うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

裏切り者の努力はあの日からずっと帰ってこない

今週のお題「受験」

私がいちばん勉強をしたのは小学生の時です。夏休みの宿題は7月中にすべて終えてしまい、あとはひたすら塾の勉強をしているような子供でした。理由は中学受験が控えていたから。そうでなくても、低学年の頃から勉強はちゃんとやってましたが。体育は大嫌いだし手先は不器用だし友達はいないし、要するに勉強しかすることがなかった、ってだけなんですけどね。

しかし結局、中学受験には失敗しました。それなりの成績は収めていたので、通っていた塾からは「絶対に受かる」と太鼓判を押されていたにも関わらず。
寝る間も惜しんで、と言ったら語弊があるかもしれないが、実際にそれくらい勉強していたし、自分でも受かるつもりでいましたが、結果はそれ。

でもね、そりゃしょうがないんですよ。受験なんてそんなもの。寝てても受かる、ってレベルの試験を受けたわけじゃなかったんだし、たまたま不得意な問題ばっかり出たのかもしれない。全然勉強してなくてもポン、と受かることだって往々にしてあるわけで。

けど、今でこそそう言えるけど、実はこの出来事、私の中では結構なトラウマになってます。

合否が発表されて、落ち込んでいた私に母は言いました。

「あんたのせいよ」

まだ覚えています。まだ耳に残っています。昨日のことのように。
「あんたのせいよ」って何?
何で私責められてるの?

私の母はいわゆる「教育ママ」でした。お金は残してやれないが教育は残してやれる、が口癖でした。それは一理あるとは思います。ただ、教育にかかるお金を結局子供に負担させて「自分は立派な教育を受けさせてやった!」などど自慢しないのであれば、の話ですけどね。
兄弟の中では私がいちばん成績が良かったので、母の期待は私に大きく向いていました。小学生の頃はいじめに遭っていたこともあり、環境を変えるために受験させようという気持ちもあったようです。私は勉強以外は本当に何の取り柄もない子供で、「何をやらせても中途半端」と母から評価され、テストは満点じゃないと褒めてももらえず、とにかく勉強しないと誰からも認められない、と必死でした。自分を支えているものは「テストの点」だけだった。受験に受かることは絶対だったのです。
そんなことほんとはどうでもいいはず、どうでもいいはずなんだけど、絶対だった。担任が変わったことでいじめられることもなくなり、受験の意味が自分にはあまりなくなっていたのに、絶対でした。

その答えが、母のあの言葉にすべて含まれている。
母は私の将来など二の次だったのですよ。
自分が「立派な子供を育てた立派な人間である」って自慢して回りたかっただけなのですよ。
でも私が落ちたらもうそれができないじゃないですか。
だから「あんたのせいよ」なんですよ。

私は自分が勉強したかったというよりは、その母に嫌われないように勉強してただけなんですよね、結局。そもそも家にはお金なんかないのに、学費の高い学校に行けるはずもない。ものすごく無理なことを無理してやろうとしているような違和感は確かにあった。

そのことに、母の言葉で気付いてしまった。
努力が身にならなかったという挫折感ももちろん大きかったのですが、結果が出なかったから、と言うよりは、「努力を認めてもらえなかった」ことの方が私にはショックでした。
何で誰も、頑張ったね、とか、残念だったね、とか言ってくれないのよ。
いや、言ってくれたのかもしれないけど、それを全部、母の言葉がかき消してしまったんじゃないだろうか。

7月中に夏休みの宿題をやってしまう真面目な子供は、この時に死にました。
その代わりに、夏休みの最終日には「明日学校休んでいい?」と言い出すような高校生が誕生しました。宿題が間に合いそうになくて。

だって無駄だもの、努力したって、頑張ったって。
勉強しろ勉強しろって言うから「じゃあ自分はこういう学校でこれを勉強したい」って言ったら、「お金がないから無理」って言われるだけ。
じゃあ何で勉強しろって言うの?何のため?誰のため?意味なんかないじゃん。
社会に出たら今度は「学歴があっても人としてダメ」って言われるだけ。しかも何度も。
友達には「記憶力のいいだけのバカ」って言われるしな。悔しかったら一度でも私にテストで勝ってみろやって正直思ってましたけど。でもそれ言ったら嫌な奴になるのは私なんでしょ?
何のために勉強するの?誰にも望まれてないじゃん。嫌われるだけじゃん。意味なんかない。勉強に金かけるくらいなら整形した方がいい。料理やお世辞がうまい方が生きていくためには絶対有利だよ。

元々好きなことしかやりたくない、真面目とは程遠いクズの私は12歳にして努力することを放棄してしまいました。その後の人生でも感じ続けてきた虚無感。教養の無さや無知は決して褒められたことではないということも理解しているのだが、それ以上に虚無感の方が酷かった。だって実際、私が全力で頑張ったことはその後の人生において何の実も結んでいないのである。

それでも勉強はしておいた方がいい。それは間違いないと思う。私の人生が思いっ切り歪んでしまっただけの話だ。
では私のようにならないためにはどうすればいいのか。子供を受験させようとしているすべての親御さんに言いたい。

それは本当に子供のためですか?
あなたのためなんじゃないんですか?
あなたが将来楽がしたいからとか、近所に自慢できるからとか、そんな理由じゃないんですか?
子供が望んでるから、本当にそうですか?
あなたを怒らせないために、必死で頑張ってるだけなんじゃないですか?

私みたいになりますよ、将来。
特に、うまくいかなかった時のフォローを失敗したら。
あなたは「忙しいからそんなこと考えてる暇はない」ってさっさと忘れても、子供は一生忘れられずに苦しみますよ。
あなたの子供はあなたの遺伝子でできてるけど、あなたじゃない。
世の中の海を泳いで渡るのはあなたじゃなくてその子ですよ。
あなたが得意な泳ぎ方やあなたが素晴らしいと思ってる泳ぎ方がその子の得意な泳ぎ方だとは限らないんですよ。
得意じゃない泳ぎ方を押し付けて、その子が溺れてしまった時、あなた責任取れますか?
溺れる方が悪いって突き放すの?泳ぎ方を知らないのに。あなたが教えなかったのに。

私が今食べるものにも困るほど貧しくて、命が尽きるのをじっと待っているような状況、って知ったら納得してもらえるのかな。
もちろん、受験の失敗だけがすべてじゃなくて、私は元々まともな人間には生まれていないのだけど、でもそれでも普通に生きていられる人はたくさんいて。
その人たちはきっと、その人なりの道を見つけられた人たちなのであって。
もしかしたらゴールだと思ってるかもしれない受験は、ただの通過点に過ぎない。
ねえ、あなただってそうだったんじゃないの?
あなたの意志や希望があってもいい。でもあなたの見栄は今すぐ捨てて欲しい。見栄を張るくらいならあなたの子供と話し合う時間を持って欲しい。
もうあなたの子供は受験に向かうような年齢なの。何も出来なかった赤ちゃんじゃないの。意志があるの。生きてるの。
でも、あなたの助けはやっぱり必要なの。
その子はそのうち大人になるけど、今はまだどうしても子供なんだから。

学びたいと思う人が学びたいと思うことを学べる世界であるように。
結果がどうであれ、受験して良かった、頑張って良かったと言えるように。
勉強に向き合ってきた毎日を、楽しく思い出せる未来が訪れるように。
受験というものを体験するすべての人へ、ただそれだけを、ただそっと心から、そう願っています。

涙で前が見えない…。