うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

苦しみ抜いて血を吐いて、それでもこの手に在る優しい色の硝子玉が、ぼくの記念日の贈り物

年の瀬も押し迫って参りましたね。毎年全日本選手権の記事で年越しするのが恒例となりつつあるこのブログですが、実はメダリスト・オン・アイスの地上波放送が無い地域で、今日まで内容がわからず記事が最後まで書けずにいます(泣)。基本的に、ひとつの大会やショーの記事はまとめて載せてしまいたいのですね。その方が後から読み返すときに楽なので。

なので、本日はとりあえず、この1年を振り返ったり来年への誓いを立てたりする、わりと個人的なだらだら記事でいこうと思います。はてなでは日記的な記事はあまり書かなくなってますが、今日はまあいっかってことで。もちろんスケートの話題をできるだけメインに据えたいと思いますので、ゆるゆるとお付き合いいただければ。


実は私、今日が誕生日でございます。年末過ぎて誰からも忘れられ(自分すら忘れたことも…)クリスマスも正月もいっしょくた、美容院から「今日から4日間使えるクーポンをプレゼント♪」なんてハガキが届いても「店閉まってますけど」と突っ込んだりする、そんなあまりありがたくない日付だったりします。子供の頃はかなり寂しかったですねえ、特別感ゼロだったし…。

スケオタ的には、荒川静香さんのお誕生日ですよね。生年は違いますけど同じ日なので、トリノの金メダルは嬉しかったんですよ。早朝から起き出して見たっけなあ。誕生日が同じなだけで人生は天と地ほども違うけど(笑)。
荒川さんとか錦織圭君とかわりといろんな方と一緒なんですけど、何て説明するのがいちばん面白いのかを検討してみた結果、「Mr.マリックと一緒」などと言ってみたりしてます(笑)。

そんなわけで、たとえば占い等で「◯歳でこんなことが起きる」と言われたり、誕生日からの1年の抱負を考えたりする場合は、ほぼ正月からの1年で計算して差し支えないのですね。そういう意味ではわかりやすい日付だったりします。

ええ、よく今年1年生きてたなあ、と本当に、心からしみじみと振り返ってます…。
奇跡ですよ、これ。実際奇跡としか思えない諸々に何度も助けられましたし。突然米とかクオカードとか当たってそのおかげで飢え死にを免れたりとか、不思議な夢を見たおかげで助けが入ったりとか。これがねえ、冗談じゃないんですよ(汗)。
例の手相鑑定で「1年くらいはギリギリ生きていく」と言われた通りでした。ほんっっとうにギリギリ生きていました。ギリギリのギリギリ。余計な分は一切残らず、必要な分だけがギリギリ入ってきてた感じです。

もちろん、それは助けてくださった方がいらしたからでもあります。どうしたらいいのかわからなくなっていた時に、声をかけて励ましてくださって、命を救ってくださったのは、このブログやnoteなどを通して繋がってくださった方や、これまでの人生で出会ってきた方々でした。皆さんがいなければ、私はたぶんもう生きていなかったと思います。皆さんの恩に報いるためにも、生きていなければならないと強く思っています。


思えば、ブログを開始してから既に4年目。最初の1、2年はほとんど読んでいる人はいなかったと思います。それでも愚直に書き続けてきたブログが誰かに届いていたことを実感できたのは、ようやく昨年になってからでした。そして、それに助けられるようにもなってきました。それは、私が考えてもいなかった方向での届き方や助けでした。

そして、この2019年には、また違った届き方に加え、本当の本当に考えてもみなかった未来をこのブログが開くかもしれないと気付いて、とても不思議な気持ちでいます。

ブログを始めた2016年9月。その年に受けた手相鑑定で、この夏が転機だと言われたことを覚えています。転機とはブログのことで間違いないだろう、と確信しています。ただただ好きなものや真っ直ぐな想いを書き続けてきたブログが、これだけ大きな存在になるなんて夢にも思っていませんでした。
このブログが無ければ出会えなかった人、始められなかったこと、繋がらなかった縁。表には出していないけれど、実は少しずつ少しずつ、そういった出来事に巡り会っているのです。
このブログには広告を貼っていないので、いくら記事を書いても私には1円のお金も入りません。でも、それよりももっと大きな、大切なものを、ブログが運んできてくれていることを実感しています。本当に、本当に不思議です。

