うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

フィギュアスケートだらだら語り・特別版 ―別れゆく平成に寄せて―

今週のお題「平成を振り返る」

開始当初は何でもアリな内容にするつもりであえてカオスなタイトルをつけたこのブログ。平成を振り返るにあたってはとても書ききれないほど様々なことがありましたが、ほぼフィギュアスケートに特化することにブログの方向性を変更したこともあり、今回は「私とフィギュアスケート」というテーマで平成を振り返ってみたいと思います。


フィギュアスケートというスポーツを最初に知ったのはいつだったか、さすがにそれは覚えていません。伊藤みどりという選手がどうやら凄いらしいとか、ケリガンとハーディングという人が喧嘩してるらしいとか、ニュースで見ていたことはぼんやり覚えています。

それから漫画。家族が買っていた『ちゃお』に連載されていた赤石路代さんの『ワン・モア・ジャンプ』を読んでた記憶はありますね。それと友達が貸してくれた、槙村さとるさんの『愛のアランフェス』。確か友達のお母さんのセレクトで、当時はスケートの話というより「人生や自立を考える物語」として読んでいたような気がします。
もちろんテレビで演技を見ることもありました。平成10年に開催された長野オリンピックは結構ワクワクと見た記憶があるので、たぶんフィギュアスケートという競技に興味はあったのだと思います。が、綺麗な女の子が綺麗な衣装を着て優雅に滑るスポーツ、というイメージだったことは拭えないです。


劇的な変化が訪れたのが、平成14年。ぼんやりと見ていたソルトレイクシティーオリンピックの男子ショートプログラムが、私の人生をこれほど変えてしまうとは、当時は思ってもいませんでした。
このオリンピックでの男子シングルの覇者となったアレクセイ・ヤグディンが滑った『Winter』を、私は生涯忘れることはないでしょう。こんな表現の方法が世界にあったのかと、稲妻が走るような衝撃を受けたのです。

よく考えなくても、私は音楽が好きで、表現することが好きな人間でした。歌は下手だし運動神経は壊滅的だし、自分が音楽や舞踊といった手法で表現する側に回ることこそないけれど、きっと表現の方法としてずっと強い関心を持っていたのだと思います。子供の頃大好きだった本はバレリーナの物語だったりしたものです。
それからスポーツ。運動が大嫌いなのに、私がいちばん最初に大好きになった漫画は『ドカベン』でした。小学生の私は子供向けの野球の本まで読んで漫画の世界に没頭していました。実は意外とスポ根が好きなのかもしれません。

その私の前に、音楽と舞踊という芸術の要素をあわせ持ったスポーツが現れたのです。フィギュアスケートとはこんなに熱く、美しいものだったのか。これまでぼんやりとでも触れたことがあったからこそだったかもしれませんが、世界は急に明るく開け、ぐるぐる回り始めた感じがしました。その頃の私は、先の見えない闇の中にいたのです。それは今も抜け出せない闇でもあるのですが。

せめてエキシビションだけでもビデオに録ろうとしたものの、どうやら間違えたらしくジャッキー・チェンの映画が入ってたことをうっすら覚えてます(笑)。ヤグディンの隣にいる人はヤグディンのお母さんかな、と思っていたくらい当時は何も知りませんでした。隣にいる人とはタラソワコーチなのですが、今となっては信じられない勘違いです(汗)。

それくらい何も知らなかったので、オリンピックの直後に行われた世界選手権の開催地が日本であることなど当然知るはずもなく、テレビ中継で長野だとわかって「それなら行けたのでは…」と残念に思ったこともよく覚えています。
この時に録画したビデオは擦り切れるほど見返しました。主に見ていたのはヤグディンの『Winter』ですが、番組を通して何度も見たので、アブトやチェンジャン、ワイスなどの選手の名前は今も懐かしいです。選手によって全然個性が違うんだな、と面白く感じていました。現在のように、特定の選手の演技だけ動画で見る、という時代ではなかったことが、競技そのものへの興味を持たせるいい下地になったのかもしれません。

