特に好きなスケーターについて、全5回の予定で個別に語るシリーズ。第2回は「ジェフリー・バトル」さん。そう言えば、ジェフについて個別に長々と語るのはこれが初めてかもしれませんな。
私がフィギュアスケートのファンになるきっかけを作った選手は、ソルトレイクシティーオリンピックの覇者であったアレクセイ・ヤグディンでした。詳しくは第1回の記事で延々と語っているのでお時間ございましたら目を通していただければ幸いです。
そのヤグディンが故障により引退を余儀なくされた時、私がどれだけショックを受けて落ち込んだか、今も表現し尽くせる気がしません。ヤグディンは氷上で戦うことが好きな人のように私の目には映っていました。まだまだ競技者として戦いたいんじゃないだろうか、そうでなければオリンピックの翌シーズンにも関わらず、休養もせずに普通にグランプリシリーズから出場しないだろうと思っていたのです。勝手にですけれど。
そう、私はまだもう少し、ヤグディンを現役選手として応援できると思っていました。応援していたかったのです。けれどその願いはあっさりと断ち切られてしまった。引退セレモニーでのヤグディンの涙も、胸に突き刺さる痛みを、さらに深く深く、深奥まで突き刺しました。
その痛みに耐えきれなかった私は、喜んでやっていたスケートの本や新聞記事の収集もほとんど止めてしまいました。競技の放送はどうにか見ていましたが、初めはただヤグディンの面影を探していただけだったように思います。
その抜け殻のような日々に、爽やかな風のように少しずつ少しずつ私の心に染み渡ってきた選手がいました。それがジェフだったのです。
ジェフの存在を知ったのは、当時購入していた雑誌『スポーツアイ』の増刊号だった『SKATERS BEST50』に載っていた写真だったと思います。この爽やかな笑顔の美男子は誰なんだろう、と何故か強く惹かれたのです。2002年の後半くらいかなあ、あまりはっきり覚えてませんけど。
スケーターのファンになるきっかけのほとんどはもちろん「演技がどれだけ心を揺さぶったか」なのですけど、ルックスから入ったのはたぶんジェフだけじゃないかと思います。どんなに本人が見目麗しくても、スケートが美しくなければさほどカッコ良く見えないのがフィギュアスケートという競技ですからね。もちろん、容姿の美しさが説得力を持つ競技ではあるのですが、それは確かな技術があってこそ初めて活かされるものですから。
個人的にですけど、男子シングルにおける美形の双璧は、ブライアン・ジュベールとジェフじゃないかと思ってます。彫刻のようなジュベールと、童話や少女漫画の世界の王子様が抜け出してきたような現役時代のジェフ。特に横顔にかけてはジェフが最強だったんじゃないかなあ…。
しかも彼らが特に活躍していたトリノオリンピック前後の期間は、男子シングルの世界はルックスと個性と実力に恵まれた選手たちがトップクラスを席巻していたのですよね。大ヒットしたフィギュアスケートのアニメを作った方々の中心には、きっとこの時代のファンの方がいらっしゃるのだろうと勝手に思ってます。予想の通りかどうかはわからないですけど、もしその通りであれば、オマージュしたくなる気持ちはよくわかる。あの頃のスケートファンでいられて幸せだったなあ、と今でも思ってるくらい。
初めてジェフの演技を見たのは、たぶん2002年のNHK杯。その爽やかな演技を実況にとても褒められていたような記憶があるのですが、おっしゃる通りだと実感しました。ああ、この人はあの写真の笑顔の通りの演技をする人なんだ、と知った私は、少しずつ少しずつジェフを応援するようになっていったのです。
ジェフの演技の最大の魅力は、やはりその足元の端正さではないかと思います。決して4回転といった難度の高いジャンプが得意な選手ではありませんでしたが、滑りそのものの正確さや美しさで目を惹くスケーターでした。ちっとも派手じゃないのに、とても目を惹くんです。
そしてその笑顔。ジェフが滑ると、爽やかな風がリンクを駆け抜けて行くような気がするのです。私はアイスショーで「ジェフが笑顔で滑ってる」というだけの理由で泣いたことがあるくらいです…(汗)。
「アララトの聖母」の衣装が凄く好きだったなあ。陶器のタイルみたいな柄の。シンプルだけどすごく素敵で似合ってたっけ。
トリノオリンピックはジェフの銅メダルが嬉しくて仕方なかったのですけど、ジェフの現役時代の中でも最高だったんじゃないかと思うあの赤い王子衣装のジェフに当時のマスコミは目もくれなかったので、ジェフが映らねえ、と泣いてた記憶が…。今ならば、女性誌あたりに「何この美形」と食いつかれて、ツイッターに写真や動画が流されまくってたと思うんですけど(笑)。
