うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

カザフスタンの英雄に、記憶という名の花束を

本当はこんな記事書きたくなかった。こんな記事を書く日なんて来ないで欲しかった。まだどこかで信じられなくて、自分が何の記事を書こうとしているのか、よく分からない。


デニス・テン選手が亡くなりました。
まだ、25歳でした。

7月19日。あの日、私は突然、何故かものすごく強烈な眠気に襲われて、その時していたことも続けられず、ほんの少しだけ横になるつもりが、コトンと眠りに落ちてしまいました。
それほど長くは眠っていなかったと思います。何故急にあんなに眠くなったのだろう、といぶかしみながらツイッターを開くと、信じがたい情報が飛び込んできました。
テン君が、強盗に刺されて重体だと。

しかも、状況はあまり思わしくないようでした。そんな馬鹿な、とにかく助かって欲しいけど一体何が、と慌てて情報を追い始めて間もなく、テン君の容体に最悪の名前がつけられているのを目にしました。
血の気が引いていく、とはこのことなのでしょうか。

嘘だ、と思いました。
こういうニュースはよく誤報が出る。有名人にはよくあること。しかも外国の話だ、情報が錯綜してもおかしくない。
何とかそう思い込もうとした。思い込もうとしたけど。

どんどん流れてくる情報。それは、その知らせが嘘でも夢でもないことを物語っていました。
ニュース。スケーターのメッセージ。フィギュアスケート関連の様々な団体の呟き…。

テン君はいなくなってしまった。いなくなってしまったんだ。
しかも、強盗の凶刃によって。
そんな馬鹿な。
信じられない。信じたくない。

車のミラーを盗もうとした二人組に足を刺され、大量に出血したために助からなかったと聞きました。
スケーターの、スケーターの命とも言える足を刺すなんて…。
犯人たちは、刺した相手がデニス・テンだと知っていたのだろうか?
カザフスタンに初めて、フィギュアスケートのオリンピックメダルをもたらした英雄だと。


テン君のことを知ったのはいつだったか、もう思い出せない。まだ10代だった頃から見てきた選手だった。若いのに、とても品のある、小さな龍のような滑りをする人だと思った。よく唇が切れてしまっていて、友達と「テン君の唇今日は大丈夫かな?」なんて心配していた。
ステファンの大ファンだったので、ステファンが引退してからテン君に振り付けしたのを知った時はものすごくワクワクした。ステファンの振付師としてのキャリアの最初期にいたのがテン君だったはずだ。確か、テン君がステファンに憧れていたのではなかったか。

ソチオリンピックのことは今も思い出深い。男子はパトリックと羽生君が押しも押されぬ金・銀の候補で、一方銅メダルの予想は難しく混沌としていた。順当に行けばハビエルだと思っていたが、男子はフリーの出来が総崩れに近く、誰が銅メダルに輝くのかまったくわからない展開となった結果、表彰台に上ったのはテン君だった。今となっては本当に申し訳ない話だけど、彼の実力を考えても予想外だった。
けれど、エキシビションで滑るテン君の、素晴らしい、本当に素晴らしい演技を見た時に、やはり銅メダルはテン君のものだったのだなと納得した。今、いちばんにもう一度見たいと思っているのがあのエキシビションプログラムだ。どうやったらもう一度このプログラムに会えるのだろう?カザフスタンに行けばいいのかな、なんて本気で考えるほどだった。

怪我に苦しんだ時期も少なくなく、平昌オリンピックではフリーに進めなかった。テン君らしい気品のある演技だっただけに、ものすごく残念だった。あれが、私の見た最後のテン君の演技だった。
あの時、テン君の姿に私は言い知れぬ不安を感じていた。テン君がいなくなってしまいそうに思えた。怪我の具合が思わしくなくて、引退してしまうのかと恐れていた。自国で開催したショーでの元気な姿や、グランプリシリーズのアサインに名前があるのを見て、ホッとしていたのに。
あの不安の正体はこれだったというの?そんなこと信じられない。信じたくない。


