うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい(タロット鑑定してます2020・物書き(ライター)始めました2018)

フィギュアスケートつらつら語り in 3月③

本日は本当のつらつら語りです。しょうもない嘆きに近いので、ほかに読むものが何もない、という方だけお付き合いいただけたら…。

世界選手権が中止になってしまいましたね…。虚無。虚無です…。もちろん覚悟はしていましたが、ジュニアの世界選手権は実施されましたし、観客を入れないという形ででも開催されると予想していました。もう少し時期が早ければ開催されたかもしれないですが、タイミングの問題もあったかもしれませんね。

フィギュアスケートは比較的選手生命の短いスポーツに該当すると思います。選手の年齢も比較的若い傾向にある。国の代表になるために非常に激しい争いを勝ち抜かなければならない場合も多々ある。選手たちはピークをこの大会に合わせて厳しい練習を積んでいる。選手にとってはそれが仕事であり、人生。肉体を酷使し、時に成長期とも重なるこのスポーツの選手が、来年も同様にピークを合わせ、本来ならこの大会で出せていたであろう成果を発揮できるとは限らない。おそらく、女子選手はそれが最も顕著でしょう。

「仕方ない」で済ませてもいいのかどうか。あくまでも一ファンとしてですけど、個人的にこの言葉は使いたくないですね。
「次がある」と言えるのは、結局は他人だから。そしてもしかすると、発言者がもう「次」に懸けなくても人生が安定し平らになった人間だからなのかもしれません。

それでも、我々は結局せいぜいが嘆くだけの立場でしかない。選手が悔しさを滲ませつつも納得しているならば、我々も受け入れるしかないのです。
やはりと言おうか、残念に思う心に明快な解を与えてくれたのは、羽生結弦選手のコメントでした。彼のコメントにはいつも感心しているのですが、この度も非常に的を得た、説得力のあるコメントに唸るしかありませんでした。
決して冗長ではないのに、カバーすべき方向はすべてカバーしている。なおかつ、事務的ではなく血の通った言葉で語っている。疑心暗鬼になって各方面を責め立てていたようなファンも、このコメントには黙るしかなかっただろうと思います。

私が羽生君を好きな理由に、彼の言葉の能力があります。これが本当の文章力であり、言葉の力だと感じています。「好き」以上の範囲を出られない、本当にギリギリ端に引っ掛かっている程度でしかないながら、文章を扱う者として、心から尊敬しています。テクニックとか功拙も大切な要素ではありますが、最終的に「文章力」を決めるのは、そこではないと彼の言葉から実感しています。

実は、他人の文章を読んだり言葉を聞いたりして「この人の書くものや話すことが好きだ」と感じることは滅多にないんです。その逆はしょっちゅうあるんですけど…。ごめんなさい。
羽生君は、その「滅多にない」感覚を抱かせてくれる人物でもあります。私、羽生君が小学生の頃に書いた作文がとても好きなんです。羽生君が書いたと知らなくても、そもそも羽生君のことを知らなくても、「この子の作文好きだな」と素直に感じたと思います。子供の作文なので決して文章が上手いわけではないのですが、非常に魅力的な作文です。ご存じの方も多いですかね、羽生結弦展の図録の最後にも載っていましたしね(お土産にいただいた…。ありがとうございます、涙)。

10月以降に延期とか代替開催とかいった話も聞きますが、何とかいい方向に着地して欲しいと願っております。オリンピックシーズン前年でなかったことは不幸中の幸いなのですかね、だって出場枠…。
…ううう、がっぽり空いた放送枠の1日くらいは『フィギュアスケートTVスペシャル』とかで良かったんじゃないかなあ。過去の名演技リクエススペシャルとかでも良かったんじゃないかなあ…。んで、番組の最後は疫病と人々の心に巣食う魔を祓うための「SEIMEI」から希望の象徴としての「ホープ&レガシー」(※ヘルシンキ)という流れで締め括れば荒廃した人心を導けたのではないかなあ…。無いか…。うっうっうっ…。


ここから先は本当に私の独り言なので、本当に暇な方だけどうぞ。こういう考えの人もいる、程度に流していただければ。

有事の際には、その人間の輪郭が普段以上にくっきりすることもままあるもの。これまでにも「有事」は幾度となく世界に発生していましたが、おそらくほぼすべての人間がその枠の中に収まった例は過去にあまりないかもしれませんね。

人間とはつくづく、「自分とせいぜい自分の身内以外の命は命だとは思っていない」生き物なのだなと痛感します。人間は人間である前に生物ですから、それは当然のことかもしれません。ただ、人間は本能とともに社会性や文化も有した生物であり、だからこそ人間を名乗ることを許されているわけです。

社会性や文化を有した生物という観点から言えば、人間の命はすべて平等でひとつ残らず大切なものです。それは理念であり理想論でしかないのだとしても、理念を掲げるのが人間です。今回取られている様々な対策は、この理念に基づいたものであろうと私は考えます。

