照明が落とされ、闇に溶けていく会場。でもそれは一瞬のこと。すぐに溢れる音と光が会場を包み出す。
プリンスアイスワールド広島、最終公演。舞台の幕は煌めく光の中で華やかに上がる。
シルクハットに白い燕尾服?のプリンスアイスワールドチームの面々がまずは登場。スクリーンに名前が映し出されるのでわかりやすくていい。群舞のメンバーは紹介されないことも多く、誰なのかわからず残念なことも多いので、ひとりひとりが主役だと感じ取れるこの演出は、おそらく滑る方にも、もちろん見てる方にとってもすごくいいなと思いました。
この子は昔別のショーや競技で見たことあるな、というスケーターが現れるとよりガン見しちゃいますね。今プリンスで頑張ってるんだ、って応援したくなっちゃいます。
会場の盛り上がりが加速してきたところで、ゲストスケーターが登場。おそらく後半に登場するスケーターだけだったのかな、全員ではなかったです。確か安藤さん、織田君、プルシェンコ、町田君だったと思うけど間違ってたらすみません。
リンクを囲む客席の下の壁は電工掲示板?になっていて、スケーターの名前が流れてきてわかりやすいし派手でなかなか。この壁には協賛企業の名前も貼り出されていて、「にしき堂」とか「アルパーク」とか、めちゃくちゃ地元の企業ばっかで「あ、ホントに広島でやってるんだ」って改めて思いました←いい加減に信じろ…←会場に入ってもまだ信じてなかったとかどんだけよ(汗)
ああ、プルシェンコだ。本当にプルシェンコがサンプラザで滑ってる…。先月の東京公演は首を痛めてお休みだったと聞いたので心配してたけど、 ここ広島では元気そうで良かった。まさか広島にプルシェンコが来るとは…。一生ないと思ってました、本気で…。
そして町田君。70年代の少女マンガの、ヒロインを陰からそっと助けてくれる謎の美形、みたいに見えましたが、たぶん私の想像力はあさってを向いていると思われますのでたいへん申し訳ありません(泣)。あの少年のような、軽やかな町田君の姿や滑りはまったく変わってないな、と感じました。
…実は、町田君が登場した瞬間に泣いてしまいました。たぶん、過去にもオープニングから泣いてしまったことはあったと思うのだけど、過去最高に泣いてしまったかもしれません。てか泣くの早いし(汗)。
でも、もちろんそれには理由があるのですよ。
何度か書いている話ですが、私が町田君のことを知ったのは彼が中学生くらいの頃に中国新聞(※広島に本社のある新聞社)に掲載されていた記事です。あの記事を見て町田君を知ったという人は私以外にもちらほらいるので、詳細はもう記憶にないものの、印象的な記事だったのではないかと思います。
それからずっと存在を気にかけていて、地元ということで色々と噂も聞いていたし、雑誌などで名前を見つけると「あっ、あの時の子だ。今どうしてるんだろう」と状況を追ってはいたのですが、ちょうど私が少しフィギュアスケートから離れていた時期なので、テレビは熱心に見ていたものの会場に行くことも新聞記事をスクラップすることもなく、広島にいながら町田君の演技を自分の目で見ることもないまま時は過ぎていきました。
ようやく生の演技を見られたのが2010年のダイヤモンド・アイス。小さな体から繰り出しているとは思えない豪快なジャンプが気に入って、やっとこの目で演技を見ることができたという喜びも手伝い、ひっそりと応援するようになりました。
スケートヒロシマやスケート感謝祭といった広島の競技やイベントから、ファンタジー・オン・アイスやメダリスト・オン・アイスといった大きなショーまで、様々な機会に町田君の演技を見てきました。特に思い出深いのは2011年のメダリスト・オン・アイスです。あの時の観客の、渦を巻く熱狂。「一部の最後に出てきただけあってあの男の子は上手だったね」と近くの席にいたご夫婦がとても感心していたのを、まるで昨日のことのように思い出します。
競技ではなかなか結果が出ず、もどかしい思いもしながら見守っていました。素晴らしい選手がたくさんいて、その中で勝ち上がっていくのは並大抵のことではなかったでしょう。その努力が結実したソチオリンピック出場。広島からフィギュアスケートのオリンピック代表が生まれるなんて。どんなに誇らしく思ったことか。
