うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

最後に心を動かすもの、それは

ついに平昌オリンピックが開幕しましたね。ってこれ書いてる時はまだなんだけど(汗)。ええ、予約投稿でございます。
直前にはオリンピックに関連づけてか、フィギュアスケートの番組も数多く放送されましたので、さらっと感想でも書いていこうかなと思います。本日以降はたぶんほぼオリンピックの記事になると思うので、個人的にここで呼吸を整えておきたい。


アスリートの魂(2月3日放送)
お肉を食べてる昌磨君の幸せそうな表情に思わず微笑ましい気持ちになってしまってたあたりはまだ何となく覚えているのだが、突然のスイスの至宝の登場ですべての記憶が消し飛んでしまった…。真夜中に文字通り変な声が出ました(汗)。「NHKはステファンが大好き説」はもはや完全に立証されたと言っていいのではないか。あ、もちろん私が勝手に唱えてるだけですよ(笑)。
この番組、実はテーマ曲がすごく好きなんです。仕事しながらエンドレスでかけたらテンション上がったままで頑張れそう。CDあるのかなあ。


★スポーツ酒場語り亭(2月4日放送)
ゲストと言うのかコメンテーターと言うのか、それらが全員フィギュアスケート界の第一人者ということで、視点や切り口が専門家のそれであり、非常に興味深く視聴できました。特に最後の「表現力とは」という題に対するそれぞれの回答はいちいち納得しながら見てしまいましたし、人の心を動かすというのは大変なこと、といったニュアンスの宮本先生の言葉(だっだよね?)は個人的にも強く印象に残りました。
某所で随分人気があったらしいことをばらされた本田君のリアクションが最大の見所ですかね(笑)。


★アナザーストーリーズ 運命の分岐点 選(2月6日放送)※再放送
再放送のようですが、私は初見です。プルシェンコの話は「結構ぶっちゃけてるなあ」と思いつつも、なるほどねえ程度に聞いていたのだが、この番組の見所はそれ以降かなと思った。プルシェンコの話が悪いという意味ではなく、それ以上にソトニコワとタラソワの話があまりに深かった。ソトニコワの話はあまり聞いたことの無い内容だったし、タラソワはもしかしたらずっと真央ちゃんのコーチでいたかったのかな、と感じたことがあったけど、今回の放送でもそう思ったし、タラソワの話は近くで彼女を見ていた人にしか持てない想いや葛藤や視点だと感じました。ソチのシーズン、真央ちゃんがラフマニノフで滑ると知った時、オリンピックは素晴らしいことが起きると直感的に思った。それが現実となったのは、プログラムに込めたタラソワの愛情、指導した佐藤コーチの愛情、そして真央ちゃんのスケートへの愛情、それらが結晶した、起こるべくして起こった奇跡だったのだと、あれから4年経った今、改めてそう思いました。
あのフリーの演技のあと、私はしばらく世界が浄化されていたのではとすら思っていた。それくらい素晴らしい演技だった。この演技は今後も繰り返し流され、その度に人々の涙を誘うだろうけど、あれが実はメダリストの演技ではないということを知らずに見ることになるのであろう後年の人々は何を思うのだろう。人の心を動かし、その記憶に余韻のように残り続ける演技に出会えることは一種の奇跡であり、その奇跡に出会えるからこそ我々はフィギュアスケートを見続けるのをやめられないのだ、きっと。


★グッと!スポーツ 選(2月6日放送)※再放送
本放送の際にも見たけど面白かったのでもう一度視聴しました。昌磨君の宇宙人ぶりと言うかマイペースぶりと言おうか、そんなところがうまく掘り下げてあって、昌磨君に親しみを持ちやすい内容のように思います。あまり聞いたことの無い気がする昌磨君の笑い声(だよね?)も耳にできるあたり彼も楽しく収録できたのかなあという印象。ダーツの時の集中力と表情はさすがと言うほかないです。でもいちばんの見所はやっぱり刑事君だと思います(笑)。初見の際には吹き出しました(笑)。


