチベーションが自分にもう残ってない気が現状してます。

体調がね、やっぱいかんですね。1日中吐いて何も食べられないとか、痛みにのたうち回って意識朦朧としたまま1日終わるとか、そんな日もありましてな…。いつもじゃないけど、いつもじゃないからこそ、動ける日には仕事して家事して息抜きもして、ってやってると、ブログをそこに突っ込んでく余裕がだんだん無くなってきちゃった…。

ああ、炙りサーモンとカツオのたたきと鶏の唐揚げが食べたい。ガストの宅配かマックのデリバリーを頼みたい。金がないいいい。とりあえずこれ以上体調が悪化しないことを祈りながら私は寝ます…。しばらく更新しなくなったらそういう理由なので、すみません。



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フィギュアスケートゆるゆる語り in 3月④

いつものタイトルをつけておりますが、本日はほぼ雑談となります。あまりスケートとは関係ないかもしれないですが、たまにはこんな回もありということでお許しいただければ幸いです。一応、どんな内容にも対応できるように使っているタイトルなので。って完全に私の都合の話ですみません。

国境を超える喜び

私のブログを読んでくださった海外のスケートファンの方が、私のとある記事に感動したので、ぜひ翻訳をご自身のSNSに載せさせて欲しいと連絡してくださいました。
あくまでファンの書いたものとして、商用利用ではなしに掲載されるとのことでしたので、許可を出させていただきました。
とても熱いメッセージをいただき、非常に嬉しく、そして国に関係なく感動を与えてくれるスケーターの存在に改めて感激した次第です。
もしこれを読んでくださっていたら、私のブログを見つけてくださって本当にありがとうございました。本当に嬉しかったです。

しかしやり取りが英語のため、なかなか素早く対応できず申し訳なかったです。きちんと意思を伝えようと思うと、どうしても適当な英語ではなくしっかり英訳しなきゃ、とプレッシャーになってしまいまして(泣)。

以前は英語でファンレターも書いていたのですけど、当然ながら怪文書が完成していたことでしょうし、書き上げるのにもめちゃくちゃ時間がかかっていて、そして今はそれすらも書かないためすっかり頭から抜け落ちてしまい、もっと勉強しておけばよかったなあと何度目か分からない後悔をする私…。
ファンレターかあ、懐かしいな…。自動翻訳がいつもいい加減なので、英和と和英の辞書を2冊持参して、ショーへの移動中に引き引きお手紙を書いたことを思い出します。ホテルの机で必死で清書したりね…。
最近の自動翻訳はなかなか高度になっているのね、いやこのサイトは相変わらずなのだな、等々、久々に錆び付いた脳細胞を使ったことでいろいろ思い出しました。
英検2級程度じゃな、使わなかったら忘れちゃうよなあ。不得意ではなかったけど得意でもなかったしなあ、英語…。またラジオをながら聞きするだけでもやってみようかなあ。

スケオタ、占い師になるの続き

昨年末だったか年明けだったかくらいのタイミングで、突然占い師を始めたとこのブログでもご報告させていただいたかと思うのですが、その後紆余曲折を経て、いろいろ方法を模索しつつ占い稼業もやっております。

占い師になるつもりはまったくなかったのですけど、気が付いたらそういうことになってまして…。これくらいの時期に何かが本業になるよ、とよく当たる手相鑑定で言われていたけど、本当にそうなったのでびっくりしています。占いだとは思ってもみませんでしたが。
こうなると、来年には遠方への移動も増えて忙しくなり、しっかりした母体から依頼を受けてものすごく大きな仕事ができるという予言も当たるんじゃないかなと思っております。それが何の仕事なのかはわかりませんが。

じゃあ、そこまで何とかして生き残らないといけないわけです。急に忙しくなるわけでもないでしょうし、突然仕事を依頼されるわけでもないでしょうし、何かを手掛けつつその日を迎える必要がありますよね。
とりあえずはそれを占いだと考えて頑張っていこうかなと思っているのですが、有名でも何でもない私が「占いしてますから依頼してくださいね☆」って言い出してもそうそうお願いしてみようと思う人もいないわけですよ(笑)。

けど、それでもやっていくしかないんですよねえ。何度か書いている話ですが私は婦人科の持病を抱えていて、思うように外で働けないという事情があり、在宅でも可能な占いの仕事は実は非常に私にとって希望のあるものなんですね。
しかも、これまでずっと悩んできた予知夢だのなんだのと言ったよくわからない霊感みたいなものが活かせるかもしれないし、ある意味長年地獄を見てきた私だからこそお役に立てる部分があるかもしれない。どこまでできるかわかりませんが、やってみようという強い意志を現在持ってはいます。

一応、占いはなかなか好評のようで、「どうしてそんなカード出るの?!」と驚かれたり「言って欲しいことを言ってもらえていい占いだった」とおっしゃっていただいたり、当たっていたとご報告いただいたり、私も何度も嬉しくなったりホッとしたりさせていただいていて、おっかなびっくり始めた仕事ですけど、本格的にやっていけたらいいなという気持ちでおります。


