うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

フィギュアスケートつらつら語り in 6月③

このブログは開設当初から毎日更新し続けていたのですが、1000日目までカウントダウンに入りました。パソコンだとサイドバーに継続日数が表示されるんだけど、スマホだと出てないかな。ここまで続けられるとは思ってませんでした。もっと適当な内容なら労なくできたかもしれないですけど。

1000日に到達した時点で毎日更新は終了の予定です。現在ははてなブログのほかにnoteもほぼ毎日更新中なのですが、毎日更新はするけれど原則はてなかnoteのどちらか、というスタイルになるかと思います。はてなの方がアクセスも多いし、予約投稿ができて使いやすいのではてなをメインにするつもりですが、シーズンに入るまではもしかするとnoteが多くなるかも。ネタがあればいくらでも書くので、どこかのショーに潜り込みたいが経済的に絶望的過ぎて(吐血)。ネタの神様仕事してくれ、100円やるから!←お賽銭やっす

さてさて、本日はテレビ番組の感想以外のフィギュアスケートの話題についてつらつらと。

ポリーナ・ツルスカヤ、引退

びっくりしてしまいました。まだ17歳だというのに…。2017年のNHK杯で演技を見たのが最初で最後になってしまいましたが、現役の姿をこの目で見られるチャンスを図らずも掴めたということで、複雑な気持ちです。これからまだまだ活躍する選手と思っていたのに…。ジャンプがかっこよかった…。
それでも、まだ17歳。人生はこれからが長いのです。彼女の決断が幸せに繋がっていくことを祈っています。

宇野昌磨、コーチ変更

こちらもびっくりしましたね。海外のコーチに師事するという選択肢はないのかな、と時々頭をかすめることはあったのですけど、彼はいい意味で常識が通用しない選手だと感じるので、このままコーチを変更することなく完成形に至るのだろうかと考えていたのです。
以前も書いたことがあるけれど、昌磨君は天井がどこにあるのかわからない選手だと思うのですよ。完成形が予想できない、いい意味で。まだ見たことのない昌磨君が眠っている可能性が大いにある。新しいコーチの色がどう昌磨君を染めるのか、とても楽しみだったりします。
しかも、合宿に参加するだけかもしれないとは言え、その選択をしたということは今後エテリコーチに師事する可能性があるということか。私ねえ、羽生君の本当のライバルって昌磨君だと思ってるんですよね。両者とも天井がどこにあるのかわからない、完成形がわからない、という点において。昌磨君のコーチが最終的にどうなるかはわからないことだけど、少年ジャンプが好き過ぎるスケートの神がいるとしか思えないんですけど…。

ジョニーのツイッター

タイトルどうしようかと思ったんですけど、「ジョニーがスケーターへの中傷の手紙をインターネットにアップした」ということはとりあえず事実なので、これで。

スケート靴の刃で名前は隠してあったけど、文面から誰に宛てたものかは本人が声にせずとも想像はついただろうと思われます。タイミングからショーの出演者であることと、文面に見えるふたつの単語から。
あくまで私の感じたことですけど、この手紙にはひとつ大きな特徴がある。ひとつだけ、特殊な単語が入っている。そこからこの手紙の主がどのような趣味嗜好の持ち主で、どのような目的で手紙を書いたのかは推測できる気がしますが、当然確証はありませんし、断定すべきことでもないでしょう。

今回の件は氷山の一角に過ぎず、同様のケースを多くのスケーターが経験しているだろうと考えます。どのような経緯でジョニーがこの手紙を目にしたのかはわかりませんが、温かいファンが多いとされる日本のショーでこのようなことが起き、ショックだったのかもしれません。だから今回は声を上げたけれど、おそらくは多くのスケーターが黙っていてくれるから、表に出ないだけなのだろうと思います。「ファン」のしたこととして。
インターネットのあれこれを思い起こせば、こういった件が起こっていないと考える方が困難です。考え方は人それぞれで、批判や意見を一切言わないのが正しいわけではない。しかし過度な感情は目を曇らせ、時に自覚のないまま、偏りと歪みが悪意の衣を纏って世界の海に放たれる。その牙が形を伴って現実に登場しても何もおかしくはないのです。

我々ファンにできることは、「自分も一歩間違えば同じ事をするかもしれない」とまず自分を振り返ることだと思います。自分は絶対にこのような行為に踏み切らないと言い切れますか?人間は脆いです。どんなに自分には関係ないと思い込んでいても、病気や親族問題、仕事の苦悩、貧困、いつ何に追い詰められて心の形が変化し、「スイッチ」を押してしまうかは誰にもわからない。おそらく自覚がないだけで何かや誰かのアンチ化している人間は既に大量にいて、予備軍だらけじゃないか、と冷めた目で見ています。
たとえば、Aを好きだと言っていた人たちがBを好きになってAの批判を始める、なんてことはざらにあるわけです。それまではごく普通のAのファンだったはずが、見るも無惨なほどアンチと化していく。その末路のひとつがこのようなファンで、それはどんな人間であっても陥る可能性のある末路でしょう。もちろん、私が暴走する可能性だってあるわけです。