当時は少なかった雑誌を集めてはもったいなくて少しずつ目を通し(初期の『ワールド・フィギュアスケート』は全部持ってる、12までは欠番なし。あと『スポーツアイ』なんかも買ってた←まだ持ってる…。2003年頃に廃刊されたスポーツの雑誌)、新聞をスクラップし、地元で行われたアイスショー(プリンスアイスワールドでした)にも出向き、ヤグディンのあの演技はどこからどうやって生まれてきたのか知りたくて、自分なりにフィギュアスケートに触れてみようとしていました。私はそもそも相当マニアックな気質。好きになるまで時間はかかるけど、一度好きになると深く深く追いかけようとするのです。

けれど、翌平成15年。ヤグディンは故障が原因で引退。ほとんど試合での演技を見ることもないままヤグディンがリンクを去ってしまったことは私にはあまりにもショックで、しばらくはスケートを見ることへの情熱も失っていました。もちろんまったく見なくなったわけではなかったですけど、新聞のスクラップや雑誌集めも止めてしまい、テレビで見るだけのファンとして当分の間過ごしていました。


そんな私のさらなる転機が平成22年。バンクーバーオリンピックに盛り上がった知人たちと出かけた「ダイヤモンド・アイス」。久しぶりに見る生のスケートは、私に「自分の目で見て肌で感じることの楽しさ」を存分に味わわせ、病みつきにさせてしまったのです。
今考えると、ダイヤモンド・アイスには高橋大輔浅田真央といったバンクーバーで活躍したスター選手のほかに、まだジュニアだった羽生結弦や、地元の新聞で名前を知ってずっと気になっていた町田樹、現在も日本での人気が高いステファン・ランビエールなど、そうそうたる顔ぶれが出演していました。病みつきになってしまうのも致し方なかったかもしれません。

それ以来、僅かな給料をやりくりし、全国のショーへ出かけました。テレビでは感じることのできなかった、氷を削る音、目の前を駆け抜けていくスケーターのスピード、滑りの達者なスケーターの滑らかな足元、特定のスケーターが持つ会場を支配するオーラ、客席に向けられる眼差し。テレビでは映ることのない、リンクサイドのスケーターたち。テレビでの演技は比較的すぐに忘れてしまっていたのに、自分の目に焼き付けるそれは、強烈に私の心に残っていったのです。

楽しみが待っていたからこそ、貧しい生活や忙しい仕事にも耐えられました。あちこちに出掛けることで、知らなかった土地の風景にたくさん出会うことができました。
自分が意外と旅が好きなことにも気付きました。私は貧しい家庭に育ち、家族旅行などほとんどしたこともなく、何も形で残らない旅行など無駄だと思っていました。でも、私にいちばん必要だったのは「自分の目で確かめて自分の心に焼き付けること」だったのかもしれないと、アイスショーへ足を運ぶ旅の数々を通して、私は初めて気付いたのです。


元々私は書くことが好きな人間でした。心を揺さぶった体験の数々について書き残したくて、旅日記を書くようになりました。表に出す勇気がなくて知人だけに読んでもらっていたそれらを元に始めたのが、このブログです。平成28年9月23日。それがこのブログがスタートした日です。

いつまで経ってもルールはおろか技の名称すらきちんと覚えられず、ぼんやりした感想しか書けない自分にブログなんて、とずっと尻込みしていました。まさか平成の終わりまでぼんやりしたブログを毎日毎日更新し続けているなんて思わなかった。1日1記事ずつ更新しているのですが、平成が終わる頃にはおそらく950記事ほどになっているでしょう。

自分は確かに素人で、知識はない。偉そうなことは書けない。技術的なことなんて何にも書けない。でも、私が演技を見てどう感じたかなら書ける。演技からどんな色を、音を、物語を感じたか。解釈は間違ってるかもしれないけど、私の魂から生まれてきた言葉を、素直に綴っていこうと思いました。


