うさぎパイナップル

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フィギュアスケートほろほろ語り in 8月⑤~24時間テレビスペシャル2021~

フィギュアスケートに関する雑多な話題をほろほろと語るシリーズ。この時期はこれを書かなければ夏が終わりませんね。というわけで、今年も24時間テレビの話題を。

二年前までは土曜日の夜に放送されていたと思うのですが、今年は日曜日のお昼でした、羽生結弦選手のコーナー。昨年は行われることのなかった羽生君によるアイスショーが、いよいよ復活です。

場所はアイスリンク仙台。コロナの影響でカナダに渡航できなくなった羽生君が現在拠点としているはずのリンクであり、10年前の東日本大震災発生時に、羽生君がまさに居た、その場所。
10年の節目に、例年ならカナダにいるはずの彼がこの仙台にいて、観客も存在しないたった一人のリンクから厳かにその演技が届けられるなんて、偶然と呼ぶにはあまりにも出来過ぎているような気もしてしまいます。

主に羽生君の話題で取り上げられることも多いアイスリンク仙台ですが、そこで行われる羽生君の演技をこんな風にたっぷり見られる機会って、もしかしたら初めてなんじゃ…。リンクの内装も改めて見つめてしまいます。おそらくは貸し切りで練習しているのであろう彼が、日々見上げているのであろう天井、壁、何度も打ち付けられたのであろう氷…。

そのリンクに登場した羽生君の衣装を見て驚く私。見たことがないはずだ、この衣装。
薄いピンクのような、オレンジ色のような色合いに、紫が混ざった、夕方の空のような衣装。肩まわりには花があしらわれ、帯は金色。何となく、『天と地と』のバージョン違いのように思えてきます。
しかし、天と地とをここで披露するとも思えないし…、とドキドキしながら見つめていると、なんと2曲滑ってくれるというではないですか。一曲はホワイトレジェンドだろうと勝手に予想していましたが、さてどうなる。


果たして一曲目は、予想通りホワイトレジェンドでした。
透き通る白い肌と風に流れる黒髪、涼やかな切れ長の瞳。日本の美を体現したような彼に、まるであつらえたかのような、和の要素を取り入れた白鳥の湖。少年時代に滑っていた頃から非常によく似合うプログラムだと思っていましたが、久しぶりの披露でしょうか。

傷付きながらも羽ばたこうとしていた若い白鳥は、10年の時を経て白鳥の王に進化を遂げていた。その身は雄々しく、その心はどこまでも気高い。
白鳥の群れを導く王は、遥か天空から傷付いた大地を見下ろす。繊細な王の心を縛ろうとする苦悩。悶え苦しむ王の心。それでも白鳥の王は、その苦悩ごと運命を受け入れて、自ら先頭に立って羽ばたいていく。夜空の星に希望を見つけようとするかのように。

むせび泣くヴァイオリンの音色はまるで冬の嵐。その身には花を纏っているけれど、それはまだ遠い春への憧れ。花を纏った衣装なのに花の存在を感じさせない。私にはそう思えた。

4回転ジャンプも入っている。ショーでありながら。そのジャンプからスパイラルへの流れも美しい。ジャンプに注目が行きがちだけど、羽生結弦といえば多彩なスピンも魅力だと個人的には思っている。このプログラムは、そのスピンを存分に堪能して締め括られる。


そして、2曲目。2曲あると聞いた時点で、もしかしたら、と思っていたけれど。
そのもしかして、でした。『花になれ』。このプログラムも久しぶりですね。

前奏が流れ出した途端、一気に空気が変わったのが画面を通してもわかる。雪まじりの空から舞い降り、凍てついた湖で静かに鎮魂の翼を広げていた厳しい冬の使者が居たはずのその場所には、瞬きのほんの一瞬に、春の精が立っている。

ふわりと微笑む。その微笑みから花がこぼれ落ちる。雪と氷だけだった夜の闇に、薄紫の朝が生まれる。姿も見えなかったはずの春が、色とりどりの花の咲き誇る春が、さっきまでどこにもなかったはずの暖かな春が、画面の中いっぱいに広がる。

涙を拭くような仕草。それはあくまでも振付で、羽生君は泣いてはいないだろう。けど、本当は見えないはずのその涙が、宝石のようにこぼれていく幻すら見えるような気がした。

ふたつのプログラムを続けて滑ったからこそわかる。彼は本当に同じ青年だろうか。白鳥の王は、どんなに女性のような衣装を着ていても、甘さの欠片も無い男性の王だった。けれど、今滑っている彼は、男性でありながら女神と呼んでしまいそうになるほど、柔和で穏やかで、すべてを包んでいく、性別も人であることも超えた、天からの使者に見えた。

そもそもこの『花になれ』というプログラムは、羽生君にとてもよく合うプログラムだと思っていた。彼自身もきっと、この曲が好きなのだろう。
私はおそらく、このプログラムが初披露されたときにも会場で見ている。まるで、瑞々しい若木のように感じられた。彼のプログラムの中でも、印象の強かった作品だった。

あの時は、少年時代特有の繊細さが、彼の雰囲気と曲とにマッチしたのだと思っていた。けど、10年近く経って、すっかり大人になったはずの彼は今も、その瑞々しい少年らしさを残したまま、しなやかな若木から花の咲き乱れる大樹へと変貌を遂げた。
こんな風に、プログラムの変化を見続けていられるなんて。プログラムは生き物なのだ、その時々だけに存在する生き物なのだと実感する。

そして、この曲は歌詞も印象深い。出だしの歌詞にはいつもハッとする。笑うことを忘れてしまった心を、その言葉は優しくすくい上げてくれる。
ファンタジー・オン・アイスに出向くことがなければ、フィギュアスケートのファンになっていなければ、出会うこともなかったかもしれない歌。何度も羽生結弦の身体を通して歌われたこの曲の優しさも、改めて感じることとなった。時々口ずさんでしまう曲ではあったけど、改めて素敵な曲だと思えた。
この曲が聞きたくて、指田さんが地元のイベントに出演したとき、休みをもぎ取って出向いたくらいですからね。懐かしいなあ。もちろん歌ってくださいましたよ。


贅沢で、濃密な時間だった。今も胸の中に、しなやかに厳しく語る彼の腕と、花とは彼そのものなのではないかと感じるほどだった柔らかな姿とが、ふわりと浮かび上がる。

どうかひとりでもいい、ひとりでも多くの人が、見ていて欲しいと思った。羽生結弦は、羽生君は、神が我々に与えてくれた希望だ。彼の代わりになれる人間はいない。彼はそのことを受け入れて、希望になる道を選んでくれた。今まさに、彼がこの世界に、しかもこの日本に存在している奇跡を、見逃さないでいて欲しい、と思った。

私の道には相変わらず花も咲かないし、雪の白さすら目にすることもなく、ひたすら闇の中にいるような気がする。それでも、羽生君がくれた時間を書き残したいと願えば、闇夜にひとつだけ輝いた星の灯りで、こうしてポエムが綴れてしまった。今はそれでいいのかもしれない。

翌日放送されたnews every.ももちろん見た。この番組まで見て、24時間テレビは本当に終わるのだ。そして、夏も終わる。

来年は、羽生君が上様と共演して、明るくマツケンサンバで滑っているような、そんな世の中になればいいな、と思っています。



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