「決意表明」の言葉を目にしたとき、それが何を指すかはほぼわかっていたようにも思うけど、やはりあらゆるパターンを考えてしまった。想像の上を行くことも多々ある彼のことだから、蓋を開けてみるまでわからないと。
スケート連盟ではなく、マネジメント会社を経由してというあたりで、察しはついていたけれど、それでも。単なる出場辞退などの通達なら連盟から書面が出るだけで、わざわざ本人が会見しないはずだと思ったけれど、それでも。いや、もっと前に、北京のエキシビションの練習内容を見たときに予感はあったけど、それでも、だ。
当日は予定があったけど、早めに帰宅することに決めた。じっくりと腰を据えて見届けたかった。
サッカー中継をやっていた局を除いて、本来ならどこもローカルの帯番組の時間なのに、全国番組から切り替わることなく会見が始まった。
地元にはプロ野球チームがあり、そのチームの中でも特に大物がメジャーから戻ってきたときと、チームが優勝してパレードを中継していたときくらいだろうか、全局同じものを放送しているなんて。地元ゆかりの人物でもないのに。
長い局で、20分程会見の中継を流してくれていたと思う。
会見の冒頭で彼の口から出た「プロのアスリート」という言葉で、いきなり不安は吹っ飛んでしまった。
プロのアスリート…?何だそれは。
彼は一体何を言い出しているのだ。
不安が飛んだというより、彼が何を言わんとするのかすぐには測りかねたので、とにかく最後まで話を聞かなければと必死になったのだろうか。
でも、彼の言いたいことは、そのたった一言でわかってしまっていたようにも思うのである。
話の骨子はとどのつまり引退会見だ。しかし、彼の口から出てくる言葉はどうも従来のそれと毛色が違う気がする。何故競技から離れる人間が「4回転アクセルは決めたい」などと会見中にも言い続けているのだろう。そんな人間聞いたことがない。
彼には何度も素晴らしい演技に泣かされてきたけど、きっといちばん泣くのがこのときだと思っていたのに…。まったく涙が出てこなかった。むしろ、これまで「レコードブレーカー」の名をほしいままにしてきた彼らしく、競技生活のラストまで前例をブレイクしにかかってきてて笑ってしまった。どこまで羽生結弦なんだ、この人。最高なんだけど。
そうか、フィールドが変わるだけで、羽生君自身は何も変わらないということか。「ピリオドではなくカンマ」という本人のたとえが非常に的を得ていると思った。
確かに彼にはもう競技で欲しいものはないだろう。同世代の選手は多くがもうリンクを去っており、グランドスラムも達成してしまった。あとは4回転アクセルの成功くらいではないか。
「もったいないと思う」と質問の前に本音を言っていた記者がいたが、その気持ちはとても良くわかる。彼ならまだまだ生半可な選手ではその足元にも及ばない。勝つことにこだわる彼がさらに勝ちを積み重ねていくことはできるはずだ。また、競技の緊張感を味わうことが嫌いならあれほど好戦的に戦って来なかっただろう。あんなアサシンみたいな目をして6分間練習前に挨拶してる人ほかにいないし(笑)。彼ならまだ何年でも競技の世界に残ることを考えてもおかしくないし、それを考えていた人は多いと思う。
しかし、その競技には彼はもう未練はないらしい。そもそも平昌終了時に転向を考えている様子はありありと見えていたから、北京まで続けてくれたことだけでも本当は十分ファンにとってはボーナスだったんだと思う。
だが、競技に未練はないのに何故彼は自らを「アスリート」と表現したのだろう。
これまでの慣習に照らせば、これは現役引退ということそのものではある。フィギュアスケートという競技はスケート連盟に登録している選手だからこそ試合に出られるのであって、その登録を抹消することを我々ファンも引退と呼んでいる。外国の選手の中には引退宣言をしていないだけで実質引退のような選手も少なくないが、少なくとも日本ではそうだ。
スケート連盟から登録を抹消してしまえば、競技会でその姿を見ることはなくなる。人気の選手はショーやテレビ番組で見かけることも少なくないし、場合によっては現役時より露出が増えたんじゃないかと感じることもあるが、大抵は一時的なものだし、現役時より注目されることはないように思う。
何故なら、競技というものはテレビで大々的に放送され、特にオリンピックともなると注目度が桁違いだからだ。特に生中継で緊張しながら見届けた演技は印象に残りやすいように思う。視聴者にとっても、あれだけのアドレナリンをもってそのスケーターを見られる機会は試合だけだし、競技に出ているからこそマスコミも取り上げるのであって、競技を退いてしまうと元々のファン以外はさほど追いかけなくなるように思う。スケートに興味のない人の目をその選手に向けさせる機会は、やはり断然競技なのである。