ステファンが振付すると知った時、大ファンのステファンと広島の星である町田君がタッグを組むなんて、と信じられないような気持ちでした。あんなにドキドキしたことはなかったかもしれません。町田君が出演するラジオが聞きたいからって、出勤前にわざわざラジオを買ってきて、運良く休憩時間だった喜びを噛み締めながら隠れて聞いたり、カープの試合のゲストに来ると知って必死で家路を急いだり…。それはこの広島の地で応援できるからこその幸せでした。
突然の引退はもちろんショックでした。長野で行われたメダリスト・オン・アイス。初めて会場で声を上げて泣きました。でも、長い間応援できてとても楽しかった。町田君は広島のファンにとっての希望でした。もうそれだけで十分でした。
もう人前では滑らないのかなと思っていたので、プロスケーターとしても活動し始めたのはとても嬉しかったのですが、その頃から私の個人的な状況に暗雲が立ち込め始め、プリンスをはじめとした町田君が出演するショーを見に行くための予算が残らない状態が続きました。ついにはどこのショーにも行けなくなり、このまま町田君の演技を見る機会がないまま終わってしまうのか、と唇を噛んでいたところへのプロ引退宣言。頭を石で割られたような気分でした。
町田君の選択はもちろん応援するのでそういうショックではなく、私がずっと願っていたことが叶えられないと思ったからです。
私が最後に町田君の姿を広島で見たのは、サンフレッチェの試合のゲストに町田君が招かれた時です。限定シートは外れたけど、普通に試合を見に行きました。それから半年もしないうちに町田君は現役を引退し、あのサッカーの試合以来、広島の地に姿を現すことはありませんでした。
テレビだったか、ラジオだったかは忘れてしまいましたが、町田君が言っていた「近い将来広島でアイスショーをやりたい」という言葉を、私はずっと覚えていました。いつかきっと、町田君はこの地に戻ってくるだろうと信じていました。
あのビッグアーチでの試合から4年。4年待って、ついにプリンスが広島で開催されると知った時。その出演者の中に町田君の名前を見つけた時。
どんなに、どんなに嬉しかったか。わかるでしょうか。
そう、私が今回のプリンスアイスワールド広島公演を「どうしても」見たかったのは、「町田樹が出演するから」です。
けど、自分の状況を考えると、とてもショーを見に行けるとは思えませんでした。諦めるしかないと、何度もひとりで悔し涙を流しました。でも、ほぼ諦めながらも心のどこかで、「最後の最後まで希望は捨てない、たった1%だけでも」という気持ちは持ち続けていたように思います。
最後の、本当に最後のチャンスに私は滑り込みで間に合ったのです。おそらくはスケーターとして町田樹が広島で滑る最後の機会に。これが奇跡でなくて何だと言うのでしょうか。地元ならではの機会がたくさんあったにも関わらずすべて逃してきた私らしく、最後までタイミングが合わなかったのだな、と肩を落としていたのに、最後の最後にやっと、神様が私の願いを聞いてくれたのです。
まだまだ書こうと思えばいくらでも書けるのですがまあこの辺にしておきまして(汗)、そんな様々な想いが一瞬のうちに押し寄せ、涙が止まらなくなってしまいました。しかし、顔を覆って本格的に泣き出しそうになってしまった私に、隣で見ておられた方が「もう一回出てくるよ!」と教えてくれる。
本当だ、引っ込んだと思ったらまた出てきた。そういう演出なのかと思ったが、ああこれ、もしかして高橋君の分も滑ってるのかな。律儀だなあ。
町田君はもう一度さがる前に、ぐるんぐるん腕を回して煽りながら、再び登場するプリンスのメンバーを盛り立てていました。さすがスケーター、腕の回し方に無駄がなくて綺麗。
プリンスアイスワールドチームの面々は色とりどりのキラキラしたベストをまとって現れ、客席側に寄って少し客を煽ったりもしながら踊っていました。ひとり手の動きが目を引いた男性スケーターがいたけど遠かったのでもちろんどなたかわからず。リンクいっぱいにスケーターがいる濃密さ、華やかさ。しかもオープニングの最後の方でかかってた曲がノリノリでかっこよくて、始まったばかりだというのに既に最高に盛り上がる。めっちゃ楽しい…!
…オープニングが終わった段階で既に8回目という凶悪な長さになりつつありますが、しかも本当ならこの回は2回に分けるべき文章量なのに内容的に分けられずこんな長さになってますが、最後までお付き合いいただければ幸いでございます…(汗)。
以下次号。