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うさぎパイナップル

ただ、書くことが好きなだけです。

魔法使いのいない教室①

この話を今までこういった形で文章にしたことはありません。本当に親しい人にもあまり話したことはないような気がします。いつかどこかで書いてみようかな、と思いつつも正直楽しい内容ではまったくないので躊躇していましたが、良い機会なので載せてみようと思います。非常に陰鬱な話ですのでご注意ください。

私は子供の頃、いじめに遭っていました。小学校一年生から五年生の一学期くらいまででしょうか。これが長いのか短いのかは私にはわかりません。
私はずっと、殴られたり蹴られたり、上履きに画鋲を入れられたり(笑)することがいじめだと思っていたので、自分が置かれていた状況がいじめと呼ばれる状態であったことに、長い間気が付いていませんでした。今でも、いじめられてたって言っちゃいけないのかな?とどこかで思っています。だから人にもあまり話してこなかったんでしょうね。

私の通っていた小学校は各学年にクラスがひとつしかない田舎の学校で、通っている子供たちは皆保育園か幼稚園からの知り合い同士でした。小学校入学と同時にその地区へ引っ越してきた私は完全なる余所者でした。ほかにも小学校からそのメンバーに加わった子もいたはずなのに、仲間外れになったのは私だけでした。
言葉が違う、顔もかわいくない、アトピーで肌はグチャグチャ、アレルギー性鼻炎でしょっちゅう鼻水、運動はできない、とろい、素っ頓狂なことばかり言ってる、なのに勉強だけはできる。
いじめられる要素てんこ盛り(汗)。だからっていじめていい訳では当然ないのですが、子供というのは非常に残酷な生き物です。自分達と「違う」存在にはとにかく容赦しない。それはもう冷徹なまでに。

私はいつもひとりでした。教室では机を男女2列に並べて隣同士はくっつけるのですが、私の机はいつだって離されていました。いわゆるバイキン扱いです。二年生くらいかな、社会見学に行った時に、ひとりでレジャーシートを広げてお弁当を食べている写真が残っています。ひとりで食べてる子供がいても、先生は黙って写真を撮るだけ。私は「いないのと同じ」存在でした。
目立ってもいけません。皆さんの学校はどうだったかわかりませんが、私の通っていた小学校には日記という宿題がありました。六年生までずっと提出が義務付けられていたと思います。その日記は先生と生徒の連絡帳みたいなもので、よほどいい内容でもない限り誰かに発表されるようなものではなかったはずでした。
ある日、私は嬉しかったことをその日記に書きました。私は当時から絵や文章を書くのが好きな子供でした。自分の絵をたくさんの人が見てくれたことを「映画館みたいだった」と書いたのです。子供だった私には、人がたくさんいて何かを見ている状況を表現する言葉として映画館くらいしか浮かばなかったのでしょう。ただ素直に嬉しくてそう書いたんだと思います。
でも、私はその日記のことでクラスメイトにひどくなじられました。何が映画館だ、ふざけるなと。どうやら私の日記帳を勝手に見ていたらしいです。ホントだったら勝手に人のものを盗み見ているそいつが悪いのですが(笑)、私は学校で何の価値もない存在だったので、そのような生意気なことを言ってはいけなかったらしいです。
特別に何かされたとか、何か言われたとか、そういうことはあまり思い出せないけど、ただいつも、私は孤立していました。私のまわりにだけ見えない壁があって、みんな避けていくような感覚でした。
私、生きてただけなんですけどね。皆さんと同じように呼吸してただけなんですけどね。でも生きてるだけで嫌われる状況。害虫みたいなものです。今でも害虫と言えどできるだけ殺生したくない気持ちになるのは自分と重ねてしまうからです。あ、ちょっと悲しくなってきた。

この頃のことを、実はほとんど覚えていません。と言うより、自分のことだと認識できない、という感覚に近いです。確かこういうことがあった、と思い出せたとしても、それは自分の知らない、誰か他人の子供の話のように感じるのです。幼稚園の頃のことの方がまだ思い出せるくらい。金魚鉢ひっくり返したこととかさ。どうでもいいって(汗)。
でも、やっぱり辛かったんだろうなと思います。一年生?の時の文集に、こう書いたことは覚えてます。
「魔法使いになって、好きなところへ逃げたい」
前半はわかりますよ、子供らしい夢ですよ。でも後半。金持ちになりたいとかお姫様になりたいとかじゃなくて、「逃げたい」って。夢も希望もないんですけど(汗)。
さらに、やっぱり一年生かな、文化祭的な行事で、クラスで歌を歌ったんですけど、何フレーズかを替え歌にすることになって、歌詞を生徒の意見で決めたのですね。で、私も意見を出した。その時点でクラスメイトは皆嫌そうでしたが、何がどうなったのかその意見は採用されることに。
その歌詞がこれまた病んでるとしか言いようがなく(汗)。当時放送していたアニメ番組の主人公と友達になる、そこまではいい。しかし、その主人公に望むことが、一緒に遊びたいとかあんな風になりたいとかじゃなくて、「ピンチの時には助けて欲しい」(汗)。ちなみにその主人公、普通の女の子で決して超人的な何かではないです。
その歌詞は一応歌われたわけですが、その時のことを書いたクラスメイトの感想文が凄かった。私の考えた部分だけ、あそこは嫌だったとか声が小さくなったとか、見事な袋叩き(笑)。そりゃ病んでるのは認めるけれども何もそこまで(笑)。
家でも大人しかったようで「時々確かめないと生きてるのか死んでるのかわからない」と親に言われたことがあったくらいなので、学校ではほとんど喋らなかったんじゃないですかね。うまく話せない代わりに、逃げたいだの助けて欲しいだの、そうやってメッセージを発信していたんだろうなと思いますけど、当然のように誰にも気付かれず、私は毎日ただ、死なずに生きてました。子供らしい、死を恐れる時期を過ぎたら自然に「自殺」が頭に浮かぶようにはなりましたが、それより以前のごく幼い頃には、自ら死を選ぶ人がいるということを単純に知らなかったんじゃないかと思います。

