うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

All Japan Medalist on Ice 2011⑨

※この記事は昔書いたものを修正して今更載せています。詳細についてはこちらをご覧ください↓

usagipineapple.hatenablog.jp

 

フィナーレも終盤。選手達がステージの前に一列に並ぶと、男子の4回転合戦が始まりました。お待ちかねー!

まずは羽生君。どうやら失敗。続いてパトリック。どうやら成功?
…どうやらどうやらって何だって感じですが、実はステファンと交互に見ていたので見逃しまくっていたのです(泣)。今回本当にステファンしか見てなくてすみません…
そのステファンは自分も挑戦しようとしてるのか、ちょっと動いたりしていたのですが、結局最後に小塚君が挑んで終了。
…小塚君が跳んでる間にさっさと帰り始めるスケーターの皆さん。置いて行かれたことに気付いて慌てる小塚君。会場爆笑。おいし過ぎるよ小塚君!(笑)

ステファンの姿も、小塚君の姿も(笑)消えてしまうと、メダリスト・オン・アイスはついに終了。満喫したー。
今回は本当に充実したエキシビションでした。今まで見たショーの中でも上位かも。どの選手の演技も煌めくようで、正直S席の値段じゃ安いと思いました。初めてスケートを見るお客さんにもピッタリだったと思うし、席が空いてしまったことは本当に残念でした。
後ろのご夫婦がステファンのちょっと後に「スイッツランドって言ってたな」などと話されているのが聞こえて、スイッツランドのしまうまのことを覚えてね、損はさせませんよ、と心の中で宣伝した(笑)
フィナーレ前に帰ってしまう人が多かったのですが、雪で新幹線のダイヤも乱れていたし、遠方の人は最終の時間があるから仕方ないですね。

冷蔵庫なみはやドームで凍え切った私は、物販も冷やかさずとにかく外に出てしまい、外もどうせ寒いという現実に愕然と←バーカ
門真南駅は入場制限がかかる程激混み。何本かやり過ごしてから乗車し、やれやれやっと暖かいところにいられるわ、とホッとして心斎橋で乗換えたら、御堂筋線これまた激混み。通勤ラッシュレベルに。もう22時前なんですけど!
車内の人が持っていたパンフレットに「KinKi Kids」の文字が見えたので、ライブでしょうか。なみはやドームでもなんかあったらしいよー、と声が聞こえたので、どこも混んでいたようです。

どうやらメダリスト・オン・アイスが終わるまですごく気が張っていたようで、地下鉄車内ではもう倒れそうでした。そういえばここ数日あまり寝ていなかった。でもとにかく家に帰るまでが遠足、と何とか耐えて新幹線に乗車。
やっぱり雪で20分遅れの新幹線。これ最終なのに在来線に乗り継げないじゃん。でもそんな客のために調整はしてくれるらしく、車掌に自分が乗り継ぐ路線を伝えたら「厳しいかも…」と言われたけど待っててくれました。利用客が多かったのかな。待っててくれなかった路線もあったのでラッキー。

しまった、「面白い恋人」がまだ売られているか確認するのを忘れていた←どうでもいい

そんなこんなで大阪の旅は終了しました。年末年始は反動で放電、送られてきたり見つけたりした色々に泣いて、年始にやってた「おくりびと」に泣いて(理由:ステファンが話題に挙げていた映画で、お父さんに対して複雑な想いがあるらしいステファンがこの映画を挙げた気持ちが伝わってくるようだったから)、涙腺の緩い年越しでした。

そして年明けにはメダリスト・オン・アイスの放送も鑑賞。地上波ではやっぱりステファンカット。まあわかってたけど。
スタッフロールで一瞬映ってた中村健人君の涙が…胸が痛かった(泣)
BSはフィナーレで置いて帰られる小塚君までやってくれて満足。ステファン、滑り終えたあとニコッと笑ってたのね。いい笑顔だった。

しかしまあ、今年1年色々起こり過ぎて、ネタの神様はネタじゃなくて本当にいるんじゃないかという気がしてきた(笑)。昨年に引き続き謎の勘の良さも健在でしたが、それ以上に予想もしていなかったことが頻発し、さすがの私も見えない何かの存在を信じてしまいそうでした…。この世には不思議なことなど何もないって言ってたじゃん京極堂←知らんわ
正直、お金と時間があれば偶然と幸運は必然として作り出せるものだと思う。しかし、海外のショーを追いかけられるわけでもなく、テレビ放送すら満足に見られない私にとっては、偶然と幸運だけが運命を繋ぐ糸。そう考えると、やっぱり自分はどうかしてるレベルで運がいいと思います。
ずっと、自分がファンだってことすら彼は知らなくてもいいと思ってたのに、もう以前のようにテレビで見るだけのファンに戻ろうと何度も考えたのに(経済的にもね…)、そう考える度に偶然の何かが発生する、2011年はそんな1年でした、特に後半。怒涛の1年だった…
中でも、9月。あの9月の新潟は私の人生において必ず訪れなければならない場所だったのだと思う。あの夏、たくさんの人が気を遣ったり声をかけてくれた。その中には本当に感謝しているものもある。それだけでも私は立ち直れたかもしれない、長い、長い時間をかけて。
ただしその前に折れてしまう可能性は、正直低いとは言えなかった。今考えると、かなりギリギリでした。
ステファンの演技を見れば少なくとも元気は出るだろう、そう信じて、賭けた新潟で見たチャイコフスキーは、逸れかけていた私の人生の軌道を一気に元に戻してしまうほどの力を持っていた。それは予想もしていなかったことだった。
あの日のあの時間のことは、どれだけ筆を費やしても伝えられないと思うけど、私にとってどれだけ特別な時間だったか、それだけちょっとわかっていただければ。

