うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

追記:カザフスタンの英雄に、記憶という名の花束を

昨日の記事に、コメントやスター、ツイッターでのリプライ等ありがとうございました。
一応リンク貼ります、こちらの記事です。
usagipineapple.hatenablog.jp


たくさんの人に読んでもらいたいと思って書きました。記事はいつもそう思って、心を込めて書くけれど、いつもとは違った気持ちで読んで欲しいと思いました。私の記事だからではなくて、デニス・テン選手を覚えているための、ひとつのきっかけとして。突然のことに受け止め切れないでいるファンの皆さんと、少しでも想いを共有できるように。たくさん、たくさん語ることで、癒えていく悲しみもあるから。
私の気持ちと同じ言葉もいただけました。私の想いが通じたのか、たぶん一時間程度でしたけどはてなブログのトップページにも載りました。吹けば飛ぶようなブログの場合はあっという間に駆逐されるんだ、でも一応載ることがあるんだな…、と今回の件でわかりました。アクセス解析からしても、どうも今までにも何度か載ってたようなんですけど、こんな一瞬だったらそりゃ気付かないわ…。
それでも、あまりたくさんの人に読んでいただけることはなくて、本当に私のブログには力がない…、とまた落ち込みましたが、いつもよりは目を通してもらえたようで、私の気持ちが伝わったことも感じてありがたかったです。紹介や拡散してくださった方、ありがとうございます。

ツイッターで、記事を書いたことへのお礼の言葉もいただきました。そんな言葉をいただけるとは思わなくて、しかもお一人じゃなかったので驚きました。つたない文章でしたけど、少しでも誰かの力になれたのなら嬉しく思います。こちらこそ、読んでくださって、気持ちを共有してくださってありがとうございます。
つらい記事ですけど、同じように思っているファンはたくさんいると、もうテン君は戻らないけれど、一緒に泣くことも、忘れないでいることもできると、この記事を使ってスケートファンの皆さんが何かのきっかけにしてくださったらと、そう思って書きました。そしてテン君のことをあまり知らなかった人にも、テン君のことが少しでも記憶に残るきっかけになれば、と。

記事を書きながら、書いたものを手直ししながら、何度も何度も号泣しました。記事を書きながら泣いてしまったことは今までに何回もあります。感極まって、やり場のない苦しさを感じて。理由は様々でした。でも、こんなにつらい涙を流したことはかつて無かったです。今もまだ、涙が溢れて溢れて仕方ありません。事件のあった日から、ふと気が付くと涙が止まらず、今も目が腫れぼったくて、涙の塩分で焼けたような痛みを感じています。


車のミラーのために命を落とすなんて、という声も聞きました。でも、これが自分の車の話だったら?相手が刺してきて死ぬかもしれないから声をかけない、という選択をした人がどれだけいますか?日本とカザフスタンの治安は違うかもしれないけど、でも通常はそんなこと考えて行動しないでしょう?
何もかも取り返しがつかなくなった今になって、そんなことを言って何になるの?

でも、こういった声は、今回だけに限らない。
豪雨災害の被害地域の人にも、逃げれば良かったのに、そんなところに住まなければいい、という意見を出す人がいるのを見聞きしています。避難所が浸水した地域、作ったばかりの砂防ダムを乗り越えた大量の土砂。誰がそこまで普段から考えて暮らせる?大雨が襲ってたまたま周辺地域が被害に遭っただけ。少し雨雲がずれていたら、それは自分に襲いかかっていたかもしれないのに。
いじめに遭う方も悪い、過労で自殺なんかする方が弱い。病気や怪我を言い訳にするなんて甘えてる。生まれた環境のせいにするな。
残酷な運命が襲いかかった人に、今まさにそれに苦しむ人に、自分ではどうしようもなくて助けが必要な人に、まるでそれがその人の責任であるかのように冷たく突き放す人が必ずいる。その声は、時に取り返しがつかなくなるまで誰かを追い詰める。
そんなことを言って何になるの?誰も救えないのに。誰も助けられないのに。

