うさぎパイナップル

フィギュアスケート旅日記とテレビ観戦記とその他色々色々・ただ書き散らして生きていたい(生活の糧と居場所大募集中)

生きていること、それは覚えていること

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

私には、祖父母がひとりずつしかいない。もちろん、物理的にはちゃんと二人ずつ存在しているのだが、私はそのうちのひとりには、まったく会ったことがないのである。私がこの世に存在する前には、彼らはもうこの世の人ではなかったから。顔はもちろん、名前すらも、実はよく知らない。

そんなわけで、私にとって祖父母とは父方の祖父母だけを主に指していた。普通の人には二人ずついる、ということを小さな時分にはたぶん知らずにいたと思う。

物心ついた頃には祖父母の家に滞在するのは盆と正月くらいになっていたが、ごく小さい時には長期間過ごしていたこともあったようだ。そのせいだろう、祖父母には随分可愛がられていたらしい。その記憶はまったくないが。ただ、厳しいことは言っても何だかんだと甘いのだろうな、と感じることもあったし、それはありがたいことでもある。

親の愛情不足である、と専門家に判断されたことのある私にとって、家族というものはいまいち実感に欠けるものである。もちろん嫌っているわけでも絶縁しようなどとも思ってはいないが、普通の人に比べたら随分親族への情の薄い冷たい人間だと思う。だから、こういったテーマは苦手だし、どう語ったらいいのかもよくわからない。でも、ちょうどあることを思い出す出来事があったので、書いてみることした。

最初からひとりしかいなかった祖父母だが、今も元気なのは祖母だけだ。祖父は数年前に天国へ行った。大往生だった。ただ、事情があって亡くなる前には数年会っていない状況だった。会いたくなかったのではまったくなく、全然別の理由だった。今となっては、そんなこと気にしなくて良かったのに、と思うのだけど、当時の私にはとてもそんなことは思えなかった。恐怖から立ち直るには長い長い時間を要した。もし、その理由を理解してもらえていたら、会いに行くことは可能だったはずなのに、私の話を聞いてくれる人間は、誰もいなかった。いつもそうだったから。
何故会いに行かなかったのだろうと、今更しても仕方のない後悔に、時々苛まれる。

祖父はカープが好きだった。決して熱烈なファンではなかったようだが。そもそも広島の人間ではなかったし、カープの存在が日常の風景と化している広島の住人とは感覚が違うかもしれない。広島の人にとってカープとは何なのだろうと考えたことがあるが、きっと山や川がそこにあるように、いつもそこにある景色の一部なのだろうと思う。そう、それは日常と呼ばれるものそのものだ。だから心の片隅でいつも気になっているのだろうと。もちろん、日常の光景が大好きな人もいればそうではない人も、気にも留めたことがない人も、別の風景の方が好きな人も、色々な人がいるだろう。感覚は人それぞれだ。

そもそも父はわりと熱心な巨人ファンだったし、祖母は阪神が好きだった。母はまったく野球に興味がなかった。私は日常の一部としてカープを微妙に気にかけるくらいで特にどこかの球団のファンというわけではなく、プロ野球より高校野球の漫画に夢中だった。てんでバラバラである。テレビで阪神の試合の中継を見ている祖母の横で、祖父はラジオでカープの中継を聞いていた。少なくともその程度には好きだったようだ。何故カープが贔屓なのか、祖父には結局聞かずじまいだったが。

約四半世紀前にカープがリーグ優勝したことは何となく覚えている。祖父はもちろん元気で、元気な柴犬の散歩に毎日出掛けていた頃だったように思う。しかし祖父が亡くなる前には、万年Bクラスと揶揄されるのが当たり前になっていた。もう少し元気でいられたら、優勝に再び立ち会えたのに。25年とは、それほどに長い月日だったのだと、祖父のことを思い出すと、改めて実感する。

もう祖父はいないが、カープは存続している。しかも連覇まで達成した。数年前には「30年以上応援してきたけど見捨てようと思う」と宣言する人まで出てくる程だったのに。その後どうしたのかは聞いてないが、かなり間違いなく見捨てていないと思う(笑)。
可愛がってもらったんだから時々思い出しなさいよ、と祖母は言っていた。もちろん忘れたりはしないが、祖父を思い出すきっかけのひとつがカープで、このところの活躍でわりと頻繁になった気がする。きっと遠いところで、好きなお酒と甘いものを楽しみながらラジオを聞いているのだろう。いや、テレビを占領しているか。

次に祖父の家を訪れる時には、またカープのお酒でも持参しようかと思う。お菓子の方がいいだろうか。悩むほど関連商品が売られている。ゆっくり考えよう。おじいちゃん、今年もカープが優勝したよ。