うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい(ライター始めました2018・生活の糧と居場所募集中)

枯れない花を渡すより、枯れない花でいたい

今週のお題「母の日」

小学生の頃、母にプレゼントを買ったことがある。母の好きな、モスバーガーのライスバーガーだった。母の日だったか母の誕生日だったか、どちらだったのかは正確には覚えていないのだが、母の日だったような気もする。

花とかバッグとかハンカチとか、本来はそういったものをプレゼントするのだろうけど、私は田舎の小学生で、そんな洒落た店は近所になかったし、お小遣いも足りなかった。当時通っていた学習塾の近くにあったモスバーガーのメニューが、私に手が出せる「母の好きなもの」だったのだろう。形にも残らないものなのに、母がとても喜んでくれたことは覚えている。


私の母はかなり強烈なキャラクターで、ほんの子供の頃は両親が世界の基準ですべてだったけど、長じるに従って自分が家族とはあまり考え方のパターンが合わないことに気付くようになった。小学生の時分には、もう気付いてはいたのだ。

私の育った家は貧しくて、私が中学生や高校生になる頃にははっきりとわかるほど家計が傾いていた。貧しさが母の心を蝕み、元々少し変わった人だったこともあって、随分きつい言葉をぶつけられながら私は育った。「お前たちは自分が楽をするために生んだんだから、言うことを聞けないのなら死ね」と吐き捨てた母の言葉を、私が忘れることはないのだと思う。

それでも私は、母の期待に応えようと必死だった。一生懸命勉強して、安定した生活を手に入れて、両親に家を建てて、苦しい生活から解放しなければ、と呪文のように自分に言い聞かせ続けていた。私は本当は、社会の枠から簡単にはみ出してしまう人間で、私がどうしても欲しかったものを手に入れるには莫大な労力が必要で、些細なことで簡単に躓いてしまうことに、ずっと気付いていなかった。いや、気付くわけにはいかなかったのだ。

社会に出ると、あまりの「違い」に愕然とした。職場のパートの「オバサン」たちの気楽さが、おそらくは世の中の当たり前なのだということに。母は褒められた人間ではなかったかもしれないけど、少なくとも身を粉にして働いていたし、母より苦労している人は私の周囲には正直少なかった。母を盲目的にかばうつもりはないのだ。それでも、さすがにあまりにも母が哀れだった。これでは確かに心も歪んでしまう。


けれど、何とかしなければ、と思えば思うほど空回りした。私には子が親から当たり前のように貰う人生の土台が、ほとんど何もなかった。

両親の愛情が足りないという第三者の言葉を自覚することから始めなければならなかった。とにかく親元を離れて、自分の人生を一から立て直すしかなかった。
一緒にいると間違いなく共倒れになってしまう。私には母を支えられない。母に私を支える力がないのだから、まず自分で自分を支えなければならないのだ。人生を数十年分遡ってやり直すような感覚だった。

母が憎いわけでも何でもなくて、本当に憎んでしまわないためにはあえて距離を置き、本当は母から貰えるはずだった心の土台とか様々なものを、自分の力で得て、自分の足で立たなければならなかったのだ。
それは想像を絶するほど苦しくて、今も混乱の渦中にある。たぶん私のような人間はたくさん、たくさんいたけれど、今まで声を出せなかっただけなのだろうと思う。人間が種として生き残っていくために、この連鎖を断ち切る時が来たのかもしれない。自分の置かれた状況に気付き、同じ事を繰り返すまい、と誓った人間は、子孫を残さなくなってしまう。

壊れた土台の上に無理矢理建てていた私という個性はバラバラになり、私は人生の立て直しに失敗して今もさまよっている。母の日どころではない、自分が明日を生き延びることだけで精一杯だ。
子がそんな状態でも私の母には私を支えることはできない。私が死んでも葬式も出してもらえないだろう。私は花やプレゼントを贈る代わりに、母の手を借りずに生きる、という形を取るしかない。何度も何度も、数え切れないほど何度も投げ出そうとした人生を、どうにかして生き延びる手段を母から貰わない、という形しか。それを貰ってきた人は、感謝という形で返せばいいのだと思う。


今年の母の日にも、私は何も出来ない。明日食べるものにも困る、極貧生活が何年も続いている。どうやって明日も生きていこうかと、それだけで一杯になり壊れてしまいそうになる心を必死でこの世に縛り付けながら、頭を抱えている。もう、こんな毎日からは抜け出したい。

祈っても神様は聞いてくれた試しがないけれど、祈るだけなら財布に1円もお金がなくたってできる。だからせめて、祈ろう。
たぶん、いくらお金があったとしても、もう気軽にモスバーガーは渡せない。母には健康になって欲しい。加齢による衰えは仕方がないけれど、パワフルでシャキシャキ動いてた頃の母に少しでも戻って欲しい。

ただ、ただ清潔に、健康的に、穏やかに暮らせるようになって欲しいのだ。ただそれだけなのだ。ただそれだけのことが、何故こんなに難しいのかと頭を抱えたまま、まだどうにか穏やかに暮らしていた頃の、幼い自分の精一杯に、切なく思いを馳せている。



※当ブログは現在ほぼフィギュアスケートのブログと化しております。こういったエッセイ的な内容は、今回のようにお題記事を除けば、2018年9月よりnoteで書くことにしました。もしご興味のある方は、noteも覗いていただければ幸いです。ただの日記が大半ですが、気まぐれに創作に走ったりもしております(汗)。あと1ヶ月程度は、noteも毎日更新予定。
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