うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

NHK杯2014雑感②

昔書いた文章を発掘したので今更載せるシリーズ第?弾(←もう忘れた)。昨日に引き続いての第2回にして最終回。元の文章めちゃくちゃ長かったので、2回に分けました。
ではでは以下をどうぞ↓↓↓↓↓↓



★30日
エキシビション。でも毎年楽しみだった豊の部屋は今年はもうない。にじりよる豊に「地上波で流して大丈夫なの」と心配することも、豊の扱いに慣れきった高橋君の姿を見ることももうないのだ。後輩に道を譲りたいとのことだが、淋しい。フォーエバー豊。
豊の部屋ことインタビューコーナーは織田君にバトンタッチ。あらまそんなとこで泣くんかい。ごめんね爆笑した(笑)

川口&スミルノフがすごすぎだった。生で見たいこれ。ペアは絶対生の方がいい。迫力が桁違い。
木原君うまくなったね(涙)。成美ちゃんはどうしたの?試合からジャンプ全然決まらない…。心配。
宮原さんはステファンの振付。女子への振付にはあまり彼らしさが見られないことが多く、今回もそうだったので、言われなければわからないかもしれない。ちなみに今回もそれらしき夢を見た(彼が日本人に振付する夢)。相変わらずと言うか、もう何と言うのか。
せな君(ごめん漢字忘れた)って高橋君が「不味い餃子も美味しい」という迷言を残したNHKの番組に出てた子だよね?大きくなったなあ、しかも上手い。
流行ってるのか、Say Something。
前からうっすら思ってたけど、ウィーバー&ポジェのポジェさん、かっこよくないすか?

昨日涙目でインタビューに答えていた羽生君が痛々しくていたたまれない気持ちだったが、花は咲く、素晴らしかった。最初は少し迷いが見えたけど、途中から吹っ切れたように感じた。ああもう大丈夫、そう思った。中国は日頃の練習の通りに動けていた感じだったけど、今回は練習不足が見て取れたし、世間の批判や金メダリストとしてのプレッシャー、そんなものに負けまいとして押し潰されそうになってるように思えた。さすがの羽生君も、怖かったのかもしれない。いつものべらぼうに気の強い、鬼神のような羽生君じゃなくて、普通の19歳だった。でもファイナルではきっと、いつもの羽生君が戻って来るだろう。
無良君や村上君も羽生君が事故のことで色々言われたことは知っていたのだろう。とても彼に気を遣っているのが伺えた。とりあえず批判も下火になったようですが、19歳の子に、批判が多かったことを承知でコーチや連盟を気遣う言葉まではっきり言わせた世間はホント土下座した方がいいよ。自分たちが人生を賭けて向き合っているものや、それを支えている人たちを、よく知りもしない外野に色々言いたい放題にされて、随分嫌な思いをしたんじゃないのか。自分が結果を出さなきゃまた大切な人たちが批判される、そんなプレッシャーを背負いながら彼はNHK杯に出てきたんじゃないのか。そう思うと本当に可哀想でならない。まあ全然見当違いかもしれませんが。
仲間内だけでの口頭での会話ならともかく、インターネットという世界に開かれた場所で発言をするならそれ相応の責任は持つべきである、とこの件で改めて痛感した。一般人の発言なんて誰も見てないから、というのは大きな誤解。あまりに不自由であってもいけないが、利用する人間の知性が常に問われる、ということを念頭に置いて使用するならば、無限の自由が許されているわけではないことにも気付くだろう。私がブログ等の形でスケート旅日記を表に出さないのは、自分の文章に責任が持てるかどうかの自信と勇気がないからです(2017年注:当時は知り合いに読んでもらうためだけに書いていました。この文章もそうです。今でも自信も勇気もないですが、一歩を踏み出すためにブログという形を選びました)。
しかし、今回特に感じたことだけど、数々の発言からうかがい知れる羽生君の器の大きさよ。よく考えると、オリンピックの金メダリストは翌シーズンを休養にあてグランプリシリーズには出場しないのが通常である。さもなくば引退か。今シーズンもソトニコワやトランコフペアは出場予定だったが結局怪我で欠場している。あまりにも普通に羽生君が出ているので忘れかけていたが、彼はメダリストだった…。でもこれで、彼はまたギラギラしたチャレンジャーに戻るのだ。強いだろうな。昨シーズンもグランプリシリーズはパトリック・チャンに2敗してるし、それで奮起したんだろうし。

そんな闘う意志に溢れた羽生君だが、花は咲くの最後にお花をぎゅっと抱きしめる姿を見て、それが様になるのは彼くらいだろうと思った…。そしてオープニングとフィナーレの女子のような衣装は一体?!よく着られるなあんなの!でも似合ってるからどうしようもない!(笑)
やはり一見儚げでほっそりとした羽生君が血を流して倒れているという絵が衝撃的過ぎて、あんな過保護な批判が噴出したのだろうと確信するに至った…。

なんか羽生君のことしか書いてませんが、長くなり過ぎるのでもう割愛。今からファイナル胃が痛いです。ファイナルには我らの町田が!