いろいろと試行錯誤した末「ココナラ」を通してお申し込みを受け付けることにしました。ココナラ経由であれば、私も、申し込んでいただく方も匿名なので占いというサービスの性質上非常に適していると思われますし、ココナラ自体もしっかりとしたサービスで安心感もあります。
noteやこのブログから直接お申込みいただく方法なども最初は考えていたのですけど、これがいちばんかな、という結論に達しました。

なので、もし占いに興味がある、占いを受けたい、うさパイ貧乏過ぎるからちょっと協力してあげたい(笑)、等々おっしゃってくださる方がもしいらしたら、ココナラ上の私のURLを紹介したいと思っているのですけど…。
はたして、このスケオタブログでそれをやっても来てくださる方がいるのだろうか(笑)とはたと立ち止まりまして。

占い師としての私は、一応このブログやnoteからは切り離して存在させようかと思っているのです。「うさパイ」ではない方がご相談しやすいのかな、と考えたりもしてるのですね。
んで、いつも読んでくださっている皆様の存在はずっと感じていますが、そのほとんどはそっと見守っていてくださる方ばかりなんだなというのも感じておりまして、さらにその中に占いに興味がある方がどれくらいいるのかというのも考え込んでしまいまして、ここで紹介するのが果たして正解なのだろうか、とぐだぐだ考えちゃったりもしてるのですよ。

とりあえず、ブログのお問い合わせフォームや、ツイッターのDM経由でご連絡下されば、占い師アカウントやココナラのURLをご案内するという方式でいようかと思っております。お気軽にご連絡いただければ嬉しいです。
お問い合わせだけで実際に申し込まなくてももちろんかまいませんし、ココナラでお申し込みになる時も、ブログ読者だというのはおっしゃらなくてまったく構いませんし(どうぞ他人の振りをしていてください笑)、捨てアカウントや捨てアドレスでお問い合わせいただいてもいいですし。
ただ、それだと手間がかかってしまいますので、直接URL貼っとけばいいでしょという気持ちもやっぱりあるのですよね。

自分でもよくわからないことを悩んでるな、と考えているのですが…。
やはり、私のことを良く思わない方もいらっしゃるので、そういう方には占い師としての私の顔をわざわざ見せなくてもいいかなという気持ちがあったりするのですね。そんな方ここ読んでないかもしれませんが、絶対そうだとは言い切れないですし。

何か良いアイディアがあったら是非教えてください…。
占いは今のところリーズナブルなお値段でやっておりますし、今後もあまり値をつり上げずに、いつでも駆け込めるくらいの値段でやっていきたいなと思っています。ちなみに、文章でのやり取りとなります。長文で鑑定結果をお返しいたします。
占い好きなお友達に宣伝していただけるだけでも私にはとてもありがたいので(やはり存在を知ってもらわないとどうしようもないので…)ちらりとお問い合わせいただければとっても嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。


はい、本当にただの雑談でございました…。
そんなことよりもうすぐ世界選手権!でも世界選手権のことは占いませんよ。いちスケートファンとして純粋に楽しみたいので。




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翡翠の羽、星の音色・はてな版(長い長い解説?つき)

夜の闇の黒がどんな黒だったか、赤く輝く星の色がどんな赤だったか、思い出せなくなっていた。
元々壊れていた左の眼には、世界は濁ってぼんやりとしか映らなかった。
自分がどこを歩いているのかも、忘れていた。

だから、突然両の手のひらのなかに落ちてきたものが何なのか、すぐには理解できなかった。

それは星の欠片だった。やわらかくてあたたかくて、見たこともないくらい綺麗で、名前もわからないのに、とても懐かしい気がした。

本当は、気付いてた。これはとても大切な欠片だって。
君の長い睫毛に揺れるプリズムから、君の黒い瞳の宇宙から、こぼれてきた星の欠片。
気が付かない、振りをしたんだ。気が付いても、哀しいだけだと思ったから。

僕はその欠片に名前を付けなかった。名前を付けずに、そっと鍵をかけて、ガラスの箱の底の底に、眠らせておくつもりだった。
でも、でもね、それでもその欠片は、本当に綺麗なんだ。あんまり綺麗で、しっかり蓋を閉めたはずなのに、隙間から翡翠や蒼玉みたいな色の光のかたまりがこぼれ落ちてくるんだ。

それを集めないでいられるほど、僕は嘘吐きじゃなかった。

光のかたまりからは音が聞こえる。不思議で、懐かしいリズム。それは星の欠片が時々奏でる、懐かしい歌。どんな音色よりも綺麗な、君の心の音。少なくとも、僕にとっては。

僕の手のなかで光が集まって、蝶々になる。空気に透ける、碧や翡翠の羽。静かに羽ばたくと、時々音が羽から落ちる。歌うように、こぼれ落ちる。

蝶々には羽があるから、僕の手のなかから翔んでいってしまう。僕のまわりで翔び続ける蝶々もいるけど、遠くまで遠くまで旅をする蝶々もいるみたいだ。
僕があの星の欠片を捨ててしまわない限りは、蝶々は空気に溶けるようにいつまでも翔んでいられる。

