彼らはたぶん、私が心を掴まれた最初で最後のアイドルになるだろう。
noteにも一度書いた話なのですが、改めてはてなの方でも書いてみる。書かずにはいられないのです。
あの頃、壊れかけていた私は、いやきっともう壊れてしまっていた私は、気がついたら高知行きの高速バスに乗っていた。
逃げ出したかった、現実から。
どこでも良かった、ここでさえなければ。
ホテルの部屋でぐったりと眠って過ごし、観光もしなかった。お金も全然なかったから、買ったのはどうしても欲しかった柚子のシャンプー(柚子製品につい手が伸びてしまうのです、何も聞かないでください…笑)と家で飲むためのお茶、そして『時をかける少女』の文庫本。財布に残ったお金で買える本は、それくらいしかなかった。
太平洋が見たかったような気がするのに、結局足を運ぶこともなかった。お腹が痛くなって喫茶店でぐったり過ごし、ふらふらと街を歩いて、高知駅に辿り着く。バスの発車時刻までまだまだ余裕があったけど、もうほとんど所持金はなかった。
駅前には立派な観光案内所があった。たくさんのパンフレットやチラシにお土産。見ているだけでも楽しい。なんだか変わった格好の人たちがうろうろしているなと思ったけれど、あまり気にとめていなかった。
その時、声をかけられた。今からステージが行われると。
ステージとはなんだろう。よくわからなかったけど、暇が潰せれば何でもいい。普段ならそんなものは見ないで静かにぼーっとしていたかもしれないけど、その日は何となくそんな気持ちになったのである。
現れる6人の青年。あれはさっきの変わった格好の人たちじゃないか。
流れ出すキラキラした音楽。キラキラした笑顔。キラキラしたダンス。続き物のようですべては理解できなかったけど、熱さの伝わる舞台。軽快なトーク。
南国の太陽の下で輝く、キラキラした世界…。
それが、「土佐おもてなし海援隊」との出会いだった。
私はそれまで、彼らのことをまったく知らなかった。本当の本当にまったく知らなかった。私の世界のどこにも居なかった彼らは、何の前触れもなくテリトリーに飛び込んできた。
衝撃だった。
まったく知らなかった存在に、不意に心を掴まれる衝撃。
すっかり忘れてしまっていた、強烈な感覚。
ああ、どうして私はステージのあとに販売されていたCDを買って帰らなかったのだろう。そうだよ、まったくお金がなかったからだよ…。後悔しかないよ今となっては…。
帰りの高速バスの中、『時をかける少女』を読みながら、私はさっき見たものをぼんやりと思い返していた。
何だったんだ、今のは。
帰宅してから、怒濤のごとく検索をした。彼らは幕末の志士たち6人で結成された、高知の観光PR隊。各地に同様の歴史上の人物に扮したPR隊がいるけれど、自分の地元のPR隊の雰囲気からしても、甲冑姿の重厚なイメージがあった。
しかし彼らは幕末だからだろうか、甲冑姿ではなく身軽な衣装。そのカラフルさや若々しさ、爽やかな歌にダンス。それらはPR隊と言うよりも、アイドルだった。そう、ご当地アイドルである。
ご当地アイドルって、こんなに眩しいものだったのか?こんなにキラキラしたものだったのか?!あああああああ←崩れ落ちる音
ツイッターにブログ、公式ホームページ。発信される情報を、私はひっそり追い続けていた。それらの情報だけでは、きっとここまで心を鷲掴みにされることはなかっただろうと思う。生で、自分の目で見ることの威力は、やはり何よりも大きい。
もう一度高知に行って、ステージを見よう。その感想と旅日記を書こう。
そして、堂々とファンだと宣言しよう。
ずっと、そう誓っていた。
私は何かを「好き」とはっきり言えるようになるまでに、自分の中で熟成させて納得しないと駄目な人間なのだ。最低でも、年単位で。本当に好きなのかどうか、ちゃんと自分で自分に問いかけないと納得しない、実に面倒な人間なのである。
しかも私がステージを見たのは一度きりだ。それでファンなどと言ってはいけないだろう、と年単位を経過させても私はずっと黙っていた。
しかし。
不意に、その発表はもたらされた。
