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うさぎパイナップル

ただ、書くことが好きなだけです。

美しく、気高く、そして世界で最も暴力的なもの

ひとりごと

男性の保育士に女児の着替え等をしてもらいたくない、という声がある、というニュースについて、今更。

自分で育てればいいんじゃない?

そもそもなんで保育園に預ける必要があるの?
小学校や中学校と違って義務ではないはずだけど?
自分か伴侶のどっちかが面倒見る余裕はないの?
どうしても仕事しなきゃいけないの?
どうしても仕事しなきゃいけないくらいお金がないなら、どうして産んだの?
人間の子供が育つのにどれだけの手間と費用が必要か、理解もできないような「子供」が、子供を持ってもいいと本気で思ったの?

怒られそうだが、率直な感想としてそう思った。またこんなこと言ってるよこのクズ、と非難されることを覚悟でこの先を書いてみる。

人生とは自分で選べる選択肢と選べない選択肢の二種類によって進行方向の決まっていく片道だけの旅程と言えよう。大小の差はあれど、常に何らかの選択を迫られながら我々は生きている。そして、人生における自分の意志による選択の中でも、人間に委ねられた裁量権として最も大きなもののひとつが、「子供をこの世に誕生させる」という選択だと私は思っている。
何故ならば、少なくともこの日本では、母体から出てくる前の状態の存在を、人間とは、生命とは見なしていないからだ。母体が危険に晒される等、のっぴきならない状況ならともかくも、経済的に難しい、これ以上子供は必要ない、といった、他者から見ればさほど重要とは思われない理由でも、「数ヵ月も経てば人間と呼ばれることになるはずの存在」を、一定期間内において合法的に「殺す」ことができる。それはまだ人間とは見なされないから。母体を離れ、個として独立したその瞬間に、手をかければ罪になってしまうというのに。
その是非については、正直言って個人的に受け入れがたいものがあるのは事実である。どこかで線引きは必要であると理解はしているが、本当にそれは「人間ではない」のだろうか。簡単に答えを出すことのできない、非常に慎重に議論されるべき問題であると思っている。しかし、私自身がどのように感じるかは置いておいて、我々の国ではそのように定められている。
確かに、一度人間としてこの世に存在してしまった以上、存在させた者は生涯その存在に対して責任を負わねばならない。それは時として非常に重い道程となることがある。生きることだけが正解ではない。そういう意味では、我々に許されたこの権利は、あってしかるべきものなのかもしれない。
このような権利を認められていながら、それでも生命を人間としてこの世に誕生させることを選ぶとはどういうことか。それは自らの意志で、一生引き返すことのできない道を選択したということである。その判断ができるほどの知識も経験も持たないからこそ、一定の年齢に達しない者が子供を持つことに否定的な意見が散見されるのであろうと私は捉えている。「命を選択する」ということは、それほどに重い。

ほかの誰でもない、自分自身がその子供の生誕を望んだのではないのか。
自分自身が望んだことに対して、自分自身が責任を負うことは道理ではないのか。
子供も欲しい、でも仕事も続けたい。自分の時間も大切。あれも欲しいこれも欲しい。それらを自分で叶えるだけの馬力があるのなら頑張ればいい。素晴らしいことだ。でも、できもしないのに何もかもを欲しがり、結局自分の手に負えずに、社会の仕組みがおかしい、手伝ってくれない世間が悪い、などと声高に叫んだところで、その声に耳を傾ける義務があると思うか?「子供」や「母親」は神聖視しなければならない、という刷り込みが都合よく働いているからこそ許されているようなもので、非常に自分勝手な話だと思う。そりゃ、実際にその状況になってみれば思っていたのと違った、ということは往々にしてあるだろう。必死になってみてもうまくいかないことはあるだろう。よく考えて選んだ道であっても、突然予想だにしなかった事態が発生し状況が変わってしまうことも少なくない。そんな時にもすべて自分で何とかしろと言っているわけではない。そういうことを言いたいんじゃない。頼らなければいけない状況ならどんどん頼ったらいい。直面しているのは「命」なのだから。そうではなく、そもそもそういった状況に陥った場合に対する覚悟もない者が、何故引き返すことのできない道を選んだのかと、そう言いたいのである。

ある友人に、こういった趣旨のことを言われたことがある。
「今日は子供の誕生日で仕事帰りにケーキを引き取りに行った。子供が話しかけてくるのを無視してあなたのために時間を取って連絡してる。あなたのことを深く考えているのをわかって欲しい」
…すまん、さっぱりわからない。
て言うか、完全にアウトだと思う、あなたの発言は。
つまりあなたは、仕事や育児で忙しいこの私があなたのために時間を割いてやっているのだから自分の言うことを聞け、と私を脅迫しているのだもの。
誰が屈するか、そんな脅しに。
そんなに色々大変なら、色々のうちのどれかをカットすればいいんじゃないのかな。親であることをやめろと言うわけにはいかないので、仕事の在り方を変えるなり何なりすればいいのでは、と喉まで出かかるのをどうにか堪えた。何故あなたが自分の意志で選んだ道を絶対的正義として私が自分の意思を曲げさせられなければならんのだ。それは横暴というものだ。
でも、こういった横暴さは、非難しづらいというだけで、相当横行しているのではないかと思う。しかも近年、その横暴さは増しているように感じる。