実はトリノより嬉しかったのが2008年の世界選手権。表彰台の真ん中に誇らしそうに立つジェフの姿に、涙が止まらなかったことを思い出します。その頃の私は深い悩みを抱え、出口の見えないひたすら苦しい日々を過ごしていました。その疲れ切った心に、ジェフの嬉しそうな姿がどれだけ励ましと癒しに、そして心の支えになったことでしょう。ジェフはそんなことは知るはずもありませんし知らせる必要もないことですけど、私はジェフに助けてもらったような気がしています。
ジェフはその2008年に現役を引退しました。自国であるカナダで行われるバンクーバーオリンピックに出場するものだとばかり思っていた私はやはりショックではありましたが、26歳という年齢などを考えると仕方がないのかもしれない、とどこか納得もしていました。けれどいざバンクーバーオリンピックが始まってみると、何故ここにジェフが居ないのだろう、ととても寂しく感じたことも確かです。
現役時代には叶わなかったジェフの生の滑りを初めて見たのは、2011年のスターズ・オン・アイス。席の遠さと私の視力の悪さから、なかなか群舞のスケーターを見分けられなかった私がジェフに気が付いたのは「ジャンプの降り方」。ジャンプを降りる時に決める綺麗なポーズでジェフだとわかりました。そんな判別方法ができるようになっていたあたり、この頃にはすっかり押しも押されぬスケオタと化していましたね(笑)。
写真集も買ったなあ、『ジェフリー・バトル アーティストブック chapter TWO』(学習研究社)。黒い長髪のカツラをかぶったジェフの写真が何枚かあるのですけど、髪の色が違うので一瞬ジェフだと気付かないんですよ。だからこそ彼の端正な顔立ちがはっきりとわかって、この人本当に美形なんだな、と改めて感心したっけ。ジェフ自身は自分が美形だという自覚もなければあまり関心もなさそうでしたけど、北米の男性の美しさの基準はやはり日本のそれとは異なるのでしょうかね。どちらにしろ、その気取らなさがまた魅力でしたね。
付属のDVDをひとりで見る勇気がなく、友達を呼んで一緒に見てもらい、案の定のたうち回ったことはいい思い出です(笑)。
現在もショーに出演して音楽そのもののような巧みな演技を見せてくれているジェフですが、最も知られているのは振付師としての活躍ぶりかもしれません。羽生結弦の躍進のきっかけのひとつとなった『パリの散歩道』、史上初の300点越えやオリンピックの連覇達成に大きく貢献した『バラード第1番』が彼の手によるプログラムであることは、今やスケートファンでなくとも耳にしたことがある人もいるのではないでしょうか。
ショーの群舞の振付なども手掛け、まさに八面六臂の活躍ぶり。現役を引退してしまったら大学に戻り、もうあまり活躍に触れることができないのではないかと思っていた私の心配は杞憂に終わったようです。現役を退いて10年以上経った今も、スケートの世界になくてはならない存在となった彼の活躍をこうして見守ることができるのは、ファンとして嬉しい限りです。
私をフィギュアスケートの世界に引き込んだ選手がヤグディンなら、ジェフは私をフィギュアスケートの世界に繋ぎ止めた選手でした。どちらが欠けても、今日のこの日まで私はフィギュアスケートのファンを続けていなかったかもしれません。
彼の存在を知った日から、約18年。今も大好きでいさせてくれてありがとう。これからも静かに穏やかに、ずっとファンでいさせてください。爽やかな風のように。
※本日の記事は、過去にnoteに書いていたフィギュアスケートの記事の再掲です。noteの方で読んでくださった方がどれくらいいらっしゃるかわかりませんが、スケートメインのブログであるはてなの方がよりたくさんの方に読んでいただけると思い、掲載からある程度時間も経ったことから改めてこちらにも掲載しました。再掲載にあたり、少しだけ加筆修正しています。
note掲載時に、スキやオススメ(サポート)をしてくださった皆様、本当にありがとうございました。普段なかなか反応をいただけないので嬉しかったです。特にサポートは生活が助かったので本当にありがたかったです、後光が射して見えました…(涙)。はてなも、特にアカウントがなくてもスターがつけられるようになったらいいのになあ。
元の記事はこちらです↓
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