夜の闇の黒がどんな黒だったか、赤く輝く星の色がどんな赤だったか、思い出せなくなっていた。
元々壊れていた左の眼には、世界は濁ってぼんやりとしか映らなかった。
自分がどこを歩いているのかも、忘れていた。
だから、突然両の手のひらのなかに落ちてきたものが何なのか、すぐには理解できなかった。
それは星の欠片だった。やわらかくてあたたかくて、見たこともないくらい綺麗で、名前もわからないのに、とても懐かしい気がした。
本当は、気付いてた。これはとても大切な欠片だって。
君の長い睫毛に揺れるプリズムから、君の黒い瞳の宇宙から、こぼれてきた星の欠片。
気が付かない、振りをしたんだ。気が付いても、哀しいだけだと思ったから。
僕はその欠片に名前を付けなかった。名前を付けずに、そっと鍵をかけて、ガラスの箱の底の底に、眠らせておくつもりだった。
でも、でもね、それでもその欠片は、本当に綺麗なんだ。あんまり綺麗で、しっかり蓋を閉めたはずなのに、隙間から翡翠や蒼玉みたいな色の光のかたまりがこぼれ落ちてくるんだ。
それを集めないでいられるほど、僕は嘘吐きじゃなかった。
光のかたまりからは音が聞こえる。不思議で、懐かしいリズム。それは星の欠片が時々奏でる、懐かしい歌。どんな音色よりも綺麗な、君の心の音。少なくとも、僕にとっては。
僕の手のなかで光が集まって、蝶々になる。空気に透ける、碧や翡翠の羽。静かに羽ばたくと、時々音が羽から落ちる。歌うように、こぼれ落ちる。
蝶々には羽があるから、僕の手のなかから翔んでいってしまう。僕のまわりで翔び続ける蝶々もいるけど、遠くまで遠くまで旅をする蝶々もいるみたいだ。
僕があの星の欠片を捨ててしまわない限りは、蝶々は空気に溶けるようにいつまでも翔んでいられる。
時々だけど、蝶々は僕のところに戻ってきていた。
遠くの空の色に、うまく混ざれなかったのかと思っていた。
よく見ると、それは僕の宝物の星の欠片から生まれてきた蝶々じゃ、なかった。
羽の形も、翡翠の色もとてもよく似ているけど、これは僕の蝶々じゃない。
僕の知らないところで、僕には見えないところで、僕の腕を離れた蝶々を、君が見つけていたなんて。
砕けた欠片が星の元に帰っていくように、君の指先に止まっていたなんて。
君は僕の蝶々の代わりに、君の手のひらから生まれた蝶々を、僕に帰してくれていた。
僕が気が付かない振りをしている間に、こんなに、こんなに沢山。
君のやさしい手のひらが翔び立たせた翡翠の羽。
星の欠片から聞こえる音が、蝶々の羽からも聞こえる。
君のあたたかい、心の音。
僕の蝶々は懐かしい星のにおいに惹かれるように君の元へ辿り着いて、君の蝶々は僕のガラスの箱の底に眠る星の欠片を探し当てるように僕の元へ辿り着く。
僕が君の星の欠片を見つけた日のことを君は知らない。
君が僕の蝶々を見つけた日のことを僕は知らない。
それなのに、気が付いたら僕たちのまわりには、碧や翡翠の羽の蝶々が、こんなに沢山舞っている。気が付いたら僕の壊れた左の眼に映る世界は、こんなにも透明で、鮮やかだった。
蝶々は何も話さないから、何故僕のまわりを翔んでいるのか、僕には尋ねる術がない。
僕も僕の手のひらから翔んでいく蝶々にひとつだけお願いをしていた。君には何も話さないで、って。
僕がこの星の欠片を宝物にしていることを、君に知られるわけにはいかないと思った。
君の心の音に、いつまでも綺麗であって欲しかったから。
蝶々の羽の翡翠を通して空を見つめる。あんなに遠いと思っていた君の向こうの星空が、手の届きそうなくらい、近くに広がる。
蝶々の羽の音に導かれるように、僕はもう一度君の瞳を見つけて、君はやっとほんとうに僕の輪郭を瞳の中に描き出す。
君の声を聞かせて。
蝶々の羽の音の代わりに、君の声を。
それは、もしかしたら、もしかしたら。
翡翠の羽音に紛れた僕の声を君は見つけるだろうか。
それは星の欠片だけに聞かせていた言葉。
君の星が奏でる音を、僕は僕がいつか燃え尽きてしまうまで、聞いていたい。
本当は、気付いてた。これはとても大切な欠片だって。
僕はずっと、ずっと君を、探していたんだよ。
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いつも「なんすかこのポエム」としか言いようのないスケートの感想を楽しみにしていてくださる皆様、こんにちは(笑)。試合やショーの中止が相次ぎ、私自身も金欠のためなかなかそれらを見られない毎日のため、そろそろ皆様ポエムに飢えていらっしゃるのでは…(笑)と思い立ち、noteにこそっと載せていたポエムをはてなに再掲してみました。突然何事かと思ってしまった皆様ごめんなさい(笑)。
数年にわたってショーや競技の演技の感想を書き続けているうちに、私は少しずつ自分の作風を思い出してきました。作風と言うか、元々の自分とでも言うのでしょうかね。