我々は、少なくともこの国に住まう我々は、ひとり残らず「命」として守られる選択を取られたわけです。理念でしかないのだとしても「命」として尊重されたわけです。
しかし、理念は理念であり理想論です。すべての人間を守ることは実際には出来ない。どれだけ手を尽くしてもこぼれることはあり、神のルーレットは容赦なく誰かを差す、この瞬間にも。人間に許されたキャパシティは無限ではない。
我々の命を守るために、我々を「犯人」にしないために、我々は誰かを、何かを犠牲にしなければならない。

散々指摘されていることであり、私もおそらくそうなるだろうと懸念していますが、今後訪れる経済的な破綻の方が、よっぽど厳しいものになるんじゃないでしょうか。命がかかっているから仕方がない、と我慢してくれた人たちがいる。ではその人たちの命は、誰が守るのでしょう?

自分が助かったから、「犯人」にされなかったから、生活にも大した影響が出なかったからそれでいい。あとは誰かがやればいい。行政だとか政治だとかに押し付けよう。お金に余裕はあるけど行政から犠牲になってくれた人を助けるために足りなくなったと言われても払うなんてまっぴらごめんだ。

ある程度の終息が見えたときに、そう言って何事もなかったのように日常に戻っていく人が少なからずいるのではないですかね。誰かの命を犠牲にして、自分の命と名誉を守ってもらったことなんか綺麗に忘れて。
その未来が見えるようで、私はしばしば陰鬱な気分に陥ります。

すべての人間やすべての命に思いを馳せることは実際には非常に難しいことです。そんなことをしていたらすぐに精神が破壊されてしまうでしょう。ある程度は割り切らねばならない。自分の人生とすれ違う誰かの人生はごくごく一部で、ほとんどすべての人間とは我々は「無関係」のまま一生を終えるのです。
しかし、今回に限っては、「自分には関係ない」というお決まりの文句を使って背を向ける前に、少しだけ立ち止まった方がいいかもしれない。

自分が「自分と自分の身内以外の命はどうでもいい」と思っているように、他人にとっても誰かの命なんて本当はどうでもいい。でも、もしかすると生物の本能なのかもしれないその本音を表に出すことなく、社会性ある人間としてつとめて冷静に「あなたは大事な命です、生きていてください」と言ってもらったわけですよ、我々全員が。
それなのに、咳した人睨んだり、マスク転売したり、トイレットペーパー買い占めたり、いろんな機関の人のせいにしたり、外出した人やイベント主催した人責めたり、よく情報も精査せずデマの拡散に協力したり、その他諸々「不安でしょうがないからよく考えずにとりあえず振り回される」「自分が損しなきゃそれでいい」的な行動してていいのか?って話ですよ。
実際には個人にできることなんてたかが知れてるかもしれない。けど、少なくともそういうこと止めたら混乱はある程度収まったりするかもしれないじゃない?それってものすごくたくさんの人が助かることだったりしないかな?ダメかな?

「親戚の子供にうつされた~」って頻繁に風邪引いては出勤してきてた人を思い出したりもします。子供のしたことだからしょうがない、風邪引きやすい体質かもしれないし、とたぶん皆スルーしてきた。その人が職場に撒き散らした風邪の菌が元で職場の人の家族や知人が一大事になっても、その人は罪の意識も感じなかったでしょう。その人でなくともたぶん誰も感じない。実際にその人が撒き散らしたせいかどうか立証もしようがないし、その人に責任を取ってもらおうなんておそらく誰も考えない。そもそも風邪は万病の元なんて言われて、特効薬が開発されればノーベル賞なんて話を聞いたこともあった気がします。そんなことでいちいち誰かを責め立てたってしょうがない、人はどんなに気を付けてても病気になるし怪我もするんだから。

この人が同じ事を続けてたら、たぶん袋叩きに合ってるんじゃないかな。子供が発端で家族間に蔓延するという例は確かによく聞くし、だからそこにメスが入ったのかもしれない。その人や家族の予防の意識はこれまで低すぎたかもしれない。
これをきっかけに、もう同じ事繰り返さなきゃいいだけのこと。自分が風邪の予防も出来ないのに、違う病気に苦しむ誰かに「自己管理が足りない」って言い放ったり、無理して仕事に来させたり、休んだら嫌な顔したり、それだけじゃ飽きたらずクビにしたり、そういうのを繰り返さないきっかけにすればいいんじゃないかね。

要するにお互い様ってことで、人間はどんなにひとりで立派に生きてるつもりでも、見えない誰かを犠牲にして支えてもらって生きてるってことなんだなと私は思いましたよ。そして、自分の頭で考えることや客観性、自分以外にも世界に人間がいて多様な考えがあることを知るために教養や学問が存在し、だから教育を受けることが推奨されるんだと。ただ、体系的でなくとも学ぶことは一応何からでも可能だから、この度噴出した大人の愚行から「どうすれば同様のことを繰り返さずに済むのか」と未来に有効な策を打ち立てるきっかけにしてくれる若者がいたら誰かの愚行にも意味があったのかもしれない。

