うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい(ライター始めました2018・生活の糧と居場所募集中)

考察・眼鏡男子としての羽生結弦

筋金入りの眼鏡男子好き(自称)である私が「究極の眼鏡男子」に認定したのが羽生結弦その人、という話題にとある記事でチラッと(どこがチラッと?というツッコミはそっと風に流してください…)触れたところ、私の記事にしては珍しく面白がっていただけたので(ありがとうございます!笑)いっそのこと単体の記事にしてしまおうと思います。

「は?お前そういうアイドル視的な記事は止めろよ」というお声もあるかなと思いましたが、このブログを普段からお読みいただいている皆様には、ポエムがちなだけで一応真面目にスポーツのファンだということはご理解いただけていると信じて話を進めます(汗)。
ええ、羽生君はとても美しいスケーターだと思ってはいますが、この世のものとは思えないほど耽美な何かに彼が変貌するたびに「いいから今すぐリュックからイヤホンを20個くらいドヤ顔で出せ」とわなわな震えながら要求しそうになるくらいには冷静です←間違いなく正気じゃないからそれ

…何書いてるんだろう自分、と既にこの段階で頭を抱えておりますが、とにかく書くと決めたからには書いてみますよ…。よろしければ最後までお付き合いください。

そもそも眼鏡男子とは

「眼鏡男子」とは、「眼鏡をかけている男性」。そのまんまです、考えるまでもないですね。
視力の問題で普段からかけている人、文字を書いたり読んだりする時だけかける人、ファッションとして伊達眼鏡をかける人、用途は様々かと思いますが、眼鏡さえかければ誰でも眼鏡男子になれます。

「メガネ男子」という表記が一般的には多いのではないかと検索結果などから予想されますが、今回は羽生結弦氏についての考察という点を重視し「眼鏡男子」というクラシカルな薫りのする表現を選んだことをここにお断りさせていただきます←なんか言ってるけどこの人←そっと目をそらす

私と眼鏡男子

私がいつから眼鏡男子好きになったのか、正確なところははっきりしません。小学生の頃には認識していましたが、幼稚園くらいからではないかと私は推測しています。
少女漫画の名作『キャンディ・キャンディ』。主人公キャンディを取り巻くきらびやかな美男子たち。皆さんは誰が好きでしたか?
私はステアでした。一見地味な人物なのですが、眼鏡を外すと美形、黒髪、発明好き、性格的にはたぶんいちばんイケメン、と眼鏡男子好きな人間、て言うか私(笑)の理想のようなキャラクターだったと記憶しております…。かなり間違いなくステアが原点だろうと睨んでいるので、幼稚園くらいかな、と推測している次第です。三つ子の魂百まで、とはよく言ったものです(笑)。

中学まではどうにかついていけていた数学に高校生になってから完全に振り落とされてしまった私はバリバリの文系。小学生の頃から理系コンプレックスが強かった。
頭が良くてよく見ると(よく見なくても)イケメンで理系。ステアをはじめとした私の理想を体現する人物がしばしば有していた記号、それが眼鏡だったのでしょう。…そんな都合のいい人物は実際にはいないと思い知るのはもっと先の話です(笑)。


眼鏡なら何でも許すタイプの心の広いマニアではなかったものの(汗)、眼鏡キャラにハマり続けたり、眼鏡というだけで無駄に好感度が上がったりして周囲に呆れられていた、わりと筋金入りだった私に転機が訪れたのは、あるドラマの放送が始まった時でした。
そのドラマとは『ガリレオ』。福山雅治の演じる、主人公・湯川学を目にした時、私は悟ったのです。

駄目だ。これ以上の眼鏡男子を地球上に望むのは不可能だ。

湯川先生は完璧な眼鏡男子でした。変人ぶりすらも完璧でした。彗星のように現れた、完璧に理想的な眼鏡男子。『真夏の方程式』を映画館に見に行ったあの日、眼鏡男子を追い求める私のブームは静かに収束していきました。あたかも夏が終わるように。

それ以来、あんなにこだわっていた眼鏡男子にさほどの興味を持たないまま日々は過ぎていきました。私ももうふわふわした理想の世界で遊んでいられる年齢でもなかったですしね。

しかし、私にとっては思いもかけない方向から現れたある人物によって、私は自分が筋金入りの眼鏡男子好きだったことを強烈に思い起こすこととなります。そう、それこそが羽生結弦、その人だったのです。

