うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

プリンスアイスワールド2018 広島公演②

実は私が初めて足を運んだアイスショーがプリンスです。2003年の広島公演でした。細かいことはあまり覚えていないんだけど、会場はビッグウェーブで、会場内でプリンスホテルの食べ物とか売ってた気がする。うろ覚えなので間違ってるかもしれないが。出演者が普通にその辺歩いてて、結構ゆるかった気が…。ビッグウェーブに行ったのもこの時が初めてだと思う。
チラシの中央がクーリックで、裏面なんてほぼクーリックのことしか書いてない(笑)のできっと彼が来たんだと思うけど、何故かまったく記憶がないんですよ。何故だ。ペアのリフトの高さにすんごいびっくりしたのは覚えてる。あと、ショーはショーなんだけど、なんか「レジャー」っぽかった。ガチなファンも見に来てたとは思うけど、もっと一般向けな感じ。だったような。

次に見に行ったのが2005年。チラシが残ってるから(しかも何故か4枚も…)2005年だと思うけど、当日券だったせいなのか単に無くしたのかチケットが残ってなくて、本当に2005年なのかはちょっと自信なし。
そう、この時は当日券で入ってみたんですよ。余裕で入れた上確かショートサイドの中央付近で、自分のすぐ前後左右はどこか一方向にしか人が座ってなくて視界も良好。正面に見たアブトがすげえ美形で、前に来た時の席と1000円しか違わないなら絶対こっちの方がいいじゃん…、とめちゃくちゃ思った記憶がある。こうして人はチケットに高額払うのを厭わなくなるんでしょうね(笑)。っても、確かこの席7000円だった。今似たような席に座ろうとしたら、その2倍じゃきかないんじゃ…。
パンフレットにオーサーが載ってて、どこかの公演に出演してたんだと思うけど、もはやコーチ姿しか印象にないので今見るとなんか新鮮(笑)。

この2005年の公演を最後に、2010年の春まで私が会場に出向いてスケートを見ることはありませんでした。テレビではずっと見てたけど、自分みたいな不勉強なファンはもっと知識をつけてからじゃないと会場で見ちゃいけないのかな、と思ってしまったんですよね。ほかにも色々あって、本当は行きたかったけど足が遠のいてた。今考えるとどうにでもなった公演や試合がたくさんあるのに…。
どうにでもなるのに機会を活かそうとしないから、結局行けない。それに気付いた今はできるだけ足を運ぶようにしているけれど、時はもう戻らない。本の収集や新聞記事のスクラップもほぼやめていた時期で、この空白期間は今振り返るととてももったいないです。でも、その後悔があるから今必死で目に焼き付けようとしていけるのかもしれません。
あっ、そうそう、荒川さんがトリノで金メダルとったあとの公演は普通にチケット完売で諦めたはず。えっ、広島でも埋まるくらい金メダルってすごいんだ、と思った記憶がうっすらあります。


そんな感じで、私ももう10年以上足を運んでいなかったプリンスアイスワールドが、10年ぶりに広島開催と聞いたらそりゃ行きたい。行きたいに決まっている。
ですが、開催発表の段階でほぼ諦めていたのも事実です。今も「食パンにミロの粉をかけて食べる」という最低の食生活を繰り返しても諭吉が足りないという底辺ですけど(←イレギュラーな出費が重なりまくったこともありまあなんつーか今ヤバい←何故ミロの粉かというとそれしか家にないから)、この3月当時はたぶんもっと酷かった。友達が実家で作った米を大量にくれたから死にはしなかったけど、おかずが買えないから米だけ食べてる状態。なんか、江戸時代の人が脚気で死んでいたという理由がわかった気がしました。体調だけでなく精神的にもおかしくなってきてたから(泣)。
米あるなら大丈夫でしょ?という意見はまったく正しくないことを身をもって証明してしまいました…。マジでつらかったので、将来生活が安定してからになるけど、米しか食べるものがなくなった人がいたら四の五言わずに魚とか買って渡すので教えてください…。でも助けてくれなかった人は助けないと思うのでごめんなさい。嬉しかったことも忘れないけどつらかったことも忘れられないものです…。
とにかくそんな感じだったので、こりゃどうしようもないんじゃないかな、と絶望的な気持ちになり、希望を持ったかと思えばまた絶望し、の繰り返しの数ヵ月でした。でも、繰り返して繰り返して行き着いた先は、ほんの少しだけ残っていた「希望」だったのです。

以下次号。