うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

Continues ~with Wings~ ライブビューイング⑪

そして羽生君は、最後にこう言った。

プルシェンコさんにもトークコーナーで聞いたけれど、僕たちスケーターはいろんなことを言われる。ただ滑ってるだけでも言われる。自分は大きく見えるだけで、普通に暮らしていてもあることだろうけど。
週刊誌の問題などもあって、なんで僕生きてるんだろうって、何回も死のうともした。
でも、スケートやってて良かった、生きていて良かった。

恒例の「ありがとうございましたー!」がリンクに響く。魔法が解ける瞬間は何とも味気ない。ぷつりと中継が切れ、映画館に明かりが戻る。

私はしばらく席を立てなかった。嗚咽が止まらなかった。泣くつもりなんかなかったのに、感情が溢れ返るように涙が止まらなくなってしまった。

不思議だとは思わなかった。
彼の演技を見ていれば、その繊細さは自ずと理解できるだろう。物事に対する鋭敏な感受性が備わっていなければ、それを演技に反映させることもできない。あれほど人を惹き付ける演技はできないのだ。フィギュアスケートという競技は本人の感性や歩んできた人生がそのまま演技に滲み出る競技だからだ。それは技術だけではカバーできない。持って生まれたものなのだ。
だがそれは、気付かなくていいことにも気付いてしまうということにほかならない。「普通の人」であればスルーできてしまう事態もスルーできない。結果として深く傷付き、そしてその傷も「普通の人」より深くなる。そしてその感覚を、なかなか他人から理解してもらえずに、孤独の殻に閉じ籠ることすら起きうる。
彼が一度も、その感情を抱いたことがないと考える方が難しい。

もちろん、心の形は人によって様々だ。ものすごく心が揺れやすい人の中にも一度も闇を覗き込んだことがない人はいるかもしれないし、頑強な心の持ち主がほんの些細なことで闇に飲み込まれてしまうこともあるだろう。
だが、誰しも一度は死にたいと思ったことがある、という私の考えは、どうやら完全なる思い込みであったようだと、わりと最近になってようやく知った。

上海のリンクに現れたファントム。あれが本当の羽生結弦なのだろうと私は何となく思っている。見る者を震撼させる、白刃のような狂気。普段の彼が何重にも掛けている理性のリミッターが外れたおそらく最初で最後。あれは血気盛んな若者の無茶で終わる出来事ではない。その向こうあるものに気付けたか気付けなかったかで、あの演技の評価は二分されたのかな、と今にして思う。
稀代の表現者となるべくして生まれた人物が、我が道を貫ける程気が強く、手に入れた栄誉にも溺れずにさらに上を目指せる程真っ直ぐに育ったのは、ひとえに周囲の人々の、特にご家族の深い愛情があったからだ。単なる想像でしかないが、かなり間違いなくそうだろうと思う。ひとつでもボタンをかけ間違えたら、もしかするととてつもなく生きづらくなったかもしれない彼のそのボタンを間違わないよう守ってくれたのは、間違わないように道を示してくれたのは、彼を愛し、支えてきたたくさんの人々の力だ。

だから、彼は大丈夫だとずっと思っていた。どんなことがあっても力に変えていける人だろうと思っていた。
あの恐ろしい、闇の中から腕を掴んで深淵に引きずり込もうとする感情に、とらわれることなど決してないと、どこかで思っていた。
週刊誌と具体的な例も出していたが、おそらくそれだけではないだろう。彼はまだ二十歳そこそこ。生きていくために感覚を麻痺させるには若過ぎる。
ああ、彼ですら無理だったのかと、無理な状況になってしまう程追い詰められてしまったのかと、軽い絶望感と大きなショックが、私を包んだ。
そして悟った。オリンピック以降何度も繰り返していた、「生きていて良かった」の本当の意味を。

私が初めてその感情に従おうとしたのは小学生の時だった。入学した頃から続いていたいじめが、担任が変わったことでようやく止んだのは5年生の一学期くらいだったから、少なくとも10歳くらいまでにはそう考えたことになる。まず死の概念が育ち、誰しも経験があるだろう夜な夜な死の恐怖に怯える時期が過ぎ、人は病気や怪我以外でも命を失うのだと気付くまでには時間が必要だろうから、やはり10歳くらいの頃だったのかもしれない。どちらかと言えば積極的な感情ではなく「自分居なくてもいいんじゃん」という消極的な拒否だったように思う。
あの頃の自分を思い出しても、知らない他人のように感じるだけで正直自分のことなのかもよく分からない。けどこうして思い返す度に湧いてくるのが「周囲の大人はいったい何をしていたのだろう」という疑問である。子供が自分は要らない、この世に居なくてもいいと毎日毎日思いつめる程追い詰められていたのに完全に放置していたということだからだ。ひとりだけ席を離されて授業を受けていても、ひとりでお弁当を食べている写真が遠足の思い出として残されていても、手を差し伸べてくれる人はいなかった。もしこれが自分ではなく自分にとって大切な誰かの話だったら、私にはとても耐えられないけれど、所詮愛情などというものはまやかしだったのだろう、私の周囲においては。

