うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

筆者が実際にプレゼントされたことのある本は『平成よっぱらい研究所』です

今週のお題「プレゼントしたい本」


『ぐるんぱのようちえん』
西内ミナミ/文
堀内誠一/絵
福音館書店


何でもそうだとは思うけど、本って意外と好みの差が激しく、自分はいい本だと思っていても、他人にとってはそうでもない、ということは少なくない気がします。その本に触れたタイミングによっても評価は大きく変わるからです。子供の頃は何とも思わなかった本が、大人になってどうしようもなく胸に染みた経験がある人も多いのではないでしょうか。ただ、長年に渡って読み継がれてきている、いわゆる名作と呼ばれる本当に力のある本に至っては、そういった齟齬は少ない気がします。もちろんすべてではないけれど。
発行から半世紀近くを経てもなお書店で手に取ることのできる『ぐるんぱのようちえん』は、まさにそういった本ではないのでしょうか。

とても有名な絵本なので、たいていの方は内容をご存じかと思います。以下はネタがバレバレな記述となるので、もしこれから読んでみたいと思っておられる方は読まない方がいいかもです。と言ってもやはり説明不要な絵本のような気がしないでもないのですが。

知人の子供に本をプレゼントするとしたら、その子の年齢にもよるけれど、心地よい繰り返しが多用される文章と、力強くはっきりした線と色でありながらどこか優しく温かい挿絵によって構成されたこの絵本を私は第一候補に挙げます。時代を越えて子供の心を掴む何かがこの作品にはあると思うからです。私も子供の頃この絵本が大好きでした。何度も何度も読みました。最後のページが大好きで、靴でどうやって遊ぼうかなとか、ビスケットは腐らないのかな(笑)とか、わくわくしながらいつまでも眺めていました。「ひとりぼっちのさみしい」子供だった私は、こんな幼稚園がどこかにあるなら自分も連れていって欲しいときっと思っていたのでしょう。
その絵本は兄弟や他人の手に渡ったのかとっくに無くしてしまい、絵本の存在も忘れかけていたある日、私は書店でたまたまこの作品を見掛けました。懐かしくて、つい手にとってぱらぱらとページをめくった私は天が割れるような衝撃を受けました。

こんな絵本だったっけ、これ?

気が付いたら我が家には、真新しい『ぐるんぱのようちえん』が1冊置いてありました。
そうです、この絵本は、ある特定の大人の心を、どうしようもなく掴んで離さない、そんな作品だったのです。

いわゆるニートだったぐるんぱが、数々の失敗の後、ついに自分の適性に合った仕事を見つける、ものすごく簡単に言うとこれはそういった物語なのですが、これだけでもう、私などは胸をえぐられたような気分になります。私の知人は2ページ目で既に悲鳴を上げていました(笑)。
アッサリと自分の適性がわかった、という人はあまり多くないのではないでしょうか。理想と現実のギャップに苦しみ、見つけたはずの場所から離れざるを得なくなった経験をしたことのある人は少なくないのではないかと思います。
でもこれは、いわゆる「自分探し」の物語ではないと私は思っています。現状に不満はないけど新しい自分を見つけたいので居場所が欲しいとか輝く自分を見つけたいとかいうスイーツにはまったく必要のない本だと思います。ニートを無理矢理働きに出させるための本でもないと思います。働かなくても生きていける余裕があるのなら、別に無理して働く必要はないと私は思ってます。金銭を得る機会は、それが必要な人間にこそ与えられるべきでしょうから。

