うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

長方形の中の宇宙2018

お題「年賀状」

昨年も同様のお題について記事を書いたのですが、今年も色々思うことがありましたのでひっそりと。
ちなみに昨年の記事はこちら。タイトルもええ、使い回しですね(汗)。
↓↓↓↓

usagipineapple.hatenablog.jp

 

昨年書いた内容とあまり自分の気持ちとしては変化はないのですけれど、私は年賀状のやり取りは好きです。元々デザインを見るのが好きだし手紙は書くのももらうのも好きだし、決して得意ではないけれど絵を描くのも大好きです。学生の頃はノートやプリントは落書きだらけでした。じっと授業を聞いていると飽きる上に寝てしまうので、頭と手が違うことをしている方が集中できたという(汗)。自分の才能の無さに嫌気が差してもう絵は描かないけれど、たまーに落書きしてると今でもやっぱり楽しいですね。
そんなわけで、年賀状には毎年全力を投じていました。たとえしょぼくても絶対自分でデザインしてたし、相手の住所も手で書いてたしコメントも必ず入れてました。しょぼくれた能力でも堂々と作品が作れる機会であり、年賀状とは年に一度だけ気軽に連絡することが許される機会だから。自分が健在であることを知らせ、相手も健在であることを知る年に一度の機会。人と人との繋がりを感じる機会。たった年に一度のことなのだから、疎かにするのはもったいないと思っていました。

個人的には、年賀状にはその人そのものが溢れているなと思います。私みたいにこだわる人、サービス精神豊富な人、明らかに義務で書いてる人。その人がどのような個性を持ち、他者をどのように捉えているかが小さな葉書にすべて出ていると思うのです。私にとっては、冷静に相手を判断する絶好の機会です。

もちろん、出す出さないは本人の自由です。ですが、出さない主義であればきちんとそれを主張する方がいいんじゃないかと思います。実際そういう方からは返事がなくてもきちんと教えてくれたからいいや、と思えます。
返事がないと「生きてるのかな?何かあったのかな?」と相手を心配させることになる、ということに気は回らないのでしょうか。本当に仕事上の付き合いだけのどうでもいい相手ならそれでも気にはならないでしょうが、一緒に働いたことのある同僚や友達が、わざわざ手間をかけて連絡をくれたのに無視できちゃう神経がわかんない。返事をしなくて礼を欠いた、って解任された方の話題で持ちきりでしたが、責任ある立場だろうがそうじゃなかろうが基本は同じじゃないかなと思います。年賀状に限らずね。時間がどうしても作れないならそう言えばいいのに黙ってるから溝ができちゃうんだよ。
メールにするからもう葉書は出さないって人もいるけど、だったらメール送ってくるのか?と思えば送ってきやしない。嘘つきになっちゃうよそれ。私も経費削減等でいつか年賀状作成を止める日が来るかもしれませんが、その時は「来年からは失礼させていただきます」と一言添えてからにしようと思っています。二年計画で。突然連絡を断たれたら相手は戸惑うんですよ。もしも平気でいられたとしたらそれは相手のことをどうでもいいと思っているからですよ。どうでもいいと思っているならはじめから年賀状のやり取りなんてしなければいいのでは?それこそ時間と手間の無駄でしょうに。

そんな風に思うので、毎年自分から出すようにしていたんです。毎年元旦過ぎてたけど(汗)。でも、昨年からは思うところがあり自分からはほとんど出していません。送ってくれた方にはもちろん返信していますが、あんなに好きでやっていたデザインも今年は完全に投げてしまいました。ほとんど必要ないだろうと思ったのもあるけれど。それでもやっぱりこだわって葉書買いましたけどね。楽しんで欲しいという気持ちは捨てられなかった。楽しんでくれるかどうかは相手次第ですけど…。

今年もしも自分に出してくれる人がいたら、
①住所録に残っているので惰性で
②事情知らないから気軽に
③本当の真心
のいずれかであろうと思っていましたが、やっぱりだいたいそんな感じかな。でも今年送ってくれた人は大切にしていい相手じゃないのかなと思ったし、これが今生の別れになるかもしれないと思うと連絡する機会を与えてくれて本当にありがとうという気持ちでした。昨年は元気なフリしちゃったからな…。

昨年出してくれた方には本当はこちらから出したかったのですが、今私を取り巻く人間的環境とはどのような状況か?というのを見極めるためにわざと出しませんでした。私は年に一度の手間すら惜しまれる存在になってしまったのだな、とハッキリと思い知らされてとても悲しかった。て言うか、連絡をしなくていいやと思った相手って「死んでいてもいい」って思ってるってことと同じだからね?ただめんどくさいだけって思ってるかもしれないけど、本音はそういうことだよ。自分の闇に気付くのが嫌だから目をそらしてるだけだよ。
けど、ある意味踏ん切りがつき、もしかしたら奇跡が起きるかも、と思って大切に残していた連絡先をかなりバッサリと削除しました。スッカスカだよ、電話帳(泣)。
じわじわと居場所を移してからじわじわと過去を削除していく方が楽なのに、完全に遮断してからじゃないと次に行けない運命なのかなあ。いっつもこうなんですよねえ私…。早く次の場所に行きたい。わりと元気になってきた気がするのでそろそろ何とかしたい…。消す前に、とダメ元で連絡したらちゃんと返事くれてしかも気持ちを汲んで行動してくれた人もいたので今年はいいスタート切れたかしら…。まわりを頼れば道があるはず!って言ってくれたけど、頼ろうにも無視られててもう自分から連絡する元気なかったんだよー(泣)。逆に他人事なんだなあと思うしかないお言葉をいただいて心置きなく削除したりなんかもして。相手の意向は聞かずに自分の常識の範囲内にしかない解決法に固執してひたすら押し付ける、それっていちばん解決から遠い上に禍根を残す提案方法だと思うんだけど…。結局面倒くさいだけなんだろうな。お世話になったって気持ちが残ってる方にとってはつらいんですよねそれ…。「死んでいてもいい」って思われてるってそういうことなんだよな。ふう。それでもやっぱり、その人のこと好きだったんですよね、だからつらい。嫌いな人だったらつらくないのに。ホントに嫌いな人ってよく考えなくてもあまりいないけど。

元旦からはてなの公式ツイッターが私めのヘボブログをツイートしてくれたのでお年玉をもらえた気持ちです。嬉しかったなあ…。ごくごく僅かですがリツイートしてくださった方といいねしてくださった方もいらして本当に嬉しかった。ありがとうございました。

せっかくなので正月らしい落書きで、年末年末お題シリーズ(お題に答えるの好きなんですよね)の締めくくりといたします。身内は今更書くことがないので落書きで埋めようと思って下書きもせずに生み出したらなんか自分の心に響いて(※手前味噌)ほかの人のハガキにもついうっかり…。こんなの年賀状に落書きしてたら深刻さが伝わらないよねそりゃあ!(笑)
ガラケー時代に写真の多いブログやサイトが重くて開かなくて嫌いだったのと、撮影の腕がカス過ぎて載せたいと思えるものがなく、ぜんっぜん写真入れてなかったのでこれが実は初掲載です。いいのかよこんなんで(汗)。スマホでも色々画像いじれるのね、知らなかった(ピンクの紙に青いペンで描いたんですよね本当は)

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