うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

高知旅日記2019②

さて、出発当日です。ちょんまげ大王さん(本当にいいのかよこの名前で!)が家まで迎えに来てくれて、午後を大きく回ってからいよいよ高知に向かって発車。

すげー、家から車で出られるってすげー。めっちゃ楽ー。車だし一泊だから荷物入れるのも大きめのトートバッグとかでいいし。網棚に上げたりしなくていいし。私は背が低いのと非力なのとで新幹線の棚に荷物を載せられず、いつも足元にトランクを置くのでめっちゃ狭いのだった…。
トートバッグはお土産でいただいたアイスリンク仙台のとか、ファンタジー・オン・アイスで買ったやつとか。アイリンのはマチがついててたっぷり入ってお気に入りです。スケオタは荷物が多いからね、いっぱい入るカバンは重宝しますね。リンクは寒いので膝掛けとか、好きな選手の演技後に振るための国旗とかね、リンクに投げたりボックスに入れるプレゼントとかね…。ああ、NHK杯行きたい…。札幌…。諭吉…。

ちなみに運転はずっとちょんまげ大王さんです。私は助手席で歌ったり喋ったり踊ったり騒いだりしているだけです。ゴミです。

私がスルッと出発できるように色々配慮もしてくれてたみたいで、ホントにありがたい話です。それなのに歌ったり騒いだりしてるだけなんかいお前…。ほんまゴミ…。よくこの年まで生きてこられたね…。こんな社会不適合、普通は淘汰される…。ってされてるか←自虐


これくらいの時刻までには着こう、と予定していたためあまり時間がなく、さっと高速に乗って一路高知へ。
福山のサービスエリアでタコ入りのコロッケとマクドナルドで遅いお昼ごはん。てかそのあと結局夕食食べなかったのでこれがこの日唯一の食事に。朝からヨーグルトのちっちゃいカップ半分しか食べてなかったので(家にもうそれしか食べるものなかった←相変わらずひでえ)満たされた。コロッケあったかかった…。

しまなみ海道経由より瀬戸大橋経由の方が早いそうで、ひたすら瀬戸大橋を目指す。そう言えば高速バスのルートもそっちだな。
道中、倉敷を経由するのだけど、倉敷と言えばスケオタ的にはなかなかの聖地ですかね。何と言っても髙橋大輔の出身地ですからのう。刑事君もいるし。町田君もわざわざ広島から通学してたし。
四国の方には是非、島田高志郎君を応援してくださいとお願いしたいですな。四国出身のトップスケーターはなかなか珍しいと思うので。足が長いです。あとコーチがやたらカメラ慣れしてます←その説明でいいのか…

鷲羽山ハイランドの近くを通り過ぎる際に無意味にテンションが上がる。遊園地って遠くから見ると明らかに日常の光景じゃなくてワクワクする。
もうどんなに願っても二度と会えない、遠い人のことを思い出した。鷲羽山ハイランドの屋外のテーブルでビールを飲んでたらサンバダンサーに囲まれて、そのまま一緒に踊りながらどこかへ消えていった姿を。シュール過ぎて爆笑してしまった。顔ももうろくに思い出せないのに、そんなことばっかり覚えててごめんなさい。でも、しんみりするよりはいいのかもしれない。
どうして神様があの人を突然連れていってしまったのか、いくら考えてもわからないんだ、今も。


そうこうしているうちに瀬戸大橋が見えてきた。橋ー!海ーーー!テンション上がるーー!
こうなると歌うのは加山雄三一択。と言いつつ『瀬戸の花嫁』もいいですね。高速はいいっすね、熱唱してても歩行者や対向車から見えないから←何だそりゃ…

四国を快調に車は走行し、いよいよ高知県に突入。ついに高知だー!と再び上がる我々のテンション。確か外、大雨でしたけどね(汗)。
もて海さんのステージを偶然見たあの日以来の高知。あと数年は行けないだろうなと思ってた高知に思いもかけず再訪できて、急に現実味が湧かなくなってくる。本当に行くの?本当?←今更テンパる


最後にリンク貼っておこうかなと思うけど、私は数年前にもふらりと高知を訪れている。色々なことがあって疲れ切っていて、現実から逃げるように、誰にも告げずに出掛けた高知旅行の最後の最後に、偶然声を掛けられて見た土佐おもてなし海援隊のステージを、私はきっと忘れることはないだろう。