きっと元々壊れていた自分は、あの頃に完全に壊れてしまった。たぶん今もそのままだ。私の歩んできた道は変わることなくいつも地獄だったから。
そして壊れた私の手のひらを、あの頃からずっと掴んで離さないものがいる。時々握り方が甘くなるけど、離そうとしてはくれない。握り締める力が強くて、手首から先を隠す濃い霧のような闇に飲み込まれそうになったことは数え切れない。
もう飲み込まれてしまいたい気持ちと、何故飲み込まれないといけないのかという気持ちは常にせめぎあう。叫び声が上がる。あなたならこの手を引っ張ってくれるかもしれないと願いながら。
重い、聞きたくない、さもなくば沈黙。結局誰も信じていない私は、やはり信ずるに値するものなど何もないと、信じたその手が隠し持っていたナイフで切り裂かれた片手を、じっと見つめる。もう片手は相変わらず固く握られたまま。
私はこれからもこの誰かの手のひらをずっと握ったまま生きていくだろう。一度だってこの手は私を離さなかった。そしてそれは皆同じだと思っていた。闇に飲み込まれる恐怖と世界の人間のすべてが戦っていて、勝って手を離したからこそ「弱い」「甘えている」「勝手にすれば」などと言えるのだろうと思っていた。だから、この感覚を知らない人間の方がどうやらずっと多いということにまったく気付いていなかった。私にはこれが当たり前だったから。話が噛み合わなかった理由が、やっとわかった。

死にたいと叫ぶのは、生きていたいから。
あなたにそう叫ぶのは、あなたを信頼しているから。
どんなに裏切られても裏切られても、この世界に絶望しても、あの濃い霧のような闇に引きずり込まれそうになる感覚を味わい続けたい人間なんて誰もいない。

羽生君は、会場や映画館に集まったファンを信じてくれたんじゃないだろうか。
今はもう過去のことなのだろうけど、あの闇はこれからも彼を襲うかもしれないし、バッシングに関する最近の発言を考えても、同じ状態になることが怖いのかもしれないと少し思う。
だから、抱えきれなくなってしまうかもしれない前に、少しだけファンに肩を預けようとしたんじゃないのか。それは、信じている相手にしかできないことだ。

もちろん、これはすべて私の勝手な想像だ。だけれども、自分でも覗きたくないくらいの心の脆弱な部分を、あの理性的な、少なくとも人前では理性的であろうとする彼が、表に出そうと決めたのには相当な覚悟が必要だったはずだ。私は、そう思う。

ただ、ファンの中にもゴシップレベルの情報ばかりを信じている人間は実際にいる。もし羽生君のファンでなかったら、何も考えずに根も葉もない噂を吹聴する側に回っていたのだろうと思わせる人物にも出会ってきた。ファンだとは言っても根拠もないことで「◯◯は酷い目に遭っている、かわいそう」と思い込み居もしない敵を作る人物も多く、呆れて二の句が継げないこともあったくらいだ。そして残念ながら、本人はそのことに気付くような能力は持ち合わせていない。こういった人間が相当数いるからこそ、ゴシップやアンチに分類される情報を提供する商売が成り立つのだ。もちろん商売する方もする方だが、最も恐ろしいのはそれを無邪気に鵜呑みにする大衆の方なのである。
だから、これからも彼を貶めるような記事や声が無くなることはないだろう。心底腹立たしいが、無くなることはない。大衆に教養を適切に与えなかった先人の責任で、そんなものまで羽生君が背負う必要はまったくない。気にするなと言っても難しいだろうから、彼らはあなたが人気者だから、羨ましくて羨ましくてたまらないだけなんだよ、とだけ伝えておきたい。

