うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

夏休みの遠いさよなら

小学校1年生か、2年生のどちらかだったと思います。私の記憶が正しければ、1年生の時だったはずです。

その年の夏休みの登校日、転校生がやって来ることが告げられました。二学期になったら、女の子が一人増えるそうです。
その女の子は既にこの土地へ引っ越してきていたようで、登校日に姿を見せました。まだ制服が無かったのか、私服で現れた少女は、初めて出会う人々や初めての場所に緊張したのでしょう、教室に入ってこれず、入口で泣いていました。
自分も引っ越してきてあまり間がなく、しかも当時既にいじめられていたはずの(その頃のことをあまり覚えていないのです)私は、慣れない環境がさらに変化することに戸惑いながらも、その子と仲良くなれるかなあ、とぼんやり考えていたような気がします。その頃の私には友達が一人もいなかったのです。

夏休みが終わりました。
二学期の教室に、その子の姿はありませんでした。

急な病のために亡くなっていたのです。

その子の患ったと言われている病気の名前も、悪化した経緯なども当時母から聞きましたが、それらがどこまで正しかったのかは今となってはもうわかりません。噂話の範疇を出ず、それも「悪い噂が大好き」な層により歪められていた可能性がないとは言えません。その可能性が高い気がしないでもないのです。私もまだほんの子供で、母の話を正確に判断することはできませんでしたし、今となってはなおさらです。

でも、その子はもう学校へは来ない。
絶対に来ない。
それだけは、動かせない事実で、唯一の真実でした。

たぶん、2年生の時だったと思いますが、誰かがその子の話を担任に提出する日記帳にでも書いたようで、その子のことを忘れないでいてくれて嬉しいと、担任が泣いていたことを今でも覚えています。そんなに簡単に、人は人のことを忘れてしまうのかと、先生の涙を見ながら私は思いました。

教室の入口で泣いていた少女は、二度と学校へは来ない。
人の命が消えるとはどういうことなのか、6歳か7歳のあの夏に、私はたぶん初めて知ったのです。

未来など当たり前に訪れるものではないと、一種の虚無感のようなものに苛まれながら、今を後悔しないようにという思いに急かされて生きるようになったきっかけが、あの夏だったような気がします。

会いたいと思ったのなら、できる限り早く会いに行った方がいい。
行きたいと考えたのなら、いつかなどと言わずに行動した方がいい。
夏休みが終わるのは、当たり前じゃないから。
二学期が来るのは、絶対じゃないから。
あなたが忘れてしまわない限り、その人が、ものが、生きていた証が消えることはないから。
かすかにでも覚えていることが、生きているものの使命だから。
運命は変えられなくても、覚えていることはできるから。

夏の終わり。風の匂いに秋の足音が聞こえる。
大人になった私には、もう二学期は来ないけれど、秋は今年もまた訪れる。
来年も同じように秋が来るとは限らないから。
ひとつでも悔いを残さないように、生きていきたい。