読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うさぎパイナップル

ただ、書くことが好きなだけです。

誰かの憎いものは誰かの愛しいもの②

ひとりごと

昨日(ってことにしといてください)に続けます。どうせ誰も読んでいないだろうとは思いますが…。しかも続きものなんぞ。

「彼女」のような人は、実は相当数いるのだなと自分の周囲を見渡しても感じています。常日頃からそういうことばかり言っている人は少ないですが、そういう本ばかり並べた棚とか、言葉の端々に伺える差別意識に気付くと、所詮その程度の底の浅い人だったんだなと思います。まあ、思い込んじゃいけないんですけどね。

一定の年齢以上の人にこういう人は多いと思います。その人たちに育てられた層にもこういう考え方が色濃く残った場合も多いでしょう。でも同じように育てられても、影響される場合とされない場合があります。
私は後者でした。子供の頃は身内の話は絶対だと思って聞いてしまうものですが、その頃から「何か変だな」と思っていました。人を差別しないという考え方は素敵だけどそれとこれとは別だ、なんて言っていたでしょうか。意味がわかりません。それに、子供心にも、この人たちは要するに、自分の人生がうまくいかないことを他人のせいにしたいだけなのだな、と思っていました。一方的に蔑む対象を設定し、その人たちよりは自分はマシだと思い込む、哀れで愚かな自己憐憫。そういう層を作っていたのは江戸時代でしたっけ。でもその層の人たちはどうなるんです。彼らは人間じゃないとでも言うのですか。そしてもう今は江戸時代ではありません。
でも人間のやってることは何も変わってないみたいです。小さなコミュニティの中にも「この人のことは馬鹿にしてもいい」という存在を作って、理解できないことや納得いかないことへの不平不満の捌け口にするという行為が、日常茶飯事に、しかも無意識に繰り返されているように思います。それが表面化すればいじめや差別やパワハラといった名がつき、場合によっては批判の対象ともなりますが、そんな名すらつかず意識にも上らない事例が多数存在しているのではないでしょうか。いじめられる方も悪い、と言って憚らない人は少なくないですが、馬鹿にできる対象を失っては困るという、自己保身から出た言葉に過ぎないように思います。他人と比べなければ自我が保てないくせに、随分と偉そうですよね。ねえ。自分はそんなことやってないと思う人が多いかもしれませんが、たぶんやってると思います。

そういった無意識下での自己保身に躍起になった人たちが、自分は間違ってないんだ、正しいんだとさらに自分を擁護したいがために走っている思想、それが彼女のような考え方にとりつかれた人、だと私は認識しています。
みんなが言ってるから正しい。何となく自分が凄くて偉い人になったような気がする。その発言や行為や思考が事実かどうかなどといった根本的なことに考えが至ることもなく、いかにも正しそうに見せかけた強い言葉を深く考えもせずに鵜呑みにしてしまう。声の大きい人の言うことを信じてしまう傾向が人間にはあると思います。その発言内容が正しいかどうかに関係なくです。声の大きさに惑わされずに話を聞く必要があり、それを可能とするために教養の教育というものが存在していると思うのですが、「お勉強」から逃げてしまった人には知性も教養も身に付いていないので判断ができないのでしょう。どうしても勉強が苦手な人もいるので、一概には責められないですけど、彼女を含め、勉強は嫌いだし努力もしなかったけど周囲が悪いだけで本当は自分は偉くて特別な人間だと思い込んでいるんだろうな、という印象の方が多いように感じます。そう言えば私も彼女に「あんたは記憶力がいいだけの馬鹿だ」って言われましたっけ。悔しかったら結果を出せばいいだけなのにのらりくらりと勉強から逃げてるあんたに言われたくないんですけど、と子供心に思ってましたが。そのくせ、こういう考え方の人間には高学歴の人間が多いんだぞ、と自慢?してきたりします。だから何だって言うんですか。自分が高学歴の人間と同等だって言いたいんですか。だから正しいって。自分は努力を放棄しておいて片腹痛い。そもそも高学歴でも馬鹿は結局馬鹿ですよ。家庭の事情で進学できなかっただけで賢い人たくさんいますけど。もちろんひとつの指標にはなりますけどね。これは彼女の発言ではないですが、彼女と同じなんだなと思った事例です。ひとつ言っとくけど私の周囲のそれなりに学歴のある人でそんな発言する人見たことないですけど。

私が彼らのような考え方が嫌いなのは、結局「ただの自己中だから」です。綿密な調査や豊富な経験のもとに事実と向き合った上で、自分はこれが嫌いだ、と主張するのはまったく構わないと思います。誰しもどうしても嫌いなものはあるからです。それは本人の個性であり尊重すべき点だと思います。
でも、その人が大嫌いな何かは、誰かにとっては大好きなものかもしれません。誰かにとって何よりも大切なものかもしれません。
わかりやすい例だとスポーツのチームでしょうか。自分の贔屓のチームさえ勝てればそれでよく、ほかのチームを徹底的にこき下ろす人がいます。一方、自分の贔屓のチームは存在しますが、他のチームのことも勉強し、そのスポーツそのものに敬意を表して、的確な批判をする人がいます。どちらの話に耳を傾けるべきかは明白です。前者にそのスポーツへの愛情などカケラも存在しませんが、前者は自分が正しいと思い込み、わめきちらしています。本来ならばその人の話など聞く価値もないのですが、声の大きさに惑わされて信じてしまう人がいるのです。信じてしまった時点で、その人も同じ穴の狢です。