第一線でフィギュアスケートに関わる限り、あなたに向けられる穿った眼差しは減らないだろう。だけどあなたを守ってくれるのも、そのフィギュアスケートだ。フィギュアスケートがあなたのそばにいる限り、あなたはきっと大丈夫。もし大丈夫でなくなったら、いつでもファンを頼って欲しい。もちろん決してスケーターではないただのファンがわかったような口をきくことはできないけど、あなたを信じることなら私たちにもできる。その前にきっと、あなたを愛するあなたの身近な人たちが、あなたを支えてくれるだろう。そして羽生君、それはあなたが支えられるに値する人だからなんだよ。
たぶん、暗闇に腕を絡め取られ深く傷付いた記憶を持つ者だけが、誰かに差し伸べる手の持ち主になれるのだろうと思う。本当は闇なんか覗かない方がいい、その方が絶対にいい。立ち上がれなくなってしまう人も少なくないから。でも、あなたはそこから戻ってこられた。あなたの苦しかった想いはあなたの演技を深化させ、そしてその演技は誰かの心に届き、溶け込んで、歩けなくなったその人を立ち上がらせる力強い腕となるに違いない。
羽生君、あなたはきっとこの世界を変える。あなたが今日、最後に我々に向けた言葉で改めて確信した。「消えてしまいたい」と願う人々に、その言葉は小さな明かりを灯したはずだ。この世の運命のすべてに意味を持たせようとするからこそ人生は辛くなる。でも、あなたは間違いなくこの世界に神の明確な意思をもって送り出された人間だ。そのあなたを闇が奪い去ろうとするならば、我々は全力で阻止するまでだ。

ねえ、羽生君。私は生まれてから一度も夢を持ったことがなかった。自分の手のひらを握り締めるあの腕に、どこかで引きずり込まれてぷっつりと消えるのだとずっと思っていたから、夢も目標も人生計画も一切考えたことがなかった。今も正直、どこまで行っても居場所のないこの世界に私がいる意味はわからない。拒絶と孤独の恐怖と戦い続ける果てのなさに疲れてもいる。
でもね、今初めて、身近な人に夢を口にしてるんだ。何を言ってるんだバカだな、と笑われてしまうような夢だよ。でも笑われてもいいから、それを目標にしようって決めたんだ。叶うか叶わないかなんてわからない。たぶんそれは問題じゃないのだろう。でも私は決めたんだ。真っ暗で何も見えなくても、この足がまだ動くのならば、地平線を目指して走ろうと。
ねえ、そう思わせてくれたのは、あなたなんだよ、羽生君。
いつかきっと、生きてて良かったって言うから。いつになるかわからないけど、そう言うから。生きてて良かったなんて一度も思ったことないけど(会場でいい演技に感動してそう言い出すことはあるけど、笑)、その日を目指してスタートするよ。今日がその日だ。すべてはここから始まる。

やっぱりあのわけのわからない予知夢には逆らえないんだな、と少し自分に呆れながら私はようやく立ち上がった。涙を拭う私に気付いた、東京の会場にも見に行ったという人と束の間に感想を述べ合い、またどこかの会場で、と言って別れるこの感覚。ものすごく嫌なことも正直あったけれど、フィギュアスケートを見てきて良かったな、と思った。そしてまた、どこかの会場でこの感動に巡り会おう、その感情を書き残していこうと、そう誓った。

ご一緒していただいた方とも、またきっと会おうと約束して別れた。明日は必ず来るものじゃない。今日のこの機会を作ることが出来て良かった。この人に負担にならない形でいつか本当の恩返しをしよう、きっと。

以上です。4月中にほぼ書き上げてはいましたが、自分の中でこの記事を載せてもいいとゴーサインが出るまで寝かせていました。小さなことでいいから、きっかけが掴めるまでは載せられる立場にはないと思っていたので。これを書き上げた今は、果たしていつ載せられるかな、今すぐ載せたいんだけどなあ、という不安や葛藤に揺れてますが…。さてさて、どうなることやら。

長い感想文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。ライブビューイングも十分に楽しかったけど、やっぱり私は現場第一主義(笑)、次回は絶対に会場で見るからな!と誓って筆を置きます。私がこれからどう生きて何を残すのか、正直今は全然わからないけど、映画館の椅子で涙を拭いながら誓った想いを忘れないで暮らしていこうと思っています。そして羽生君が、もう二度とあんなこと思わなくて済むように、欠片だけでもその礎になるように、今後も精一杯応援していきたいと思います。

Continues ~with Wings~ ライブビューイング
スペシャル稔エディション
ー完ー

こんなオチつけるから真面目に読んでもらえないんだろお前(汗)