↑↑↑↑↑↑以上、約3年前に書いた文章発掘記念祭りでした←祭りというほどのことはしていない
2014年に書いた文章はもっと色々あるのですが、現状ではかなりの数がお蔵入りしてます。修正作業をしているうちに、正直載せるほどの内容がないとか、今はまだ載せる気分じゃないとか思ってしまったものがわりとありました。そのうち「まあいいかな」と思えるようになったらしれっと載せるでしょうけれど、現状ではやはりお蔵入りです。
2014年のカップ・オブ・チャイナについての文章も、ギリギリまで悩んでお蔵入りにしました。もう3年も経っているしいいかなと思ったけど…。でも、その頃の自分の気持ちと今の気持ちはまったく変わっていないので、その時書いた文章の要点だけ最後に加えさせていただきます。

あの時、文字通り青ざめて事態を見守りながらも私は、出場に問題はないという診断であれば羽生君は間違いなく出てくると思いました。そしてそれは絶対棄権しなければならない危険な状態ではないことを指すのだとも思いました。現場にいるのは皆プロであり、テレビを見ているだけに過ぎない視聴者などとは比べ物にならないほど的確な判断が下されているはずです。なので羽生君が出てきたのを見て逆に安心しましたし、むしろすぐに棄権がアナウンスされたハンヤンの方が心配でした。←結局彼も出てきて滑ったけど…。心配で泣いたよあの時は…。
5回の転倒があり決していい演技ではなかったけれど、その狂気をはらんだ演技ではない演技に、壊れたものにしか出せない美しさに、滑り終えた彼の見たことのない穏やかな表情に、そしてキスクラで泣き崩れたその姿に、私は羽生君のファイナルへの強い思いと覚悟を感じ、彼の選択は間違いではなかったと素直に思っていました。

なので、羽生君の出場に批判が噴出しているのを知った時は、何故なのか理解できなかった。
この場合、「皆心配していたからだ」という意見は議論の対象にもなりません。そんなものは大前提中の大前提です。その上で、正確な状況を把握もしていないのに、中途半端な知識と思い込みで今回の事態を悪魔の所業でもあるかのように各方面から批判しているお茶の間批評家たちに、私は心の底から恐怖を覚えました。

彼らの多くはスケートのファンでしょう。でもスケートを愛してはいないんだと思いました。なぜなら彼らは選手とその関係者を信じていないからです。彼らより自分の物差しを信じているのが表面化したからです。部外者の我々が現場より自分の判断が正しいと思う、それは愛しているはずの対象を信じていない証拠です。
そして、羽生君が必死で完遂させてみせたその滑りは、いい悪いを抜きにして、少なくとも敬意を払ってしかるべきものだったはずです。本気で何かに向き合っている人の姿に尊敬の念を持つことは人間として何も間違っていないと思います。それを表現するのは難しいので、感動したなどというチープな言葉にしかならないのだろうと思いますが、私はあの羽生君の姿に否定ではない何かを思った人は何も間違っていないと思うのです。でも、批判側の人たちは、羽生君の努力に敬意を払う心すらないということなのでしょう。
私が今回の件でいちばん嫌なものを感じたのは、たぶんここだと思います。

事の発端から最後まで生放送だったということも今回の騒動が大きくなった原因でしょう。まるで当事者のような気持ちになってしまったのもわからないではありません。
でも我々はただのファンです。当事者ではありません。子供でも知っているような知識を盾に、冷静に状況を判断するという傍観者として当然のことも行わず、愛もなく敬意もない批判を行う権利などありません。羽生君は何も間違ったことはしていません。間違っていたとすれば彼の思っていた以上に影響力が大きくなっていたという認識不足くらいでしょう。羽生君の人生は羽生君のものです。我々に口を出す権利はない。
そして、これが自分がいちばん好きな選手の話だったら、おそらく今と逆の立場に立った人が大半だと思います。それが透けて見えるから余計に嫌なのです。

羽生君にずっと健康でいて欲しい気持ちもわかるけど、心が壊れたら体も壊れます。明日なんて必ず来るものではないのだから今を懸命に生きたって構わない、という私の人生観が常識的でないと言われてしまえばそれまでですし、私も自分の人生観に対しては堂々とした立場にはないので何とも言えないのですが…。そう、今回の件は見た人の生き様や経験や死生観を浮き彫りにするような事件でもあったと思います。

とにかく悲しく、悔しく、意味が分からず、モヤモヤし続けていました。自分の身近にも肯定的な人は少なかった。でも私の意見は一貫して変わりませんでした。自分が正しいと主張したいわけではなく、ただこのように感じた人間もいるということを知っていただけたら、と思います。