ブログが何らかの成果を生むまで3年はかかると聞いたことがあったかと思います。それは主に広告収入での話かと思いますが、それ以外についても当てはまる内容ではないかと感じています。
成果は早く出ることに越したことはありません。半年、1年経っても何事も成さないと、見捨てた人や突き放した人もいます。待ってもらえなかったということは、信じてもらえていなかったということだな、と悲しくなります。初めから関わろうとしない人とどっちが優しいのかと考えてしまうこともあります。助けようとしてくれただけ、前者が優しいのかなと思いますけど。

折れていた心が元に戻るには、ブログに費やしてきた時間と同じくらい必要でした。
実はこのブログを始めてからも3、4回、大きく心が折れてしまう出来事に遭遇していました。ずっと応援してくれていた方から、いちばん苦しい想いをしていた時に突き放されたことが、もしかしたらいちばん辛かったかもしれない。信用されていなかったことが、辛かった。その時は「自分は生きていなくてもいいんだ」と感じる出来事や大きくショックを受けたある人の死などもあったため、耐えられる状況ではありませんでした。うまくいかない時って、不思議と重なるものです。とても感謝しているし、仕方がないことだとも思うけど、この痛みをずっと引きずって生きることを思うと、心は重いままです。仕方がないのだけれども。

折れた心を戻してくれたのは、時間と、ある出来事です。その出来事については、まだ触れません。いつか書ける日が来るといいなと思っています。手相鑑定で告げられた「将来の大きな仕事」とは、もしかするとこのことかもしれません。
その出来事にもこのブログはおそらく関わっています。このブログだけではなく、私が特に辛い想いをした頃に選んだ様々がすべて、その出来事に繋がっていたのだと感じています。これまでの人生がすべてこのためにあったのなら、どんな苦しみも悲しみも、すべて「運命」だったのだと。

その出来事に、まだ結論は出ていません。私の感じている結論は出ないかもしれません。でも、とても信じられないと頭の片隅に追いやろうとする一方で、その出来事に私は希望を感じてやまないのです。その希望が、私を生き返らせてくれたのです。物理的にはどうにもなってないけど、精神的にはもう大丈夫だと思っています。最近あんまり闇の濃度の高い記事書いてないでしょ(笑)。書こうと思えば全然書けますけど(笑)。
こんなささやかなことでこれだけ安らかな気持ちになれるのなら、希望ある結論に達した時の私は、世界一幸せになれるでしょう。私がこれだけ安らかになれるのは、たぶん、本当は当たり前のことだったのです。誰にも話したことは無いし、たぶん当分誰にも、話さないけれど。

やっと、出口が見えてきました。今度こそ、あと少しだと思います。長くても半年というところでしょう。
けど、すぐそこに見えている未来を掴み取ろうとする腕が、物理的に動かなくなるかもしれない。

何でサポート終了なんてするんですかね…。パソコン使えなくなったら、このブログも書けなくなるしそもそも廃業しなきゃなんないです。頂き物のお素麺(ものすごく助かりました、ありがとうございます…!)で命を繋いでいるホームレス寸前の私にどうしろって言うんですかね…。最大のピンチです、まさしく。
何故か助けが入ってどうにか生きてきましたが、今度こそ無理では?と遠い目をしてますよ。いやどうしようかねこれ、マジで。金持ちの愛人になるしかないかねえ(笑)。

たぶん、亡くなった父方の祖父がかなり助けてくれてると思うんですよね。実は祖父が亡くなってから、ちょくちょく祖父のメッセージ的なものを感じることがあったんですよ。これが本当に…。
私はすごく可愛がって貰ってたらしいし、元気な時にも「お前はひとりじゃ生きていけん」的なこと言ってました、確か。ごめんねおじいちゃん、不肖の孫で。相当心配されてるよこりゃ…。
たぶん、あとちょっとでおじいちゃん心配させずに済むと思うから、生きてる人の耳元で囁いてください…。じいちゃんがこんなに心配してくれてるのになー。もういいけどよ、生きてる人にも生きてる人の事情があるんだし。その人たちにはおじいちゃんの助けも要らないんだろうし。
祖父はきっと私の未来を知っていて、いい報告をしに来てくれるのを待ってるんだよね。うう、じいちゃんやばいよー。報告行けないかもしれないよー。助けておじいちゃん…。