また、現役を引退したスケーターのことは基本的に「ショースケーター」と捉えるのが一般的だと思われる。もちろん、人前に出て滑り続けているスケーターのことだ。活躍場所が基本アイスショーなのだから、それはどうしてもそうなる。
コーチや解説者やジャッジなど、スケートに関わる仕事を続ける選手も多いけど、ショースケーターはもちろん、彼らが自らを「プロのアスリート」と称するのは聞いたことがないと思う。フィギュアスケートの「プロ」は「元アスリート」であり、エンターテイナーやアーティストといった側面で捉えられているような印象を受けるし、それはおそらく間違っていないだろう。
もちろんエンターテイナーもアーティストも日々の鍛錬を欠かさないのであろうし、求められるものによっては選手時代よりハードになりそうだけど、選手時代の緊張感やプログラムの濃密度がそのまま引き継がれているスケーターはほぼいないような気がする。求められているものが違うのだから当然と言えば当然だ。
フィギュアスケートは芸術との境目がそもそも曖昧なスポーツであり、競技会=スポーツ、選手=アスリート、ショー=芸術性に傾いたもの、と捉えておいた方が明確に棲み分けができるのだろうと思う。
この現状において、彼が自らを「アスリート」と定義するならば、では彼の目指すところはどこにあり、彼の今後の位置づけをどうしていくのだろう。
おそらく彼の今後の主な舞台はアイスショーになるはずだ。ショースケーターの中には現役時代と引けを取らないような技術を保ったスケーターもいる。彼の言う「プロのアスリート」とは彼らのイメージに近いのかなとなんとなく予想はしているが、でもそれは「すごく頑張って鍛え続けているスケーター」なのであって、アスリートと考えている人は少ないのではないか。しかもアイスショーはそもそも「ショー」なのであって、羽生くんがアスリートとして全力で滑っていたとしても、それはあくまでショーの一環に過ぎない。競技なら各選手の持ち時間の間だけ自分が主役になればいいだけのことだが、ショーには主催者のコンセプトがあり、いかに羽生くんだとしても、彼はショーの構成要素の一部でしかないのだ。
ここで羽生くんが詳細を語らなかった計画が浮かんでくる。「プロのアスリート」でなければならない何らかの舞台を彼は考えているのかもしれない。もしかするとそれは、ショーではなく競技でもない、まったく新しい何かの可能性だってある。
よっぽどトンチキな計画でなければ、羽生結弦の企画ならいくらでもスポンサーはつくはずだ。いや、少々トンチキでも私が社長なら金を出したい(笑)。その計画が日の目を見る日に、プロのアスリートの本質も掴めるのかもしれない。とてもワクワクする。
また、フィギュアスケートは人気の競技ではあったけど、たっぷり時間を取って生放送までされるのは、注目度の高い選手が出場する場合が大半だ。その筆頭が誰であろう羽生結弦だった。
彼がここまで大きな存在になったのは、テレビの力をなくしてはありえなかったはずだ。You Tubeなど配信コンテンツでいくら人気が出ようと、その配信コンテンツはあくまで興味のある人だけのものである。大人から子供まで、日本中の老若男女がその存在を知るには、テレビで取り上げられることはおそらく絶対条件だ。家庭に会社に飲食店、ありとあらゆる所に置いてあり、スイッチさえ捻れば誰にでも見られるテレビの威力はやはり絶大である。
そのテレビで試合をやっていて、選手として試合に出ていたから、特にオリンピックという大きな大会に出ていたからこそ彼はここまで人々に知られ、応援されることになったのである。特にオリンピックの力は大きく、世界中で、スケートが盛んだとは言えないような国でまで彼が応援されるようになった理由も、配信コンテンツというよりはやはりテレビだったのではなかろうか。
いくら羽生結弦が出演していても、ショーが地上波全国ネットで生放送されることはなかった。地上波全国ネットで生放送されるのは試合だけである。羽生結弦が出演していても、エキシビションなら容赦なく一部地域のみ放送になることも多々ある。
「プロのアスリート」はどこでその活躍を見てもらうことになるのか。ファンはいくらでも追いかけるだろうが、一般の人はそこまではしない。持て囃されるのは競技に出ていたからこそなのだ。
これについても、羽生くんは何か考えているようだった。おそらく配信だと思ったが、どういった形になるのだろう。配信なら世界中にいるファンにも同時に見てもらえる。
露出が増えるというのも気になる。競技に出ているからこその注目度と露出なのだが、どういった露出が増えるのか。ついに公式サイトでもできるのか。
また、なんだかんだと生で見ることに勝るものはない。彼が主催のショーやイベントが今後行われていくのだろうか。指導者にも興味はありそうだったけど、プロのアスリートをある程度全うしてからになりそうな気もするし、スポーツとしての側面を強く打ち出しながら全国でスケート教室をやったりするんだろうか。