「眼鏡男子」の衝撃

コミカルなエキシビションプログラム等で小道具として眼鏡を使うスケーターはいますが、基本的に競技やショーで眼鏡をかけて滑る選手はいません。特に競技では見かけた記憶がないと思います。普通に考えて、スピンやジャンプで吹っ飛んでしまうでしょうし。

もちろん、羽生君も演技中は眼鏡はかけません。テレビは見てたし会場にもしばしば足を運んでいましたが、チケット代を捻出するため書籍や雑誌にはなかなか手が回らなくなっていた上、ネット環境も整わない状況が続いていました。録画機器もないため見逃した番組も数知れず。仕事と重なり試合すらちゃんと見られない時期も長かった。そのため、私は羽生君が「オフアイスでは時々眼鏡をかけている」ことに、迂闊にも当分の間気が付いていなかったのです。

あれはソチの後でしょうか、いつくらいだっけ。マスクをして眼鏡をかけて空港で手続きだか何だかやってる映像がありましたよね。たぶんあの時です。
衝撃でした。何だこのハイレベルな眼鏡男子は。って羽生君じゃないか。君は眼鏡男子だったのか?!
私の中ですっかり下火になっていた、もはや忘れかけていた眼鏡男子ブームのスイッチが、突然入った瞬間でした。ずっと前から知っていたはずの存在があまりにハイレベルな、むしろ究極の眼鏡男子だった。その衝撃は計り知れないものがあったのです。

私は羽生君の燃える魂や、競技者としての運の強さ、ドラマチックな感性、明晰な頭脳を伺わせる受け答えなど、あくまでスケーターとしての魅力に惹かれて演技を見ていたので、美男子枠に入れてたわけでもなかったし(だからここ数年の磨かれぶりは一体どういうことなのかと震えている…。悲愴くらいから、ヤバイなこの子、とはちょっと思ってはいたけど←絵画みたいな写真が当時新聞に載ってましてな…)、アイドル的に追っていた部分はまったくありませんでした。
現在も、もはやスポーツの枠を越えてその動向を見つめてはいるものの、どちらかと言うと「同時代に生きる社会現象」という認識です。羽生君の演技を実際に目にするようになった頃にはスケートファンになってそれなりの年月が経過しており、何かにはまりたての頃の熱に浮かされたあの感覚は既になく、多少は知識もついてきて落ち着いて競技を楽しめるようになっていました。もしまったくスケートに興味がないまま羽生君を知っていたらもしかするとアイドル視した側面はあったかもしれませんが、そういう段階ではなかったのです。何となく伝わってもらえれば。

それだけに、私の動揺は大きかった。今も「小首をかしげて美少女のように笑う羽生君」に「阿修羅のくせに…」と震える声で呟いて平静を保とうとすることなどはありますが(笑)、正気も保てなくなるのは眼鏡だけですね…。あれは…やばい←遺言

羽生結弦と眼鏡

さて、何故羽生君が眼鏡を着用しているのかを検証してみます。
これまでの羽生君の発言等から考えても、彼はおそらく演技に必要な要素以外で自分を飾ることにほとんど興味がないと思われます。そんな彼がお洒落目的でわざわざ眼鏡をかけるとは考えにくいので、眼鏡は必要に応じて着用していると考えるのが妥当でしょう。

よって、
・視力を矯正する必要がある
・乾燥等から目を保護するためにかけている
のどちらかの理由であろうと推察します。

確か勉強している映像でも眼鏡着用でしたし、食堂で卵かけご飯を食べる羽生君(この映像大好きすぎてやばい←黙れ…)も眼鏡でしたね。これらの映像から考えると、おそらく視力を矯正する必要があるのでしょう。

ですが、ご存じの通り滑っている時はかけていませんし、インタビュー等も眼鏡で受けているケースはほぼなかったのではないかと思います。

このことから、
・視力はそれほど低くなく、眼鏡の必要がない場面では裸眼
・試合やトレーニング、インタビューなどではコンタクト着用
のいずれかであろうと推測されます。


ここで、そもそもフィギュアスケート選手は競技中やトレーニング中にどう視力をカバーしているのか、という疑問が生じてきます。

フィギュアスケート選手の中にも視力が良くない人は一定数いると考えられます。眼鏡で滑っている選手は見かけないので、コンタクトレンズを着用していると考えるのが妥当かと思われます。どうしても私には「野球の試合中に落としてしまった選手のコンタクトを全員で探す」という光景が浮かんでしまうのですが(笑)、スポーツに耐えるコンタクトレンズも現在なら開発されているのでしょうね。