武将隊とか2.5次元とか、テレビでちらりと見たことがあるくらいでさほど知識も興味もなかった私は、もて海のことももちろんまったく知らず、目の前で繰り広げられるステージを呆然と見ていた。こんなキラキラした人たちがいたのか、しかもこのステージ無料なのか(思わず本当にタダで見て良かったのか旅広場のお姉さんに聞いてしまった…←アホ…)、と衝撃を受けた。それは出会い頭の衝突のようなもので、衝撃の正体をもう一度確かめたくて再びの高知行きを願っていたけれど、叶うことはなかった。もて海はこの春に活動を終了してしまったから。

比較対象を知らないので私の主観だけれど、これだけ作り込んであるのに3年程度で終了させるのはもったいないな、とは正直思った。思ったけれど、グループの性質上長期的に続くものでもないのだろうし事情も様々に存在するのだろうから、そう決まってしまったのならば活動終了を受け入れるしかないだろうとも思っていた。物事には必ず終わりが来るのだから。
終了までのアナウンスがあれだけ丁寧に行われていたのに、行けなかったのは単なる私の事情だ。その現実を変えられなかった自分にひたすら腹が立っているだけであって、誰が悪いという話ではないと私は思っている。ただ、切ない気持ちもやはり痛いほどわかってしまう。こればっかりは、時間が解決するのを待つしかないのだろう。

比較的選手生命の短い競技のファンを長年続けていると、自然と割り切るようになっていくものなのかもしれない。突然の引退発表とともに氷上を去る選手や、怪我で泣きながら引退していく選手の姿を何度も見てきた。いちばん最初に好きになった選手、ヤグディンの引退セレモニーでの涙を思い出すと、15年ほど経った今も胸が痛い。私が彼を現役選手として応援できた期間は2年に満たなかった。あまりにもショックで、楽しく行っていたフィギュアスケートの資料の収集を続けられなくなってしまった程だった。
もて海は終了までの花道がきちんと作られ、大勢の人に見送られて幕を下ろせた。私にはそう見えた。それはとても、とても幸せなことじゃないかと私は感じた。スポーツと観光PR隊では話が違うと言えばそうだけれど、「別れの覚悟」のための期間を用意してもらえるかどうかの差は大きいように思う。

しかし、いくら割り切ろうとも、結局ラストに間に合わなかった、という後悔を引きずっているのも確かなのである。高知に行けるのは嬉しいけれど、もて海はもういないんだな、もて海のいない高知に行くんだよな、とやっぱりちょっと切なかった。もしまだ彼らがいたら、ちょんまげ大王さんもきっとファンになったに違いないのに…。本人もちょっとヤバいって言ってたし、あと一押しだったのに(笑)。


本当に疲れていて「意識あったの?」と聞きたくなるくらい記憶が曖昧な前回の高知行きですが、行きか帰りのどっちか忘れたけどバスの座席は抜かりなく「4A」を取ってたらしく、そうメモが残ってて笑ってしまった。3Aか4Aですよね、やっぱり(笑)。1Aは「抜けたああああ」って思っちゃうから取らない(笑)。
スケオタ以外には意味不明なので説明しますと、「1A=シングルアクセル」「3A=トリプルアクセル」「4A=4回転アクセル」です。我々スケートファンはそう読んでしまうのです…。

あとこの話たぶん書いてないけど、ステージの前に疲れ切ってとさてらすの椅子にぼんやり座ってた時に、たぶん幕末志士社中の方から虎太郎さんが現れて、あの人観光客かな、みたいな笑顔の視線を向けていたけど、何か思い出したのか、くるりと踵を返して戻っていったのは覚えてる。あの人誰だろう、服装が変わってたけど、くらいにしか思わなかったけど、その時点ではまさかこんなことになるとは思ってないわけでね(笑)。龍馬さんがとさてらすの隅でどなたかとお話されてたのもはっきり覚えてる。まさかこんなこと(以下略)。私に声を掛けてくれたのは武市先生でした。まさかこんな(以下略)。
※虎太郎さん、龍馬さん、武市先生は全員もて海のメンバーのお名前です

おっと、長くなってきてしまった。中途半端ですがここで一旦終了。以下次号。


一応リンク置いときますね↓
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