うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

生半可には愛せない・はてな版③ ~ランビエール~

特に好きなスケーターについて個別に語る記事をつらつらと書きつらねてこそっと掲載するシリーズ。「スケーターはみんなかわいい」という境地に達しつつあるため、特に好きなスケーターをわざわざ個別記事にして語ることはなんとなく避けていたのですけど、あえて書いてみました。

第3回は「ステファン・ランビエール」さん。単独の記事にしてないだけでなんだかんだとこれまでに紙幅を割いてきたスケーターですが、改めて書いてみましょうかね。


実は、ステファンだけはいつファンになったのかを全然覚えていないのです。いつ彼のことを知ったのかもよくわかりません。名前だけは、『スポーツアイ』や『ワールドフィギュアスケート』で覚えてたような気もするけど、既に記憶は曖昧。

2004年くらいかなあ、コストナーの演技中の実況を聞いて、この素敵な子の彼氏?なんだ羨ましい奴だな、って思った記憶はすごいあるんですよね(笑)。当時は実況がそういうこと言っちゃう時代だったんですよねえ。
最近ファンになった方はご存じないかもですが、彼ら二人のことはある程度ファン歴の長いスケオタの間では有名な話なんじゃないかな。

演技を初めて見たのもいつだったんだろう。2005年のグランプリファイナルのエキシビションの記憶は何故かめっちゃあるんだけど。とにかく、不思議なほど全然覚えていないです。

今でも昨日のことのように思い出せるのは、トリノオリンピックの表彰台。あの伝説の表彰台ですよ。銀メダルを胸にめちゃめちゃ泣いてるシマウマ衣装のステファン。キスクラではよく見る光景だけど、表彰台であんな大泣きしてる人あまりいないような…。
でも、その光景に私は、「こんな所でこんなに泣いちゃうなんて、この人きっと素直ないい人なんだろうな」って思ったんですよね。それはものすごく覚えてる。その頃にはもうファンだったのかなあ、どうだったのかなあ…。


とにかく、私はいつの頃からか、自分はどうもこの人のファンのようだぞ、と気付き始めた。気付き始めたものの、自分が何故彼の演技に惹かれるのか、実はなかなか納得のいく解が見つからなかったのです。
ステファンが出場する試合を楽しみにするようになっていく自分と裏腹に、私はとても冷静にステファンを観察し続けていました。私は自分が誰かのファンだと言えるようになるまで、何故その人が好きなのかじっくり自分に問いかけ、本当に好きなのかどうかを見極めようとするタイプです。だから基本的にファンだと言い出すまでに数年かかります。ステファンはその作業にかなり時間をかけた人物のひとりでした。

答えを見つけたのは、2007-08シーズン。そのシーズンのエキシビションプログラム『ロミオとジュリエット』を初めて見終えた時でした。

ジョシュ・グローバンの切ない歌声。小道具の白い薔薇に語りかけるように滑るステファン。ロマンティックでドラマティックで、胸をかきむしるほど寂しい、決して救われることのない物語。

私の探していたものが、私が求めていたものがここにあったのだと思った。フィギュアスケートという舞台において私が見たかったものは、これだったのだと。

子供の頃大好きだった本。いつまでも見上げた満天の星空。木漏れ日を浴びて光る繊細な硝子細工。
私の心を揺さぶるものと、琴線に触れてやまないものと、まったく同じものが彼の演技にはある。私の感性が触れることを欲してやまないものが。

それに気付いた時に、私は自分が彼のファンであることを本当に自覚したのです。それはもちろん私の勝手な感覚で、正解なのかどうかはわかりませんけれど。


決して手に入らないものを狂おしく求めるような滑りを見せる時のステファンは、私の中でどのスケーターも叶わないほどに深く深く魂に揺さぶりと満足を与えてきます。まさに絶品。バンクーバーオリンピックエキシビションプログラムでもあった『Ne me quitte pas』などがそうですね。スケートに哲学性までをも感じたのはあのプログラムが初めてでした。

ヨーロッパの男性にしか出せないであろう上品な空気や、繊細な世界観。スポーツとして「消費」することが勿体ないくらいの深い芸術性。そのルックスとも相まって、正統派の王子のようでも、秋の日の翳りのようでもあるステファンは、非常にリリカルでロマンティックなスケーターに思えます。

しかし、それだけにとどまる人物ではないところが彼の最大の魅力でしょう。この人、ものすっごく変わってるんです。ちょっと他の追随を許さないレベルで。
かの有名な『四季』について彼の語ったコンセプトは、その衣装とともに非常によく知られているのではないでしょうか。あのシマウマ衣装で日本のCMにも出てたくらいですし。

彼の中では確固とした信念がある。ただ、それを語る彼の言葉は我々の想像を遥かに超えていて、まず一度では噛み砕けない。
そもそも、トップレベルの男子では必須のトリプルアクセルがあれだけ苦手だったのに、4回転ジャンプは現役を退いて随分経っても何故跳び続けられるのか。本人が過去を消したがるほどのかの有名な「赤猫」。突然坊主頭で試合に出場し、あのロマンティックなロミジュリを坊主頭で滑った時の衝撃。

