うさぎパイナップル

ただ、書くことが好きなだけです。

長方形の中の宇宙

お題「年賀状」

近年は送る人が減っていると言われる年賀状ですが、私はひっそりと毎年楽しみだったりします。
誰かから届くハガキも嬉しいし、そこに使われているデザインを眺めるのも楽しい。こんなに様々なデザインがあるんだなと毎年感心します。そもそも私はメールより手書きの手紙の方がよっぽど好きです。使用するハガキやデザイン、添えられた直筆のコメントなど、ひとつひとつにその人の個性が滲み出ていて、紙媒体でなければ出せない味わいがあると思うからです。本人に面白味のない人のハガキはやっぱり無難な印象だったり、毎年毎年ちゃんと元旦に届くようきちんと出して真面目なんだなと感心したり。感心してもまったく見習ってないけどね自分(笑)。たぶん元旦に私の年賀状が届いたこと1回もないと思うわ(笑)←反省しろ

でも「子供の写真入り年賀状」だけはあまり嬉しくなかったりします。どうやら世間的にも嫌われる年賀状の上位らしいのに、んでその話有名だと思うのに、何故皆子供が生まれた途端これを送りつけてくるようになるのか。
そりゃ自分の子供がかわいいのはわかりますよ。誰だってだいたいそうだろう。でもだからって「うちの子自慢」に無理矢理付き合わされるの結構しんどいんですよね(汗)。自分が思ってるほど他人はあなたの子供をかわいいとは思ってないですよ。人間は生物なんだから、自分の血縁でない子供なんてただの生存競争の相手にしか過ぎないですよ。ってそれ大袈裟か(笑)。

家族写真も個人的にはちょっと。結婚式に呼ばれて相手とも面識があるとか、年に数回でも顔を合わせる機会のある子供たちなら、おおいい写真じゃん、元気かな、と微笑ましく眺めたりもするけれど、見たこともないような人の写真を散りばめられても何の関心もわかないでーす…。そうですかー、幸せで良かったですねー←棒読み

最近はそれでもさほど気にならず「ふーん」で流せるようになったけれど、昔は本当にこの手の年賀状が来ると心底ゲンナリしていました。色々と悩んで葛藤し続けているのは今も変わってはいないけど、でも葛藤の末ある程度諦めの境地に至るまでには相当な時間が必要であり、その葛藤の日々に、誰かが当たり前に享受し当たり前に存在すると思っているのであろう幸せを強制的に共有させられるのは苦痛でしかなかったです。すべての人に配慮するのはそもそも不可能だし、どんな年賀状を作ろうと個人の自由です。本人に強いポリシーがあるのならそれは尊重されるべきでしょうし、事情を知らなければ配慮のしようもないでしょう。だから文句を言う筋合いなどないのですが、楽しいはずの年賀状も、この時だけは凶器に変わってしまう現実には年明けから耐えがたいものがあったのも事実です。

今はね、本当に気にならなくなった。気にならないようコントロールできるようになっただけかもしれません。相当な時間をかけて葛藤の日々もだいたい終わらせましたしね。だいたいね。
それに、家族写真については楽しみ方を発見したからです。それは主に旦那を観察すること。嫁の方はだいたいどこの家もいつまでも若々しい、むしろ若返ったりしてるのに、旦那は若い頃の面影がまったくなくなっている人が大半で、その変貌ぶりに人生を感じずにはいられない(笑)。中には「あれ?この人離婚したの?でも名字変わってないし…。え?これ旦那?同一人物?ウソでしょ?!」ってレベルに膨らんだりしぼんだり減ったり増えたり人相変わったり色々してる人もいて、正直めっちゃ面白…ゴホンゲフン、いえいえ何でも(笑)
そうそう、写真館で撮った家族写真を送るのはアリだと思ってます。わざわざプロに頼んで家族全員で正装して撮るなんて、ある意味非常にオフィシャルな写真じゃないですか。それを年賀状に使用するのは独りよがりなどではないしまったく問題ないと思います。

グダグダ呟いてるお前はどうなのかと言いますと、毎年必ず自分でデザインすることに決めていました。デザインと言ってもワードとペイント(笑)だし、自分でもうんざりするくらいセンスもないのでしょぼくれたものしか作れませんが、たとえしょぼくれまくっていても、自分で文字の配置なり色なりをすべて考え、一から作り上げることに重きを置いていました。どんなにしょぼくても、年賀状作りは年に唯一の作品発表の場だと言えるからです。作ることが好きなんですよね、結局ね。そう、単純に楽しい。
宛名は必ず手書き。もちろんコメントも添えます。コメントのためのスペースを最初から考えてデザインしたりもして。本当の本当に年賀状のやり取りだけでまったく近況がわからず、年賀状からも何も伝わらず、まるっきり書くことのない人も中にはいますけど、そんな状態になってるのに年賀状だけは出してるっていうのがそもそも間違いなんだろうなあ。何故毎年送ってくれるのか全然わからぬ…。もしかして私が毎年無駄にこだわってんのを理解してくださってるのかもしれないんだったら嬉しいけどそんなわけまずない(笑)。
義務感丸出しの年賀状なんかもらってもつまんないじゃん。どうせなら受け取る人に楽しんで欲しい。そのためなら新年から気合いも入れます。たぶん毎年失敗して空回りしてんだけど(笑)、でも一応そういうスタンスでやってます。

なのですが、今年は初めてデザインをやりませんでした。まったく何もしなかったわけではないんですけど、ほとんどしなかった。生まれて初めてです。自分でもびっくりです。
理由としては、今年はどれだけ送る必要があるのかわからなかった、という点が非常に大きいです。熟考の末、ほんのわずかな人数を除き、今年は送ってくれた人に返信する方式を取ることに決めていたのです。数がわからないので、無駄になるかもしれない量のハガキを買いたくなかった。経済的にも厳しかったですし。ハガキも買えないくらいってアンタね(汗)。
今年自分に年賀状を送ってくれる人は一体どんな人なんだろうか。もしそんな人がいたら、その人は本当に年賀状のやり取りだけの人か、様々な状況を加味しても私の近況に少しだけ寄り添おうとしてくれた、本当のいい人かのどちらかなのだろう。前者はその通りだとしても後者はこちらの勝手な想像でしかないけれど、おそるおそるポストを開けて、そこに入っていたハガキの差出人を見ていくと、ああ、やっぱり「できる人」ってこういう人たちなんだな、と納得させられる皆さんだったりして、無意味だとされる年賀状にもちゃんと役割はあるのだな、としみじみと思いました。ほとんど来ないと思ってたから、正直嬉しかったですね。こちらからは一切出さずに全部返信方式で良かったな、と今ちょっと後悔もしてるけど。ま、仕方ないやね。
「後者」に該当する皆さんにはここでそっとお礼を言いたい。自分なりに精一杯過ごしてきた日々は何だったんだろうか、と激しく落ち込んだりもしていましたが、すべてが無駄だったわけではないんだな、と少しだけ楽になりました。喪中ハガキについては今年ばかりはどう判断したらいいのかわかんないんだけどね。義務的になのかわざわざ送ってくれたのか。まあ来年悩むとしよう。来年って言うか、一応もう今年か…。鬼が笑いそうだけど。
そもそも手紙書くのが好きで、昨年送ってくれた人にはちゃんとこちらから翌年出すようにしていた私が「自分から出さない」ことにしたのは異常な状況だったんだなと今改めて思ったけど、来年はまた余計なことは考えずに楽しく年賀状作りにいそしめたらいいなあ、とそんな風に思います。