うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

「今」を決めるスイッチは、永遠で一瞬

何事かを決断する際には、私はいつもとても迷う。本当にその決断で良いのか、集めうる限りの情報を仕入れ、ありとあらゆる面から考える。
しかし、本当は最初から答えは決まっているような気がする。直感で決めたこと、結局それがいちばん正しくて、後悔がない。どんな決断をしても後悔してしまうことはあるのだし。


ブログを始めることを、私はずっとずっと迷っていた。


物心ついた頃から、文章を書いたり絵を描いたりするのが好きな子供だった。書いたものは見て欲しいと思うものらしく、褒めてもらえるのも嬉しかった。
私のそんな特性を見抜いていたのであろう、小学生時代の担任が、卒業の際に私にかけた言葉を、私は今も覚えている。

「あんたはたくさん勉強して、たくさん語学を学んで、そして本を書きなさい」

その言葉はずっと私の支えだった。いつかその言葉を実現しようと、ほとんど勝手に決めていた。

しかし、現実というものは厳しい。勝手に決めてはいたが、実現させられるわけがないだろうとも思っていた。私が過ごしていた毎日に夢はなく、私は何よりも現実という生活を維持するために、堅実に生きていかねばならないとほぼ強迫観念のように考えていた。
自分が「書く」側に回ることはない。ごく普通に、目立たず騒がず生きよう。それが私の、貧しい暮らしの中で選んだ最初の決断だった。


しかし、私の中にはずっと、「自分で表現したい」という欲求が強く燻っていたのかもしれない。そうせずにはいられないのに、そんなことがまったく求められない環境を生きるためだけに選んで、息ができなくなっていたような気がする。

自分の中にあるものを誰にともなく文字で喋るのも、大好きなことについて分析したり、語ったり、どんなに大好きで素敵なのか伝えることも好きだったし、
喋るのはあまり得意じゃないし、相手に心を閉ざすと声が出ないし、頭が上手く回らないことも多いけど、それを書くという作業で行うと、随分と冷静になれたし、
手紙やメールを書くのが好きで、相手に楽しんで欲しいと思いながら、相手に合わせて文章を変えていき、面白い、と言ってもらえると、すごく嬉しかった。

私は、小さくてもいいから言葉や絵や音や、何かの形で表現していないと、生きているとは感じなくなる人間なのかもしれない。何かを書こう、絵にしようとすることの中に、疑いない私自身がいるのだ。


ブログというものの存在を知った時には、すごく面白そうだと思った。
手紙やメールは楽しいけれど、相手から返信が来ないことも多い。返事を書かなければと思うと、プレッシャーになる人もいるらしい。確かに、あまり中身のない短文を短時間にラリーするのは、私もあまり得意じゃないし、好きでもない。

でもブログであれば、相手が聞いていようがいまいが勝手に喋り続けてもいいのである。もちろん何を書いてもいいわけではないが、誰かへのメッセージであったとしても誰かに届かなくてもいい。届かなくてもいいとは実に楽な状態である。結局、わかって欲しい、話を聞いて欲しいと思ってしまう、期待してしまうから辛くなるのだ。相手のことが、好きだから。

自分もやってみたいな、とずっと思っていた。
けれど、なかなかその決断に踏み切れなかった。ここでも私は迷った。非常に迷った。

ブログをやってみたら、と勧められることはしばしばあった。私の書くことへの欲求は気付かれやすいものだったのかもしれない。


何故、迷ったのか。
それは私の自信のなさ、自分自身への信頼のなさ故だった。

私は失敗して怒られたり笑われたりすることがことのほかつらく感じてしまう。しょうがない、とは思えない。過去のいじめやパワハラの思い出でがんじがらめになってしまう。
ほんの些細なことでも、揚げ足を取られて笑われ、馬鹿にされ、「あいつは仕事ができない」と言い触らされる。実際は他人のミスだったり、そもそもミスですらなかったとしても。存在そのものを否定される経験は、生涯にわたって深い傷を残すものらしい。

だから、余計なことを書いて人に嫌な思いをさせたり、間違えたり、怒られたりしたら、と考えると怖くて踏み出せなかった。文章にしていることの大半は、思い付きで書いてはいない。ものによっては何年も熟考し続けてきたことを言葉にしている。だから、私の中では強い意思のもとに書いていて、何を言われても気持ちは変わらないこともたくさんあるのだけど、それでも時々食らう「攻撃」に耐えることはとても難しい。

どうしても攻撃されてしまうことはあるけど、たいていはそんなに反応もないから気にする必要もないよ、と迷っていた頃の私には言いたいけど、何も知らなかった当時の私にはそう言われても想像はできなかっただろう。


では、決断に踏み切れたのは何故なのか。

最大のきっかけは、占いだった。とても興味深い鑑定をしてもらった手相占いで、「あなたは普通に生きようとするからいけないんです」という言葉を聞き、突然答えにたどり着いたような気がしたのだ。そうだ、私は普通に、安定して生きたかった。みんなと同じでいたかった。
私にはそれは、たぶん、ものすごく難しいことだったのに。

でも、自分にできることは何だろう。自分の特性とは何だろう。自分を受け入れてくれる人などこの世にいるのだろうか。どこにも居場所がなかったのに。
それを知るために、ブログを始めた。
鑑定を受けてからもしばらく迷っていたのだけど、これまた占い関連でのあることがきっかけで、最終的な決断に至った。

ラクルカードと呼ばれるものだったか、それを試しに引かせてもらった時、私が引き当てたカードには「author」と書かれていた。
その日の翌日からブログを始めようか、どうしようか、と迷っていた私はそれで覚悟を決めた。まさにこれは宣託だ。そして、2016年の9月に、この「うさぎパイナップル」を書き始めた。

「今年の夏が転機です」という手相鑑定師の言葉。9月は私の感覚では秋だったけど、9月を夏だとする区切り方もあるそうだから、きっとまだ、夏だったのだ。
大きなことができたわけじゃない。まだまだ、もがいているだけだ。それでも、ブログを始めていなければ出会えなかった人たちに会えるようになった。ほんの少しずつ、少しずつ、世界が広がっていった。本当に、少しずつ。
あの手相鑑定はそれから、恐ろしい確率で当たり続けている。だからきっと、この先に待っているのは充実と、幸せだと思う。


今まさに、私は様々なことを決断できずに迷っている。自信がなくて人が怖くて、躊躇っている。
背中を押してもらわなければ何もできない、駄目な人間。
小学校の担任が、お世話になった先輩が、メールが面白いと言ってくれる友達が、いるのかどうかよく分からないけど神様が、人生のあちこちで背中を押してくれたことが少しずつ少しずつ積み重なって、やっと決断のスイッチが押せた。

だから今、これを読んでくれているあなたにも出会えている。きっとインターネットがなければ、存在すら知ることもなかっただろう、どこかの誰かに。

今、この瞬間は一瞬だけど、一瞬のうちに消費される言葉には、長い時間が詰まっている。その時間がこの一瞬を生む。私の迷いと決断の歴史に少しだけ誰かが触れている今、私もきっと誰かの人生に触れている。そうやって小さな一瞬が積み重なって、「今」が決められていくのだ、きっと。


#「迷い」と「決断」

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