ただ、自由に書いてもいいのは「私の捉え方」だけで、「自分は素人である」という意識は絶対に忘れてはいけない、とも思っています。立ち入った意見は専門家の領域であり、素人が偉そうに口を出す話ではない。ここに線を引くことのできない「素人」の書いた文章が、惑わされやすい人々の心を乱し、余計なアンチを生んでいく要因のひとつではないかと感じています。
素人の書いたブログなんて普通はさらっと流すじゃないですか。ところがそうじゃないんですよ。いかにも詳しそうに、自分は絶対だと信じて強い言葉で書かれているブログの内容を、たとえ間違っていても真実だと思い込む人は残念ながらたくさんいる。ブログの開始を迷ったのはそれを何度も耳にしていたのも大きかったです。「こういう批判や意見がブログに書いてあった。だから○○はおかしい」と素直に言われてしまうことは私には本当に衝撃でした。ですから、どんな風に書いていけば、ただ楽しく見たいファンが楽しく綴ってるだけなんだよ、ただみんなで楽しく盛り上がりたいだけなんだよ、ということが伝わるのかと、相当悩みました。実はかなり気を遣って日々記事を書いています。

何故フィギュアスケートのファンの世界が難しいのかは、おそらく「自分の見解が絶対」だと人間が皆どこかで思っていることが浮き彫りになってしまうからではないでしょうか。それが結局、ジャッジやメディアなどの批判にも繋がっていく。決して認めることはないでしょうが、口さがない一部の人はおそらくジャッジや関係者より自分が正しい、と思っている。信用するのは、自分のその意見を肯定する人物だけ。偏っているのはジャッジでも競技そのものでもなく自分なのに、そのことには気がつかないで批判を続ける。
色々な意見が存在するのは当たり前のこと。それによって生まれる議論で得るものもあるでしょう。けれど、自分の意見が絶対という領域を侵されたくないばかりに、設けた議論の場から逃走し、安全なところから意見が異なる他者を嘲笑う。批判を受け止めようとしない者が、誰かを批判する権利を声高に主張する…。人間とはこんなに恐ろしいものなのかと、エネルギーを削られることも多々あります。

「感想の領域を出た批判は決してしない」と考えるようになった背景には、実際にスケートに関わるある知人の言葉が胸に突き刺さったことが大きな要因として存在します。書いていいものかどうか分からないので、今はまだ控えます。でもその言葉は、無関係な外野の無責任な言葉の罪深さを思い知らせるものでした。私たちファンが支えていることも皆知っているから、誰も何も言わないけれど、ファンとはなんと甘えた存在なんだろう、その幸せに気がつかないなんてどれだけ自分は情けなかったんだろうと、本当に猛省しました。

ソルトレイクのペアの採点で揉めに揉めたこともよく覚えています。おそらくそれは、フィギュアスケートに深く触れ始めたばかりの私にとって大きな「きっかけ」になる事件だったと今振り返ると思います。
競技を見てもいないのに「あれはおかしい」と言い出す人が自分の周囲にもいましたが、私にはとても違和感がありました。メディアが騒げば真実かどうかを確認せず鵜呑みにされてしまうのだと思い知った出来事のひとつです。それはその後も、スケートに関してだけでも何度も感じてきたことでもあります。
真実はどこにあるのかともやもやした私の気持ちにひとつの解を与えたのは、当時集めていた『ワールド・フィギュアスケート』などの雑誌でした。たぶん皆さんご存知の、新書館から今も発行されているフィギュアスケートの専門誌ですね。当時は情報源が雑誌くらいしかなかったのですよ。特に、ソルトレイクの特集だった『ワールド・フィギュアスケート7』(2002年発行)は何度も読み返しました。そこに掲載されていた記事のひとつひとつから私がいちばんに感じたのは、判定や演技の内容に関する関係者等の冷静な意見と対をなすように、一部のメディアやファンが騒ぎ立て、真実になってしまうことの恐ろしさでした。この「疑惑」に関して、「おかしい」というフィルターをかけずに、実際の演技や採点がどうだったかを細かな点まで吟味して、きちんと話題にした人がどれくらいいたのだろうと疑問を持ったことが、私には大きな転換点となったような気がしています。
真実はもちろん私にはわかりません。わかるはずがない、当事者ではないのだから。だからこそ、どれだけ自分の感覚で変だと思っても、まずはよりスケートの中心部に近い人々の判断を受け入れようと、これをきっかけに自然に思うようになりました。そうでなければ競技としての大前提は崩れてしまいます。「外野が騒いだから判定が覆る」などということは本来あってはならないし、我々ファンも、たとえば自分の見解に近いからとそのような行為を助長すべきではない。それはスポーツを楽しむ者が侵してはならないルールだと私は考えています。

