うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

掃除時間の飛行実験

今週のお題「もしも魔法が使えたら」

たぶん小学校1年生の時の文集に「もし◯◯になれるなら」みたいな項目があったと思うのですが、私はそこにこう書いています。

「魔法使いになって好きなところへ逃げたい」

前半は子供らしい発想ですが、後半がなんかヤバい。逃げたいってどういうことですか。何があったのお前(汗)。
…この頃私はいじめに遭っていて、学校にいてもいないことにされてたし、普通のことをやってるつもりでも馬鹿にされたり叱責される毎日でした。ああもう、こんな納得いかないことばっかりだったら、そういうことが起こる度にどこかへふっと逃げてしまいたい、そう思ったとしてもおかしくはないでしょうな、まあ。7歳くらいの頭ではそれが精一杯の理想だったのかも。
ちなみにこのいじめはこの後も数年間続くわけですが、それはつまり、こんなじわじわヤバいことを文集に託すほど悲鳴を上げてても、ずーっと放置されてたってことです。誰かの心がぺしゃんこになって、人生が無茶苦茶になっても、「自己責任。自分には関係ない」って言ってるのが人間、ということを私は6歳にして悟ったわけですよ。そりゃ基本的に誰も信用しないわな、自己弁護するわけじゃないけど…。人生などどこまで行っても満足するものではないのかもしれませんが、日々つきまとう虚無感が生まれたのはこの頃だったように思います。やれやれ。
放置しない人が現れたので今も私はこの世に在るけれど、その人が現れなかったらさてどうなっていたでしょう。知らない他人を見つめるように時々そう思ってしまう。「自分には関係ない」論はその後も何度も食らってきたけど、放置しない人の存在を思い出す度に、それがどれだけ残虐なことであるのかを改めて考えてしまいます。

結局魔法使いにはなれずに大人になりましたが、常に現実逃避し続けている大人にはなりました(笑)。めでたしめでたし。って違うだろ(笑)。

というわけで、やっと本題。誰もが一度は「魔法が使えたらなあ」と考えたことがあるのではないでしょうか。私は大人になった今でも時々思います。

アイスショーの座席の段差が緩く、前や隣の席の人の頭や体でリンクが見えない時は、そっとその人たちを透明にしたり。
どう考えても休憩時間中にトイレの列が捌けそうにない時は、そっと時計の針を巻き戻したり。
え、今年の全日本は東京?どこだよ調布って。交通費が出せるかああああ!そんな時は瞬間移動。家の玄関を開けたらそこはもう東京!呪文は相当長くなるけど平昌だってスイスだって頑張れば行けるよ!

…全部スケート関連かい(笑)。確かにほかに今情熱傾けてるものないからな(汗)。元々ゲーマーだったので(もう長い間遊んでいないけど)マジックポイントは限りがあるもの、とどうしても思っちゃうので(笑)、ここぞ、という時に使いたいという思考になっちゃいますね。何だそりゃ。
いやいやつまりね、ずっと美しい生き物に変身したままでいるとか、家を豪華にしちゃうとか、魔法が継続され続けていないと意味がない、ただのごまかしでしかない系の魔法はあまり使いたくないのよ。バレないために一生魔法を使い続けなきゃいけないでしょ。それは大変だし、たぶんそういう目的で使うもんじゃないんだよ魔法って。なんとなくだけど。それから、この文明の発達した現代において、杖から炎が出たり吹雪が出たりしたところで、おそらく何の役にも立たないでしょう。かっこいいけどね。だからそういうことにも使わない。
そうじゃなくて、ここで偶然が起こせたら事態は解決するのにとか、魔法でも使えたら言葉では争いになる何事かが円満に解決するのにとか、そんな「何とかしたいんだけど何ともならない、ただちょっと力を貸してもらえれば解決する」時にこそ、こそっと使えたらいいのに、と思うわけです。

たとえば。
部下に常軌を逸して理不尽な叱責をする上司をみんな見て見ぬ振りをしてたけど、あらあらなんでこんな偶然が、その一部始終をたまたま出張がキャンセルになってぶらりと社内を歩いていた社長にたまたま見られちゃった!とか。
サービス残業の嵐がちっとも改善されない事業所で、まさに出勤簿的なものを改竄させられているその瞬間に何故かたまたま客として労基の人がやって来て、「これはどういうことでしょうホホホ」みたいな展開になるとか。
混んでる電車の中で座席を占拠してる人の荷物が、「もうあんたとはやっとられんわ」とか呟いて勝手に歩いて電車を降りていっちゃうとか。
突風でずれちゃった人の髪の毛に見える帽子を、バレないようにそっと元に戻してあげるとか(汗)

そういう偶然?を生み出すための魔法なら、むしろガンガン使っていいような気がするのですよ。だってそれこそが魔法なんだと思うもの。不可能を可能にするんじゃなくて、ちょっとの力で可能になることを可能にして、理不尽や不都合や不可解を解決していくもの。

でもそんなのは、本当は個人の意識が変わればどうにでもなるもののはず。変わらない意識を変えるものは魔法しかない、と考えるのはひたすらむなしいことかもしれない。それに、魔法の力で誰かが助かっても、その代わり助かるはずだった誰かが助からなくなるのかもしれないわけで。
「そんな都合のいいことあるわけない」なんて結局現実的に考えてしまうところが私の良くない癖で、空想も妄想も大好きなわりには面白いことは何も考えつかなかったな。そうだねえ、せめてUSJに行って魔法使いのふりだけしてみたい(笑)。ハリー・ポッターは話がドロドロしまくってきたあたりから読むのが辛くなって投げ出しそうになったんですが、「◯◯のために読んでくれ」という友達の説得に負けて最後まで読んだところ、「作者が本当に書きたかったのは◯◯◯の物語じゃないのかな」と思うほど◯◯◯◯にガン泣きしたので、未読の皆様も是非◯◯◯◯◯のために最後まで読んでみてください。有名過ぎる作品ですし、今更私がお薦めするまでもないとは思いますけど。