今までに「プロのアスリートになる」と宣言して競技から離れた人物などおそらくいないのである。羽生結弦はまたしてもパイオニアなのだ。これからの彼の歩みが、フィギュアスケート界における「プロのアスリート」の定義と道を作っていくのだ。同じものを目指すのが羽生結弦で終わることになるかもしれないが、それでもフィギュアスケート界の常識が変わるかもしれない。確かに、むしろこれからが大変だと羽生くんが言うはずである。
誰も見たことのなかった4回転アクセルと同じように、彼は誰も見たことのなかった未来に歩みを進めたのである。私の生まれる前のことなので想像でしかないが、人類が初めて月に到達したときにそれを見守っていた人類の気持ちと、4回転アクセルを固唾をのんで見守った人類の気持ちは同じなんじゃないかと思った。月には今もたくさんの宇宙飛行士が訪れているけど、いつまでも歴史に刻まれるのは最初に降り立った宇宙飛行士の名前だ。羽生結弦の向かう先は、いつでも人類初の月面着陸のようなものなのかもしれない。こんなワクワクさせてくれる人物がほかにいるだろうか。
こんな寂しさを感じなかった会見は初めてだ。選手登録抹消の知らせはやはり胸が痛くなったし、シーズンが始まってみればもっと寂しくなるだろう。しかし、今後の予測がつきそうでつかないことが寂しさを押し止めてくれる気がする。
彼の話になると、これで引退するの?と聞かれたり、もう引退だよね、とネガティブになられたりすることはよくあった。私はそれが好きじゃなかった。逆説的だけど、命には必ず終わりがあるから生きていけるのであって、それと同じで応援にも期限があった方が頑張れるのかもしれないが、勝手に彼の期限を決めて安心することは単なる応援する側の我儘だと思った。羽生結弦ほど信じられる人物はいないのに。
こういった形のとりあえずの幕引きを、彼らはどう受け止めるだろう。
会見で羽生結弦という名のもたらす重圧や様々な声に苦しんできたことをさらっと話してしまうところも彼らしかった。彼は決して、弱いところを見せないようにしてきたわけじゃない。むしろいつも正直だった。人前では苦しみや悲しみを出さずにいつも笑顔でいることが美徳とされるけど、それは「自分のことを不快にさせるな」という圧力でしかない。たとえ不快になるかもしれない話でも、自分の気持ちをきちんと伝えなければ相手の考えなんてわからない。もちろん伝え方に工夫はいるかもしれないけれど、下手なキラキラぶりやごまかしで人の心は掴めないということなんじゃないかと思う。彼の会見やインタビューはいつも発見が多いけど、こういった感情の表し方ひとつとっても日本の常識を変えていきそうで、それも楽しみになってしまうのだ。
誰も殺さず、クーデターも起こさず、世界を変えていく革命家のようだ。彼と同じ時代に生きていられたことを、我々は未来の人類に誇ってもいいだろう。
お疲れ様も、ありがとうもまだ言わない。あの会見から伝わってきた彼の心は、きっとそれを求めていない。ジェットコースターから降りられると思っていたファンも多いだろうけど、彼はまだまだ降ろしてくれる気はないらしい。最高じゃないか。
羽生結弦が大好きだ、その一言しか出てこない会見だった。
これまでと変わらず、これからも変わらず、一生応援します。テレ朝の「これからも羽生選手と呼ばせていただきます」という言葉に深く頷けたので、これまで通り羽生君って呼ぶけど、心のなかでは彼が本当に人前で滑らなくなるまで羽生選手って呼んでいようと思ってます。きっと、本当に滑らなくなるそのときまでギャン泣きはお預けですね。
…でも、これまでに取った試合に怪我等で結局一度も羽生くんが出場できず結局競技の羽生くんを見ることができなかったのは泣いてもいいですかー!運がなさすぎる(笑)
…過去記事いくつかピックアップして貼ろうと思いましたが、長くなりすぎたのでまたの機会に…。
そうそう、羽生くんがヘルシンキの世界選手権のフリーをベストに挙げてたのを見て、それだよねー!と頷いてしまいました。あれを見て書いたポエム(笑)がこのブログの方向性を決めたので。私はこんな文章を書きたかったんだ、これが私の文章というものなんだろうって思えたんです。それだけなんとか探して貼っときますね。
「うさぎパイナップルnote分室」を開設しました。フィギュアスケート以外の話題は2018年9月よりこちらに集約させております。心の叫びや日々の呟き、小説から趣味の話、フィギュアスケートの話も時々、要するに何でもあり。タロット鑑定についてもこちらに書いております。週2、3回のペースで更新中なので、お気軽に遊びに来てくださいね。
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