時々だけど、蝶々は僕のところに戻ってきていた。
遠くの空の色に、うまく混ざれなかったのかと思っていた。
よく見ると、それは僕の宝物の星の欠片から生まれてきた蝶々じゃ、なかった。
羽の形も、翡翠の色もとてもよく似ているけど、これは僕の蝶々じゃない。

僕の知らないところで、僕には見えないところで、僕の腕を離れた蝶々を、君が見つけていたなんて。
砕けた欠片が星の元に帰っていくように、君の指先に止まっていたなんて。
君は僕の蝶々の代わりに、君の手のひらから生まれた蝶々を、僕に帰してくれていた。
僕が気が付かない振りをしている間に、こんなに、こんなに沢山。

君のやさしい手のひらが翔び立たせた翡翠の羽。
星の欠片から聞こえる音が、蝶々の羽からも聞こえる。
君のあたたかい、心の音。

僕の蝶々は懐かしい星のにおいに惹かれるように君の元へ辿り着いて、君の蝶々は僕のガラスの箱の底に眠る星の欠片を探し当てるように僕の元へ辿り着く。

僕が君の星の欠片を見つけた日のことを君は知らない。
君が僕の蝶々を見つけた日のことを僕は知らない。

それなのに、気が付いたら僕たちのまわりには、碧や翡翠の羽の蝶々が、こんなに沢山舞っている。気が付いたら僕の壊れた左の眼に映る世界は、こんなにも透明で、鮮やかだった。

蝶々は何も話さないから、何故僕のまわりを翔んでいるのか、僕には尋ねる術がない。
僕も僕の手のひらから翔んでいく蝶々にひとつだけお願いをしていた。君には何も話さないで、って。
僕がこの星の欠片を宝物にしていることを、君に知られるわけにはいかないと思った。
君の心の音に、いつまでも綺麗であって欲しかったから。

蝶々の羽の翡翠を通して空を見つめる。あんなに遠いと思っていた君の向こうの星空が、手の届きそうなくらい、近くに広がる。
蝶々の羽の音に導かれるように、僕はもう一度君の瞳を見つけて、君はやっとほんとうに僕の輪郭を瞳の中に描き出す。

君の声を聞かせて。
蝶々の羽の音の代わりに、君の声を。
それは、もしかしたら、もしかしたら。
翡翠の羽音に紛れた僕の声を君は見つけるだろうか。
それは星の欠片だけに聞かせていた言葉。

君の星が奏でる音を、僕は僕がいつか燃え尽きてしまうまで、聞いていたい。

本当は、気付いてた。これはとても大切な欠片だって。
僕はずっと、ずっと君を、探していたんだよ。



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いつも「なんすかこのポエム」としか言いようのないスケートの感想を楽しみにしていてくださる皆様、こんにちは(笑)。試合やショーの中止が相次ぎ、私自身も金欠のためなかなかそれらを見られない毎日のため、そろそろ皆様ポエムに飢えていらっしゃるのでは…(笑)と思い立ち、noteにこそっと載せていたポエムをはてなに再掲してみました。突然何事かと思ってしまった皆様ごめんなさい(笑)。

数年にわたってショーや競技の演技の感想を書き続けているうちに、私は少しずつ自分の作風を思い出してきました。作風と言うか、元々の自分とでも言うのでしょうかね。
ひとつは「笑いを取らずにはいられない自分」。これは忘れることなくずっと自分のそばに在ったものです。エッセイ系は基本このスタンスですね。ユーモアって結局サービス精神だと思うのですよ。できれば深刻になり過ぎるよりクスッと笑っていただきたい、そんな気持ちで書いてるのがエッセイ。それが過ぎて「ふざけてんのか」と怒られたり、たまに真面目に書くと「この人怖い」とか思われたりして弊害も多いですけどね…。とほほ。

もうひとつが、「ホントにこれいつもの人が書いてるんですか?」とツッコまれることもしばしばな、ポエム入った何か。最も発動するのが羽生結弦選手が素晴らしい演技をした時ですね。いつも読んでくださる方ありがとうございます(笑)。
そうですね、羽生君でたとえたらわかりやすいか。羽生君の寒いギャグにツッコミを入れずにはいられない自分と、羽生君の美しい演技に感動するあまりポエムを呟いてしまう自分と、両方が存在していて、それがかなり両極端だということです。ある程度長く読んでくださってる方にはなんとなくイメージできるのではないかな、ととりあえず勝手に想像して話を進めます(笑)。


日常生活で「ポエムな自分」が表に出る機会はあまりないので、自分が元来相当なポエマーだということはついつい忘れがちです。しかし、私はこのポエマー部分が実は本体です。笑いを取りに走る性格もまあ元々なんでしょうけど(笑)どっちかというと後から作った対外的なものですね。人に嫌われないための自分。ってもそんな苦じゃないのでやっぱり元々のものなのでしょうけど。