ひとつは「笑いを取らずにはいられない自分」。これは忘れることなくずっと自分のそばに在ったものです。エッセイ系は基本このスタンスですね。ユーモアって結局サービス精神だと思うのですよ。できれば深刻になり過ぎるよりクスッと笑っていただきたい、そんな気持ちで書いてるのがエッセイ。それが過ぎて「ふざけてんのか」と怒られたり、たまに真面目に書くと「この人怖い」とか思われたりして弊害も多いですけどね…。とほほ。
もうひとつが、「ホントにこれいつもの人が書いてるんですか?」とツッコまれることもしばしばな、ポエム入った何か。最も発動するのが羽生結弦選手が素晴らしい演技をした時ですね。いつも読んでくださる方ありがとうございます(笑)。
そうですね、羽生君でたとえたらわかりやすいか。羽生君の寒いギャグにツッコミを入れずにはいられない自分と、羽生君の美しい演技に感動するあまりポエムを呟いてしまう自分と、両方が存在していて、それがかなり両極端だということです。ある程度長く読んでくださってる方にはなんとなくイメージできるのではないかな、ととりあえず勝手に想像して話を進めます(笑)。
日常生活で「ポエムな自分」が表に出る機会はあまりないので、自分が元来相当なポエマーだということはついつい忘れがちです。しかし、私はこのポエマー部分が実は本体です。笑いを取りに走る性格もまあ元々なんでしょうけど(笑)どっちかというと後から作った対外的なものですね。人に嫌われないための自分。ってもそんな苦じゃないのでやっぱり元々のものなのでしょうけど。
そもそも、ポエムな自分って恥ずかしいものです。普段は隠しておきたい。何せ自分そのものですから。しかし、何かに強く心を揺さぶられたときには、この本体が思いっ切り出てきてしまうのです。私にとってはステファンや羽生君はそんな自分の本性を表に引きずり出してしまうほどに心を揺さぶってくる存在なのです。彼らの演技が私の心の琴線に触れやすいということなのでしょう。
揺さぶられた感情のままに感想を綴ってしまうので、まるでいつもの人じゃない(笑)誰かが書いてるみたいに見えますが、実はまぎれもない私本人が書いている。むしろこれが本来の私の文体なのです。しかしあまりにポエムが過ぎるので、どうなんだこれは、と自分でもドキドキしながら載せていました。あまり読者がいないこともあり好き放題書けたということもその要因でしたかね。
しかし、そんなポエム極まりない文章を気に入ってくださる方がいらっしゃることを私は知るのです。本当にありがたい、ありがたい話です(涙)。
そうか、こんな文章も存在してもいいのか。ていうか自分は元々こういう人間だった。じゃあ、時々なら表に出してもいいかな。けど演技の感想以外では実はそんなに書く機会がない。この文体が活きられる道は…。そうだ、創作だ。
子供の頃にいろいろ嫌な思いをしたり、創作なんて特別な人がやるものだと思うようになったりして、すっかりそれらから離れて久しかった私は、少しずつnoteに短編小説や詩を載せるようになりました。私のnoteはそんなに読む人もいないので、気楽な練習や実験のつもりで。何せ何年も書いていなかったから、どうやって書いたらいいのかがわからなくなっていた。いや、知らなかったのかもしれない。
心にたまっていたモヤモヤをそのまま吐き出すと怖い文章になるから、そっと詩に変換してみる。何となく眺めていた窓の外の雲の色から言葉がこぼれてきて、詩を綴らずにはいられなくなる。そんな風に「書かずにはいられなくなった」時だけ、私の創作は生まれてきます。読んでもらえたらという気持ちで書いてもいるけど、ある意味自分のためのもの。特にポエムはそうかもしれません。小説はもうちょっと、客観的に見ながら書いていますけども。そうじゃなきゃ書けないですね。ものすごく短い小説はそうじゃないけど。あれは詩に近い。
めちゃくちゃ落ち込んだ気持ちから生まれてきた創作なんて、あとから読み返すともう同じ気持ちにはなれないから意外と面白かったりするんですよ。これどうやって書いたんだろう、もう同じもの書けないやって(笑)。文学とか音楽とか芸術なんてものはそんな風に、喜びやら悲しみやら怒りやらのどうしようもない感情をどうしようもなく作品の形にしただけで、その作品が時々とんでもなく美しくて、我々はそれらに勝手に感動したり共感したりしてるだけなんだろうなって思ったりします。その感動や共感を仕事として計画的に生み出せる人ってすごいですよね。私はそれができなくて、ただ「そうせずにはいられない」だけだから、お金稼げなくてこんな貧乏してるんだろな。
そんな風に、基本的に自分の中のゲージがたまった時に「そうせずにはいられなくて」書いている創作は、特にポエムは、言ってしまえばほとんどが自分のために書いている内向きなものです。しかし、ひとつだけ、外に向けて書いた詩がありました。それが今回再掲したポエムです。