スケーターには様々なタイプがあるけれど、情熱に知性や品格の高さを纏わせて、決して破綻することなく舞える、稀有なスケーターがテン君だった。氷上を踊るテン君は、まるで遠い国の皇子のように私には思えた。
氷の上での才能だけでなく、芸術面やショーの運営など、様々な方面への能力の高さも感じていた。才能豊かなスケーターは時々現れるけれど、彼にはその中でも別格のものがあるのではないかと個人的に思っていた。きっと、カザフスタンを動かしていくような傑物になるのではないかと、ぼんやりと想像していた。
カザフスタンという、名前くらいしか知らなかった国のことを、少しだけでも身近に感じることができたのは、ほかの誰でもない、テン君がいたからだった。
氷を降りたテン君は、とてもお茶目で気さくな人に映った。事件のほんの少し前に撮影されたというインスタグラムの映像でも、いつものテン君の笑顔だった。

あのテン君はもういない。世界のどこを探しても、もういない。映像に、雑誌に、誰かの滑りの中に、テン君の姿は残っているけれど、それらを生み出したデニス・テンはもういない。


何かの間違いじゃないかと、半分停止した思考のまま、気が付いたら眠りに落ちていた。
夢を見た。夢の中も、現実と同じだった。世界からテン君が失われていた。無関心な人々の波の中で、やっと見つけた友達の胸を借りて、私は号泣した。青い空の下、どこかテン君に関わりのあるらしい場所で、私は手を合わせていた。スケーターがいた。テン君が失われても、新しいシーズンは容赦なく始まる。真剣にその準備をするスケーターの姿がそこにはあった。
目が覚めた。目を覚ました私のいた世界は、夢の世界とさほど変わらなかった。テレビから流れてくる事実は、残酷なほど昨日と同じだった。
夢の中だけでも、嘘であって欲しかった。


前々から言っていることだけど、改めて言いたい。すべての運命は自分が招いた結果であるとか、引き寄せてるとか、自己責任論を持ち出す人間が私は嫌いだ。他人に心を寄せられない冷たい自分をごまかすために、詭弁で誰かの心を踏みにじる人間が大嫌いだ。ポジティブに前向きに生きていれば運命は変わるなどと、おこがましくも人生を操ろうとする人間の言葉が心底嫌いだ。
テン君だって人間だ、色々な感情はあっただろう。でも、我々に見えていたテン君は、いつも気高く、優しく、いい人だった。上記の理論を用いれば、テン君には素晴らしい未来が待っていたはずだ。
この結末をテン君が引き寄せたとでも言うのか?これがテン君の人生の答えだと言うのか?テン君が自分で選んだ結果だと言うのか?
ふざけるな。
誰もこんな未来を望んでなんかいない。テン君だって、テン君の周辺の人だって、スケーターだって。カザフスタンの人だって。もちろん我々ファンだって。
たくさんの人々の涙と悲しみを見ても、まだ同じ事を言うつもりか?

長じるにつれて、私は思うようになった。おそらく運命は最初から決まっている。枝葉末節の部分は人間の力でも変更できるかもしれないけど、大きな道筋は変えられない。自分の力で変えることができたと思っているのなら、それは完全な思い上がりだ。ただの巡り合わせを、たまたま訪れた運の良さを、自分の実力だと勘違いしただけだ。ただ、先の運命を読むことはできないから、見えないものに対しては常に備えをしていた方がいいというだけ。それだって、すべて徒労に終わるかもしれない。
そんなこと認めたくない。考えたくない。でもこれがテン君の運命だったのだ。あまりにも残酷で、理不尽な。神様が連れて行く人はランダムで、誰がどんな風に生きようとおそらくそれは変わらない。
残酷で理不尽な人生であり運命だからこそ、人は寄り添うのだ。運命が幸せをもたらすこともあれば、どん底に叩き落とすこともある。叩き落とされてしまっても、運命が動く時までそこから這い上がることはできない。その理不尽さに耐えられるように、人は人の間で生きるのだ。運命の残酷さに折れる心を支えられるように。残酷さを知った者は、今度は残酷さに苦しむ誰かを支えられるように。それが運命に対抗する唯一の手段。
運命を決めているのはすべて自分だなんて、おこがましいにも程がある。

