うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

誰も見ていない舞台で

お題「ブログをはじめたきっかけ」

きっかけと言うか、理由は大きくわけてふたつ。

ひとつは、元々文章を書くことが好きだったから。
私は喋るのは得意じゃないけど、文章だったらもう少し頭の中を整理して自分の言いたいことが言える。それに、文章に限らず何かを作り上げていくという感覚がとても好き。だから、手軽に一種の作品を残せるブログという方法をずっと考えてはいたけれど、単に勇気が出なかった。自分が何か意見を言うと袋叩きになるんじゃないかという、幼少期のトラウマです。たぶんね。

もうひとつは、ブログを毎日続けるという一応の目標を自分に課すことで、人生を諦めることを防ぐため。
やっぱり書いていると楽しいし、少しずつブログの量が増えていくのを見ているのも面白い。少しでも自分が楽しめることをしていないと、本当の本当に、冗談でもなんでもなく、いつ心が折れてしまってもおかしくない状況だから。
いや、たぶんとっくに折れてるのをごまかしてるだけなんだけど、それでもって今まで何度も折れてるんだけど(笑)、でも今回は今まででいちばんきつい。だって心が折れてなくても、食べるものがなかったら生きていけないでしょ。

生きていれば人それぞれ悩みもあるし苦労もするけれど、「衣食住すらままならない」という状況はそれらすべての悩みを凌駕するこの世で最も深刻な悩みだと思う。この悩みの前ではほかの悩みなどすべてただの贅沢。住むところも食べるものもない時に、子供が言うこと聞かないとか理科の問題が難しすぎて腹が立つとか仕事が忙しいとか旅行に行きたいのに暇がないとか介護とか離婚とか失恋とか、たぶんそんなのどうでもいい。
生活の基盤が脅かされてないから、脅かされたことがないから、脅かされるなんて思ったこともないから、自分の小さな世界の悩みこそ苦労だと思い込んで、本当に苦しい立場にいる人が自分の周囲にいても、手を貸すどころか逆に追い詰めたりするんだろう。

事件が世の中を騒がせる度に、自分でこの世にさよならした人の知らせを聞く度に思うんだ。事件を起こした人が人でなしのろくでなしだからって一刀両断するだけじゃなくて、どうしてその人がそんなことしなきゃならなかったのかをちゃんと考えていかないから事件や自殺はなくならないんだろうって。
事件を起こした誰かが自分達とは違う「異物」だと思ってる人が多すぎるけど、もうその考えがあまりにも自分勝手だと思うんだ。何勝手に自分が正しいって思ってんの。中には本当にどうしようもない奴もいるけど、事件の種類によってはどうしようもない奴しかいないこともあるけど、ほとんどの人は自分達と何も変わらない普通の人だよ。普通の人なのに、追い詰められてしまったんだよ。
もし、その人の話に耳を傾けてくれる人がいたら。その人の叫び声に気付いてくれる人がいたら。たぶんこんな結果にはならなかったんじゃないかって思うことがたくさんあった。その人が選んでしまった道は、自分が選び損ねた未来のひとつでしかなく、自分達だって、誰にも助けてもらえず、話も聞いてもらえず、無視され続けたり放置され続けたりしたら、そうなっていたかもしれないのに。そしてその人を追い詰めたのは自分かもしれないのに。あなたが自分のことにしか使おうとしないその労力を、少しだけその人に振り向けていたら、もしかしたら誰かを救えたかもしれなのに。
「しない」のと「できない」のはまったく別のこと。見ていただけで何もしなかったあなたが、悪いことをしたその人のことを責められるの?
どんなに見守っていたとしても、魔が差す、という事態は時として起こりうる。そうやって起こってしまった結果を、必死になっていた人が自分のせいだと思う必要はないけれど、でも、この冷たい世の中で、そんな状況は今や少ないのではないかと思ってしまう。
本当にどうしようもない奴も何人か見てきたけれど、本来だったら悪い意味で世間を賑わせるはずの彼等が、人並み以上に幸せだったりするのは何故だろう。結局それは単なる運の問題だと思う。時代とか家庭とか地域とか、その人自身の資質と関係ない要素で恵まれていただけ。自分が追い詰められていないのは運がいいだけ。どんなに努力しても成果が出ない人は出ないし、どんなに明るくていい人でも突然何の前触れもなく神様が連れて行ってしまったりする。この世のすべてを自分の力でどうにかしてきた、どうにかできる、と思っていることほど傲慢なことはない。運の良し悪しというものはどうしようもなく存在している。占いだの宗教だのが無くならないのはその真理が歴然として存立するからだ。
あなたを守っているその運が、どうしようもなく尽きてしまったその時に、あなたが異物だと思い込んでいるその人そのものになるかもしれないと、何故考えられないの。

いつも連絡をするのは私からなの。困ってる、辛いですと言っても返事も来ないの。
私なりに、その人のために動いたことのある人でも、一切何も言ってこないの。
これからも頑張っていくきっかけにするために特定の誰かに話しかけたとしても、戻ってこない声にもっと落ち込むだけだから、じゃあここで勝手に喋るだけにしたら、もう苦しむこともないと思った。信頼していたからこそ叫んだその声に耳を塞がれた、自分の惨めさを考えなくて済む。

追い詰められた今の私に、明日のことは考えられない。ここで助けてと叫んでも、その言葉は届かないし実際届いてない。でもこのブログが更新されなくなった時に、その意味を知らせることはできる。
そして私がいなくなっても、このブログはともすれば永遠にインターネットの海を漂い続ける。もし私がここに強烈な呪いの言葉でも書き付けていれば、その呪いは消えることなく私を追い詰めた人たちを縛り続けていくだろう。後悔しても何もかももう間に合わず、ただ私の記憶の欠片だけが残される。

そんなことにはならないように、そう思ってはいますけどね。げへ。

ふたつじゃない上に、わけわかんなくなっちゃった。心の底から本当に疲れた。パトラッシュ何だかとっても眠い。もう頑張らないで、ずっと楽しい夢だけ見ていたい。ルーベンスの絵が見られなくてもいいから、眠り続けていたい。そうしたらもう何も考えなくていいもの…。