スケーターはもう全員孫だと思って応援しておりますが、その中でも本命レベルに好きなスケーターはやはり存在しております。その、特に好きなスケーターについて個別に語る記事を、全5回シリーズで掲載します。
私は何かや誰かの、特に誰かのファンと名乗れるようになるまで時間をかけるので(主に本当に好きなのかどうか見極めるため)、わざわざ大ファンだと公言してる人や作品はだいたいいつまでも好きです。熱しにくく冷めにくいってやつですかね。タイトルはその辺から来てます。
第1回はこの人しかいないでしょ、ってなわけで「アレクセイ・ヤグディン」さんについて。
私がフィギュアスケートファンになった経緯を語る上では外せないスケーターなので、どうして彼のファンになったのかについても今までに何度も書いてます。なので、同じことを何度も読んだ方もいらっしゃるかもしれませんが、今一度さらっと。
2002年に開催されたソルトレイクシティーオリンピック。フィギュアスケート男子シングルのショートプログラムを何となくテレビで見ていた私の精神に、それは本当に稲妻のように落ちてきました。ある選手の演技を見た瞬間に落ちてきた、すべての時間を麻痺させる、人生最大レベルの衝撃。
その選手の名前はアレクセイ・ヤグディン。男子シングルのロシア代表、当時21歳。
白と黒のステンドグラスのような、シンプルだけど記憶に残る衣装。すくって投げあげた氷がきらきらとリンクを舞う。大きく羽根を広げた鷲のように雄大なトリプルアクセル。スピード感と力強さ、音楽の色を激しく鮮やかに表現してみせる印象的なステップ。
たった3分弱の僅かな時間に、テレビの画面の中を疾風のように駆け抜けていったそれは、私の時空のどこにも存在していなかった、二度と目をそらすことができないほどの強烈な吸引力に満ちた世界でした。
フィギュアスケートはショートプログラムとフリーの2種類のプログラムを滑ることで勝敗を競います。後日行われたフリーも、私は食い入るように見ました。つい数日前までまったく存在を知らなかった外国の青年に、私は完全に心を奪われていました。
男子シングルを制したのはそのヤグディンでした。優勝を知ったヤグディンがキスクラで涙を流す瞬間を、私は生涯忘れないでしょう。つい数日前まで自分の世界のどこにも居なかった青年の涙に、何故私はこんなに感動しているのか。それはきっと、この勝利を手にするために長い葛藤と鍛錬を乗り越えてきた人の涙だったから、だったのでしょう。
ヤグディンの隣に座るタラソワコーチと振付師のモロゾフを、ヤグディンのお母さんとお兄さんだと思っていたくらい当時は何も知りませんでした(笑)。二人ともフィギュアスケートファンの間では知らない者のない超大物。今でこそ笑い話ですけど、本当に何も知らなかったんですよ。
何も知らなかったので、そのシーズンの世界選手権が日本開催だということも当然知らず、放送を見て初めて「長野だったの?!行きたい!」とかなんとか騒いだ気がします(笑)。当時から貧民だったのでそんな余裕ありませんでしたけど、知ってたら行ったかもしれない。行ってたら一生の思い出になっただろうに。
その時のビデオは擦り切れるほど見ました。本田君やワイスも出場してましたよね、懐かしい。あまりにも見たので、ショートプログラム『Winter』の振付は今でも何となく覚えてるくらいです。
エキシビションは放送のない地域で見られず悔しかったっけ。現在の充実した放送からは考えられない時代でしたよね。あの頃のことをよく覚えてるので今も「放送してもらえるだけありがたい」という気持ちで穏やかでいられるのかもしれないです。
ヤグディンの演技の好きなポイントは「スピード感と力強さ」かなと思います。そしてプログラムの美しさ。音楽の表情を捉えた滑りと風格。そしていちばん大事かもしれない、氷上を支配するオーラ。ものすっごくいい意味での「俺様」なんですよ。このオーラが持てる選手は強いな、と個人的に思います。意外といるようでいないんですよね、ここまで強力な俺様は。それは「カリスマ性」と言い換えられるものかもしれません。
それだけの風格を持つ選手でありながら、素顔のヤグディンはなかなかにフリーダムな、愛すべきお人柄だったりします。日本開催の世界選手権でフリーダムに突撃レポートをしていた、という話は記憶に新しいですね(笑)。
当時買った彼の自伝『Overcome』(周地社)とカレンダーは私の宝物です。カレンダーは送られてきた時の封筒ごと大事に取ってあります。オリンピックのビデオも買ったなあ、アメリカのかな。ケースが紙なの。ヤグディンとプルシェンコの煽り映像みたいなのが超カッコいいんですよ(笑)。
いずれも私が死んだらどなたかに譲りますので欲しい方は言ってください、遺言書いときます(笑)。
また、ヤグディンと言えば同じくロシアのスケーター、エフゲニー・プルシェンコとのライバル関係が切っても切り離せないですね。ヤグディンの情報を深く追えば追うほど、この二人の卓越した実力とぶつかり合い、そしてその確執が面白くて。もしヤグディンもプルシェンコもいない世界にワープしたら、私は彼らのエピソードをそのまま文字に起こして少年ジャンプに持ち込むでしょう(笑)。
同じ国内に最大のライバルが生まれる状況は、非常にシビアでもあり、非常に魅惑的なものでもあるのですね。お互いはお互いに勝つために、彼ら以外の選手はヤグディンとプルシェンコに勝つために切磋琢磨することで競技のレベルアップに繋がっていく。痺れるような男子シングルの戦いに、もっと早くから気が付いてリアルタイムで見たかった、と今でも少し悔しい気持ちです。
そう、ヤグディンはまさに少年漫画の主人公を地で行く人物だったのですよ。ただスケートが強いだけでなく、とても人間くさくて個性的で、愛すべき俺様。
「ヤグディンがスケートを見るきっかけだった」という方にも、「ヤグディンは別格」とおっしゃる方にも何人もお会いしましたが、そのお気持ちは本当によくわかります。私もまったく同じですから。
ヤグディンは故障のため、23歳の若さで競技を引退することとなりました。当時放送された引退セレモニーで見せた彼の表情を、私は胸の痛みと共に今もはっきりと思い出せます。
ヤグディンを現役選手として応援できたのは、2年にも満たない短い期間でした。あまりにもショックで、楽しんで続けていたスケートに関連する書籍の収集や新聞記事のスクラップをやめてしまった程でした。それでもヤグディンの面影を探して何となくにでも競技を見続けているうちに、心惹かれる選手たちに再び出会い、競技そのものをだんだんと面白く感じるようになってきて、今に至ります。
18年前のあの日、ヤグディンに出会っていなければ、今の私はありません。私にとっては永遠の「別格」。それがヤグディンなのです。
※本日の記事は、過去にnoteに書いていたフィギュアスケートの記事の再掲です。noteの方で読んでくださった方がどれくらいいらっしゃるかわかりませんが、スケートメインのブログであるはてなの方がよりたくさんの方に読んでいただけると思い、掲載からある程度時間も経ったことから改めてこちらにも掲載しました。掲載にあたり、多少加筆修正しています。
note掲載時に、スキやオススメ(サポート)をしてくださった皆様、本当にありがとうございました。普段なかなか反応をいただけないので嬉しかったです。特にサポートは生活が助かったので本当にありがたかったです、後光が射して見えました…(涙)。はてなも、特にアカウントがなくてもスターがつけられるようになったらいいのになあ。
元の記事はこちらです↓
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