そしてこんな取り返しのつかない事態にすら、平気でアンチ発言ができる人間がいることに心底驚いた。いや、人間と呼ぶのもおこがましいかもしれない。生物学的には人間なのかもしれないけど、そのことにどんな意味があるだろう?
この世には二種類の人間がいる。残酷な経験を糧にできる者と、そうでない者。彼らはもちろん後者だ。大嫌いな選手に傷つけられている(と思い込んでいる)かわいそうな自分が大好き。大好きな選手を守ってあげてる(と思い込んでいる)立派な自分が大好き。自分、自分、自分。自分しかいない。人の間で生きていない。だから、彼らは人間じゃない。起こっていることの意味すら理解できない、知性も教養もない、かわいそうなモノ。
でも、一歩インターネットを離れれば、立派な会社で、恵まれた家庭で、安穏と暮らしているのが彼らだったりするのである。尊敬すらされてるかもしれない。だからって彼らが立派だというわけじゃない。それはたまたま、そういう運命に彼らが生まれただけだ。こんなにも、世の中は理不尽なのである。そしてその理不尽さが、いつ残酷な牙を剥くかは誰にもわからない。

だから、後悔しないように生きなければならない。見たいものは見に行く。会いたい人には会いに行く。次なんてない。明日が必ず来るかどうかなんて誰にもわからないのだから。明日もその人に会えるという保証は何もないのだから。
6歳の夏、登校日に1日だけ顔を見せた転校生は、夏休みが明けても学校に来なかった。夏休み中に、病気で死んだから。たぶんあの夏から、私はずっとそう思っている。明日が来るのは、絶対じゃない。
ずっとそのスタンスでフィギュアスケートを見に行っていた。あとから後悔するよりは、今持てるすべての力でこの目に焼き付けることを選ぼうと思った。スケーターがいつ、氷上を去ってしまうかなんてわからないのだから。

ねえ、私まだテン君の演技見てないよ。一度も会場で見てない。いつかは演技をこの目で見たいと思っていた選手の筆頭だったんだよ。ずっとずっとそう夢に描いていたんだよ。
どれだけお金持ちになってももうテン君がどこのリンクにもいないなんて。間に合わなかっただなんて。こんな形で明日が来なくなるなんて。一生後悔が残ることになるなんて。誰か嘘だって言って。嘘だって言ってよ。


豪雨災害でいっぱいいっぱいな時に(私は広島在住です)、こんなことになるなんて…。もう耐えられない。無理です。こんなの無理。限界ってものがあるでしょう、神様?理不尽が過ぎるよ。
10年くらい経ったら、きっとまたソチの表彰台の3人が揃ってアイスショーで滑ることがあるかもね、なんて思ってた。羽生君と、パトリックと、テン君。そう思ってた。そう思ってたんだよ。

まだどこかで受け入れられなくて、お悔やみを言うのが怖い。祈っても届かないことも知っている。だから誓おう。代わりに誓おう。テン君を忘れないと。
よく言われることだけど、人の死にはふたつの段階がある。肉体の死と、この世界のすべての記憶から忘れ去られた時に訪れる死と。我々がテン君のノーブルなスケートを忘れない限り、テン君は生きている。我々の記憶の中に。映像に。本のページに。氷の上に。それは、天寿を全うした時にはもう誰にも覚えられていない人生より、もしかしたら長く長く続く命かもしれない。

無理な願いだろうけど、ロステレコムの出場枠を、今回だけひとつ増やしてもらえないだろうか。テン君の名前を、残してもらえないだろうか。もう二度と、どんなに待ってもリンクに戻ってこない彼を、幻でもいい、氷の上で見送れるように。


もし、悲しみの行き場がない方がいらしたら、どうぞコメントを残していってください。コメント欄を利用してもらえたら。私はテン君のファンと言うほどでもない、ただのスケートファンだけど、このやりきれなさを共有することならできます。いや、私が限界なだけかもしれない…。すみません。ひとりでこの悲しみを背負い切れないのです。

この文章がいつまでインターネットの海を漂うのかはわからないけれど、そしてただのファンのやり場のないつらさをぶつけただけの文章でしかないけど、それでもこの文が、テン君の記憶が我々スケートファンの心に残る手助けにほんの少しでもなれたなら、と思っています。それが私の、テン君へ手向ける哀悼の花束です。


こんな涙を流すのなら、テン君の唇の心配をしてる方がずっとずっと良かった。
失われてしまったものは、あまりにも、あまりにも大きい。もう世界中どこのリンクを探しても、デニス・テンはいない。