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うさぎパイナップル

ただ、書くことが好きなだけです。

糸電話には糸がない

わりと色々あったので、常に何らかの悩みは抱えているし、それは誰しもそうであろうが、ここ数年かなりしんどかったりする。で、そのしんどさを、誰かに話す機会がない。機会を作ろうとしても、生まれない。

「しんどいって話を誰にもしてないんじゃないか?」
そう言われたけど。
してないよ。する相手がいないもん。

誰からも連絡なんて来ないから、こちらから連絡をする。今大変なことなども混ぜたりする。結構本気でヤバくて、自分としてはSOSだったりする。
でも、返事も来ない。私なら、知り合いが大変な状況にいるとわかったら、自分が大変な状況でも少なくとも返事くらいはする。もし会いたいと言われたら会いに行くし、ただ傍にそっと座っていることしかできなかったとしても、だからと言ってなじられるようなことはまずない。そういう時にいちばん辛いのは、放置されることだ。何の解決にならなくてもいい、むしろ、そんなものはたぶん皆求めていない。自分のことを少しでも気にかけてもらえた、と感じるだけでも心は救われる。それは甘えかもしれないが、そういう時にこそ甘えというものが必要なのではないのだろうか。常に身近に、家族などといった親しい相談相手がいる状況以外を知らない人には理解できない感覚かもしれない。もし大変な状況なのでそっとしておいて欲しいのなら、そう言えばいいだけの話で、まったく何もわからない状況に相手を追い込むのは、褒められた行為ではないだろう。

何人も何人も、信頼した人から食らった「完全無視」。頭がおかしくなりそうだった。私が築いてきたものは何だったんだろう?焦土と化した遊園地の跡地に、ひとりで佇んでいるような感覚だった。
その人たちに依存して、すべて解決してもらおうなんて思ってる訳じゃないし、そこまであなたを立派な人だなんてこちらも思ってないから勘違いしないで欲しい。頼られるのが嫌だから話は聞かない、という人も時々いるけど、それなら誰とも関わらず自分ひとりで生きていけばいいんじゃないのか。何故つるむ?

その人たちをいい人だと思ったから、思っているから、勇気を出して連絡をしているのだ。私にとって他人は今でも恐怖の対象だ。少しでも変なことを言うと揚げ足を取るかもしれない。容姿を嘲ったり、耳を疑うような言葉をぶつけてくるかもしれない。幼い私が経験したものは今も心から消えないし、今でもそういう人に出くわすこともあるけれど、でも、その恐怖に怯えながらも、でもあなたを信頼しようと、そう決めたのだ。
それなのに、である。

気がついたら焦土に佇んでいた、というのは今回が初めてじゃない。何を信じたらいいのかわからなくなり、世の中に絶望しても、でもそこから這い上がってきた。何度も。けど、何度這い上がっても、また築き直しても、気がついたら自分が立っているのは焦土だ。
それでも、何もかもなくした訳じゃなかった。遠くから車を飛ばして会いに来てくれた人もいた。わざわざ休みを取って遊びに行ってくれた人もいた。そのことが、どれだけ私を救ってくれただろうか。どれだけ有り難く思っただろうか。

けど、もうその人たちはどこにもいない。同じ名前と同じ顔だけれど、どうやら違う人間らしい。どこで何をしているのかまったくわからない人もいる。
この焦土は今までとは違う。頼れるものを何も持たず、たったひとりで生きている人間が、私の周囲には誰もいない。だから、私がどんな状況なのかわからないのかもしれないけれど。
もう、これ以上は無理かもしれないと、毎日考える。ただひたすら日々を追っているけれど、だんだん追い付かなくなっている。
ほんの少し、楽しそうなふりをするだけで、幸せになったんだと勘違いしている人たちを見ていると、もう何も言えなくなってしまう。けれど、本音を言ったら苦々しい表情を向けられる。どうしたらいいのかわからないし、考える気力すら、今はない。もう、連絡をすることは、ほとんどやめてしまった。