うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

フィギュアスケートつらつら語り in 5月②

タイトルを微妙に変更して2回目のだらだら語り。いやつらつら語り(笑)。2回目もフィギュアスケート関連の話題やスケーターの出演ありのテレビ番組の感想をつらつら語るシリーズ。通常は2番組くらいまとめて記事にするのですが、うっかり長くなってしまったので今回は1番組のみで。

テレビだらだら語り

てなわけで今回感想をしたためるのは、4月30日にテレビ朝日で放送された『羽鳥慎一モーニングショー夜の特大版 今夜決定!あなたが選ぶ平成ニッポンのヒーロー総選挙』。テレビ朝日

投票で平成のヒーローを決めるという番組。まさに平成最後の日、という感じの内容ですね。フィギュアスケートの選手も必ず選出されるだろうと予想していたので、番組開始から見ました。

羽生君については松岡修造さんも登場して長く取り上げられたのですが、まさかカップ・オブ・チャイナの話題を平成最後に持ってくるとは思いませんでした。2回のオリンピックや、世界最高点の記録を樹立したグランプリファイナルについて触れるくらいだろうと思ってたのです。


もちろん覚えています、忘れられるはずがない。あれは生放送で起きたことだった。オリンピックの覇者が新シーズンのフリーを初めて披露するということで、観客や視聴者の期待が最高潮に達していたのであろう、その時に。修造さんが「止めた方がいい」と言っていたことも覚えてます。

もちろん、私も青ざめて見守っていました。同時に、ドクターストップさえかからなければ、羽生君は滑るとほぼ確信していました。なので、リンクに出てきた羽生君の姿を認めた時は逆に安心したくらいです。最悪の事態ではないのだろうと。現場にいるのはプロであり、詳細な状況のわからない視聴者に是非が判断できるはずもない。羽生君と周囲の人々の判断を信じるのが妥当だと認識していました。

なので、あの時噴出した批判の数々に心底驚いたのです。スケートファンからも多数上がっていたことを私は忘れられません。スケートファンを名乗りながら選手や競技に携わる人々を信じず、自分の物差しで図ったことだけを真実であり正義だと認識する人がこんなにいるんだと恐ろしかった。
リンクに倒れたのが、最後まで滑り切ったのが羽生君でなく、この人たちの好きなスケーターだったら、彼らは同じように批判しただろうか?間違いなく「NO」でしょう。そして、羽生君のファンの人も、これが違うスケーターの話だったらどうしただろうか。批判する側に回った人も大勢いたのではないでしょうか。それが透けて見えるようで、今も不快感が拭えない。それはフィギュアスケートのファンが抱える闇そのものだから。

けれどこの状況は、羽生結弦でなければ起こり得なかったのかもしれないとも、少し思うのです。

あの上海のリンクにいたのが本当の羽生結弦なのだろうと、私は何となく思っています。何重にも理性のリミッターをかけて封印している彼の修羅の本性が顔を覗かせた瞬間。極限状態で「境界」の外に出た人間が作り出した、本来ならばこの世界に存在しない、狂気と崩壊の美。わずか19歳の青年がそれを宿すという、ぞっとするほど美しく、壮絶な光景…。
数多くのスケーターによって演じられてきた『オペラ座の怪人』ですが、本物のファントムが出現した、と我々が震え上がることはもう二度とないのではないでしょうか。あれはその名の通りの幻だった。けれど、強烈に焼き付いた残像のような幻だった。残像は現実という名を抱いて今も残る。

羽生結弦の勝負への、勝利への執念は、非現実への扉を開いてしまう。リンクをここではないどこかに変えてしまう。見たことのない場所に。それは強烈に我々の感情を揺さぶり、時に彼の虜にさせ、時にあまりの激情に耐えられず拒絶反応を起こさせてしまう。我々が羽生結弦に惹かれ、同時に大勢が彼を憎む理由がおそらくそれで、時々垣間見せていた彼の激情がこれまでにいちばんその仮面をかなぐり捨ててしまったのが、おそらくこのカップ・オブ・チャイナだったのではないかと私は考えています。
しかも生放送。どんなに強烈な光景でも、編集はできない。まさに今、今この瞬間に現実という舞台に叩きつけるように描き出される、この世のものとは思えない光景。だからこその、批判だったのでもあろうと。