ぐるんぱの置かれた状況はもっと厳しいように思えます。たとえるなら、親族が借金を残して消えてしまって、明日の生活にも困る有り様となりどうしても働かなければならないのに、どこの職場でもつま弾きにされ、心底困窮しているような状況だと思います。
だってぐるんぱは、きっともう生活していたジャングルには帰れないのだから。
ひとりぼっちで泣いて暮らしているぐるんぱに、友達になろうとか、美味しいバナナを食べようとか、誰か1匹でも声をかけていたなら、ぐるんぱはジャングルでも楽しく生きていけたはずです。でも、仲間たちはぐるんぱを会議にかけてジャングルの外に出して働かせることを決めました。スパルタ過ぎる(笑)。子供心に、私はぐるんぱが笑顔で旅立つシーンにどうしても割りきれないものを感じていました。ぐるんぱ、騙されてないか。体よく追い出されてないか?(泣)もしぐるんぱが帰ってきたとしても、ぐるんぱはまたさびしくて汚い象に戻ってしまうだけのようにしか私には思えませんでした。
ぐるんぱが自分の居場所を、生きていける場所を探すことは、まさに死活問題なのです。ニートだけどきっと食べ物も豊富なのであろうジャングルで仲間と寄り添って心地よく生きていけるなら、敢えてそこから出ていく必要はなかったのではないでしょうか。
…たぶん私が深読みし過ぎなだけで、ぐるんぱは仲間たちの優しさによって旅立つチャンスを作ってもらったって思いたいけどね…。

やることがいちいち規格外のぐるんぱは、規格外の商品を作ってはクビになります。象だから草むらで寝ても平気かもしれないし、最初の店で退職金代わりにもらったっぽいビスケットがあれば食べるのには困らないかもしれませんが(笑)、帰る場所もないのにこんなことが続いては泣きたくもなってしまうでしょう。決して努力してないわけでも悪魔の手下のように蛮行を繰り返しているわけでもない、ただ穏やかな表情を浮かべているぐるんぱを見ていると、ただひたすらに切なくなります。
でも、ぐるんぱは偶然の出会いをきっかけに、これまでに退職金代わりにもらったっぽい規格外商品の数々を利用して幼稚園を開くのです。規格外商品の数々がなければ開けなかったかもしれません。さーさんあたりが「でかすぎるけど店のディスプレイくらいにはなるかもしれないし」とぐるんぱを雇い続けていたら、あの大家族には出会えず幼稚園を開くというアイデアは生まれていなかったかもしれません。
そして、ひとりぼっちの淋しさを知っているぐるんぱの所でなければ、淋しい子供たちは集まってこなかったかもしれません。

もしも今、居場所が見つからず、いつまでも躓き続けて、その寂しさに耐えきれなくなりそうになっている人がいたら、自分の周囲にもそんな人がいたならば、私はこの絵本を、ただ黙ってそっと、その人に差し出したい。もしかしたら、なんだこんなもん嫌味か、って怒られるかもしれないけど、何の権力もないために具体的な助力ができなかったとしても、何も出来ないからと背を向けるくらいなら、それでも精一杯考えて、温かいコーヒーを1杯と、この1冊をプレゼントしたい。どこかにぐるんぱのようちえんはあるかもしれない。世の中そんな簡単にいかないことも、すべての人が幸せになれるわけではないこともわかっているけれど、それでも、必死に生きているその人の道の先に、その人の本当の居場所があることを願いたいから。
ひとりぼっちの淋しい子供のまま大きくなって、今もぐるんぱのようちえんにたどり着けない、しょんぼりしょぼくれた私にも、自分でプレゼントしようと思います。てか持ってるしな(笑)。

もちろん、お子さんが読まれる時はこのような深読みは一切せず(笑)、ただ純粋にかわいい絵やリズミカルな言葉を楽しんで欲しいなと思います。願わくばその子が、かつてのぐるんぱのような淋しい思いを、決して抱えることのないように。

☆オマケ☆
社会人になりたての頃、酒の席でうまく振る舞えずしょうもない失敗をしては悩んでいた私に、「これを読めば少々のことはどうでもよくなるから」といった主旨の手紙と共に知人から送られてきたのが『平成よっぱらい研究所』(二ノ宮知子祥伝社)でした。文庫版も買って、いまだにしょっちゅう読んでます(笑)。マジで色々どうでもよくなります(笑)。