そもそも、ポエムな自分って恥ずかしいものです。普段は隠しておきたい。何せ自分そのものですから。しかし、何かに強く心を揺さぶられたときには、この本体が思いっ切り出てきてしまうのです。私にとってはステファンや羽生君はそんな自分の本性を表に引きずり出してしまうほどに心を揺さぶってくる存在なのです。彼らの演技が私の心の琴線に触れやすいということなのでしょう。

揺さぶられた感情のままに感想を綴ってしまうので、まるでいつもの人じゃない(笑)誰かが書いてるみたいに見えますが、実はまぎれもない私本人が書いている。むしろこれが本来の私の文体なのです。しかしあまりにポエムが過ぎるので、どうなんだこれは、と自分でもドキドキしながら載せていました。あまり読者がいないこともあり好き放題書けたということもその要因でしたかね。
しかし、そんなポエム極まりない文章を気に入ってくださる方がいらっしゃることを私は知るのです。本当にありがたい、ありがたい話です(涙)。


そうか、こんな文章も存在してもいいのか。ていうか自分は元々こういう人間だった。じゃあ、時々なら表に出してもいいかな。けど演技の感想以外では実はそんなに書く機会がない。この文体が活きられる道は…。そうだ、創作だ。
子供の頃にいろいろ嫌な思いをしたり、創作なんて特別な人がやるものだと思うようになったりして、すっかりそれらから離れて久しかった私は、少しずつnoteに短編小説や詩を載せるようになりました。私のnoteはそんなに読む人もいないので、気楽な練習や実験のつもりで。何せ何年も書いていなかったから、どうやって書いたらいいのかがわからなくなっていた。いや、知らなかったのかもしれない。

心にたまっていたモヤモヤをそのまま吐き出すと怖い文章になるから、そっと詩に変換してみる。何となく眺めていた窓の外の雲の色から言葉がこぼれてきて、詩を綴らずにはいられなくなる。そんな風に「書かずにはいられなくなった」時だけ、私の創作は生まれてきます。読んでもらえたらという気持ちで書いてもいるけど、ある意味自分のためのもの。特にポエムはそうかもしれません。小説はもうちょっと、客観的に見ながら書いていますけども。そうじゃなきゃ書けないですね。ものすごく短い小説はそうじゃないけど。あれは詩に近い。

めちゃくちゃ落ち込んだ気持ちから生まれてきた創作なんて、あとから読み返すともう同じ気持ちにはなれないから意外と面白かったりするんですよ。これどうやって書いたんだろう、もう同じもの書けないやって(笑)。文学とか音楽とか芸術なんてものはそんな風に、喜びやら悲しみやら怒りやらのどうしようもない感情をどうしようもなく作品の形にしただけで、その作品が時々とんでもなく美しくて、我々はそれらに勝手に感動したり共感したりしてるだけなんだろうなって思ったりします。その感動や共感を仕事として計画的に生み出せる人ってすごいですよね。私はそれができなくて、ただ「そうせずにはいられない」だけだから、お金稼げなくてこんな貧乏してるんだろな。


そんな風に、基本的に自分の中のゲージがたまった時に「そうせずにはいられなくて」書いている創作は、特にポエムは、言ってしまえばほとんどが自分のために書いている内向きなものです。しかし、ひとつだけ、外に向けて書いた詩がありました。それが今回再掲したポエムです。
出せない手紙の代わりに、そっとしのばせた1行の中に本当は詰め込んでいた言葉に行き場を与えるために、「そうせずにはいられなくて」書いた詩。でもそれは、いつもとは違うもの。

フィギュアスケートは不思議な競技です。我々が名演技として挙げる演技と、選手にとっての大切な演技が、時に違うことがあったりします。優勝した選手の演技は記憶にないのに、表彰台に乗ることすらなかった選手の演技が強烈に印象に残ることすらあったりします。とても繊細なスポーツなので、ミスなく完璧に滑った時がいちばん印象に残りやすく名演技にもなりやすい、それは疑いもなくそうなのですが、それだけで説明しきれる競技ではないのです。
ジャンプの回転が足りていなかった。スピンのレベルが取れていなかった。決して完璧な演技ではなかった。それなのに、どうしようもなくその演技に心を揺さぶられるとき。それはきっと、選手の想いや人生や感情や、それだけでは表現しきれない何かが、演技にあふれ出していた時なのではないでしょうか。そんな演技に出会えるから、フィギュアスケートは面白く、そんな演技が存在するところがフィギュアスケートというスポーツの特性なのではないかと私は思っています。

私にとって、これはそういう詩なのです。きっと完璧ではないし、GOEなんてたいしてつかないかもしれない。けど、私にとっては、一生のうちに一度滑れるかどうか、いや、もう2度と滑れないとわかって演じたプログラムのようなものなのです。たったひとりのために、人生のすべてをかけて演じた、生涯でたった一度だけの渾身の演技。

