うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい(ライター始めました2018・生活の糧と居場所募集中)

春浅く霧の中、道標を探してる

子供の頃、何となくこうなると思っていた未来があった。こうしなければならないと思っていた未来があった。こうすべきだと思っていた未来があった。

でも、今辿り着いているのは、その未来ではない。

絶対嫌だと思っていたフリーランスの道に、私は足を突っ込んでいる。突っ込んで動けなくなっているだけでしかないのだけど、突っ込んでしまった。
貧しい家庭に育った私がいちばん欲しかったものは「安定」で、こんな博打のような人生では断じてなかった。そのはずだった。
しかし、持病を抱えてしまった身体は思うように動かず、必死で普通の人間になろうとしてみたものの、色々あってそもそもの社会不適合ぶりを認めざるを得なくなった私には、もうどうしようもなかったのである。

だが、絶対に嫌だったとは言え、薄々こうなるような気もしていた。これは「何となくこうなる」と思っていた未来の候補には、一応入っていた。
私にはあまり「こうしたい」という強い意思がない。ただ、その中でも「これは」と少しだけ強く興味を惹かれることがあって、それらには結局携わることになる場合が多い。遠回りしても、だ。それは、計画でも予想でもない、「予感」に近い。

何故か心に引っ掛かり続けている漠然とした思いや予感、そういったものが、本当はいちばん正しいのかもしれない。

確か『笑っていいとも』に出演していた歌手だったと思うけど、夢が叶ったのはただ諦めなかったから、という話をしていたのを今も覚えている。
ほとんどの人は、芽がないと気付けばその道から離れていく。それはたいへん重要なことでもある。見極められないのも、また幸せとは言えない。諦めないから夢が叶うわけじゃない。
けれど、それが本当に好きなら、どうしても忘れられないのなら、たとえほんの少しだけであったとしても、その道は自分の未来で待っているのかもしれない。本当に、完全に諦めてしまったら、未来への切符を自ら捨ててしまうことになるのかもしれない。

なし崩しに踏み込んでしまった道で、右も左もわからず迷いに迷い、動けなくなってしまっている私は、諦めて元の道に戻るべきか、自分の予感を尊重して諦めずにいるべきか、座り込んで唸り続けている。


そんなこんなで、今この瞬間のことすら見えない私に予想できる未来などないのだけれど、自分の錆び付いた頭の代わりに参考にしている地図はある。それは、ここ数年で何度か占っていただいた手相鑑定だ。今のところ、ざっくりとだがほぼすべて当たっている。ちょっと怖い。

もちろん、当たったとは言え占いなので、それだけを真剣に信じるのはいい方法とは言えないだろう。あくまでも参考だ。いや、参考というよりも「心の支え」だ。希望である。

一寸先も見えず、不安しか感じない日々に、手のひらに書いてあったという希望に溢れた未来の地図は、倒れそうになる身体をどうにかこうにか支えてくれるのである。それがなければとっくに人生を諦めている。

希望になってくれただけで、その未来は結局来ないかもしれないけれど、少なくとも今を生きるための力にはなっているのだ。それでもいいんじゃないかと思う。

この春は、私にとってターニングポイントになるらしい。何が起きるのかはわからない。何も起きずに、どうしようもなく私は社会のお荷物と化していくのかもしれない。
でも、この春に何かが起きれば、私は迷わずにその何かを掴む。ワクワクしてる場合じゃないのに、ワクワクしている。こんないい加減な人間になる予定では、まったくもってなかったのだが。


書くことが好きだった。表現することが好きだった。自分のこの目に焼き付けたもの、心を震わせたもの、その素晴らしさを伝えることが好きだった。
今はこうやって、ブログの形で細々と、ほんのわずかな人々にようやく届けられたかもしれない、という程度だけれど、いつか、もっと多くの人に届いたら。

書くことや表現することでなくてもいい。私という、何だかよくわからない存在が、どこかで誰かの力になれるのなら。迷って迷って、どこにも行けなかった私に、居場所が見つかるのなら。
私の未来は、きっとそこにある。

バリキャリになってめちゃくちゃ稼いで、親に家を建ててあげる、という子供の頃から立てていた計画は何一つ実行できなかったけど、それでもいいと思える未来を掴むために、私は今真っ黒な霧の中を、どうにかこうにか這っている。

春の木漏れ日は、霧を晴らすのだろうか。いや、予想するのはやめよう、未来はきっと、自分で選ぶものじゃない。ただそこにあるものだから。


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