NHKスペシャル(2月7日放送)
羽生君のあの怪我はマスコミの計画もすべて白紙にしてしまう程大きな出来事だったんだなと思った。本当なら今頃は各局もっと大々的に彼の特集を組んでいたのではないか。しかしNHK杯以降、一切の取材すらかなわない。それは彼の直面した状況が決して楽観的ではないことを物語っている。その事実と、それでもどうしても羽生君の番組を作りたかったんだけど今シーズンの情報がこれだけしかない以上無理でした、と力尽きていくNHKの姿が見えるような番組だった…。放送直前にあったオーサーのコメントが流れるかと思ってたんだけどそれが無かったのは意外。あれが入ってるか入ってないかで番組の印象がまったく変わったと思うので。それよりも本人のコメントだってことでしょうか。
そう、改めて、羽生君の力を封印するかのように毎度現れる怪我の神は、今回も重い試練を彼に与えたんだなと唇を噛んだ。羽生君が今シーズン思い描いていた計画をおそらくは軌道修正しなくてはならなくなったであろうということは、彼にとってとても辛いことだったのではないかと思う。どれだけ不安だっただろうかと考えると胸が苦しくなってくる。だが、それすらも運命の一部なのかもしれないと、フィギュアスケートのファンを何度も何度もワクワクさせてきたあの羽生結弦をファンが信じなくてどうするんだと、改めてそうも思った。
書いていいことなのかどうか確信が持てなかったので詳細には触れないけども、つい最近、個人的に羽生君にとても感激させられた。この言葉が正しいかどうかわからないが、彼の誠実さに深く感動した。きっと我々が羽生君に惹かれる根底の部分に、それがあるのだ。誠実であることは求められてはいても、実際には誠実な人間が正しく理解されることは少ないように思う。それは己のことしか考えられなくなった余裕のない人間には気付かれることすらなくなっているかもしれない。だが、結局それが人の心を最後に動かすのだとも思う。そして、その誠実さに答えるように我々は祈る。彼の最高の笑顔を。その祈りの力はおそらく、神が無視できるようなものではないはずだ。…ええ、わかる人にはわかる話ですかね。うちに届いたのはたぶん最後の最後くらいだったと思うので、こんな時にここまで…、と目頭が熱くなりましたよ…。
なんか色々言われてるみたいだったけど、きっと羽生君、団体戦出たかったんじゃないかな。オーサーの口ぶりからするとかなり間違いなくそうなんじゃないかな。でもきっとオーサーたちでなだめたんじゃないかなあ…。あくまで私の予想であってもちろん確証はまったくありませんが。昌磨君や刑事君はこれをチャンスと捉えたらいいんだし、羽生君はこの悔しさも全部個人戦にぶつけてしまえばいい。いくらでもいいように考えられるのに、自分の応援している選手のことを信じられない不安をほかの選手を貶めることで解消しようとするファンの行為は、誰ひとり幸せにしない、弱さと虚しさに満ちた純然たる愚行だと思いますけどね。グダグダ言わずに楽しもうよ、四年後に自分が生きてるかどうかなんて誰にもわかんないんだからさ。


以上、すべてNHKの番組でした。ほかにも細かく言えば色々ありましたけど、とりあえず2月に入ってから放送された主なものだけ。
ほかに特に挙げるとすれば、それぞれ民放で放送された、「NNNドキュメント」「しくじり先生」「TBSでノーマルヒルの予選の前に流れた羽生君の特集的なコーナー」かなあ。NNNドキュメントについては以前も触れたので割愛するが、しくじり先生フィギュアスケートの番組ではないけどネタで終わるかと思いきや最後に大きな希望があった村主さんの話はとても良かったし、ノーマルヒルの予選の前に流れたものは色々な競技の選手の長い煽りの一部という感じだったけど、ファンが見たかったのはこれじゃないのかなあという内容だった気がしました。だから言ったじゃん、オーサーのコメントが入ってるだけで全然印象違うって←誰も聞いてない


はあ、観に行きたかったなあ(泣)。四年後はたぶん難しいだろうという予感があって、どうしても行きたかったんだよね、平昌。だが貧困の壁には勝てるはずもなく、ワクワクした気持ちで誤魔化してはいるが正直悔しさしかない。たったひとりで、人間と言葉を交わすことすらもなく、私はテレビの前で静かに応援するのだろう。
既に抱いている様々な予感や予想や確信もあるのだけど、競技が終わるまではニュートラルな気持ちでいようと出来るだけ書かないようにしてきました。すべての選手を同じ熱量で応援するのは誰にとっても難しいことだと思うし私にも無理です。でも、どの選手にとっても素晴らしい大会であって欲しいと願う気持ちもどうしようもなく真実です。フィギュアスケートの神はきっとこの平昌にも降りてくると思っています。その瞬間を見逃さないよう、全力で観戦するつもりです。

体調不良時に備えるため最近の記事はほぼすべて予約投稿なので、とっくにオリンピック始まっちゃってるのに今更な内容ですみません。これからしばらくはオリンピックの記事を全力で書いていきます。大変だろうけど楽しみ。ホントに私が楽しいだけで書いてるんで、このブログ(笑)。
しかし、ブログに限った話ではないが、会心の出来だったり言いたいことがきっちり書けたと自分で思えた内容は読まれもせず評価もされず、決して手抜きではないのだけど自分としてはそれほど思い入れのない内容がそこそこ読まれたりするのは何故なのだろう。わりとよくある話っぽいんですけど。実は結構ヘコみます(泣)。でもどうせ誰も読んでないんだし好きに書けばいいや、とすぐ開き直るんですけど(笑)。人の心を動かすなんて私には一生無理なのかもしれない。それでも、たったひとりでもいい、いつか誰かに届くことを願って、今日も私は画面に指を走らせるのです。