それは、「自分じゃなければそれでいい」と思っているから。
自分に降りかからなければそれでいい、関係ないと思ってるから。
そんな冷酷な自分を肯定するためには、他人を責めるしかないから。
誰だって本音はそうかもしれない。誰も死にたくはないし、苦しみたくもない。でも、その後ろめたさに負けてしまうような人間に、自分の心を保つために誰かを追い詰める権利なんてあるの?
追い詰められた誰かの手は、巡り巡って凶刃を手に取る。存在を否定された人間は、誰かの存在を能動的に否定する。その刃の向かう先は、あなたかもしれない。自分には関係ない、と思っていたあなたに。運命はあなただから選ぶんじゃない、ただのランダムなルーレット。

お店に入る時間が、出る時間が違ったら。お店に行かなかったら。車を違う所に停めていたら。強盗に声をかけなかったら。いくらでもそれらを考えることはできる。できるよ。
でもそうしたら、テン君の代わりに誰かが刺されていたのかもしれない。
それでいいの?テン君が助かったのならそれでいいの?
何よりもそれは、あの時こうしていれば、ときっと自分を責めている、テン君の親しい人やカザフスタンの人々を追い詰めるだけだよ。いちばん、いちばんつらい想いをしているのは彼らなのに。
もっともっとつらいのは、きっとたくさんの夢や計画を描いていた、子供や孫や生徒や観客に囲まれる幸せを未来に描いていた、でもそれらをすべて、すべて突然奪われてしまったテン君だよ。
起こってしまったことに対してどんなに誰かを責めたって、もうテン君は帰ってこない。誰かを責めるだけで背を向けたって、何ひとつ未来には繋がらない。

こんな時に、何故そんなことを言うの?という言葉をたくさん目にした。自分に災難が降りかからなければいいという本音にどこかで気付いている人はまだいいのかもしれない。「壊れている」とは何なのだろう?優しさや誠実さを求めるくせに、本当に優しい人や誠実な人が「壊れている」ことにされてしまいがちなのは、何故なのだろう?誰も救われないのに。誰も。そして本当に、優しい人はぼろぼろに崩れて居なくなってしまう。本当はきっと、壊れてなんかいなかったのに。壊れていたのは、誰かを壊れていることにしたがった誰かだったのに。


テン君とそれほど年の変わらない頃だった。環境に馴染めなかった私を、同級生がドライブに連れ出してくれた。あんな面白い車、初めて乗った。ドライブ先はモスバーガー。奢ってくれたんじゃなかったかな。
たったそれだけのことだけど、私は本当に嬉しかった。お互いよく知らない間柄だったのに、気遣ってくれたことが本当に嬉しかった。

夏だったような気がする。
留守電に、震える声でメッセージが入っていた。その同級生が亡くなったと。
あまりにも突然のことだった。前日までいつも通り元気だった同級生は、次の日に冷たくなって見つかった。
現実が、受け止められなかった。

それから何年も経って、その人を知る人が「今でも何が起こったのかわからない」と呟いていたけど、私もまったく同じことを思っている。
これを書きながら、長い年月が経った今も、自分がまだ信じていないことに気付いた。

私はお礼を言えなかった。あんなに嬉しかったのに、お礼を言えなかった。
どんなに悔やんだって、もうあの人には会えない。

その人の仲間たちがその人を惜しみ、その遺志を継ごうとしている姿を見て、その人は本当にもういないんだと、やっと納得した。
それと同時に、どうしてこの人でなければならなかったのか、と問いかけては絶望した。

生きているだけでいいなんて言うけれど、人間が生きていくにはお金がかかる。何もできなくなった人間を、金を生むことのできない人間を、本当は親しい人すら疎ましく思っている。
助けを求めてもその手を振り払われ、泣きたい時に会いに来てくれる人とてない私が居なくなったって、誰が悲しむだろう?むしろ疎ましく思う人たちは喜ぶだろう。
どうして?どうして私じゃなくてあの人なの。誰にも必要とされていない私じゃなくて、あんなに惜しまれているあの人なの。どうして?どうして?どうして?