不思議で、自由で、掴めない。それは彼の演技にも表れていて、個性的な振付や衣装に我々は目を奪われる。しかしそれらは確固たる技術や音楽的センスに裏打ちされたもの。気まぐれで繊細な、硝子のようなシマウマのような、類い稀な音と氷の魔術師、それがステファン。何度も何度も感動して泣かされたけど、何度ツッコミを入れたかももうわからない。正直この文章も何て書いたらいいのかわかりません。説明が難し過ぎるよこの人(笑)。


2008年の秋、ステファンは突然引退を発表しました。怪我が原因でした。
当時のことはあまり覚えていませんが、私はショックのあまり半狂乱になっていた、と友人から聞きました。同じく大好きだったジェフリー・バトルもステファンもいないバンクーバーオリンピックをどう楽しんだらいいのかと、落ち込むどころではないほど落ち込んでいたような記憶はあります。

しかし、ステファンはそのバンクーバーオリンピックに出場するため、再び競技に戻ってくるのです。あのシーズンのプログラムは全部大好きですね。ショートプログラムの『ウィリアム・テル』の衣装は男子スケーターの衣装としては個人的にベスト3に入ります。
迎えたバンクーバー。フリープログラム『椿姫』を滑り終えた時のステファンの表情を、私は今も忘れることができません。悔しそうな、自分を許していないかのような怖い顔が、今も私の胸に棘のように突き刺さっています。それが彼の現役最後の試合でした。私は今も、バンクーバーのフリーは見返せないでいます。

バンクーバーの熱狂が冷めやらぬままの2010年の春、私はようやくステファンの演技をこの目で見ることができました。そのあまりの華やかさに、息をするのも忘れて見つめた『椿姫』。テレビでは伝わらなかったその空気に魅入られて、私は積極的に会場へ足を運ぶようになりました。それまではなんとなく気恥ずかしくて、スケートはテレビで見るだけに止めていたのですよ。ジャンプの見分けもつかない不勉強な私が行っちゃいけないかな、と勝手に遠慮していたのです。

人生でいちばん悲しかった夏、彼のチャイコフスキーを見て「生きていてもいいのかな」と思えたこと。あまりの別格ぶりに震えた『ラ・ヴァルス』。これだけ席が遠ければ恥ずかしくないや、と開き直って振っていたスイス国旗に気が付いて見せてくれた子供のような笑顔。もう、そんな顔されて勝てるわけがないでしょ。
思い出は尽きません。地元広島で開催されたNHK杯にコーチとして訪れたステファンの姿を目にした時は、文字通り夢じゃないかと思いましたね(笑)。

自伝『ステファン・ランビエル』(新書館)ももちろん持っております。て言うかサイン会行きました…。私が死んだらどなたかに差し上げましょう。私の名前は適当に書き換えておくんなせえ(笑)。


ステファンは日本と深い関わりを持つ運命にあった人物のようで、幾度となく来日しています。競技者として、ショースケーターとして、そしてコーチや振付師として。もう日本に家買ったら?と突っ込んだことのある皆さん、手を挙げて(笑)。

現在は島田高志郎選手や宇野昌磨選手のコーチとしても知られるようになりましたね。あんな自由で変わったステファンにコーチは向かないのではないかと彼が引退したばかりの頃には思っていましたが、コーチ不在で低迷していた昌磨君のコーチを彼が引き受けてからの昌磨君の鮮やかな復活ぶりはご存じの通りです。とても驚くとともに、非常に嬉しくもありました。
ステファンは周囲の人に深く愛されて育ったのだろう、と私は勝手に思っていました。彼がコーチやご家族から受けたその愛情を、彼はそのまま生徒たちに与えているのではないでしょうか。あの独特の個性を潰さないよう、むしろ最大限に活かす方向に愛して貰ってきたそのままに、生徒たちがその個性を活かして輝けるように。

経済的な余裕が無かった私は、色々悩んだ末にファンを止めようかと思ったことも何度もありました。けれど、ああ、だから私はずっとこの人が大好きだったんだ、と近年の彼の姿に改めて胸が震える思いです。なかなか誰かのファンだと言えない代わりに、一度本当にファンだと思えた人は、本当の本当に才能溢れる素敵な人なんだよ、と胸を張って言える。もちろんステファンもそのひとりです。
占い師によると、私は一生ステファンのファンを止められないそうですが(笑)、穏やかに静かに、いつまでもその活躍を見守っていられるだろうと今まさに確信しています。

これからも神出鬼没に来日したり客席に現れたりテレビに映り込んだりしてスケオタの話題を別の意味でさらって欲しい。何よりも最高の滑りで魂を震わせて欲しい。もし、もう会場で彼を見る機会が無かったとしても、私はずっと静かに、遠くからいつまでも、応援し続けているのだろうと思います。私にとって永遠の、氷上のトリックスターを。



※本日の記事は、過去にnoteに書いていたフィギュアスケートの記事の再掲です。noteの方で読んでくださった方がどれくらいいらっしゃるかわかりませんが、スケートメインのブログであるはてなの方がよりたくさんの方に読んでいただけると思い、掲載からある程度時間も経ったことから改めてこちらにも掲載しました。再掲載にあたり、少しだけ加筆修正しています。

note掲載時に、スキやオススメ(サポート)をしてくださった皆様、本当にありがとうございました。普段なかなか反応をいただけないので嬉しかったです。特にサポートは生活が助かったので本当にありがたかったです、後光が射して見えました…(涙)。はてなも、特にアカウントがなくてもスターがつけられるようになったらいいのになあ。

元の記事はこちらです↓
note.com




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