うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

北京オリンピック雑感㉜

エキシビション後半の感想です。ではでは、早速どうぞ!

エキシビション

15︰プロジェクションマッピングの何か?
女の子のスケーターの映像?すみませんあんまりちゃんと見てなかった…。結構すぐ終わっちゃった。


16︰オープニングその2
地元枠のちびっこやっぱりいるのか。ペアってあたりが中国らしいですね。
さすがに地元枠に選ばれてるだけあってツイストも綺麗、次のオリンピックでは彼らも活躍してるのかなあ。
第一部でバックヤード羽生君がちょっと映ってたけど、一緒に写真撮ってたの彼らなんだ、へー。


17︰マディソン・チョック&エヴァン・ベイツ
夢の中にいるようだった…。眠る前にお姫様を王子様が迎えに来て、そのまま星空の海ヘ船を漕ぎ出すみたいだ…。


18︰キーガン・メッシング
めちゃくちゃ普段着に見える衣装ですね(笑)キレキレで暴れすぎて「ちょっと疲れています」とか実況に言われてる(笑)。でもバックフリップもきたーー!
会場大盛り上がり。エキシビションにはこういう盛り上がり系はなくてはならないですよね。


19︰坂本花織
プルシェンコバンクーバーで滑ってから12年、彼女がメダリストとしてタンゴ・アモーレを滑るとは。衣装が赤に変わってて素敵。
相変わらずのスピード感が気持ちいい。ループもバッチリですね。


20︰シーユエ・ワン&シンユー・リウ
彼らも中国語の曲?中国のスケーターはやはり愛国心に満ちた選曲になりますかね、自国開催ですしね。
スタートは二人が離れて立っているのですが、見上げる表情に想いを感じる。演技中もそんな感じの振付たくさん入ってて素敵でした、物語が見えましたね…!
「お姫様抱っこ」の単語を躊躇いがちに出す実況に笑いました(笑)


21︰羽生結弦
『春よ、来い』。練習中に過去のプログラムを次々と演じていたのでのまさかその中から?とざわざわしていたけれど、やはりこれでしたね。日本代表の彼が、もうすぐ春を迎える世界で、コロナに沈んだ世の中に自分の演技を届けるなら、選ぶのはこれだろうと思いました。立春から始まった北京オリンピックにも相応しいプログラムでしょう。

リンクサイドに見える「2022」。2022の「0」が、選手の入退場口としてデザインされている。その「0」を潜って現れる羽生結弦の姿。ゼロから生まれてくる、春の命。

ピアノの音だけで紡がれる『春よ、来い』。水墨画のような薄いグレーの照明に照らされた氷に、黒のパンツと白のたっぷりとフリルのついた衣装、陶器のような白い肌と漆黒の髪の青年。白と黒だけの世界に、ぼんやりと浮かぶ薄紅。衣装の一部に滲んだ桜の色。太陽が姿を隠し、ただ雪と氷に覆われた冬の大地にもたらされた、一陣の春の便り。

花びらが風に舞い、枝からこぼれるように、ピアノの音色がリンクにこぼれる。リンクでくるりと回る羽生君から、音と花びらがこぼれてくるような気がする。ジャンプでもスピンでもなく、ただくるくると回るその姿は、青空に薄紅の吹雪を降らせる桜そのもののようだった。

極寒の冬から春を告げに来た天の使者、希望を連れてくる花の女神、少年の姿をした春風。このプログラムの羽生結弦に感じる印象はいつも違う。それがとても不思議なプログラムでもあった。もちろん、このオリンピックでもそれは違った。

そこにいたのは羽生結弦だった。四年間を費やした目的が、守り通してきた王座が彼の手からこぼれたオリンピック。彼の姿は切なかった。その腕や、足や、背中や睫毛は切なさを纏っていた。それは彼も気づかないうちに滲んだ、音もなく降る雪のような切なさだった。

桜は美しいけれど、その薄紅の命は儚い。薄紅がほころべば人々は浮かれ騒ぐけれど、それは長くは続かない。
彼の四年間は散ってしまった。それを彼は「報われない努力」と呼んだのかもしれない。黄金の桜を、誰も見たことのない幻の桜を咲かせるために、そのためだけに四年間を費やしたけれど、桜は咲かなかった。開き切る前に、散ってしまった。ほんの2日だけ、この2日だけでもいい、咲けばいいと四年間を捧げてきた桜。

けど、春はまた巡る。

北京の雪と氷に開くことのなかった桜は、次の春にはまたどこかの大地で、いや、夏でも秋でもかまわない、どこかで咲くのかもしれない。桜の木はまだそこにある。たとえ傷ついても、なお瑞々しく美しい、若い桜。羽生結弦という名前の、世界にたった一本しかない桜。世界の果ての果てまで、薄紅の微笑みを届けることのできる桜。

ニュース番組はどうしてもダイジェストになってしまい、流されるのは主にジャンプ。しかし、オリンピックという最も注目されるスポーツの大会の中継で、ノーカットで彼の演技を見た人も今回多かっただろう。エキシビションは放送されないケースも多いので、余計に。
だから伝わったはずだ。技の一つ一つも素晴らしいけれど、音と彼とをぴったりと重ね合わせた、最初から最後まで美しい五線譜を追うような、その演技全体を見て初めて、彼の真価はわかるのだと。

2017年の世界選手権の感想で、初めてこう書いたと思う。彼の演技を神に捧げる舞のように感じると。極限にまで高められた技術は、神を呼び出すのだと。
コロナに平穏を奪われた世界。収束を願い、人は神に祈りの舞を捧げることに決めた。人間の代表として選ばれたのは、ひとりの東方の青年。その研ぎ澄まされ、優しく、そして切なく儚い舞は、四年に一度しか開かれない舞台で、神に届けられる。世界の果てからも、人々はその舞を目にすることができる。舞は神だけでなく、人の心にも届く。
青年も、我々も誰も知らないけれど、本当はいつか来るこの日のために、神はこの青年を送り込んでいたのだろうか。音楽に国境はないと言われるけれど、最高の水準に達した踊りにも、それはないのかもしれない。
羽生結弦フィギュアスケートを選んだことは、偶然ではないのかもしれない、そんな気がした。

四年に一度しかない舞台で、ほんの数分だけ咲いた桜。けど、桜はもう永遠に散らないだろう。人類の希望として、我々の心に咲き続ける限り。
そして、羽生結弦という名の桜もまた、必ずその薄紅でまた青空を埋め尽くすに違いない。その花のような微笑みをくちびるに浮かべて。


羽生君の感想が案の定長過ぎたので(汗)続きはまた次回に。次回の記事でエキシビションの感想は最終回です。



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