あの時感じた疑問と絶望を、私は今も胸に抱えて生きている。何度か這い上がったけど、這い上がったと思ったらまた谷底へ落ちる。そのたびに築き上げたと思っていたものはぼろぼろに崩れ去る。
豪雨災害が起きたその日、親以外で連絡をくれたのはひとりだけ。今も続く災害という非常事態にすら私を襲う、絶望的な孤独。届かない声。こんなにもまともに生きられない私がまだこの世に在り続けて、希望と才能と優しさに満ちていた人たちがこんなにも早く連れていかれてしまったことに、私はどうしても納得できない。

それが運命なのだけど。この理不尽過ぎるものが運命なのだけれど。
それでも聞かずにはいられない。神様、どうしてテン君にこんな運命を選んだの?

6歳の夏に起きたことと、この同級生のこととが、私の人生観を決めたのだと何となく思っています。
どうか、後悔だけはしないで欲しい。明日も会えると思っていても、来年があると思っていても、運命は私たちの話など聞いてはくれません。失って一生悔やむくらいなら、できる限り会いに行って欲しい。
そしてこの残酷な運命は誰を襲うか本当にわからない。ルーレットの針が自分を向いた時に、初めて自分が背を向けた人たちの気持ちを知り、でもその時にはもう遅すぎてたった一人孤独の中で潰れていくのは、できれば私が最後であって欲しいのです。


それでももうテン君は帰ってこない。どんなに泣いても戻ってこない。こんな時に大使館への弔いにすら行けない私にできることは何だろうか。金も才能も体力も、何ひとつ持たない私にできることは。
そうだ、このブログしかない。ささやかでもフィギュアスケートをずっと見てきた、テン君のスケートを見てきたという記憶しかない。せめてそれを残そう。テン君の大ファンだった人たちには、きっとそんな気分にすらなれない人たちがたくさんいるだろうから。何もできないくらいショックだけれど、そんな時でも想いを文章に書くことだけはできるのが、私だから。

そしてもうひとつ、テン君の事件があった夜に見た夢。夢の中で私が号泣していたこと。そうだ、もう4年くらい、私には泣く場所がなかった。きっと言葉にすれば一歩を踏み出せたのに、語る相手がいなかった。聞いて欲しいと言えなかった。言ってもその手は振り払われた。
身近にスケートファンがいなくて、やり場のない苦しさを抱えている人がいたら、せめてここに声を残していって欲しいと思った。泣く場所がなければ、誰とも語れなければ、苦しさや悲しさを昇華できないと痛感しているから。そこまでしなくても、同じ想いをしている誰かがいるというだけで、救われるものがあるんじゃないかと思った。
ちょうど、羽生君のオータムクラシックへの出場がどうやら決定だと発表された。私の夢の中で新シーズンの準備をしていたスケーターというのは羽生君だった。新しいシーズンはすぐそこまで来ている。テン君が愛したフィギュアスケートを精一杯楽しむことが、私たちファンがいちばんにできること。そのために、テン君のいないフィギュアスケートの世界に、受け入れられなくてもいい、いつの日か馴染めるように。

ツイッターはあっという間に流れに飲み込まれていくけれど、検索エンジンに引っ掛かるようになりさえすればブログの記事は残る。何年も先の未来に、昨日の記事を開いた誰かに、テン君の記憶が甦るなら、その記憶の中にテン君が生き続けていられるなら。その手助けができたらと、ただそれだけを願っている。


