うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

「大好き」という魔法

報道ステーションをだらだらと流していた私の目に、その速報が飛び込んできたのは23時前後のことだっただろうか。
NHKのニュースにチャンネルを変えると画面上部に速報が流れている。おそらくは元々の番組の構成を変更して、そのニュースは番組終了まで繰り返し繰り返し伝えられた。

浅田真央が、真央ちゃんが引退を発表した。

ソチ以降は、いつその報道があるかわからない、と常に覚悟はしていた。でも、平昌を目指すと宣言した真央ちゃんが、結果がどうであれ意思を覆すことはないだろうともどこかで思っていた。だから驚いた。ついにこの日が来たか、と静かに受け入れつつも、あまりにも突然の発表に、やはり驚かざるを得なかった。

それでも納得はしていた。本人も未練があるのに怪我などで仕方なく、といった引退ならばショックは計り知れないものがあるが、選手としてできることはすべてやった、と言い切っての引退ならば、おそらくそれは最もいい引退での形だからだ。だから笑顔で送り出さなければ、と思っていた。涙は出なかった。

明けて翌日早朝。各局がこぞってこのニュースを報道する中、あさチャンはおそらく織田君に話を聞くだろうと優先的にチャンネルを合わせていたら、案の定中継で出演。
画面に映し出された織田君は、こんな姿はしばらく見ていなかったんじゃないかと思うほど泣いていた。取り繕うことができないほど本気で泣いていた。真相を知らない人が見れば引退の報道だとは思わなかったのではないか。
それだけ真央ちゃんが大好きなのだろう。同時期にともに世界で戦い、ともに日本におけるフィギュアスケートの人気を牽引してきた仲間であり、おそらく大ファンでもあった真央ちゃんの引退は、我々一般のファンには想像もつかないほど、彼にとっては大きなものだったのではないか。その姿に思わずもらい泣きしてしまった。

しかも様々な局でソチのラフマニノフが流れる。ノーカットで放送された場合も少なくない。ノーカットが流れるたびに涙が出てきてしまう。あのフリーはとても言葉で書き表せないほどの、フィギュアスケートの歴史に残る演技だった。決して完璧だったわけじゃない。回転不足の判定なども受けていたはずである。でもそんなことどうでも良かった。どうでもいいと思わせる演技だった。あの日見たものを、私は一生忘れない。参加することに意義があるなどと言いつつも、メダルの有無で天と地ほどの扱いの差が生まれるオリンピックという舞台で、メダルに届かなかった選手の演技がこれほど人の心を打ったことがかつてあったのだろうか。あの日から数日間は、日本全土が浄化されたような錯覚にすら陥っていた。真央ちゃんがロシアでオリンピックが開催されるシーズンにラフマニノフを選んだと知った時、きっと素敵なことが起きるんじゃないかと思った。素敵どころじゃなかった。それは浅田真央の人生であり、魂そのものだった。

たくさんのスケーターから言葉が寄せられた。それぞれに思いのこもったコメントだった。涙がまたこぼれそうになった。その中でも、羽生君のコメントが強く印象に残った。あのコメントにはすべてがあったと思う。そうだ、我々が真央ちゃんを親戚の子供のように見守ってきたのは、ほんの子供の頃から活躍してきた姿を見てきたからというのも大きいが、真央ちゃんのフィギュアスケートが大好きだという気持ちが伝わってきたからだったのではないか。大好きなことならば一生懸命にもなれるし、その結果輝きも生まれる。屈託のない笑顔で、実に楽しそうに軽やかにリンクを駆ける真央ちゃんの姿には、人生に大切なことが詰まっていたのだと思う。大好きだからと言って常に楽しいわけではなく、そこには試練もつきまとう。しかし真央ちゃんはそれらとも素直に、真剣に向き合い、大好きなことを完全燃焼させた。だからこそその大好きなことに一区切りをつけることに決めたのだ。そんな真央ちゃんだからこそ、我々は彼女が大好きだったのだ。応援せずにはいられなかったのだ。

引退会見。言葉を詰まらせ、二度後ろを向いて涙を拭いながら、自分の人生の区切りを笑顔で迎えようとする真央ちゃんの姿に、涙が止まらなかった。あんなにフィギュアスケートが、競技が好きだった真央ちゃんがこの結論に至ったということは、本当にもう悔いは一切ないのだろう。2014年の世界選手権で引退していれば良かったのに、という声も聞いた。でも、休養を経てからの復帰も、真央ちゃんの人生に必要なことだったのだ。どんな選手にも引退の日は訪れる。その決断は本人が納得した上で後悔なく下されるのがいちばんである。ピークの年齢が比較的若く、選手生命の短いフィギュアスケートという競技において、26歳という年齢まで競技を続けていける選手はそう多くない。長きにわたり、選手としての最盛期も、選手としての晩年も、すべて見届けることができた我々は、なんと幸せだったのだろう。
真央ちゃんは日本のフィギュアスケートの象徴だった。もう真央ちゃんとともに戦っていた選手たちはほとんど競技の舞台にはいない。真央ちゃんだけはいつまでもその舞台にいるような気がしていた。けれど、この日はやって来た。日本のフィギュアスケートにおけるひとつの時代が、今、静かに幕を閉じた。深夜にひっそり放送されたり、3大会分まとめてダイジェストでお送りされたりしていたフィギュアスケートの放送が、ゴールデンタイムにあんなにも時間を割いて流れるようになったのは、ただ浅田真央という選手が日本に現れたからだ。彼女の選手としての姿を目に焼き付けてきた我々がこの世にある限り、彼女の物語は途切れることなく語り継がれていくだろう。そしてその物語は、これまでに、そしてこれからもフィギュアスケートという世界の扉を叩く人々にふりそそぐ、あたたかな光であり続けることだろう。

私も納得のいくその日まで、フィギュアスケートを見続けていこうと思う。真央ちゃん、本当にありがとう。どうか真央ちゃんのこれからの人生が、幸せそのものであるようにと祈らずにはいられない。いや、絶対に大丈夫。だって彼女は、世界中が愛した、あの浅田真央なのだから。