保育園を増やせ、育児を手伝え、仕事を続けさせろ。でも金は払いたくない。むしろよこせ。金払ってんだからお客様は神様だ。
権利ばっかり主張しているが、そもそもそれだけの義務は果たしているのか、あなたは。その権利は本当に必要な人にこそ最も優先して与えられるべきだが、果たしてあなたはその条件を満たしているのか。
保育園を増やして自分たちに働く時間をよこせと簡単に言うが、保育園で働く人たちの現状を知っているのだろうか。自分の生活に近ければ可視化されやすいため問題視されるようになっただけで、「なくてはならない仕事なのに世間的には重要とは見なされずまっとうな報酬も与えられずに勤務している人たち」というものは保育士に限らず存在する。そしてそういう人たちが存在するということは、国や自治体に潤沢に金があるなどと思ってはいけないということである。困ったら親や友達に頼れば良かった層が親となり、当たり前のように助力をあおいでいるのだろうが、もはやそれが当たり前とは呼べない世の中になっている。
まっとうな報酬も与えられないのに、その仕事が好きだからという理由だけで、激務に真摯に向き合っている人たちを、ある意味本当のプロと言える人たちを、一切信用せず、権利だけを主張する横暴さ。意見としてまったく間違っているとは言わない。そういう声があってもいいとは思う。が、こんなものまで「こういう声もあるから」といちいち通していては、もはや社会は崩壊するだけのように思える。
子供が心配なら自分の目の及ぶ範囲で自分で面倒を見ればいい。対価を得られる社会から離れたくないのも、金もないのに先の見通しも立てず子供を産んだのも、すべてあなたの勝手だ。大抵のことにはやり直しがきくし逃げることもできるけど、親であることからはもう逃げられない。生物の使命は種を絶滅させないことのみにあると言っても過言ではないが、こと人間においては、金のない者にそれが許される状況ではもはやなくなってきている。辛い選択になるかもしれないが、経済的に恵まれなければ諦めるしかない。もうそういう選択をする者で世間は溢れている。それでも世界の人口は増え続けているのだから問題はないのかもしれないが、どうしても少子化を食い止めたいならば、子供を持つだけの余裕のある層を援助することに主眼をおいていてはもはや不可能ではないのだろうか。いや、そんなことは承知の上か。実行できないだけで。

それでも、それでもあなたはその子の命を望んだのだ。それならば、せめて誰よりもまずあなた自身がその選択の意味を自覚していて欲しい。あなたはその子を選んだけれど、子供は親を選べない。たぶんあなたがいなくても会社は回るしむしろあなたじゃない方がいいと思われてるかもしれない。それは辛いことだけど、でも会社があなたを必要としていなくても、この世の何もかもがあなたを求めなかったとしても、その子だけはあなたを必要としている。あなたにとって何がいちばん大切なのか、選択した以上は、よく考えて欲しい。それでもその子を誰かに託す必要があるのなら、せめてその相手を信用してもいいのではないのか。「親の気持ち」とか何とかいう如何にもな言葉でゴリ押ししないで欲しいのである。その「親の気持ち」とは、本当に子供のためなのだろうか?

もう一度言うけれど、すべて自分自身でしょい込めと言いたいのではない。意見を主張してはいけないと言っているのでもない。あなたのその選択が間違っているなどと言ってはいない。働くことを否定しているわけでもない。諦めて家にこもっていろなどと言うつもりもない。そうじゃない。どのような道であっても、それを選ぶことは自由だ。自由でなければならないはずだ。そういうことが言いたいのではないのだ。
死ぬほど混んでいる電車に乗る前にベビーカーを畳もうと必死になっている親に、荷物を持っていてもらえませんかと頼まれたなら、断る人はいないと思うし、むしろ声をかけられるまで気が付かなくて申し訳なかったなと私などは一週間くらい自己嫌悪に陥るだろう。だが、死ぬほど混んでいる電車にベビーカーのまま乗り込んで、背中のリュックで誰かの胸部を圧迫しながら「私は子連れなんだ!あんたたちは私に協力するのが当たり前だ!」と平然としている親に手を貸そうと思うほど人間は優しくない。それよりもそんな親に育てられる子供がどんな思いを抱いて生きていかなければならないのか、将来子供に介護を断られた時にでも思い知ることになってもいいのだろうか。でもできれば、そんな辛い将来は迎えて欲しくない。
あなたの横暴さが最も傷付けてしまう相手は、ほかの誰でもなく、あなたの子供なんだよ。あなたがそんなにも望んだはずの。
「愛情」を、すべての免罪符にしないで欲しい。
あなたも大変だと思う。いっぱいいっぱいなんだと思う。でも、それはあなただけじゃない。あなたには自由に思える誰かの姿も、あなたが選ばなかった選択のひとつなだけで、もしかしなくてもあなた以上にいっぱいいっぱいかもしれない。あなたとあなたの子供以外にも、世界には人間が存在していることを忘れないでいて欲しい。それを忘れてしまうのが、母親という生き物なのかもしれないけれど…。

すみません、主題が何なのかわからなくなってしまった。子供のためと言ってはいるけれど、実際は子供のことなんて考えてないんじゃないのかな、と思う人たちに出会うと、その子供の背負うものの重さを考えて、重苦しい気持ちになるのです。あのニュースは、そんな気持ちを呼び覚ますものだったのです。だって私はそんな親の子供だったから…。ワケわかんなくなっちゃってすみません。たまに真面目に書くとこんなんばっかだよな自分…。頭悪いよな…