テン君の葬儀が行われた。市民葬という立派なものだった。あの棺の中に眠っているのがテン君だと、にわかには信じがたかった。でも、その光景は、容赦なく突き付けられた現実以外の何物でもなく、これは悪い冗談ではなかったんだと、どこかで考えることを放棄していた心を納得させるものだった。
テン君があんなにたくさんの人に見送られたこと、たった25年の人生の幕引きとは思えないくらい盛大に見送られたこと、それこそがテン君が真っ直ぐに生きていたことの証なのだと、今はそれだけを慰めにしていよう。


今回も読んでくださって、ありがとうございました。色々なことがありすぎて、本当にもういっぱいいっぱいで、これを書くのも精一杯、涙が全然止まりません。
もし長く会っていない人がいたら、できれば会いに行って。その人の顔や声や雰囲気をちゃんと覚えているために。思いを言い残して後悔しないために。テレビの中でしか見たことのないテン君のことがこんなにつらいのに、たった一度一緒にドライブした同級生のことを今でも悔やんでいるのに、それなりに親しい人だったら、どんなに苦しいかわからないよ。そしてそれは、相手の人もきっと同じ。
人は突然居なくなるから。でもその悲しさから立ち上がらせてくれるのも、やっぱり人だから。ひとりぼっちでは誰も生きてはいけない。

テン君、ありがとう。ずっとずっと忘れない。あなたが人生を懸けていたフィギュアスケートを、私はこれからも追っていきます。私の情熱のすべてを懸けて。さよならは言いません。あなたの残したものは、きっといつまでもリンクの上で輝いているから。

カザフスタンの英雄に、記憶という名の花束を

本当はこんな記事書きたくなかった。こんな記事を書く日なんて来ないで欲しかった。まだどこかで信じられなくて、自分が何の記事を書こうとしているのか、よく分からない。


デニス・テン選手が亡くなりました。
まだ、25歳でした。

7月19日。あの日、私は突然、何故かものすごく強烈な眠気に襲われて、その時していたことも続けられず、ほんの少しだけ横になるつもりが、コトンと眠りに落ちてしまいました。
それほど長くは眠っていなかったと思います。何故急にあんなに眠くなったのだろう、といぶかしみながらツイッターを開くと、信じがたい情報が飛び込んできました。
テン君が、強盗に刺されて重体だと。

しかも、状況はあまり思わしくないようでした。そんな馬鹿な、とにかく助かって欲しいけど一体何が、と慌てて情報を追い始めて間もなく、テン君の容体に最悪の名前がつけられているのを目にしました。
血の気が引いていく、とはこのことなのでしょうか。

嘘だ、と思いました。
こういうニュースはよく誤報が出る。有名人にはよくあること。しかも外国の話だ、情報が錯綜してもおかしくない。
何とかそう思い込もうとした。思い込もうとしたけど。

どんどん流れてくる情報。それは、その知らせが嘘でも夢でもないことを物語っていました。
ニュース。スケーターのメッセージ。フィギュアスケート関連の様々な団体の呟き…。

テン君はいなくなってしまった。いなくなってしまったんだ。
しかも、強盗の凶刃によって。
そんな馬鹿な。
信じられない。信じたくない。

車のミラーを盗もうとした二人組に足を刺され、大量に出血したために助からなかったと聞きました。
スケーターの、スケーターの命とも言える足を刺すなんて…。
犯人たちは、刺した相手がデニス・テンだと知っていたのだろうか?
カザフスタンに初めて、フィギュアスケートのオリンピックメダルをもたらした英雄だと。


テン君のことを知ったのはいつだったか、もう思い出せない。まだ10代だった頃から見てきた選手だった。若いのに、とても品のある、小さな龍のような滑りをする人だと思った。よく唇が切れてしまっていて、友達と「テン君の唇今日は大丈夫かな?」なんて心配していた。
ステファンの大ファンだったので、ステファンが引退してからテン君に振り付けしたのを知った時はものすごくワクワクした。ステファンの振付師としてのキャリアの最初期にいたのがテン君だったはずだ。確か、テン君がステファンに憧れていたのではなかったか。

