うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

壊れた水槽で金魚は暮らせない

凶悪な事件が起こる度に、いつも疑問に思うことがある。大抵、そういう礼儀は欠かさない人だった、という話になるからなのだけれど。

「挨拶をするかしないか」だけで、何故他人が判断できると思うのだろう?
「挨拶をするからいい人」だと思い込める根拠って何だろう?

ものすごく爽やかな挨拶をすると思ったら宗教とか(まあ宗教が何でも悪い訳じゃないですが)マルチ商法にどっぷりつかった人とかだったりすることも良くあるし。あまりにいい挨拶だから一瞬心開きそうになったりね(笑)。もちろん開かないけどさ。
ぶっちゃけ「仕事」と割り切ってしまえば笑顔になれたりもするわけだし。
だってそれは相手のことを人間だと思ってないからだもん。「お金」だと思ってるからできるんだよ。お金になると思えば相手の気を引くために心にもないことだって出来ちゃうし。それが仕事ってやつなのかもしれないけど、客の方は自分への誠意とか真心だって思い込んで受け取るわけだよね。
特定の職業に就いてる人の「裏の顔」にうんざりすることがあるんだけれど、正体は裏の顔の方だから、彼等は仕事の対象をお金としてしか見てないということになる。そうやって割り切らなきゃできない仕事なのかもな、と思ったりもするけれど、そういう人に限って挨拶にはうるさかったりする。自分は忙しいからって挨拶しても気付かないのに、他人には強要したりする。

そういう時、私はものすごい苦痛を感じる。

だって私は、挨拶をしたくてもできないことが非常に良くあるから。

声が出ないんです。
何言ってるかわかんないと思うし説明も難しいし、そんなこともできないんだって思われるのが嫌だし自分でもしんどいから、他人に話したこともなかったけれど。

道ですれ違ったり朝会社で出会ったりして声をかけられる。あ、挨拶してくれたんだ、と思って返そうとするんだけど、声が出ない。とっさのことに反応できないのか、口は動かすんだけど喉が詰まって、金魚みたいにパクパクするだけ。せめて頭は下げるんだけど、部屋に入ってくる時なんかにも声が出せないことが多いから頭は下げるように気を付けているんだけど、

でも、気付かれない。
気付かれない上に、怒られる。

挨拶もできないのか。
社会人としての常識が欠けている。
コミュニケーション能力がない。
当たり前でしょう?
当然でしょう?
常識でしょう?

わかってるよ、そんなこと。
でもできないんだよ。
声が出てこないんだよ。
自分でもどうしてなのかわからないんだよ。
どうしたらいいのかわからないんだよ。
ものすごく、ものすごくつらいんだよ。

どうしようもないから、正直に答えたことがある。
声が出ないんです、って。
その人は心底呆れたように、馬鹿にしたように大袈裟に驚いてから、説教を続けた。

たぶん、子供の頃からそうだった。何故「たぶん」なのかは、よく覚えていないから。
でも、学校でほとんど喋らなかったのは事実だろうと思う。いじめられていたから。自分が何か言うと揚げ足を取られて責められて馬鹿にされるから、怖くて喋れなかった。たぶん挨拶もできなかったと思う。いつもひとりぼっちで、話しかけられることもなかったから、声をかけられるとびっくりして反応できなかったかもしれない。しかも、声をかけられたと思ったら、それは好意的な言葉ではなくて、嘲笑だったこともしばしばだった。まったく知らない人からすらも。人間は敵だとしか思えなかった。今でも他人は怖い。基本的に信用していない。

けど、家ではそんなことはなかったんじゃないだろうか。生きてるのか死んでるのかわからない、って親に言われてた時期もあったりはしたけど、全然喋らないなんてことはなかったし、歌ったり踊ったりギャグ言ったり兄弟と喧嘩したり、変な子供ではあったけど(笑)、普通に暮らしてはいたはずだ。
ある程度私のことを知っている人なら、私が無口とは程遠い人間であることはお分かりであろう。うるさいよ、ずーっと喋ってるから(笑)。たぶん、私という人間は本来はそうなんだと思う。「人懐っこい」と言う人もいれば「陰気」と言う人もいて、まるで二重人格だし、どっちも自分ではあるんだろうけれど。

大人になるにつれて、他人が怖いなんて言っていられなくなるから、勇気を振り絞り続けているうちに普通にできるようになってったこともたくさんあった。昔はわからないことがあっても人に聞けなかった。店で探し物が見つからなくても店員に聞こうなんてまず思わなかった。自分が声をかけることで迷惑そうにされる方がよっぽどしんどかった。今はわかんなかったらできるだけ聞くようになったし、電話もかけられるようになったし。昔の私が見たら心底びっくりするだろうなあ。何でそんなことにしみじみするんだ、と思われそうだが、そういうことが苦手な人ってね、たぶん一定数いると思うよ。あなたの苦手なことがまったく平気な人が掃いて捨てるほどいるみたいに。

たぶん全然できなかった挨拶だってするようにしてきたよ。何でしなきゃいけないのかはよくわからなかったけど、そうしないと「普通の人」の仲間に入れてもらえないならしなきゃしょうがない。そのうち普通のことにできるはずだから。実際、社会人になってからは普通に挨拶してたと思うよ。