自分が快適でさえあればそれでいいのです。真実かどうかなんてどうでもいいのです。確かめることすらしないしするだけの知性もないのです。それによって誰が傷付こうか、苦しもうが、場合によっては人類が滅びてしまおうが、自分のちっぽけなプライドさえ守れればそれでいいのです。それさえ叶えばどんな思想でも構わないのですが、たまたまインターネットにそういう考え方がいっぱい転がっていて、インターネットにいっぱい書いてあるから正しいんだと無邪気に思い込んで、しかもそこは本来のちっぽけな自分から目をそらして大いに威張り散らせる場所だったりしただけ。つまり別に自分の国が好きなわけでもないのです。自分のアイデンティティが好きなだけです。別に国家に対して何の貢献もしていなければ、そもそも「私あなたの大好きな日本人なんですけどそれが判別できない時点であなたの主義主張は通らないんじゃないですかね」って思わされるような人が何でゴロゴロいたりするんでしょうかね。

あなたみたいな人のことを「クズ」って言うんじゃないんですか。
自分の矮小さを棚上げして、根拠もなく深い考えもなく、自分を擁護したいがために何かをこき下ろすあんたみたいなくだらない人、何をどうやって好きになれと?
馬鹿じゃないの?

自分さえ快適ならそれでよく、自分の嫌いなものは誰かの好きなもの、ということに考えが至らない。自分に理解できないものは無理矢理自分の理解できる範囲に閉じ込めようとする。そうじゃなきゃ自分が不快だから。そう、自分さえ良ければそれでいい。それこそが差別や偏見の根幹だと私は思っています。インターネットは非常に便利なものですが、複数の情報源にあたって事実かどうか精査する、という基本すらできない人にも格好のオモチャとなってしまい、それが歓迎されない方向へと世の中を向かわせているようにも感じます。

このところ世間を賑わせているニュースがあります。私からすれば、何故あんなおじさんやおばさんの言うことを信じちゃうんだろう、と思いますが、今日の献立のこと以外何も考えなくていい層を騙して視聴率を稼ぐには信じてる振りをするのがいちばんなのかもしれません。でも本当に信じちゃう人がいるので、やはり報道の仕方には気を付けるべきだとは思います。そもそも信じちゃう人も信じちゃう人なんですけど。ある程度知識のある出来事について煽って興味を引かせるためになされている適当な報道を目にすることがありますが、その内容を信じて「あれってこうなんでしょ?」と聞いてくる層には本当にびっくりします。何でそんなの信じるかな。でも自分もたいして興味のないことには同じ態度かもしれません。献立のこと以外何も考えなくていいのはとても幸せなことですが、この世界に暮らしているのはあなたとあなたの家族だけじゃありません。
一方的だったのでしょうが大好きだった人が自分の味方になってくれなかったから今度はこき下ろす。自分が間違ってないって思い込むために自分の中だけで事実を作り上げてしまう。あれはそういう話ではないのかな。そしてそんなことどうでもいいと思います。相手にしないことがご本人にとっていちばんつらいだろうけどいちばんいいことだろうと思うのですが。
たぶん彼らを庇うだろうと思われる人にわざと話を振ってみました。子供が元気に育ってればそれでいいじゃないかと言ってきたので、その情報源はどこかと聞いたら黙りました。子供の頃の嫌な体験って大人になってから爆発するもので、その頃に事実でしたと言われてももう遅いのですけどね。もっとも事実かどうか判断はできませんが。でも本人の書いたものを見ればだいたいどういう人たちかはわかるのではないか、と聞いたら、興味がないから見てないそうです。出た、「興味ない」。自分は中立だと言い張っていましたが、不都合だと考えられる内容には一切触れないあたり明らかに中立ではないのですが。自己弁護もいい加減にしなさいよと思いましたが、彼らにとっては私こそが頭のおかしい人なので、私の話には耳を貸さないでしょう。だから私はあなた方が嫌いなんです。いい加減、その小さな小さな殻の中から出てきたらどうですか。いつも一生懸命な人が嫌なことから逃げるのは必要なことですが、いつも嫌なことから逃げてる人がまた嫌なことから逃げるのは、いい加減にしろとしか言いようがありません。あと、本当におかしい人は自分がおかしいとは思ってないと思いますよ。だいたいがものすごい自信家だったりしませんか、悪い意味で。ああ、私は自分がおかしいことには自覚あるので、とりあえず突っ込まないでおいてください(笑)。

話し合わなきゃいけないことやお金出してあげなきゃいけないこと、もっとたくさんあると思うんですけどね。あと、大人が何の思想にかぶれようが本人の勝手ですが、子供には将来どんな思想を選ぶか選択する自由があり、そのための素地を作ってやるのが教育なんではないのですかね。興味のあることにもないことにも触れて、自分の本当に好きなものを探していくのが勉強なんじゃないですかね。子供はいずれは老人になるのに、乳児や幼児の素直な時期だけ可愛がったり関心を持つのは、愛情などでは決してないと思うのですが。子供はあなたの思想を体現する道具じゃないですよ。そういう人、なんかいっぱいいるけど。