出せない手紙の代わりに、そっとしのばせた1行の中に本当は詰め込んでいた言葉に行き場を与えるために、「そうせずにはいられなくて」書いた詩。でもそれは、いつもとは違うもの。
フィギュアスケートは不思議な競技です。我々が名演技として挙げる演技と、選手にとっての大切な演技が、時に違うことがあったりします。優勝した選手の演技は記憶にないのに、表彰台に乗ることすらなかった選手の演技が強烈に印象に残ることすらあったりします。とても繊細なスポーツなので、ミスなく完璧に滑った時がいちばん印象に残りやすく名演技にもなりやすい、それは疑いもなくそうなのですが、それだけで説明しきれる競技ではないのです。
ジャンプの回転が足りていなかった。スピンのレベルが取れていなかった。決して完璧な演技ではなかった。それなのに、どうしようもなくその演技に心を揺さぶられるとき。それはきっと、選手の想いや人生や感情や、それだけでは表現しきれない何かが、演技にあふれ出していた時なのではないでしょうか。そんな演技に出会えるから、フィギュアスケートは面白く、そんな演技が存在するところがフィギュアスケートというスポーツの特性なのではないかと私は思っています。
私にとって、これはそういう詩なのです。きっと完璧ではないし、GOEなんてたいしてつかないかもしれない。けど、私にとっては、一生のうちに一度滑れるかどうか、いや、もう2度と滑れないとわかって演じたプログラムのようなものなのです。たったひとりのために、人生のすべてをかけて演じた、生涯でたった一度だけの渾身の演技。
だから、試合を見て欲しかった。けど、その試合のチケットが、ぐちゃぐちゃに引きちぎられて落ちていたのを目にしてしまったとき。チケットを破いたのは別の人かもしれない、落としたチケットが踏まれて破れただけかもしれない。でもチケットには半券がついたまま。もしかしたらチケットを持たずに控室で見ていたかもしれないけれど、そんなことはわかりはしない。
もし、そんな演技がこの世に存在していたならば、私ならせめて、観客として覚えておきたいと思う。いえ、きっと選手の意図を知らずとも、何かを感じて胸を震わせたと思う。それがフィギュアスケートだから。
皆さんがどう思うか、どう感じるかは私にはわかりません。こんな中二病の腐れポエムなど読むだけ時間の無駄だったかもしれません。けど、誰か一人だけでもいい、少しだけでいいから拍手を送ってあげて欲しい。この演技に、詩に、私という人間そのものの溢れた何かに、墓標を与えてあげて欲しい。確かに存在していたという証を。スケートを愛する皆さんになら、もしかしたらこの気持ちが伝わるかもしれないと思った。だからあえて今回、この詩を選んだのです。
時々取り出して眺めていた大切な大切な宝物が無くなってしまっていたことに「僕」は気付いてしまった。何か理由があったのだとしても、宝物を与えてくれた君が自らそれを奪ったという事実は、美しく輝き続ける星の欠片を粉々に砕いてしまうには十分でした。けど、「僕」はその欠片を永遠に捨てられないことにも気が付いてしまった。「僕」はいつかとは言わずに燃え尽きて、「僕」の手のなかで生まれた翡翠の蝶は、永遠に漆黒の宇宙を彷徨い続ける。
これが物語なら、林檎の欠片がこぼれたり、ガラスの靴が落ちていたりして奇跡は起きる。けれど彷徨う翡翠の蝶を見つけても、懐かしい星のもとへ通じる道を教えてくれる人は誰もいないでしょう。それが現実だから。
せめて、永遠に言葉の海を漂うことになった翡翠の蝶を、誰かが目にしたのなら、綺麗な羽の色だと呟いてくれますように。何十年、何百年先のことでも、いいから。
ふふふ、確かにいつものポエムは私が書いていたということがわかっていただけましたでしょうか(笑)。今シーズンは果たしてポエムが書けるかどうか非常に怪しくなってきましたので、とりあえずこんな形で爆発させておきました(笑)。スケート鑑賞はただ楽しいだけでなく、ポエムな自分を全開にしても許される数少ない機会でもあるのに、本当にとほほです。コロナの馬鹿。
明日のことなんて誰にもわからない。明日私が消えてしまっても、誰かがこの世界の最果てに立っている、本当の私を自分自身の手で埋めた私の墓標を訪ねてきてくれますように。
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「うさぎパイナップルnote分室」を開設しました。フィギュアスケート以外の話題は2018年9月よりこちらに集約させております。心の叫びや日々の呟き、小説から趣味の話、フィギュアスケートの話も時々、要するに何でもあり。週1、2回のペースで更新中なので、お気軽に遊びに来てくださいね。
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