カップ・オブ・チャイナについては何度かブログで書いていますが、私の意見は4年半前から変わっていません。その数々に綴った内容も含め、いくらでも書けることはあるけれども、長くなるので割愛します。4年半の時を経て、改めて思ったことを中心に、ざっと書き残すにとどめます。

修造さんも、カップ・オブ・チャイナから今日までの羽生君の試合や言動を取材し続けるうちに、気付いたのではないだろうか。羽生結弦はスケートの鬼なのだと。彼にとって「どうでもいい試合」はないのだと。それらが最も凝縮された試合が、最も濃密に羽生結弦本人がリンクにいた試合が、カップ・オブ・チャイナだったのだろうと。
リスクを迷わず取りに行ける人間でなければ、大きな成果は掴めないのかもしれない。羽生結弦が何故オリンピックを連覇できたのか、その答えがこのカップ・オブ・チャイナだったと修造さんは思ったのかもしれない。

今になって羽生君があの時のことを話すというのも不思議な気持ちだった。たぶん番組の構成が決まっていたからなのだろうけど。あの時の批判の数々を思い出すと今もいたたまれない気持ちになる。我々ファンが羽生君やその周囲の人々を信じなかったことを、自分の心の安心のために羽生君の決意を止めようとしていたことを、スケートファンの一人として彼に謝りたい気持ちになる…。

ミッツさんが修造さんの話をめっちゃ真剣に身を乗り出して聞いてて、そうそう、もっと聞きたいよね、と拳を握ってたら、修造さんまさかの逃走。あの修造も一茂には勝てないのか!なんだこのオチ(笑)!
あとフリップじゃないぞ、ルッツだぞ(笑)。


ちなみにランキングは「ニュース・文化部門」と「スポーツ部門」、「芸能部門」の3つに分かれ、それぞれ20位まで発表されました。
スポーツ部門については、20位に髙橋大輔、16位に荒川静香、3位に浅田真央、そして1位が羽生結弦と、フィギュアスケートからは4人もランクインしていました。ランクインした4人がまさに、ここまで日本のフィギュアスケート人気を押し上げた原動力と言えるでしょうから、納得のメンツですね。引退したばかりだし1位はイチローかな、と思ってたんだけど。
ほとんどが個人競技(団体もあるけどたぶん個人が基本)の選手でしたね。野球選手も全員メジャーリーグに行って活躍した人物だったから、これも個人単位と考えるべきなのだろうか。

最後に各部門の1位、宮崎駿(ニュース・文化部門)、羽生結弦SMAP(芸能部門)の三者から総合の1位をデータ放送の視聴者投票で決定。平成を代表して選ぶならそりゃSMAPだろう。宮崎さんは昭和から活躍してるし平成生まれの羽生君が活躍したのは平成の末期だけだ。さすがに分が悪いよ、絶対SMAPに決まるよ、と思いつつ一応羽生君に投票しました(笑)。
結果はやっぱりぶっちぎってSMAPSMAPの何が凄いって「いるのが当たり前」だったから。平成の日常だったから。そこまでファンじゃなくてもたぶんそうだったんじゃないか。私が「アイドルと言えば」と問われて真っ先に挙げるのは、これからもSMAPだと思う。私が平成最後に聞きたいと思った曲も『夜空ノムコウ』だった。

羽生君はまだ若い。彼はこれからいくつもの元号にわたって、我々にフィギュアスケートの熱さや切なさや楽しさを伝え続けてくれるのだろう。私の人生がいつまで続くのかは知らないが(手相鑑定によると7年後くらいまでは生きてそう)、これからもその物語を見つめさせてもらえたらありがたいな、と思ってます。

そうそう、CM前?にHope & Legacyの羽生君と宮崎駿が並んでたのにちょっとツボッた…。三次元のジブリと二次元のジブリ…←意味不明


ではでは、また明日の記事でお会いしましょう。



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