うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

仁義なきネットの海上大決戦

今週のお題「わたしのインターネット歴」

実は、インターネットはあまり好きじゃなかったんですよね。今でも苦手かもしれない。正確には、情報収集ツールとしては便利だと思うし積極的に使おうと思うけど、コミュニケーションツールとしては正直あまり、というところ。
たぶん、わりとインターネットを使い始めた初期の頃に、嫌だと思ったことの印象が強すぎたんでしょうね。


生きていれば誰しも1度や2度は、インターネット上に自分のことを書かれたことってあると思うんですよ。一般論として書いてあって「自分のこととして読めるかもしれないけどそうじゃないかもしれない」という曖昧な話じゃなくて、はっきりと間違いなく自分のこと。しかも悪意をもって。時に名指しだったりして。
私ももちろん何度かあって、100人中96人くらいが「ちょっと待ってこれアウト」と言うであろうレベルの悪質なものもあったんだけど、あとはまあ、個人の喧嘩を場外に持ち込んでどちらかが勝手に続けてて、一方が運悪く気付いてしまった、っていう程度なんで(笑)、まあ、その一方である私が耐えれば済む話なんだけど、やっぱり気持ちのいいものではない。言われてもしょうがないことはそうは思わないけど、大抵相手の理論が滅茶苦茶だもん。
相手が読むかもしれないと思って書いてるんだったら、まだ覚悟があるからいいと思うんですけど、相手が気付かないと思って書いてるから、ものすごく一方的なんですよね。そういう意味では悪質かなあ。ちゃんと相手も視界に入れて書いてる場合は、そこまでするくらいだからその人の確固たる意見として決意して書いてるからまだ読めるけど、ただの悪口であって愚痴だもん、気付かれないこと前提なのは。気付かなければ平和でいられたんだけど、一度インターネットに出してしまったことは取り消せない、ってこういうことなんだろうと。

そういう話で今でも反論したくなって悔しくて夢にも何度も見た(笑)という事件があります。もう軽く10年以上前ですかね。何でそんなに印象が強いかというと、たぶん原因がすごいくだらないから(笑)。


AとB、というふたつのものがあるとしましょう。
Aが先にあって、Aに一応関係のある形でBがあとから現れました。
私はAが世界の何よりも大好きで、Aのことならもはや専門家レベルであると豪語するくらい自分の人生にとって大切な存在でした。BはAとは違うものだと感じてはいましたが、それはBにもちゃんと触れた上で、Bの魅力も理解した上で、やはりそう決断を出し、やっぱりAが好きだと意思表示をしてました。
A≫≫≫≫≫Bなだけで、Bが嫌いだなどとは一言も言ったつもりはなかったです。BはBで楽しんでたつもりです。

私には「Aが好きな仲間」が何人かいました。
その集団の一部の人に、私はどうやら「Aが大好きでBが嫌いな人」という認識を持たれていたようでした。
おかしいなあ、そんなこと言ってないんだけど。
Bが受け入れられない人たちにとって、私は仲間だったみたいです。

実はその人たちは、Bに実際触れないで、ずっと文句を言っていたのですね。
ところが、いざBに触れてみると、態度は一変。
Bのことが大好きになって、Aが好きな人やAそのものを否定するようになったのです。
…いちばんやっちゃいけないパターンだと思うんですけどねこれ。その時点で言いたいことはありますが、まあそこはとりあえず置いておきましょう。
こうなると、今まで「B嫌いの先鋒」と勝手に思ってすり寄っていた私に対して格好がつかなくなるわけです。何せ、Bが嫌いだって言ってたんですから。確認もしないで。

でも、そんな過去の自分を否定することができなかったんでしょうね。
なので、他人を否定してみるわけです。そう、私を。
めーちゃくちゃ言い訳しまくって、うじうじとB大好きな自分を肯定するために、もう必死。
こんな奴と付き合ってらんないし、言われっぱなしもシャクなので、はっきり返事しちゃうわけですね、大人気ない私が(笑)。まあ、若かったんで…。