ソチオリンピックのことは今も思い出深い。男子はパトリックと羽生君が押しも押されぬ金・銀の候補で、一方銅メダルの予想は難しく混沌としていた。順当に行けばハビエルだと思っていたが、男子はフリーの出来が総崩れに近く、誰が銅メダルに輝くのかまったくわからない展開となった結果、表彰台に上ったのはテン君だった。今となっては本当に申し訳ない話だけど、彼の実力を考えても予想外だった。
けれど、エキシビションで滑るテン君の、素晴らしい、本当に素晴らしい演技を見た時に、やはり銅メダルはテン君のものだったのだなと納得した。今、いちばんにもう一度見たいと思っているのがあのエキシビションプログラムだ。どうやったらもう一度このプログラムに会えるのだろう?カザフスタンに行けばいいのかな、なんて本気で考えるほどだった。

怪我に苦しんだ時期も少なくなく、平昌オリンピックではフリーに進めなかった。テン君らしい気品のある演技だっただけに、ものすごく残念だった。あれが、私の見た最後のテン君の演技だった。
あの時、テン君の姿に私は言い知れぬ不安を感じていた。テン君がいなくなってしまいそうに思えた。怪我の具合が思わしくなくて、引退してしまうのかと恐れていた。自国で開催したショーでの元気な姿や、グランプリシリーズのアサインに名前があるのを見て、ホッとしていたのに。
あの不安の正体はこれだったというの?そんなこと信じられない。信じたくない。


スケーターには様々なタイプがあるけれど、情熱に知性や品格の高さを纏わせて、決して破綻することなく舞える、稀有なスケーターがテン君だった。氷上を踊るテン君は、まるで遠い国の皇子のように私には思えた。
氷の上での才能だけでなく、芸術面やショーの運営など、様々な方面への能力の高さも感じていた。才能豊かなスケーターは時々現れるけれど、彼にはその中でも別格のものがあるのではないかと個人的に思っていた。きっと、カザフスタンを動かしていくような傑物になるのではないかと、ぼんやりと想像していた。
カザフスタンという、名前くらいしか知らなかった国のことを、少しだけでも身近に感じることができたのは、ほかの誰でもない、テン君がいたからだった。
氷を降りたテン君は、とてもお茶目で気さくな人に映った。事件のほんの少し前に撮影されたというインスタグラムの映像でも、いつものテン君の笑顔だった。

あのテン君はもういない。世界のどこを探しても、もういない。映像に、雑誌に、誰かの滑りの中に、テン君の姿は残っているけれど、それらを生み出したデニス・テンはもういない。


何かの間違いじゃないかと、半分停止した思考のまま、気が付いたら眠りに落ちていた。
夢を見た。夢の中も、現実と同じだった。世界からテン君が失われていた。無関心な人々の波の中で、やっと見つけた友達の胸を借りて、私は号泣した。青い空の下、どこかテン君に関わりのあるらしい場所で、私は手を合わせていた。スケーターがいた。テン君が失われても、新しいシーズンは容赦なく始まる。真剣にその準備をするスケーターの姿がそこにはあった。
目が覚めた。目を覚ました私のいた世界は、夢の世界とさほど変わらなかった。テレビから流れてくる事実は、残酷なほど昨日と同じだった。
夢の中だけでも、嘘であって欲しかった。