っても、不安で不安でしょうがない人たちはきっとそんなことは考えられないのだろうけど。世の中の諸問題の根幹はすべて一緒なのかもしれない。生きてるすべての人間は死んだことがないから死ぬことに対して不安なのはわからんでもないが、それ以外にも色々。
行き過ぎたファンもアンチもきっと不安でしょうがないのだろう。だから無闇に誰かのせいにするし、トイレットペーパーも無駄にいっぱい買ってるかもしれない。いっぱい買うお金あるってことは貧乏じゃ無いんだろうから、普段からある程度の期間はストックが切れないよう管理しておけば慌てなくて済むのにな。
私の書いたものを読んで「これは自分の悪口か」って噛み付いてくる人がたまにいるんですよね。噛みつかないまでも陰で色々言われてるんだろうなってわかってしまう場合とか。感じ方はそれぞれだからそこは何とも言えないけど、ひとりで受け止める方はしんどいので後者はせめてばれないようにやってほしいかも…。対個人でもしんどいのに、集団になるとそのつもりなかったとしてもいじめにあってる気分ですよ、とほほ。
彼らも結局不安なんだろうな。不安過ぎて自分のことしか見えてないの。申し訳ない、そんなにあなたに興味ない…。ごめんね。何でわざわざこれを書き添えたのかと言うと、これは誰かに向けて書いた文章じゃないんだと言っておきたかったからです。強いて言えば、私が私の中のモヤモヤに向けて書いた文章。要するに独り言ですよ。

私もそりゃ不安ですよ。明日にも食べるものどころか住むところも無くなるかもしれない、って本当の本当にギリギリで生きてるし。ウイルス流行以前から底辺だったから、救済もされないだろうし本気でヤバイっすよ…。けど、その持って行き場のない不安をとりあえず何かに転嫁して、たとえばジャッジとか政治とかにぶつけてもしょうがないでしょ。無駄。どうしようもなくて愚痴吐いて友達にはいっぱい迷惑かけてるけど…。ごめんね…。

それでも、私が変だなあと感じることを、自分は自分の行動に明確なポリシーを持ってやってるんだ、って人もいるかもしれないんだけどさ。それを私が正しいか間違ってるかを判断するのはおこがましいかもしれない。私はずれた人間だから、100人中99人が「そんな考えおかしい」って言ってるかもしれない。
文章を綴る時はいつもとても不安。モヤモヤした頭の中を言葉にして整理しているだけで、自分が絶対だなんて思ってないし常に間違ってるかもしれないって思いながら書いてることが伝わらないかもしれない、いつまた大量にDMが送り付けられてきて心が折れるまで責められるかもしれない、って不安で仕方がない。ほんの時々、それでも私の書くものが好きだって言ってくれる人がいなければ、きっともうブログなんて止めてた。

うん、そうね、こんな底辺に何言われてもムカつくだけでしょうな。それでいいんだよ。君は立派な人間なんだからきっと立派に日常を送っていたはずだ。「フィギュアスケートを楽しむ」という君にとっての当たり前の日常が奪われた今、その日常を支えてくれていた人たちをそれでも君は悪者にしてしまうの?その人たちを今こそ君が支える時かもしれないよ。


…やっぱり意味不明になってしまいましたね、すみません。頭の中では反町隆史が『POISON』を熱唱しているよ。私が神だったら10人くらいしか生き残れんようなタチの悪い何かを流行させて人類滅ぼしてるわよ。お前らうんざりだもう。それでも人類の歴史は全然まだ続くんだからみんなで頑張って生きてくしかないでしょ。人間は君が期待するほど万能じゃないし失敗もするし間違えるのよ、君と同じだよ。みんな結局人間でしょ。何が正しくて何が間違ってるかなんて、本当は誰にもわかんないんじゃないかな。
うん、ますます意味不明になるだけだ。この辺で終わろう。たぶんここまで読んでる人いないと思いますが、いたらスルーしてくださいませ…。

そんなこんなで、今シーズンの競技の感想は、おそらく世界ジュニアの記事で最後となります。もうちょっと先に掲載します。ジュニアの記事はあまり読んでもらえないので気が付かれないかもしれないし(もう完成はさせてる)ここでこそっと予告を。

私のような社会からこぼれた、すぐ心の折れる足元のおぼつかない人間にはとても心の重い春ですけど、重い気持ちはできるだけこの記事で終わりにして、また楽しく綴っていけたらいいなと思ってます。と言っても試合もショーも中止だし、ショーはそもそもお金ないから行けないし(汗)、正直ネタが無いっすね…。
てなわけで、更新頻度はしばらく少し下がるかもしれませんが、noteかはてなかのどっちかが更新されてたらたぶんどうにか生きてるんだろうと思ってください。よっく当たる手相鑑定によると2023年くらいまでは生きてるはずだから大丈夫だと信じる…。
くそうお腹空いたよ!てか中止が切なすぎてヤケ食いしたいよ!カツカレー食べたい!でもお財布が息してない!←突然何だよ(笑)

ではでは、また次回の記事でお会いしましょう。




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