このソルトレイクでの出来事を受けて採点方式が変更され、詳細な得点というずっとクリアな形で我々の前に示されるようになっても、おそらくその人の感じていた旧採点時代の不透明さを引きずったままだったり、結局何がどうなっても不満しか出ない人々が多く存在する現状に、ずっと胸を痛めています。ソルトレイクの一件に関しても、フィギュアスケートは決してミスの多さだけを競う競技ではないとおそらく理解しているはずの「ファン」の中にも、世論に振り回されたまま、不正ありきの競技だと今も思い込んでいる人がいることに私はうすら寒いものを覚えます。真実は彼らだって知らないはずなのに。
結局真実がどこにあろうと、その人たちは自分で作り上げた「フィギュアスケートはまともな採点がされない、自分の感じたこととは違う結果の出る競技である」という認識から永久に抜け出せないのだと思います。
でもそれが、巡り巡って選手を傷つけることになるということに、彼らは気づかない。「選手は悪くない、守られるべき」という言葉はよく聞くけれど、選手はいつか引退し、連盟の運営に携わりジャッジやコーチやメディアの一人として活躍する。いつまでも「私の大好きだった素敵な演技をする○○ちゃん」のままでいてくれるわけじゃない。
現在にも未来にも目を向けることのない「過去の思い出」は障害物でしかない。思い出が美しいのは、未来が常にそこにあるからです。頭の中の時計が止まったまま、かつては選手だった、誰かの大好きだった「○○ちゃん」たちが試行錯誤しながら作り上げるシステムや次世代を信じられずに、不正ありきの競技だと嘲笑するようなファンから出る「選手は悪くない、守られるべき」をどうやって信じたらいいのか、私にはわかりません。
しかも、自分が好きな選手に有利な採点がなされた場合は「不正だ」などとは絶対に言わない。本当にルールがおかしいと思うのなら、まずどの選手に対しても個人的感情を排したフラットな視点を持ち、その観点から語るべきではないのでしょうか。都合のいい時だけ素人の立場を利用し、「自分の好きなものは評価されて当たり前、評価されないのは不正やいじめ」という根底に立ってなされる主張は狡猾で、滑稽で、実に矛盾しています。彼らが守っているのは選手ではない。おそらくは自分の自尊心です。
でもこれらを指摘すれば、たぶん彼らは私を「おかしい人」扱いするのでしょう。あなたと、同じように。私の悲しみは、あなたに伝わることはないのでしょう。あなたの心の内は自由であり、それに制限をかけようという話ではないのです。そうじゃない。「自分の意見だから」「素人にも判断できるから」と主張するその言葉を、あなたは選手や関係者の前でも言えますか。あなたたちの携わる競技は、間違いだらけで不正の温床で、まともじゃないと。あなたの大声は彼らにも聞こえてしまうかもしれないと、考えたことはないのですか。あなたがそれに気付かない人だったということが、悲しいのです。

人間の作り出す美しさを美しいと感じ取るのは、おそらく人間だけです。ゆえに、芸術の巧拙を判断できるのも人間だけです。同時に、人間の心は非常に多様で、また揺れ動くものです。一切のミスを許さず、完璧な人間と完璧なシステム、そして完璧な判断を求めることがそもそものいちばんの「間違い」であると、私は思います。「プロの判断を受け入れる」ということが自分自身の意見・思考の放棄や無知、ひいては愚鈍とイコールであると揶揄されるのは、非常に残念です。