でも、気が付いたら出来なくなっていることがある。
それはたとえるならば、透明な水に、黒いインクを1滴垂らしたら、真っ黒になってしまった時。透明だと思っていた水が、光の加減で真っ黒だったことに気付いた時。そんな時にまず黒に染まれない私は、その水の中で息が出来なくなってくる。きっともうその水には棲めないのだけれど、その水がきらきらしていたことも知っているから、何とかしようと思ってしまう。けれど大抵、水が黒くなる前の私のことはもう忘れられている。

本当に挨拶する気がなかったら、あなたを敵だと思っていたら、頭も下げないし、口だって動いていないはず。掠れるような声しか出せなくても必死に声をかけてるのもわかってもらえてないんだね。それに気付かれないということは、私のことを見ていない証拠。つまり私に挨拶はして欲しいけど私に向けて挨拶する気はないってことでしょう。自分を崇め奉って気持ち良くさせて欲しいだけで、円滑なコミュニケーションだのお互いに気持ちがいいだのとかいった理論はすべて建前。初めからコミュニケーションする気ないのはそっち。そんな形式的な、しかも一方通行の要求に答える義務なんてあるの?その行為に意味はあるの?そうして欲しいなら、じゃあ自分がまずすればいいんじゃないの?私自身と会話しようと努めてくれた人は、頭は下げてることにはちゃんと気付いてくれてましたけどね。ふう。

それでも、馬鹿にした眼差しを向けながら、地獄の底から絞り出したような声で嫌々挨拶してくる人の方が「常識がある」のか?その恐ろしさにすくんで返事できなかった私は駄目人間なのか?いや駄目人間なんだけど、でも、ちょっとは私の話も聞いてよ…。

だいたい、ホントに無視してるんなら普通気付くと思うけどな。実はここしばらく何度か、かつて所属していた集団の人に「あからさまに無視される」ということが続いたから余計にそう思う。私がいるの絶対気付いているのに目をそらしてそそくさと帰っていった人(結構仲良くしてた人だったのでショックだった…)、街でばったり会ったけどあからさまに目をそらして歩いていった人…。そんなに前のことでもないけど、今でもその光景が目に焼き付いて、思い出すと息が苦しくなる。
わりと最近、その集団の人と出会ってしまう確率が非常に高い場所に出向いた時、また同じことが起きそうで、怖くて怖くて本当は行きたくなかったんだけど、色々あって結局出向いた。そしたらやっぱり出会ってしまって、同じことになるのだろうかと自分から声をかけずに様子を見ていたら、気付いてたみたいなのに声もかけられずそそくさと立ち去って行かれたよ。行くんじゃなかった、と心底後悔した。ほかにも色々あったし、その集団ではあれはおかしな人間だから無視するように、ってお触れでも出てるんじゃないかな。一応頑張ってたつもりだし、その集団のことが好きだったから、つらいとかなんとか通り越してもう感情が壊れてる。とどめを刺された感すらある。こんな風に、「お前とは関わりたくない」って強い意思表示をされたら、気付きたくなくても気付いてしまうと思うけれど。顔見知り程度ではない知り合いに会ったのに挨拶もしないって、よっぽどだよ。ま、私もしてないけどさ。だって先に目をそらされたんだから…。やっぱり思い出すとしんどい…。息が出来なくなってくる。ちなみに3人とも全部別の人だったり。顔を合わせないやり取りも含めると10人じゃきかない。駄目だ、しんどい。

でも、おかしいのは私なんだよね。挨拶しない人はいっぱいいるし私もされなかったこといっぱいあるのに(上記のような例でなければあまり気にしないですが…)その人たちは責められない。全部私のせい。だってそうした方が楽だし簡単だもの。理解できないものを理解しようとするよりさっさと捨てた方が楽だもの。誰かを犠牲にしてみんなは幸せになるものなのだもの。私がまともじゃないのも本当のことだし。
だからいいよ、もういいよ。自分が社会不適合者で、この人間の社会で生きられないのはよくわかったよ。だからもういい。

このままでは生きていけなくなるのははっきりしているのに、以前だったらどうにかしようともがいていたのに、今は不思議なほど何もする気にならない。このまま朽ち果てていくならそれでいいと思ってる。どんなに探しても私の居場所はないってことを、やっと受け入れる気になった。とても静かだ。

挨拶の声が出ないみたいに、頭の中で思ってることを全然まとめられなくて、まったく喋れなくなるのもよくあった。子供の頃と同じ。聞かれたことに答えないから、やっぱり人として駄目だって言われ続けた。親にも言われてたかも。喋るのが苦手な分、文章でちゃんと意見が言えるように、書くことが好きになったのかもしれないね。せめてもう、好きなことだけさせてください。挨拶もできない私はこの世界に必要なくていいから。受け入れるから。でもせめて、常識がないとかなんとか断罪する前に、私みたいな人もいて、悩んでるだけかもしれないって、少しだけ振り返ってみて欲しいです。一方的に責める前に、どうすればいいのかを教えてください。あなたにとっての常識は、誰かにとっても等しく常識ではないんです。