お題には記事をひとつしか投稿してませんでしたが、今回だけ特別にふたつ投稿します。理由は昨日も書いた通り、「出身地をどこだと言えばいいのか昔からよく分からないから」です。一応昨日の記事も置いておく↓
usagipineapple.hatenablog.jp
てなわけで、本日は「広島県版」です。
人生でいちばん長い時間を過ごしたのが広島県です。広島という土地自体は何故か好きで、いい場所だなと根拠もなく思っていました。
でも、子供の頃住んでいた場所は大嫌いでした。もう決して戻りたくありません。あそこには嫌な思い出しか詰まっていない。住んでいた家の周辺だけじゃなく、もっと大きな地区単位でどうしても嫌いでした。
あそこを離れた時、本当にホッとしたのです。土地とも相性があるんだと、広島でオーラ鑑定をしてくれるマッサージのお店(広島の方ならご存知かも)で言われたことがあるのですが、おそらくそれなのだろう、と感じていたりします。
何の変哲もない地区なんですよ。でも嫌いだった。不便で、暗くて、じめじめしていて。何の懐かしさもなく、苦しかったことばかり思い出されてしまう。色々あってとどめを刺された感があるので、本気でもう戻りたくない。人生でいちばん長い時間をあそこで過ごしたはずなのに、私はあの街をふるさとだとは言いたくないのです。
出身地を広島だと言うことを躊躇うのは、山口県生まれ兵庫県育ち、でも広島でも育ってる、と微妙に転々としてることもありますが、この私の複雑な思いが大きいです。
広島に引っ越してからというもの、学校でのいじめ、経済的に困窮し崩壊していく家庭、精神的に壊れていく自分…。そう、色々なものがどんどんおかしくなっていった。取り返しがつかなくなるくらいに。この土地にやって来たのは、かなり間違いなく失敗だったのでしょう。
でも、先述したようにもっと大きなくくりでの「広島」は好きなんです。ここが非常にアンビバレンツなところなのですが。
それほど大きな街じゃないけど、決して小さすぎることもない。そこまでお店や電車が混むわけじゃないけど、都会の活気がまったくないわけでもない。海もあれば山もあり、意外と広いので県内でもわりと気候が違い、山の方は雪深かったりする。押しも押されぬ世界遺産。何もなくなった街からの復興と、流麗な海に浮かぶ神殿。尾道や大久野島。カープが大好き過ぎてあちこち赤い(笑)。お好み焼きは安くてボリュームがあって美味しい←まあ店にもよるけど
実はテレ東が入らないとか、空港が山奥だとか、どうやら物価は高いらしいとか(そういう話を聞いたけど正確には知らん)、車がないと不便な場所の方が断然多いとか、もちろん色々あるけれど、なかなか気楽に住める土地なんじゃないだろうか、と個人的には思います。
音楽関係の人を多く輩出してるのは有名ですかね。友達のお母さんが某有名な人のお母さんとガチの知り合いだった、なんてことも実際にあったわ…。世間狭いな。西部警察に路面電車を爆破されたことは有名かしら(笑)?再放送で見たんですが、めっちゃわざとらしく広電を褒める台詞があって大爆笑したのを覚えてる。あと電車の走行ルートたぶんおかしい(笑)
名物はお好み焼き除けばもみじまんじゅうと牡蠣なのか?実はどっちも苦手なんだ…。あんこが大っ嫌いなんですよ私。牡蠣はフライとか鍋とか色々工夫してもらったけどどうしてもダメで、一切食べない…。だからどこがオススメ?とか聞かれてもまっったくわからないのだった…。
ちなみに、独断と偏見ではございますが、以下の特徴を持つ人間は広島出身者の可能性が高いと思われます。
①「オナモミ」を「ひっつきもっつき」と言う
②お好み焼きを当たり前のようにヘラで食べる
③カープが強いと何故か不安げ←もうそろそろ慣れたかも(笑)
④「市内」は広島市中心部を指す言葉として使う(広島市全体のことではない)
⑤「ララ福屋」と「徳川のCMの歌」について振られたらとりあえず歌い出す
そりゃ違うだろ、というご意見があったら申し訳ない(汗)。
②については実は私は箸で食べるんだけど(笑)。だって熱いじゃん!でも、ヘラしかなければヘラで食べるしまったく抵抗もない。でも、私以外は全員広島以外の出身というメンツでお好み焼きを食べたとき「なんでヘラで食べる仕様なの?」「てかなんでこいつ普通にヘラで食ってんの?」「ヘラなんて難しくて無理!」という態度でおもっくそ怪訝な顔をされた上皆箸で食べていて、「あ、これって普通のことじゃなかったんだ…」とその時初めて気付いたので入れてみました(笑)
⑤については歌い出さないまでもたいてい歌えるだろうと思います(笑)。何なら合唱するよ。広島出身者で「ララ福屋」を合唱して「広島こええ!」って言われたのは私の実体験です(笑)。ちなみに、福屋はデパートの名前、徳川はお好み焼きのチェーン店の名前です。実は関西風なんですけどね徳川。だし巻き卵がうまい。
そんな広島ですが、ご存知の通り西日本豪雨災害のため広範囲で壊滅的な被害を受けました。
物資が来なかったり通行止め多発で渋滞が発生したり電車が運休したり、県全体に影響があったと思うのですが、それでもほとんど被害のなかった地域と被害の大きかった地域の温度差のようなものは感じました。馴染みの場所の風景があちこち変わってしまったことよりも、安全なところから色々言うだけで、決して手を貸そうとはしない態度を感じ取るたびに、心が抉られるような思いがし、それがいちばんつらかったかもしれません。
全然縁もゆかりもないなら仕方ないことだと思ったけど、縁とかゆかりとか関係ないのかも、とこのたび感じました。自分にとって誰かや何かの優先順位が低い場合、それは「面倒くさい」ことになってしまい、誰かや何かの状況とは関係なく自分の思考に従うので、どうでもいいことには首を突っ込んでくるけどホントに助けて欲しい時はガン無視、なんてことが起きるのだろうか。改めて色々考えてしまいました。街はいつか元に戻っても、心についた傷を元に戻すことは時に一生かかってもできない。他者の不用意でさらに傷を増やすのがいちばん良くない。見えにくいことだけど、実はいちばん忘れてはいけないことなのかもしれません。
被害範囲が広かったこともあり、日常が戻っているとは言えない状況は続いていて、まだ当分続くのだろうと思います。思ったより早く復旧した部分もたくさんありますが、それは交通の要など重要な箇所で、関係者の方がとにかく尽力してくださったおかげだろうと思っています。自宅にも戻れない人を思うと、胸が痛くて仕方がないです。その人は、広島のどこかですれ違った人なのかもしれないのだから。突然破壊されたのは、ごく当たり前にあった日常だったのだから。
あまりにも被害が酷くてショックでしばらく呆然としていたり「ああこれ、私がもし巻き込まれてても行方不明リストにも挙がってなかったろうな」って状況に気付いてへこんだりもしました。どうしても離れたかったあの街の人にとって、私はもういないのも同じことだと気付いた夏。そこに懐かしさはかけらも残っていない。
でも、それでいいのかもしれない。いい思い出のない過去の「広島」はこれを機会にばっさりと捨てて、いい思い出のある「広島」だけを自分の心に残していきたい、とも思いました。その時こそ、広島は本当に私の故郷になるのでしょう。
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