だから、試合を見て欲しかった。けど、その試合のチケットが、ぐちゃぐちゃに引きちぎられて落ちていたのを目にしてしまったとき。チケットを破いたのは別の人かもしれない、落としたチケットが踏まれて破れただけかもしれない。でもチケットには半券がついたまま。もしかしたらチケットを持たずに控室で見ていたかもしれないけれど、そんなことはわかりはしない。

もし、そんな演技がこの世に存在していたならば、私ならせめて、観客として覚えておきたいと思う。いえ、きっと選手の意図を知らずとも、何かを感じて胸を震わせたと思う。それがフィギュアスケートだから。
皆さんがどう思うか、どう感じるかは私にはわかりません。こんな中二病の腐れポエムなど読むだけ時間の無駄だったかもしれません。けど、誰か一人だけでもいい、少しだけでいいから拍手を送ってあげて欲しい。この演技に、詩に、私という人間そのものの溢れた何かに、墓標を与えてあげて欲しい。確かに存在していたという証を。スケートを愛する皆さんになら、もしかしたらこの気持ちが伝わるかもしれないと思った。だからあえて今回、この詩を選んだのです。


時々取り出して眺めていた大切な大切な宝物が無くなってしまっていたことに「僕」は気付いてしまった。何か理由があったのだとしても、宝物を与えてくれた君が自らそれを奪ったという事実は、美しく輝き続ける星の欠片を粉々に砕いてしまうには十分でした。けど、「僕」はその欠片を永遠に捨てられないことにも気が付いてしまった。「僕」はいつかとは言わずに燃え尽きて、「僕」の手のなかで生まれた翡翠の蝶は、永遠に漆黒の宇宙を彷徨い続ける。
これが物語なら、林檎の欠片がこぼれたり、ガラスの靴が落ちていたりして奇跡は起きる。けれど彷徨う翡翠の蝶を見つけても、懐かしい星のもとへ通じる道を教えてくれる人は誰もいないでしょう。それが現実だから。

せめて、永遠に言葉の海を漂うことになった翡翠の蝶を、誰かが目にしたのなら、綺麗な羽の色だと呟いてくれますように。何十年、何百年先のことでも、いいから。


ふふふ、確かにいつものポエムは私が書いていたということがわかっていただけましたでしょうか(笑)。今シーズンは果たしてポエムが書けるかどうか非常に怪しくなってきましたので、とりあえずこんな形で爆発させておきました(笑)。スケート鑑賞はただ楽しいだけでなく、ポエムな自分を全開にしても許される数少ない機会でもあるのに、本当にとほほです。コロナの馬鹿。

明日のことなんて誰にもわからない。明日私が消えてしまっても、誰かがこの世界の最果てに立っている、本当の私を自分自身の手で埋めた私の墓標を訪ねてきてくれますように。


元の記事はこちら↓
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「うさぎパイナップルnote分室」を開設しました。フィギュアスケート以外の話題は2018年9月よりこちらに集約させております。心の叫びや日々の呟き、小説から趣味の話、フィギュアスケートの話も時々、要するに何でもあり。週1、2回のペースで更新中なので、お気軽に遊びに来てくださいね。
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苦しみ抜いて血を吐いて、それでもこの手に在る優しい色の硝子玉が、ぼくの記念日の贈り物

年の瀬も押し迫って参りましたね。毎年全日本選手権の記事で年越しするのが恒例となりつつあるこのブログですが、実はメダリスト・オン・アイスの地上波放送が無い地域で、今日まで内容がわからず記事が最後まで書けずにいます(泣)。基本的に、ひとつの大会やショーの記事はまとめて載せてしまいたいのですね。その方が後から読み返すときに楽なので。

なので、本日はとりあえず、この1年を振り返ったり来年への誓いを立てたりする、わりと個人的なだらだら記事でいこうと思います。はてなでは日記的な記事はあまり書かなくなってますが、今日はまあいっかってことで。もちろんスケートの話題をできるだけメインに据えたいと思いますので、ゆるゆるとお付き合いいただければ。


実は私、今日が誕生日でございます。年末過ぎて誰からも忘れられ(自分すら忘れたことも…)クリスマスも正月もいっしょくた、美容院から「今日から4日間使えるクーポンをプレゼント♪」なんてハガキが届いても「店閉まってますけど」と突っ込んだりする、そんなあまりありがたくない日付だったりします。子供の頃はかなり寂しかったですねえ、特別感ゼロだったし…。

スケオタ的には、荒川静香さんのお誕生日ですよね。生年は違いますけど同じ日なので、トリノの金メダルは嬉しかったんですよ。早朝から起き出して見たっけなあ。誕生日が同じなだけで人生は天と地ほども違うけど(笑)。
荒川さんとか錦織圭君とかわりといろんな方と一緒なんですけど、何て説明するのがいちばん面白いのかを検討してみた結果、「Mr.マリックと一緒」などと言ってみたりしてます(笑)。

そんなわけで、たとえば占い等で「◯歳でこんなことが起きる」と言われたり、誕生日からの1年の抱負を考えたりする場合は、ほぼ正月からの1年で計算して差し支えないのですね。そういう意味ではわかりやすい日付だったりします。