そんな状況にも関わらず、全然学校は休みませんでした。毎日ちゃんと行ってました。よく不思議がられるのですが。
その理由を推測すると(前述したように覚えてないので)、まずひとつめは、学校は休んでもいいものだということを単に知らなかったんだろうと思います。何せ6歳ですし。不登校とかいう単語知ってたとは思えませんし。
ふたつめは、家にも居場所がなかったということ。たぶん学校休んだら怒られてたんじゃないですかね。うちの母親、いわゆる教育ママだったし。テスト100点じゃないと怒られてたし。それに外で遊ぶのも嫌いだし、家は田舎で周囲にはほとんどお店もないし、だからって家にいてもやることないし。結局学校しか行くところがない。勉強しないと怒られるしね。
そしてもうひとつ、学校が知識を増やせる唯一の場所だったのだろうということ。親がうるさかったからというのも確かにありますが、当時の私は単純に勉強や読書が好きだったんですよね。現在のようにネットもないしテレビも多チャンネルじゃないし、田舎過ぎて子供の足で行ける本の置いてある場所は学校しかなかったし、それに薄々、こうやって勉強できる機会なんて子供のうちしかないんでしょって思ってたので、機会を無駄にしないためにも行ってました。段々自分の状況にも慣れて、決して平気ではなかったんだけれども、でもこういう人生なんだと諦めて日々過ごしていたように思います。死に方がわからないので生きてるしかなかったんですよね。正直その感覚は今も私の隣にぴったりとくっついて離れずにいます。死にたいというよりは、生きている意味がわからないので、別に生きていなくてもいいのでは?という感覚です。伝わるかなあ。

この辺りで皆さん、こう思ったのではないですか。
周りの大人は一体、何をしていたのだろう?と。

どうやら私は家でいじめられていることを話さなかったらしいです。そしてまっったく覚えていないのですが、日記帳だか連絡帳だかに、毎日毎日、「今日も誰も遊んでくれなかった」と書いていたのだそうです、私が。それを勝手に見た(うちの親いつもそんなん、それで何度か大喧嘩に…)母親は、学校に怒鳴り込んでいったらしいです。こんなんだったら転校させます、と。ああ、かーちゃんの様子が目に浮かぶ。さぞ恐ろしい剣幕だったに違いない…。
でもその時の校長は、何とかするので転校だけは待ってくださいと返したらしいです。で、私はそのままその学校に通っていたのですが、状況は何も変わらないまま日々は過ぎていきました。
要するに何もしなかったんじゃないですかね。
前述したように田舎の学校のため一学年にクラスはひとつしかなく、クラス替えは六年間一度も行われず、担任の先生も二年に一度しか変わらなかったのですが、二年生までの担任は時々ヒステリックに怒って泣いてたし、四年生までの担任は、自分は親が大変な時に生まれて大変だったんだからあんたらなんて幸せだよという話をしょっちゅうしてました。こんなこともあったな、四年生くらいの時に、自分のあたりの下駄箱が砂だらけになっててびっくりして先生に告げ口したら、実はクラスメイトが気を利かせて掃除していたら休憩時間が終わって下の方の下駄箱に砂がたまった状態だったということが判明し、責め立てたお前も立って罰を受けろ的なことを先生からホームルームで名指しで言われたことがいまだにトラウマです。勘違いした私もそりゃいけないけれど、そこでそんなに掃除した子達の肩を持つのに、私の状況はいつまでたっても無視なのかい、と思っちゃったんですよね。
どちらも悪い先生だとは思わないし、先生たちのこと好きでしたよ。ある程度の努力もしたけど成果が出なかっただけかもしれないですよ。でも、何も変わらなかったんだから何もしてないのと同じですよね、残念ながら。

ところがある日、そんな毎日が劇的に変わる出来事が起きたのです。
長くなったので以下次号。