2012年はどうなるのかなあ、こんな幸せがいつまで続くのかなあ…、そう考えながら元旦の早朝、初詣に訪れた宮島で、友達と鳥居をバックに写真を撮っていたら、「納めようと思って持ってきたお守りが入った紙袋を鹿にカバンから引きずり出して食べられ、それを奪い返して(お腹壊すよ!)鹿に説教する私、しかも背景が日本三景」という非常にシュールな画が撮れました。
…確実にネタの神様は今年も降臨される気満々だと思われます…(笑)
写真を撮ってくれた友達は「正月からいい仕事した」と言っておりました(笑)

しかし今年はよく仕事をされたよ、ネタの神様。でもあまりにも大降臨し過ぎるから逆にカットしまくらざるを得なかった(笑)。ごめんね、せっかくの働きぶりだったのに(笑)

現在のところステファンの来日予定はまだ何も発表されていませんが、どうもますます収入が下がるっぽいので本当に会いに行きたくても行けなくなるかもしれません…。今でもかなり徹底した節約生活の下何とか捻出してる状況だしさ…。そもそも私のようなギリギリの生活してる人間がスケート鑑賞なんて贅沢過ぎる話。遠い目。
でも私はそんな極貧生活をあえて選択して心の平穏を守っているのだろうし、これが今できる最善なんだなと思ってます。職場の人や友達にも恵まれてるしさ。何かが欠けてる代わりに何かで埋めてるんだね。
そしてそんな私に感動や興奮はもちろん、実は穏やかな気持ちも与えてくれていることがこの1年でよくわかったステファンに、2012年もまた会えますように、どうかもういちど…今はそれをただ、願うだけです。
できればまた福岡に来て下さい←2011年は結局、大阪に2回と福岡、新潟に行ったんだけど、新潟以外は近かったのが何とかなった原因だと思われます

2012年が終わる時には一体どんな1年の総評をしているのかなあ。もう私には何がなんだかさっぱりわからん。考えても仕方ないのでとりあえず勉強します。そうしよう。

こんなところで、そろそろこの長い長い旅日記の筆を置くことにいたします。今年もまた素晴らしいショーを味わえますように、今年の終わりにも幸せな年末だったって言えますように、そう願って。

2017年追記:2011年最後の旅日記です。本当に色々あった1年でした。色々あり過ぎてここでは書けず(笑)、2011年の旅日記全体を通してわけのわからない内容になっていることをどうぞお許しください…。この頃から「よくわからない」事態が発生するようになっていたことは事実で、偶然で片付けてしまっていいことなの?というある人の言葉がいまだに忘れられないのですが、でも偶然で片付ける以外になく、実際すべては偶然に過ぎないのですから、当時は色々考え過ぎて悩んだりもしましたけど、本当の本当に何かを好きでいたら、そのために必死になれるのなら、天上のどこかにいるかもしれない存在がちょっと手を貸してくれることがあるのだろう、今はそんな風に思っています。常識や理屈で説明のつかないことも往々にして世界には存在する、と考えてはいても、でもそれがスピリチュアルなこととなるとあまり信じていないので、できればハッキリとした理由付けが欲しかったんだけど。それが欲しくて何年も悩んでたんだよな、きっと。でもま、起こったことは事実として淡々と受け止めればそれでいいってことで。
いいことばっかりでもなかったですし。ああこの人、忙しいなんて口ばっかだし反省もしてないんだな、と思うことのつらさ。私いまだに引きずってるんだけど、本人はとっくに忘れて自分のことだけ考えて生きてるのかな、と思うと胸が抉られる思いがする。それだけ相手を信頼してたわけで。でもこれをいい機会に、バッサリ捨てさせてもらおうと思います。本当に人生に必要な人だったら、きっと戻ってくるから。必要なければそれでおしまい。いいんだよ、もうそれで。あなたのこと考えてる心のエネルギーがもったいない。
しかし、このメダリスト・オン・アイス、本当にいいエキシビションでした。今でも特に印象に残っています。この時の町田君は本当の本当に素晴らしかった。これだけの選手が代表になれないなんて、と歯がゆく思ったものです。その後の彼の快進撃は、皆さんもよくご存知かと思います。