「あんた自分が何て言ったか覚えてる?」
「私の言ってたことちゃんと聞いてたか?」
って。

当然のように来ましたね、反論が。自分のスタンスがこうだから尊重しろ的な。いや、それを言うならまず私のスタンス尊重しろや。あんた全然聞いてなかったじゃん。
でも何がいちばん腹が立ったかって、私は新しいものを受け入れられない石頭なんですってさ。その人によると。
それ、ちょっと前までの自分じゃん…。いやホントに何言ってんのかわかんない。あんたがBに対して、Bを好きな人に対して言ってた言葉は取り消せない。それを本当はわかってるからムキになって言い訳するんでしょ?
それに、今まであんなに好きだ好きだ言ってたAや、Aを好きな人に対して失礼過ぎる。お前の「愛」なんてその程度だったんだよ。Aに謝れ。

あんたがBを好きになろうがAを嫌いになろうがどうだっていいんだよ。本人の勝手だ。自分でも自分の自由だって言いたいんでしょ?
だったら、私含め誰が何をどのように好きだろうが自由だよ。
コウモリみたいな、軸のない自分を認めて欲しいばっかりに、グダグダ言い訳して他人を貶めるから逆鱗に触れるんだよ。当たり前だよ、そんなの。


ものすごく、ものすごーくこの件で疲れました…。
当然交流はなくなったんだけど(私が心底うんざりしただけで向こうはどうもまだ交流を持とうとしてたみたいですけど…。ほんまわからん…。もちろん返事せず…)、それからしばらくして運の悪いことに、その人がネットでグダグダ書いてるの見ちゃったんですよね(笑)。
嫌いな人間のタイプの欄に書いてある人間、はいはいこれ私ね(ちなみに同じこと違う人にもやられた)。日記にはもっと詳しく書いてある。私に直接言ったことをもっと遠慮なく吐き出した感じ。話がコア過ぎて私以外ありえねーぞ。コアな世界の人がこれ見たら気付くだろーなあ。これ信じちゃう人もいるんだろうなあ。こいつ、名指しで説明したりしてんだろーなあ。でも私には反論する術がないんだよね。言われっぱなし。
怒りの書き込みでもしてやろーかと思ったけど(笑)、なんかもう、気持ち悪くなったので止めて、そっと画面を閉じた。


そのことがきっかけで、私はBに関わるのをやめた。
もう、Bがどんなんだったかも思い出せない。
そして、Aに関わるのもやめた。
正確には、誰ともAへの愛を共有せずに、ひとりで好きでいることにした。
Bを嫌いになることには心は痛まなかったけど、Aを嫌いになることはできなかった。
嫌いになるくらいだったら、また土足でズカズカと踏みにじられるくらいだったら、自分の心の中だけで好きでいられた方がいい。
Aのことは、何年も何年もほぼ関わらなくなった今でも、細部までよく覚えている。一晩中語り続けられるだろう。人生の4分の3を、私はずっとAが好きなまま過ごしているのだ。青春時代はずっと、Aのことばかり考えて過ごすほど大好きだった。もちろん今でも何一つ変わらずに大好きだ。本当に好きだったら、誰ともつるまなくても、ひとりでも平気なものらしいです。

私とAの蜜月を、かの人物はぶっ壊したのである。くだらないプライドで。


ずーーーーーーーっと、いつかきっちり反論しておきたい、と思ってました。どれだけ腹が立ったんでしょうね、当時の私(笑)。それだけAが好きだったってことなんでしょう。それと、今思い返しても相手の言ってることの意味がわかりません。どうしてもわかんねー!
もし相手が今「Aが好き☆」とかほざいてたら、たぶんあいつぶん殴られた方がいいと思うなー(笑)。なんか言ってそうな気もするよ…。げっそり←エクトプラズム真っ黒
いやー、くだらない(笑)。趣味の話でここまでこじれるか?でもねえ、よくある話ですよね、ぶっちゃけ…。