わけのわからない話になってきたところで(汗)、もう少しわけのわからない話をします。スケートの記事に混ぜるのはどうかと思ったので、触れてなかった話題なのですけど。

広島に、オーラがわかるマッサージのお店があるのですね。詳しくはこの記事をご覧ください。全3回です。↓
usagipineapple.hatenablog.jp



実はここで、私は昌磨君と同じ色のオーラだと教えていただいたのですよ。昌磨君を何となく他人と思えなかった理由がわかりました(笑)。
このオーラの人は子供のような魂で天然で、自分で考えて頑張るよりは他人の助けを借りて流されるように生きるのが良く、そしてどんなピンチに陥っても必ず助けが入るのだそうです。

あれだけオリンピックに対して気負っていない選手を、私は初めて見ました。昌磨君が平昌でメダリストになれたのは、日々の努力や才能はもちろん、あの異次元のメンタルが最大の要因ではないかと私は感じています。
しかし、平昌を経てから、昌磨君は誰かの期待に応えようとしたり、コーチのいない状況でしばらく過ごしてみたりしていました。昌磨君の選択なので黙って見守る以外には我々に方法はありませんが、オーラの話が私にはどうしても引っかかってしまっていました。それは昌磨君の素晴らしいところを削ってしまうかもしれない。何の根拠もない話でしかないのだけれど。
フランス杯での、昌磨君の滑りとは思えないような演技とキスクラでの涙に胸が痛んだ人は、私以外にもきっといらっしゃるでしょう。

その曇った演技と涙が、嘘のように晴れやかな笑顔に変わったこともまた、スケートファンの皆さんはご存じのはずです。彼に手を貸したのは、ステファンでした。

ずっと読んでくださっている方はお気付きかと思いますが、私はステファンの大ファンです。彼が現役だった頃、私は彼にコーチが務まるなどと考えてもいませんでした。ステファンはとても変わっていたし、自由な人だったから。
でもステファンは、その変わっているところや自由さを、そのままを大切にされて、愛されて育ってきた人でもあると感じていました。それはコーチやご家族の様子からも伺えました。私の友人が「ステファンの周囲の人があれだけステファンを可愛がっているのは良くわかる。何かしてあげたくなる人だ」と言っていましたが、非常に的を得た発言だと思っています。

ステファンは、彼がしてもらってきたことと同じことを、今彼の生徒たちにしているのではないでしょうか。もちろん技術的な指導も行っているでしょうしいちばん大切なのはその点でしょう。しかし、実はそれ以上に、そのままのその人でいられるように愛情を与えているのではないかと考えられるそのことこそが、その選手を本当に強くするのではないか。昌磨君を甦らせたのは、ただその温かな手のひらと眼差しだったのではないかと。

昌磨君が将来どんな道を選ぶかは誰にもわからないことです。でも、どんな道を選んでも、きっと昌磨君もまた、与える側に回っていくのではないでしょうか。昌磨君がこれまで出会ってきた人たちから受け取った愛情を、そっくりそのまま。そうやって、受け継がれていくのだろうと。

「自己責任」という言葉が勢力を保つようになってから久しいです。みんな同じ、苦労しているんだと声高に叫ぶその声は、みんなが誰なのか説明することはありません。ひとりで生きていけない人から、ひとりで生きていくことを当たり前のように求められる地獄。
けれど、みんな同じではないのです。人は全員違う。性格も事情も違う。自分の足で立って大抵のことが出来る、それで実力を発揮できる人もいれば、手を取ってもらわないと立てないけれど、その手のひらからしか美しいものを生み出せない人もいるのです。どちらの生き方も間違ってはいない。感じ方や受け取り方が違うだけ。この件に限らず「違い」を当たり前のものと受け止められないからこそ、争いや誤解やすれ違いは生まれるのです。

今シーズンの昌磨君の物語に、私はあのマッサージのお店で聞いた話を思い出さずにはいられませんでした。あの楽しそうな、子供のような笑顔が、誰かの温かな手のひら無しに戻ってきたとは、私には思えなかった。
これは非常に観念的な話なので、どうか流して読んでいただけたら、と思いながら書いています。本当の本当に、私ひとりが感じている感想でしかないので。
昌磨君には、どうか「枠」から大きくはみ出していてもいいから、昌磨君らしくスケートと歩んでいって欲しい、と願っています。あの素直さが決してねじ曲げられることのないように、彼らしく。