自分のスイッチも他人のスイッチも押してしまわないためにはどうすればよいのか。方法のひとつとしては、物事を一歩立ち止まって自分の頭で深く考える、想像力を持つ、見て見ぬふりをせず悪意には毅然とした態度でいる、そんなところではないのかと私は思います。精神論じゃないかと言われそうですが、これはスケートのファン云々に限らずすべてに通じる話かと個人的に思っているので。
たとえば、世間的にはまっとうな人物だけれどフィギュアスケートに関して誤った悪意を垂れ流す人間と、フィギュアスケートに関しては正しいことを言っているけれどそれ以外は基本的に破綻している人間とがいたら、後者を見抜いて信用できる人物がどれだけいるでしょうか。フィギュアスケートの話をしているのであってほかの件は基本的に話題として関係なくても、です。一見正しそうに見えるものが正しいとは限らない。表面だけ見ていては大切なものを見失う。見失ったが故に「あなたはその人が嫌いでも誰かはその人が大好き」という人間の社会の基本の基本を忘れ、誰かの心を抉りながらスイッチを押す。抉られた心はダメージに耐えきれず爆発していき、スイッチが押されてしまう。この悪循環に加担しない、ぶれない自分を保つ。難しいかもしれないけれど。

いや、やっぱり簡単なことかもしれない。テレビや雑誌に触れている段階から、誰に対しても何に対しても、楽しめばいい。その楽しい気持ちは会場に行けば、何を見ても誰を見ても、精一杯の拍手を送る姿に変わるでしょう。隣の席で良からぬことを企む輩がいたたまれなくなるくらいに。精一杯「フィギュアスケート」を愛するファンで、会場を埋めてしまえばいい。ファンにできることなんて、結局それだけ。
だって、連盟の人がいてコーチやジャッジがいて、リンクを設営したりテレビ番組の撮影をしたり記事を書いてくれる人がいて、切磋琢磨するライバルがいて仲間がいて、やっとあなたの好きなスケーターは「あなたの好きなスケーター」としてあなたの前に登場してくれるんですよ。いちいち憎んだり嫌ったり疑ったりしてる場合じゃないでしょう。ひとつでも欠けたら、私たちは大好きな人に会えないんですよ。会えなくていいんですか?私は嫌ですけど。

それでも間違えたり熱くなり過ぎたりすることはあるかもしれない。そういう場合に、実際にはさほどのことでなくとも重箱の隅をつつくようにその人を糾弾することには夢中な人が多いけど、おそらくそれには何の意味もない。失敗したらその失敗を忘れなければいい。失敗だと気付けばいい。繰り返さなければいい。
手紙の主を許すか許さないかはスケーターが決めることで、我々ではない。けど、事が大きくなってしまったことで、手紙の主が自分が何をやらかしたのか気が付いてくれたら、とは思う。気が付いて、七転八倒して苦しんで、後悔に頭を抱えたらいい。それでも、それでもやっぱりフィギュアスケートが好きだという気持ちが残っていたら、今度こそ本当に、一からやり直してスケートファンになればいいんだと思う。可能性は低いだろうけど、せめてそうであって欲しい、と私は思ってます。


こういう考え方の人間もいますよ、程度に読んでもらえたら。
とにもかくにもネタの神様、今すぐいつものように大暴れしてはくれまいか。むしろ今こそ暴走する時ではないか。「羽生結弦エヴァンゲリオンで滑る」とかいう長年妄想し続けてきた何かがついに発現したというのに、ファンタジー・オン・アイスのオープニングの曲を会場で聞かないと死ぬ病気の私が今年も会場に行けないまま夏が終わるとかありえんわ。だからどうにかして富山に潜り込んでやろうとなけなしの金でスクラッチ1枚だけ買ったら見事に外れたんですけど!どうしてくれるねん!お賽銭100円やるっつってんだろ!貧民過ぎてこの100円出したら明日食べるパン買えないんだぞ!←意味不明の逆ギレ

…ではでは(汗)、また次のつらつら語りでお会いしましょう。



「うさぎパイナップルnote分室」を開設しました。フィギュアスケート以外の話題は2018年9月よりこちらに集約させております。心の叫びや日々の呟き、小説から趣味の話、フィギュアスケートの話も時々、要するに何でもあり。毎日更新中なのでお気軽に遊びに来てくださいね。
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