選手によって差はあるのかもしれないけど、どの選手もスケートが好きで続けているのだろうと、彼らを見ていて何となく思います。人生を懸けて向き合っている大好きなものに対して、何も知らない外野に好き放題言われることほど悲しいことはない。
だから私は、選手だけでなく、選手を支えているすべてを出来る限り肯定的に受け止めようと思っています。競技そのものに敬意を払うことは決して忘れないようにしようと思っています。大好きな人の大好きなものを信用できないなら、大好きだなんて言うべきじゃない。
ただちょっとだけ、自分の心から溢れてきた言葉を書き残させて欲しい、そんな気持ちでこのブログを続けています。

これらはあくまで私の考え方であり、これだけが正しいとはもちろん思っていません。ただ、このように考えるスケートファンもいるということを、ひとつの意見として知っていただけたらと思います。
ある悲しい思いが、いま私の胸に巣食っています。わかりあえると思った私が浅はかだったのでしょう。気持ちのいい、優しいファンの方の方がずっと多いんですよ、実際には。でも、結局この人も「そう」だったのか、と露呈するたびにうんざりし、何を信じたらいいのか分からなくなる。正直今、とても疲れています。考え方が根本的に違うのだと諦め、共存もまた諦めるしかないのでしょう。残念だけれど…。同じスケートファンにそのような感情を持たねばならないことに、やりきれない思いです。だからこそここで一度、自分の思いの一部を書いておこうと思いました。おそらく伝わることはないと思いますが、それでも。次の時代に、悲しい思いを引きずりたくないので。


気がつけば、平成の半分以上をフィギュアスケートのファンとして過ごしていました。感動のあまり涙が止まらなかったことも、ものすごく後悔したことも、ひたすらに嬉しかったことも、寿命が縮みそうなくらい焦ったことも、本当に色々なことがありました。たくさんの人と出会い、たくさんの人と別れ、一生行くことのないと思っていた土地をたくさん訪れ、たくさん失い、でもたくさんのものを得ました。
かつて私が「旅行なんて無駄」と思っていたように、私の日々はある種の人々から見れば「無駄そのもの」かもしれません。でも私は、フィギュアスケートという氷の上に描き出される一瞬を積み重ねた世界を、少しでも見逃すまいと必死になったこの日々が、人生の重さに潰れそうな私に命を与えていてくれたことを実感しています。

平成の時代は、私の生活や心身に大きなダメージを与えました。その日々からついに立ち直ることが出来なくなった私は、どうしたらいいのかわからずじっと両手を見つめるばかりの毎日を過ごしています。毎年行っていたアイスショーにも、昨年はついに行くことができませんでした。会場で一瞬一瞬をこの目に焼き付ける甘美な経験を、私はもう味わえないのかもしれません。愛情や情熱だけでは、生活苦には勝てない。
希望のないまま私の前から去ろうとしている平成に、最後の最後に、少しだけ、ワガママを聞いて欲しいと願いながら筆を置きます。

ねえ、平成。私から何もかもを奪っていったあなたが唯一残してくれたのが、自ら足を運び、自分の目で見つめたものを書き残す喜びだった。あなたが永遠に私の前から去っても、私はその喜びを永遠にそばに置いておきたいんだ。
どうか、もう私から奪わないで。奪わないで、またその喜びに浸れるように、時代を越えても消えない希望を残していって。あなたという時代があったからこそ幸せがあるのだと、新しい時代で誇れるように。


平成が過ぎ去って行っても、このブログは淡々と続いていく予定です。読んでくださった皆様のおかげで、平成の終わりまで続けることができました。もし思い出すことがあれば、また訪れていただけたら、心から嬉しく思います。



※私の個人的な話については、現在はnoteにつらつら綴っています。自分の人生を振り返るつもりで書いていたシリーズが、私にとっての「平成」なので、こちらもご興味あれば読んでいただけたら。
まだ消化できてなくて書いてないことも山ほどあるし、平成じゃない話も混ざってますけど(汗)。そして全部書ききる前に平成が終わってしまうという(汗)。暗い内容も多いので、ご注意ください。
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