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うさぎパイナップル

ただ、書くことが好きなだけです。

見えざる手の立てる標識

お題

今週のお題「私のタラレバ」

私の人生はだいたい何をしていてもどう決断したとしても何故か悪い方向へ転がっていきけど最悪の事態だけは免れる、というパターンの繰り返しなので、「あの時こうしていれば」と後悔することは実はあまりありません。「これをしなければ良かった」と思うことは多いんだけど、それを考え始めると精神的疲労が凄まじいことになるので考えたくないし、どこかでもう「起こってしまったことはしょうがない」と常に達観と言うか諦めながら暮らしているように思います。

それでもたったひとつだけ、もしあの時に勇気を出して行動していたら運命は変わっていたのでは、と思うことがひとつだけあります。それはあまりにも突然で、あまりにも偶然で、あまりにも「あり得ない」状況下での出来事でした。確かにあの状況で冷静に判断するのは難しかったと思うけれど、でもそれができるかどうかが運命の分かれ目だったように思えてなりません。
一言、たった一言声をかけるだけで良かったのに。
それが出来ていたとしても大幅に何かが変わることはなかったかもしれないけれど、でも確実に何かは変わっただろうし、何よりもそれをおそらく生涯後悔することはなかったに違いないので…。

私のわかるようなわからんような話だけではなんなので、ちょっと趣旨と外れるかもしれませんが身内の話を。

子供の頃、私はテレビがある飛行機事故のニュースを伝えるのを目にしました。どこの国だったかは忘れてしまいましたが、海外での事故でした。たぶん、たくさんの方が亡くなられたのだと思います。そのニュースを知った私の母の口から出た言葉に、子供だった私は衝撃を受けました。
その事故で犠牲になってしまった人の中に、母の知人がいると言うのです。
しかも、その人と母はもしかしたら結婚していたかもしれないような間柄だったと言うではないですか。

母はわりと話を盛るし(笑)、私もあまりもう覚えていないので記憶違いの部分も多々あるかもしれないのですが、どうも母をめぐって父と争っていた人がいたらしいです。うっすらした記憶の中に「親父じゃない方選んだ方が良かったんじゃないの」と思ったことが残ってるんですけど(笑)、何がどうしてそうなったのか知りませんが、母が選ばなかった相手がその事故で亡くなられた方だったようでした。
たぶんその事故のあとだったと思いますが、本棚を漁っていたら、ドイツ語の本(非常に有名なタイトルですが一応伏せます。ちなみに元々はフランス語の本)を発見し、おかーさん素敵な本が出てきたー、と無邪気に見せたところ、母は複雑な表情をしながら言いました。
それはその亡くなられた方が母にプレゼントした本だったのです。確かに何やらメッセージのようなものが書かれていましたがそんな感じの文面ではなかったように思ったけど。でもそれは父を不機嫌にさせるものだから、隠しておいてやって、と。
そしてその本は、形見になってしまった、と。
隠せも何も、確かにほかの本に埋もれてはいたけど普通に本棚にあったし(笑)そもそも何でずっと持ってんだよってものすごく突っ込みたかったけど(笑)、でもこんな運命が待っていたのなら、この本が処分されることなく母の手元に残されていたのは、ある意味定められていたことだったのかもしれません。

もし、その方が母を選んでいたら。

こういった話を聞くたび、どのような道を選んだとしても大幅に運命が変わることなどないのかもしれないと思うことも多いのですけど、でも、「異なる人生」が幾人かに訪れていたことは確かだったはずで。
その方は今も元気に暮らしておられたかもしれない。
やっぱりその飛行機に乗っていたかもしれない。
その運命の分かれ目に、母は結局関係なかったかもしれないし、大きく関わっていたかもしれない。
誰にもわからない。それは誰にもわからないこと。
ただひとつ、確実に言えることは、どれほど想いを巡らせたとしても、時は戻らない。戻ることはない。ただその真実だけ。

人生とは常に選択の連続であり、その選択が正しいのか間違っているのかは結局誰にも判断できず、そもそも正解など存在しないのではないかと、「運命」とは一体何なのであろうかという答えの出ない命題に思いを巡らせる時、ふっと思い出す話のひとつです。ご冥福をお祈りいたします。
そして、今は「巻き戻せるなら巻き戻したい」と思っていることの数々も、どんなに後悔したとしてもそれは自分の人生であったのだと、それも含めて人生なのだと、つまりは過去にも未来にも視点を置くのではなく、ただ今この瞬間を生きる以外に人間は存在し得ないのだと、瞬間の積み重ねだけが過去そして未来を作るのだと、諦めとも覚悟ともつかない想いが胸をよぎり、でも明日にはまた涙に暮れているのかもしれず、そんな自分や世界を淡々と粛々と受け入れて生きるしかないのだと、そんな風に思うのです。