ええ、よく今年1年生きてたなあ、と本当に、心からしみじみと振り返ってます…。
奇跡ですよ、これ。実際奇跡としか思えない諸々に何度も助けられましたし。突然米とかクオカードとか当たってそのおかげで飢え死にを免れたりとか、不思議な夢を見たおかげで助けが入ったりとか。これがねえ、冗談じゃないんですよ(汗)。
例の手相鑑定で「1年くらいはギリギリ生きていく」と言われた通りでした。ほんっっとうにギリギリ生きていました。ギリギリのギリギリ。余計な分は一切残らず、必要な分だけがギリギリ入ってきてた感じです。

もちろん、それは助けてくださった方がいらしたからでもあります。どうしたらいいのかわからなくなっていた時に、声をかけて励ましてくださって、命を救ってくださったのは、このブログやnoteなどを通して繋がってくださった方や、これまでの人生で出会ってきた方々でした。皆さんがいなければ、私はたぶんもう生きていなかったと思います。皆さんの恩に報いるためにも、生きていなければならないと強く思っています。


思えば、ブログを開始してから既に4年目。最初の1、2年はほとんど読んでいる人はいなかったと思います。それでも愚直に書き続けてきたブログが誰かに届いていたことを実感できたのは、ようやく昨年になってからでした。そして、それに助けられるようにもなってきました。それは、私が考えてもいなかった方向での届き方や助けでした。

そして、この2019年には、また違った届き方に加え、本当の本当に考えてもみなかった未来をこのブログが開くかもしれないと気付いて、とても不思議な気持ちでいます。

ブログを始めた2016年9月。その年に受けた手相鑑定で、この夏が転機だと言われたことを覚えています。転機とはブログのことで間違いないだろう、と確信しています。ただただ好きなものや真っ直ぐな想いを書き続けてきたブログが、これだけ大きな存在になるなんて夢にも思っていませんでした。
このブログが無ければ出会えなかった人、始められなかったこと、繋がらなかった縁。表には出していないけれど、実は少しずつ少しずつ、そういった出来事に巡り会っているのです。
このブログには広告を貼っていないので、いくら記事を書いても私には1円のお金も入りません。でも、それよりももっと大きな、大切なものを、ブログが運んできてくれていることを実感しています。本当に、本当に不思議です。

ブログが何らかの成果を生むまで3年はかかると聞いたことがあったかと思います。それは主に広告収入での話かと思いますが、それ以外についても当てはまる内容ではないかと感じています。
成果は早く出ることに越したことはありません。半年、1年経っても何事も成さないと、見捨てた人や突き放した人もいます。待ってもらえなかったということは、信じてもらえていなかったということだな、と悲しくなります。初めから関わろうとしない人とどっちが優しいのかと考えてしまうこともあります。助けようとしてくれただけ、前者が優しいのかなと思いますけど。

折れていた心が元に戻るには、ブログに費やしてきた時間と同じくらい必要でした。
実はこのブログを始めてからも3、4回、大きく心が折れてしまう出来事に遭遇していました。ずっと応援してくれていた方から、いちばん苦しい想いをしていた時に突き放されたことが、もしかしたらいちばん辛かったかもしれない。信用されていなかったことが、辛かった。その時は「自分は生きていなくてもいいんだ」と感じる出来事や大きくショックを受けたある人の死などもあったため、耐えられる状況ではありませんでした。うまくいかない時って、不思議と重なるものです。とても感謝しているし、仕方がないことだとも思うけど、この痛みをずっと引きずって生きることを思うと、心は重いままです。仕方がないのだけれども。

折れた心を戻してくれたのは、時間と、ある出来事です。その出来事については、まだ触れません。いつか書ける日が来るといいなと思っています。手相鑑定で告げられた「将来の大きな仕事」とは、もしかするとこのことかもしれません。
その出来事にもこのブログはおそらく関わっています。このブログだけではなく、私が特に辛い想いをした頃に選んだ様々がすべて、その出来事に繋がっていたのだと感じています。これまでの人生がすべてこのためにあったのなら、どんな苦しみも悲しみも、すべて「運命」だったのだと。

その出来事に、まだ結論は出ていません。私の感じている結論は出ないかもしれません。でも、とても信じられないと頭の片隅に追いやろうとする一方で、その出来事に私は希望を感じてやまないのです。その希望が、私を生き返らせてくれたのです。物理的にはどうにもなってないけど、精神的にはもう大丈夫だと思っています。最近あんまり闇の濃度の高い記事書いてないでしょ(笑)。書こうと思えば全然書けますけど(笑)。
こんなささやかなことでこれだけ安らかな気持ちになれるのなら、希望ある結論に達した時の私は、世界一幸せになれるでしょう。私がこれだけ安らかになれるのは、たぶん、本当は当たり前のことだったのです。誰にも話したことは無いし、たぶん当分誰にも、話さないけれど。

やっと、出口が見えてきました。今度こそ、あと少しだと思います。長くても半年というところでしょう。
けど、すぐそこに見えている未来を掴み取ろうとする腕が、物理的に動かなくなるかもしれない。

