うさぎパイナップル

フィギュアスケート旅日記とテレビ観戦記とその他色々色々・ただ書き散らして生きていたい(ふらふらと求職中)

噛み締める記憶は甘くて遠い

お題「いちご」

実は小学校1年生か2年生くらいまで、いちごを食べられなかった。

私は食べ物の好き嫌いがとても多い。味が苦手なものももちろん多いのだが、それ以上に舌触りや見た目の気持ち悪さがどうしても無理、というものが多かった。生理的に受け付けず、どうしても食べなければならない時は吐き気との戦いだった。
なので、給食のあった時代は苦労した。残してはいけない、ときつく指導されるからである。嫌いなものはとにかく噛まずに牛乳で飲み込んでいた。おかげで今でも牛乳は大好きだ。おなかを壊すようになってきたのでもうあまり飲めないけれど(泣)。

どうやら苦手な食べ物にはいくつかパターンがあるようで、そのひとつが「種がいっぱい入っているもの」。トマト、カボチャ、スイカ、メロン、等々。あのどろどろした感じもたまらなく怖い…。
これらの野菜や果物は、ケチャップやシャーベットなどに姿を変えていれば、要するに原型をとどめていなければ食べられることが多いので、味がどうこうよりも食感や見た目が苦手な食べ物の自分的筆頭である。キュウリは平気なのだが、よく熟れた種がいっぱいの立派なキュウリはやっぱり苦手である。食べられないほどではないけど、あまりまじまじ見たくない。

いちごは幼い私にとってこれらの食べ物に該当したようである。表面のつぶつぶが不気味だった。酸っぱいのも嫌だった。子供向けの食べ物にはしょっちゅう添えられているものだが、正直嬉しくなかった。

小学校1年生か2年生のある日だった。いちごが嫌いだと知った同級生のお母さんが、確かかごに入ったいちごを差し出しながらこう言った。
「おばちゃんちのいちごは美味しいから大丈夫。食べてごらん」
実際には方言だったけど、あえてこう書く。
私は半信半疑で、同級生のお母さん、おばちゃんの家で穫れたいちごを口に入れた。親切に言ってくれている手前、断れなかったのだ。

ところがどうだろう。口に入れたいちごはふんわりと甘く、とても美味しいではないか。
どうやら私は酸っぱいいちごしか食べたことがなかったらしい。いちごが甘いものだという考えに至ったことがなかった。幼い私には青天の霹靂とでも言うべき出来事であった。

それからというもの、あんなに嫌いだったいちごを平気で食べられるようになった。いちごは様々な料理に使われているので、これは本当に助かった。ショートケーキが食べられないなんて悲しすぎる…。
冷静にいちごを見てしまうと、やっぱり表面が不気味に感じてしまうので、できるだけ眺めないようにはするけれど。原型をとどめない、ジュースやお菓子やアイスクリームなどの商品になっていればまったく平気、むしろ大好き。お菓子ってある程度流行るとたいていいちご味と抹茶味が発売されるような気がするのだが、私が食いつくのはもちろん、いちご。色合いもかわいいですよね。

私のいちご嫌いを治してくれた恩人のおばちゃんはもういない。遠い遠い昔に、遠い遠いところに行ってしまった。お葬式でお悔やみを言った同級生、おばちゃんの娘が、私の腕の中で泣き出した日のことは今も忘れられない。人がこの世からいなくなるとはどういうことなのだろう、と幼い頃からずっと考えていたけれど、こんなにつらいものなんだとあの時わかった気がする。 若くして神様に連れていかれてしまい、その人をたくさんの仲間が惜しむ姿を見るたびに、どうして私じゃなかったんだろう、誰も悲しまないのに、と納得のいかない気持ちに襲われていた。代わりにいなくなってあげられるなら、私にも存在価値はあっただろうに。そして命をとどめることができたあの人は、どんなにか立派な人物になっただろうに。

同級生が連れてきてくれた新しい命に声をかけた。君のおばあちゃんのおかげでいちごが食べられるようになったんだよって。もちろんまだ言葉も喋れない小さな人に伝わることはないけれど。おばちゃんの生きていた証は確かに受け継がれていて、それが受け継がれていていく限り、確かにその人は生きていたのである。生きているとは、誰かが覚えていてくれること。その記憶と、細胞で。

いちごを美味しくいただくたびに、 おばちゃんの笑顔と、人の命の行方とに、想いを馳せる。