2019年の3月に、土佐おもてなし海援隊は、活動を終了するという。
いつかはその日が来ると思っていたけれど、ショックだった。
私の今の生活を考えれば、おそらく活動終了までに高知へ向かうことは不可能だ。日々の食事すら取れない貧困状態なのだから。
もう一度だけ、あのキラキラしたステージを見たいという私の願いは、それをブログで伝えたいという私の願いは、もう叶わないかもしれない。
ステージを見たのも一度きりだし、ファンだとか好きだとか言っては本当に好きな人たちに失礼だろう、とずっと黙っていたのだけど、その解散予告を聞いた時点で、私は吹っ切ることにした。
ひとりでもいい、彼らのことを知って欲しい。高知へ行く機会があれば、彼らのステージを見てきて欲しい。
あのキラキラした世界が、本当に消えていってしまうまでに。
自分の周囲で彼らをわずかでも知っている人間はひとりしかいなかった。私のブログを読んでくれている方はわずかな人数だけど、その方々だけでもいい、「土佐おもてなし海援隊」という存在に、気が付いてもらえたら。目に焼き付ける機会が持てたら。
そう考えて、noteに思わず記事を書いてしまった。大したアクセスのない私のnoteにおいて、その記事は今のところ第3位だ。ツイッターのように過去記事はどんどん流れて読まれない印象の強いnoteで、ほんの少しずつでもまだ読まれているたぶん唯一の記事だ。
ただ、そんな感じでnoteの記事は埋もれていくし、初めてもて海(土佐おもてなし海援隊の通称)さんたちについて文字にしたのと解散のショックとのせいか、文章がしっちゃかめっちゃかである。後々まで残せるであろうはてなブログに、もう一度彼らについて書き直してみようと思った。ちょうどいいお題もある。たった一度、偶然ステージに遭遇しただけで大したことは書けないけれど、それでもいい、文字にしよう。伝えよう。伝えたい。
そんな思いで、今回の記事を書きました。ええ、実は私の日々の癒しです。かわいいんだよ、ダンスとか歌とか。かわいいんだよ…。こんなかわいい人たちに毎週のように会える高知が羨ましすぎて、移住しようか本気で考えたもん…←末期
あと2ヶ月。彼らの姿をもう一度この目に焼き付けたいという夢は決して捨ててはいない。いざとなればヒッチハイクで高知へ向かおう、とか思ってますけどそううまくはいかないですね、ハイすみません…。
あまりにも私は困窮してしまった。貧すれば鈍するで、どんどん追い詰められて何も考えられなくなる自分に気が付いている。ささやかな夢にでもすがりついていなければ、私は崩壊してしまうだろう。
もし崩壊してしまっても、誰かが私の書いたものを受け取ってくれたなら、それで私は本望だ。
あと2ヶ月しかないけれど、土佐おもてなし海援隊さんたちのことを、どうか頭の片隅に覚えていてもらえたら、とてもとても嬉しい。良かったら、一緒に応援しましょう。全然詳しくないにわかファンだけど、良かったら。
せめてCDだけでも、CDだけでも何とか買いたいと思ってます…←結構売り切れててびっくりです、人気あるんですねえ
最初で最後の、わたしのアイドルへ。これは最初で最後の、渡すことのないファンレターである。
皆さんを知らないままで人生を終わらなくて良かった。もうこの目に皆さんを焼き付けることができなかったとしても、あの日の偶然の出会いを私は忘れません。どうか最後まで、いつまでも駆け抜けていってください。瀬戸内の空の下から、応援しています。
noteの記事はこちら。3ヶ月くらい前に書いたもの。お題とフィギュアスケート以外の話題はこんな感じで現在はほぼnoteに書いてますので、noteにもお気軽に遊びに来て下さいね。↓
note.mu
2020年11月30日追記:
もて海関連で検索して当ブログに辿り着いてくださる方が今でもいらっしゃるんですが、どうもこの記事(いちばん古いのに…)とあともうひとつくらいしか検索にかからないようなので、過去記事リンク集を作ってみました。たいした内容はありませんが、お役立ていただければ幸いです。この世界の果ての果てを見つけて訪ねてきてくれて本当にありがとう。