好きな『ブラック・ジャック』のエピソードについて時々語る、とかなんとか宣言してた気がするので、有言実行ってことで今回書いてみる。たぶん皆どうでもよかっただろうけど(笑)←このブログはそういうブログ←でもさすがにちょっとモチベーション下がり気味かも
とりあえず、私と『ブラック・ジャック』との出会いから書いていきましょう。
高校野球がお題だった時に、『ドカベン』が好きだったことを話題にしたけれど、その『ドカベン』と同様、私が『ブラック・ジャック』を見つけたのは「祖父の家の叔母の本棚」でした。
初めて読んだ時は正直言って気持ちが悪かった。リアルな手術シーンの数々は、小学生には刺激が強すぎたのです。秋田書店少年チャンピオンコミックス版の表紙には確か8巻まで「恐怖コミックス」って書いてあるのよね。9巻からは「ヒューマンコミックス」なんだけど。何をもって恐怖?と今にして思うのだが、確かにトラウマになりそうな描写のある回も時々存在するからなあ…。
そんなわけで、なかなか読み進められずにいたのですが、数年かけて何やら心境の変化でもあったのか、手術シーンに耐えながら読んでみたところ、なんだこれ無茶苦茶面白いじゃないか、と気付いたんですね。小学生の私、よく頑張って読んだ。この漫画との出会いは間違いなく価値のあるものだったから。
そのきっかけとなった話は、少年チャンピオンコミックス版2巻のラストに収録されている「二度死んだ少年」 でした。殺人を犯して自殺を図った少年を手術で助けることになるのだが…、ものすごーくかいつまむとそういう話なんだけど、この物語のラストのページが、特に少年のラストのセリフがとてもとても心に残って、それがきっかけで、ああこの漫画にはとてつもない力がある、と気付いたような気がする。ネタバレしないで書くのが難しいけど、小学生の私には、メンツを保つことのくだらなさとか、生きる権利同様死ぬ権利も本来他人が侵すべき領域ではないのではないだろうかとか、人間の深淵みたいなものに触れる入口のひとつになった話だったかなと思います。
少年本人のことを見ていたのはブラック・ジャックだけ。少年はそれを知っていたのでしょうね…。欠片だけでも救いがあったのだと、最後に思わせるラストシーン。とても難しい話だし、読後感がいいわけでもないけれど、私にとっては非常に印象深い作品です。てかネタバレになっちゃってたらすみません…。
さて、面白さに気付いたのはいいものの、コミックスは盆と正月にしか行かない祖父の家にあったので、繰り返し読むことができない。自分用にも買わなければなりません。しかし、当時一番簡単に手に入ったのは1000円くらいする豪華版で、とてもすべては揃えられなかった上に、その後文庫版の存在に気付いたものの、収録順が異なる上に未収録作品も存在、何よりセリフの改変があることを知ってしまう私。
結局私は、巡り巡って豪華版も文庫版も集めるのをやめて、少年チャンピオンコミックス版を「昭和の版」で集めることに決めました。そう、祖父の家の本棚と同じものを。セリフの改変が嫌だったんですね、結局。色々理由はあるのでしょうけど、私は当時のままで読みたかった。セリフが変わっていることで、会話の流れがおかしかったり意味がわからなくなっていたり、自分の記憶との差異も含めてかなり違和感があったのですね。作者の意図した通りにこの作品を味わいたかったのです。
裏表紙が白いものは新しい版なのかな、だからとりあえず青いものに絞る。版が新しいと問題の改変が行われてしまっていると思われるからです。たぶんそのはず。古本屋を訪れるたびに漫画のコーナーを目を皿のようにして探し、まだ持っていなかった単行本を見つけた時の喜びと言ったら。ピンポイントな探し方をしているため実はまだ全部揃ってないんですけどね(汗)。貧困化も進んでしまいましたし(泣)。
祖父の家には実は全巻揃ってなかったので、こうやって探して初めて読めた話も実はあったりして。文庫版もだいたい読んだし、何故かコンビニで売ってるテーマごとに編集したらしいシリーズも何冊か持っているのだが、改作された作品を除けば、「植物人間」と「快楽の座」だっけ?あの2作品以外は全部読んでるはず。未収録作品の袋綴じが目当てでなんかの雑誌買ったこともあるような…。かなりうろ覚え。実は画集も持っている(笑)。
今後もコツコツと集めつつ(っても持ってない巻の方が既に少ないので未所蔵の巻数を常にメモって持ち歩いておかないとダブって買っちゃいそう…)、時々こうやってひっそり語れたらいいなあと思います。未読の方は是非。損はしないと思うけどなあ。