一方、髙橋大輔選手はキスクラでの様子からして、あまり視力が良くないのだろうかと想像したことはありました。競技中は裸眼なのかもしれません。

さて、羽生君はどちらでしょうか。周回などでもわりと客の動向も見えているような様子が見受けられますが、集中しているからなのか、コンタクトが入っているからなのか。
私がまったくコンタクトを使わないため(子供の頃に読んだ本がトラウマになったらしく怖いのだった←チキン…。あと片目の視力が10歳くらいの時に突然急激に落ちて(※原因不明だってさ)矯正されないので色々めんどくさいというのもある。片目は文字も読めません。疲れやすくて立体が掴みにくいのも片目しか使ってないせいなのかもなあ。突然回復しないかなあ、と夢見てるんだがダメみたいですわ)実感が乏しく、検証が難しいのが無念であります。

近年は眼鏡を着用している姿は撮影用の小道具としてだろうか、という状況でしか見かけず、移動中もかけている印象がありませんね。コンタクトに変えてしまったのかもしれません。眼鏡の場合があっても私が意識を失っているだけかもしれませんが(汗)。

個人的には、大きな眼鏡や丸い眼鏡より細い眼鏡の方が似合っている気がしますね。顔が小さいせいでもあるでしょうが、Sなお人には細い眼鏡の方が…←その辺で黙れ

このように考えていくと、我々の心をかき乱す眼鏡姿は以前ほど見られなくなるのかもしれないですが、その上で、「羽生結弦と眼鏡の親和性」について論じてみたいと思います。

何故羽生結弦と眼鏡の親和性は高いのか

漫画やドラマといったフィクションにおいて、眼鏡は演出上の記号として一定の役目を果たすアイテムです。頭のいい人物であることを示すため、穏やかな人物像の表現として、ほかの登場人物との差別化を図るため、単なる作者の趣味(笑)、様々な意図がそこには考えられます。

これら眼鏡の使用方法において、最も強力な効果を持つのが「ギャップの演出」だと私は考えています。

地味なクラスメイトが眼鏡を外すと美少女・美少年だった、というシチュエーションは永遠の定番でしょう。眼鏡姿が冴えなければ冴えないほど、その意外性は大きくなります。
また、「本性を隠すための眼鏡」という使い方も見受けられます。穏やかだったはずの人物が実は悪役であった、実は奔放な人物であった、そういった事実が判明する際に眼鏡が外される場合があります。その逆に、普段は冴えない人物が、眼鏡を外すと屈強なヒーローになるパターンもあります。どんくさい人物の振りをし、素顔を隠すための、偽装の眼鏡なわけです。

特定人物の「時期」を示すための演出として使われる場合もあります。子供の頃は眼鏡だった人物が、成長してコンタクトに変えている。その逆に眼鏡姿になっていて、視力の低下や加齢を感じさせる。その違いに時の流れや、その人物の歴史を見ることができますし、眼鏡あり、もしくは無しのどちらかの姿の初登場時にはそれなりのインパクトを与えることができます。

こういったギャップの演出が上手い作品として『金田一少年の事件簿』を挙げておきます。作品の性質上、登場人物が非常に多く眼鏡の人物も多数含まれており、眼鏡が効果的な使い方をされている場面がいくつか見受けられます。個人的な感想ですけれど。

実生活においても、普段は眼鏡を着用していない人物がコンタクトを忘れて眼鏡を使っていた、などという場合に意外性を感じることはあるかもしれません。私はとあるテレビ番組で、字を書くために眼鏡を取り出してかけた人物を見て「おっさんくさくて素敵」と好感度が急上昇したことがあります(笑)←意味不明

上記に挙げた通り、眼鏡は「ギャップ」を演出するのに非常に効果的なアイテムです。そしてこの「ギャップ」こそが、羽生結弦と眼鏡の親和性が高い要因のひとつであると私は分析しています。

羽生結弦とは「ギャップ」である

羽生結弦の魅力を挙げればキリがありません。高く美しく流れるジャンプ、多彩なスピン、勝利への貪欲な姿勢、冷静な分析力、受け答えの上手さと明快さ、様々な活動に見られるノブレス・オブリージュ、リンクに映える漆黒の髪に透き通る肌、細くしなやかな体躯、時に神の世界の扉を開く、観客の目を惹き付けて離さないカリスマ性…。66年ぶりにオリンピックを連覇した怪物であり、日本のフィギュアスケート史上におけるおそらくは最高の選手。