そんなこともあって、ネットは基本大嫌いだったんですけど、世の中的にそんなことも言ってられなくなって、今があります。スマホが登場してから本当に便利になりましたよね。もうネットなしでは様々なことに関して情報が追えなくなっちゃってるよなあ。

それからも色々あったけれど、上述した話がやっぱりいちばん嫌だったな。たぶん私に気付かれないと思って、一方的に安全なところでグダグダ言ってたわけですしね。もっと一般論っぽく書いてくれてたら良かったんだけど、そもそも話がコア過ぎて無理(笑)。
ただねえ、直接話し合っても通じない相手っていうのもよくいるんですよ。通じないっていうか聞いてない。でも、遠回しだったり人づてだったら何故かちゃんと聞いてくれるんですよね。
エアリプは良くないっていう意見あるじゃないですか。一理あるとも思ってるし多用は確かに良くないとも思うけど、エアリプの方が相手に伝わることもあるんですよ。て言うか、本人に伝えたつもりないのに勝手に伝わるというのかな。後ろ暗いことや関心事があると、誰かを特定していない呟きでも「刺さっちゃう」んでしょうね。それって自分が無意識でもどこかで気にしてることで、ホントは良くないと思ってるから腹が立つ。で、自分のことだって誰も言ってないのに、怒るわけ。私も経験あるし。相手が私を想定してるかどうかなんてわからんのに(そうだなってこともあるけど理由を考えて、単なる嫌な奴だったら離れたらいいだけで)、勝手に自分に言われたようで気になるってことは、自分に後ろ暗いことがあるんだなって、結局最後には巡り巡って自分にがっかりしたり色々して終わる感じ。
仮に自分のことだったとしても、何でそんなこと言われたのか考えたらいい。直接言ってくれないってことは信頼されてないってことだよ。言っても無駄って諦めたのかもしれない。あと、誰もあんたのことばっかり考えて暮らしてないから。あんたの話なんか四六時中してないから。他人の独り言を勝手に盗み聞きして、勝手に自分のことだと思って喧嘩売ってくるなんて、その辺歩いてる人のことだと思ったら怖いでしょ?
そんなに相手に興味あるんだったら、頑張って交流したらいいじゃん。どーでもいい相手の呟きなんていちいち見ないよ。見ても流し読みだよ。相手に興味ないけど呟きが気になるならそりゃ自分のことが大好きなだけだ。めんどくせー。

ツイッターはホントにいろんな技術が高くないと凶器になるだけだなあと思った。情報早くて便利ですけどね。私が「なんだこりゃ」と思った過去のあからさまな当て付け?の数々も、いちばん悪質だったのはやっぱりツイッターで、明らかに自分のことでも、ブログ類はもうちょっと当人の意思や感情が読めるだけに、それがあなたの意見なんですね、クッソムカつくけど意見は意見で尊重します、ってまだ言えるような気がする。ツイッターはコミュニケーションに向いてるようで向いてないと思います。特に真剣なコミュニケーションには。いろんな人の独り言が勝手に流れている世界で、たまにどれかが役に立つこともある、くらいの認識だったんだけどなあ。うーん。


そんなわけで、嫌なことが記憶に貼り付いてしまうたちなんで(私だって覚えていたくありませんよ!)どこかでネットへのわだかまりは残っていますけど、もうちょっと仲良くなれたらいいかな、とも思っている今日この頃です。自分ではよく考えて丁寧に書いたつもりでも伝わらないことも多いし、誰も傷付かない意見なんてたぶんこの世にはないから、気を付けて書かなきゃなと思ってる。言葉を綴って外へ出すことへの恐怖も正直ずっとあります。その恐怖に打ち勝てるくらいに、いつも情熱を懸けて書いてるんですよね。

はい、今回もお題の内容とずれました…←いつものこと過ぎ