何でサポート終了なんてするんですかね…。パソコン使えなくなったら、このブログも書けなくなるしそもそも廃業しなきゃなんないです。頂き物のお素麺(ものすごく助かりました、ありがとうございます…!)で命を繋いでいるホームレス寸前の私にどうしろって言うんですかね…。最大のピンチです、まさしく。
何故か助けが入ってどうにか生きてきましたが、今度こそ無理では?と遠い目をしてますよ。いやどうしようかねこれ、マジで。金持ちの愛人になるしかないかねえ(笑)。

たぶん、亡くなった父方の祖父がかなり助けてくれてると思うんですよね。実は祖父が亡くなってから、ちょくちょく祖父のメッセージ的なものを感じることがあったんですよ。これが本当に…。
私はすごく可愛がって貰ってたらしいし、元気な時にも「お前はひとりじゃ生きていけん」的なこと言ってました、確か。ごめんねおじいちゃん、不肖の孫で。相当心配されてるよこりゃ…。
たぶん、あとちょっとでおじいちゃん心配させずに済むと思うから、生きてる人の耳元で囁いてください…。じいちゃんがこんなに心配してくれてるのになー。もういいけどよ、生きてる人にも生きてる人の事情があるんだし。その人たちにはおじいちゃんの助けも要らないんだろうし。
祖父はきっと私の未来を知っていて、いい報告をしに来てくれるのを待ってるんだよね。うう、じいちゃんやばいよー。報告行けないかもしれないよー。助けておじいちゃん…。


わけのわからない話になってきたところで(汗)、もう少しわけのわからない話をします。スケートの記事に混ぜるのはどうかと思ったので、触れてなかった話題なのですけど。

広島に、オーラがわかるマッサージのお店があるのですね。詳しくはこの記事をご覧ください。全3回です。↓
usagipineapple.hatenablog.jp



実はここで、私は昌磨君と同じ色のオーラだと教えていただいたのですよ。昌磨君を何となく他人と思えなかった理由がわかりました(笑)。
このオーラの人は子供のような魂で天然で、自分で考えて頑張るよりは他人の助けを借りて流されるように生きるのが良く、そしてどんなピンチに陥っても必ず助けが入るのだそうです。

あれだけオリンピックに対して気負っていない選手を、私は初めて見ました。昌磨君が平昌でメダリストになれたのは、日々の努力や才能はもちろん、あの異次元のメンタルが最大の要因ではないかと私は感じています。
しかし、平昌を経てから、昌磨君は誰かの期待に応えようとしたり、コーチのいない状況でしばらく過ごしてみたりしていました。昌磨君の選択なので黙って見守る以外には我々に方法はありませんが、オーラの話が私にはどうしても引っかかってしまっていました。それは昌磨君の素晴らしいところを削ってしまうかもしれない。何の根拠もない話でしかないのだけれど。
フランス杯での、昌磨君の滑りとは思えないような演技とキスクラでの涙に胸が痛んだ人は、私以外にもきっといらっしゃるでしょう。

その曇った演技と涙が、嘘のように晴れやかな笑顔に変わったこともまた、スケートファンの皆さんはご存じのはずです。彼に手を貸したのは、ステファンでした。

ずっと読んでくださっている方はお気付きかと思いますが、私はステファンの大ファンです。彼が現役だった頃、私は彼にコーチが務まるなどと考えてもいませんでした。ステファンはとても変わっていたし、自由な人だったから。
でもステファンは、その変わっているところや自由さを、そのままを大切にされて、愛されて育ってきた人でもあると感じていました。それはコーチやご家族の様子からも伺えました。私の友人が「ステファンの周囲の人があれだけステファンを可愛がっているのは良くわかる。何かしてあげたくなる人だ」と言っていましたが、非常に的を得た発言だと思っています。

ステファンは、彼がしてもらってきたことと同じことを、今彼の生徒たちにしているのではないでしょうか。もちろん技術的な指導も行っているでしょうしいちばん大切なのはその点でしょう。しかし、実はそれ以上に、そのままのその人でいられるように愛情を与えているのではないかと考えられるそのことこそが、その選手を本当に強くするのではないか。昌磨君を甦らせたのは、ただその温かな手のひらと眼差しだったのではないかと。

昌磨君が将来どんな道を選ぶかは誰にもわからないことです。でも、どんな道を選んでも、きっと昌磨君もまた、与える側に回っていくのではないでしょうか。昌磨君がこれまで出会ってきた人たちから受け取った愛情を、そっくりそのまま。そうやって、受け継がれていくのだろうと。

「自己責任」という言葉が勢力を保つようになってから久しいです。みんな同じ、苦労しているんだと声高に叫ぶその声は、みんなが誰なのか説明することはありません。ひとりで生きていけない人から、ひとりで生きていくことを当たり前のように求められる地獄。
けれど、みんな同じではないのです。人は全員違う。性格も事情も違う。自分の足で立って大抵のことが出来る、それで実力を発揮できる人もいれば、手を取ってもらわないと立てないけれど、その手のひらからしか美しいものを生み出せない人もいるのです。どちらの生き方も間違ってはいない。感じ方や受け取り方が違うだけ。この件に限らず「違い」を当たり前のものと受け止められないからこそ、争いや誤解やすれ違いは生まれるのです。