しかし、彼を彼たらしめる最大の魅力はその「ギャップ」ではないかと思うのです。

氷上ではあれだけの怪物に変貌する羽生君ですが、普段は欠片のオーラもないただのオタクなのだろう、と想像される場面は多々あります。国民栄誉賞の授与などにより最近はそうでもなくなってきたのかもしれませんが。
オタクな羽生君も大好きですしそのオタクな部分がスケートにおいてもいい効果を生んでいるのだろうと私は考えていますが、いくらなんでもただのオタクが数分間限定とは言えあそこまで妖精になったり魔王になったりできるものでしょうか。

人前に出る職業の方には、オンタイムとオフタイムでかなりのギャップがあるという人物は少なくないだろうと予想されます。スケーターにも少なからず見受けられますね。演技に集中しているスケーターは美しく、カッコ良く、氷上以外ではそうそう見せることのないであろう表情で観客を惹き付けます。羽生君も例外ではないですが、彼の場合はその落差が凄まじい。演技中に見せる阿修羅のような表情と、インタビューなどでのゆるい笑顔は、本当に同一人物なのかと思ってしまうほど顔つきが違う。あれにはいつも驚かされます。

また、プログラムによってもまったく違う表情を見せるのが彼です。たとえば、2018-19シーズンの3つのプログラム。ショートでは冷たい秋風の中ですれ違った決して手に入らない美少年、フリーでは世界を震え上がらせる漆黒の魔王、エキシビションでは性別すらわからなくなるほどに儚い桜。すべてが彼の得意ジャンルと言えばそうなのですが、得意ジャンルの振り幅が大きすぎます。特に、彼特有の「儚さ」は、ほかの男子スケーターが得ようとしても得られない、特異なものです。

しかし、少女のように儚く佇み、花を胸に抱えて星がこぼれる瞳を天に向ける、まるで美しいという言葉だけで造った幻に思える彼が、チョコレートに書いた言葉は「全力」。しかも目が阿修羅。どこが美少女。ちっとも甘くありませんけど!
ついでに言えば、ギャグも正直滑っていらっしゃるし突然「城が好き」という渋い趣味を明かしたりする。恋ダンスをスーツで踊るあの織田君の動画は笑いすぎて息ができなかったです。でもSEIMEIで見せたあの眼差し。世界最高点を何度も更新した歴史に残る傑物。
これこそが羽生結弦で、我々はそのギャップに振り回される緊張感の虜になって、羽生結弦から目が離せなくなるのでしょう。そんな彼に眼鏡が似合わないはずがない。たいへん強引ですが、これが私の結論です。

羽生結弦は「究極の眼鏡男子」である

この「あり得ないほどのギャップ」という特質のほかに、彼が時々見せる、特に織田君に向ける「Sの眼差し」も、眼鏡との親和性がたいへんに高いだろうと私は分析します。

まるで愚民を見るような眼差しを織田信成氏に向けて写真におさまる羽生君。織田君はいったい前世でどれだけの徳を積んだのか。試合中の集中した鋭い目とはまた別の、彼自身の「素養なかったらそんな目付きできないと思いますけど」と突っ込む以外にないドS感。
もしその眼差しを眼鏡を着用して織田君に向ける日が来たら、その日が私の命日となるでしょう…。ブログ更新されなくなったら死んだと思ってください…。でも悔いはありません…。って絶対ないと思うけどさ(笑)。


以上の点と、羽生結弦という平成の世が生んだ才能に敬意を表して、究極の眼鏡男子に認定します。ええ、勝手に認定しました。撮影用小物でいいのでまた時々かけてください…。たぶん同じような望みを抱いている人いると思います←弱気
なのに『家庭画報』を金が無さすぎて買いそびれたことは痛恨のミスです…。病院で読んだのは読んだんだけど、「今日だけめちゃくちゃ客が来て三時間待ちくらいになればいいのに」とか思ってました←もう黙れ馬鹿がバレる←何を今更…

いつか眼鏡をかけてエキシビションを滑って欲しいです。美しいジャンプを跳ぶのに邪魔そうなのですぐ外してもらってもいいです。冷たい眼差しで放り投げるように外して欲しいです。全勢力を傾けてアリーナ席を取ります。
…ええっと(汗)。まあ、外してもきっとSだから、 「眼鏡をかけているS」と「眼鏡をかけていないS」が滑ってるだけか。どっちにしろ最高ですね!最高だー!←強引に終了


…一応真面目に書いたのですが「えらいもの書いちゃったよ」とぶるぶる震えてます…。なんかもう何もかもすみません…。すみません←土下座
長い長い記事にお付き合いいただきありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。



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