ところで、この色のオーラの人に酷いことをすると、どうやらそれは跳ね返ってくるようです。そのように伺いました。アンチの方はもちろん、行き過ぎたファンの方も、ほどほどにされた方が良かろうと思います。もちろん、オーラに関係なくほどほどにした方が良いのですが。正直、同じスケートファンだと名乗ることにうんざりした気持ちでいます。本当に一部の方なんでしょうけどね、とにかく声が大きいですから。
これは実に眉唾な話ですが、こう書くとものすごく嫌がる方をお見受けすることがあります。もちろんその人に対してそのような話を振ったわけではありません。要するに後ろめたいことがあって、薄々それが間違っていると認識しているのに自分では認めたくないので、暴れ出すのだと思います。勝手に。それなら初めからしない方がいいですよ。人を傷付けたら自分も傷付く。その覚悟すら持てない者の言葉など、残念ながら誰にも届きません。
一種の踏み絵に出来る話だろうと思っていますので、あえて加えています。本当に跳ね返るなんて信じちゃいませんよ。ただ、自分が手を下さずともそのうち鉄槌が下ると考えることは、心を楽にしますから。信用していた人や好きだった人を恨むのは疲れるだけで何も生みませんからね。そう、どんなに背を向けられても冷たい言葉を浴びせられても、結局私は誰のことも心から恨めないんですよ。どこかでまた笑いあえるんだと思っちゃうんですよね。本当にウエットでセンチメンタルで、弱い人間だなと思います。と言うか、バカ。


わけのわからない話で長々綴ってしまいました。何じゃこりゃ。ここまでお付き合いくださった皆様、今日は際立って意味不明で本当に申し訳ない…。

私はひとりでは生きていけない人間です。周囲からそう言われ続けてきた理由が、やっとわかりました。誰かに支えてもらってやっと歩いていける人間です。それを情けないと思っていたし、今もまだ思っているけれど、情けない自分を認められなかったから私はとても生きるのが難しかったのです。
私に命を与えてくれているのは、優しさと愛情です。私が実の親から満足に与えて貰えなかったもの、それが愛情。でも私に必要なものは、それだけだった。温かな手のひらと、眼差しだけだったんです。
どうかもう少しだけ、その手のひらに甘えさせてください。与えて貰った愛情を、言葉に乗せて世界のどこかにいる誰かに届けていけるように、その未来に、たどり着けるように。

今年も1年、当ブログを読んで頂き本当にありがとうございました。皆様がいたからこそ、今年も続けてこられました。
今後のことは上記のような状況ですので何とも言えない、と書くべきなのでしょうが、それでも祈りを込めてこう綴りましょう。
来年のこの日には、自分は世界一幸せだと書き記していますように。いえ、きっときっと、そうなるはずです。

年内にはnoteを1本更新して、こちらのブログは例年通り全日本選手権の記事の掲載に移ろうと思います。例年通りの年越しですね(笑)。お時間がございましたら、是非それらも読んでいただけたら嬉しいです。
来年のスケート鑑賞の目標とかも書こうと思ったんだけど、長いからもういいや(笑)。noteにでも書こう…。今年は結局スケートヒロシマにしか行ってないので、欲求不満もいいとこですよ!まあ、私の力不足なんでしょうがないですけど。
芸術に触れずに芸術が綴れるわけなんか無いし私は特に「知らないことは書けない」人間なのに、これじゃ腐るだけだと思ってるんですけどね、私には決定的に諭吉と仲良くする才能がありません…。すぐお酒買っちゃうような文豪とか画家とかを「駄目だこいつら」と思ってたけど、私同じ人種だったみたいよどうやら(泣)。

それでは皆様、よいお年を。来年も当ブログをどうぞよろしくお願いいたします。




「うさぎパイナップルnote分室」を開設しました。フィギュアスケート以外の話題は2018年9月よりこちらに集約させております。心の叫びや日々の呟き、小説から趣味の話、フィギュアスケートの話も時々、要するに何でもあり。週1、2回のペースで更新中なので、お気軽に遊びに来てくださいね。
note.com