今シーズンの昌磨君の物語に、私はあのマッサージのお店で聞いた話を思い出さずにはいられませんでした。あの楽しそうな、子供のような笑顔が、誰かの温かな手のひら無しに戻ってきたとは、私には思えなかった。
これは非常に観念的な話なので、どうか流して読んでいただけたら、と思いながら書いています。本当の本当に、私ひとりが感じている感想でしかないので。
昌磨君には、どうか「枠」から大きくはみ出していてもいいから、昌磨君らしくスケートと歩んでいって欲しい、と願っています。あの素直さが決してねじ曲げられることのないように、彼らしく。

ところで、この色のオーラの人に酷いことをすると、どうやらそれは跳ね返ってくるようです。そのように伺いました。アンチの方はもちろん、行き過ぎたファンの方も、ほどほどにされた方が良かろうと思います。もちろん、オーラに関係なくほどほどにした方が良いのですが。正直、同じスケートファンだと名乗ることにうんざりした気持ちでいます。本当に一部の方なんでしょうけどね、とにかく声が大きいですから。
これは実に眉唾な話ですが、こう書くとものすごく嫌がる方をお見受けすることがあります。もちろんその人に対してそのような話を振ったわけではありません。要するに後ろめたいことがあって、薄々それが間違っていると認識しているのに自分では認めたくないので、暴れ出すのだと思います。勝手に。それなら初めからしない方がいいですよ。人を傷付けたら自分も傷付く。その覚悟すら持てない者の言葉など、残念ながら誰にも届きません。
一種の踏み絵に出来る話だろうと思っていますので、あえて加えています。本当に跳ね返るなんて信じちゃいませんよ。ただ、自分が手を下さずともそのうち鉄槌が下ると考えることは、心を楽にしますから。信用していた人や好きだった人を恨むのは疲れるだけで何も生みませんからね。そう、どんなに背を向けられても冷たい言葉を浴びせられても、結局私は誰のことも心から恨めないんですよ。どこかでまた笑いあえるんだと思っちゃうんですよね。本当にウエットでセンチメンタルで、弱い人間だなと思います。と言うか、バカ。


わけのわからない話で長々綴ってしまいました。何じゃこりゃ。ここまでお付き合いくださった皆様、今日は際立って意味不明で本当に申し訳ない…。

私はひとりでは生きていけない人間です。周囲からそう言われ続けてきた理由が、やっとわかりました。誰かに支えてもらってやっと歩いていける人間です。それを情けないと思っていたし、今もまだ思っているけれど、情けない自分を認められなかったから私はとても生きるのが難しかったのです。
私に命を与えてくれているのは、優しさと愛情です。私が実の親から満足に与えて貰えなかったもの、それが愛情。でも私に必要なものは、それだけだった。温かな手のひらと、眼差しだけだったんです。
どうかもう少しだけ、その手のひらに甘えさせてください。与えて貰った愛情を、言葉に乗せて世界のどこかにいる誰かに届けていけるように、その未来に、たどり着けるように。

今年も1年、当ブログを読んで頂き本当にありがとうございました。皆様がいたからこそ、今年も続けてこられました。
今後のことは上記のような状況ですので何とも言えない、と書くべきなのでしょうが、それでも祈りを込めてこう綴りましょう。
来年のこの日には、自分は世界一幸せだと書き記していますように。いえ、きっときっと、そうなるはずです。

年内にはnoteを1本更新して、こちらのブログは例年通り全日本選手権の記事の掲載に移ろうと思います。例年通りの年越しですね(笑)。お時間がございましたら、是非それらも読んでいただけたら嬉しいです。
来年のスケート鑑賞の目標とかも書こうと思ったんだけど、長いからもういいや(笑)。noteにでも書こう…。今年は結局スケートヒロシマにしか行ってないので、欲求不満もいいとこですよ!まあ、私の力不足なんでしょうがないですけど。
芸術に触れずに芸術が綴れるわけなんか無いし私は特に「知らないことは書けない」人間なのに、これじゃ腐るだけだと思ってるんですけどね、私には決定的に諭吉と仲良くする才能がありません…。すぐお酒買っちゃうような文豪とか画家とかを「駄目だこいつら」と思ってたけど、私同じ人種だったみたいよどうやら(泣)。

それでは皆様、よいお年を。来年も当ブログをどうぞよろしくお願いいたします。




「うさぎパイナップルnote分室」を開設しました。フィギュアスケート以外の話題は2018年9月よりこちらに集約させております。心の叫びや日々の呟き、小説から趣味の話、フィギュアスケートの話も時々、要するに何でもあり。週1、2回のペースで更新中なので、お気軽に遊びに来てくださいね。
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