前々から言っていることだけど、改めて言いたい。すべての運命は自分が招いた結果であるとか、引き寄せてるとか、自己責任論を持ち出す人間が私は嫌いだ。他人に心を寄せられない冷たい自分をごまかすために、詭弁で誰かの心を踏みにじる人間が大嫌いだ。ポジティブに前向きに生きていれば運命は変わるなどと、おこがましくも人生を操ろうとする人間の言葉が心底嫌いだ。
テン君だって人間だ、色々な感情はあっただろう。でも、我々に見えていたテン君は、いつも気高く、優しく、いい人だった。上記の理論を用いれば、テン君には素晴らしい未来が待っていたはずだ。
この結末をテン君が引き寄せたとでも言うのか?これがテン君の人生の答えだと言うのか?テン君が自分で選んだ結果だと言うのか?
ふざけるな。
誰もこんな未来を望んでなんかいない。テン君だって、テン君の周辺の人だって、スケーターだって。カザフスタンの人だって。もちろん我々ファンだって。
たくさんの人々の涙と悲しみを見ても、まだ同じ事を言うつもりか?

長じるにつれて、私は思うようになった。おそらく運命は最初から決まっている。枝葉末節の部分は人間の力でも変更できるかもしれないけど、大きな道筋は変えられない。自分の力で変えることができたと思っているのなら、それは完全な思い上がりだ。ただの巡り合わせを、たまたま訪れた運の良さを、自分の実力だと勘違いしただけだ。ただ、先の運命を読むことはできないから、見えないものに対しては常に備えをしていた方がいいというだけ。それだって、すべて徒労に終わるかもしれない。
そんなこと認めたくない。考えたくない。でもこれがテン君の運命だったのだ。あまりにも残酷で、理不尽な。神様が連れて行く人はランダムで、誰がどんな風に生きようとおそらくそれは変わらない。
残酷で理不尽な人生であり運命だからこそ、人は寄り添うのだ。運命が幸せをもたらすこともあれば、どん底に叩き落とすこともある。叩き落とされてしまっても、運命が動く時までそこから這い上がることはできない。その理不尽さに耐えられるように、人は人の間で生きるのだ。運命の残酷さに折れる心を支えられるように。残酷さを知った者は、今度は残酷さに苦しむ誰かを支えられるように。それが運命に対抗する唯一の手段。
運命を決めているのはすべて自分だなんて、おこがましいにも程がある。

そしてこんな取り返しのつかない事態にすら、平気でアンチ発言ができる人間がいることに心底驚いた。いや、人間と呼ぶのもおこがましいかもしれない。生物学的には人間なのかもしれないけど、そのことにどんな意味があるだろう?
この世には二種類の人間がいる。残酷な経験を糧にできる者と、そうでない者。彼らはもちろん後者だ。大嫌いな選手に傷つけられている(と思い込んでいる)かわいそうな自分が大好き。大好きな選手を守ってあげてる(と思い込んでいる)立派な自分が大好き。自分、自分、自分。自分しかいない。人の間で生きていない。だから、彼らは人間じゃない。起こっていることの意味すら理解できない、知性も教養もない、かわいそうなモノ。
でも、一歩インターネットを離れれば、立派な会社で、恵まれた家庭で、安穏と暮らしているのが彼らだったりするのである。尊敬すらされてるかもしれない。だからって彼らが立派だというわけじゃない。それはたまたま、そういう運命に彼らが生まれただけだ。こんなにも、世の中は理不尽なのである。そしてその理不尽さが、いつ残酷な牙を剥くかは誰にもわからない。

だから、後悔しないように生きなければならない。見たいものは見に行く。会いたい人には会いに行く。次なんてない。明日が必ず来るかどうかなんて誰にもわからないのだから。明日もその人に会えるという保証は何もないのだから。
6歳の夏、登校日に1日だけ顔を見せた転校生は、夏休みが明けても学校に来なかった。夏休み中に、病気で死んだから。たぶんあの夏から、私はずっとそう思っている。明日が来るのは、絶対じゃない。
ずっとそのスタンスでフィギュアスケートを見に行っていた。あとから後悔するよりは、今持てるすべての力でこの目に焼き付けることを選ぼうと思った。スケーターがいつ、氷上を去ってしまうかなんてわからないのだから。

ねえ、私まだテン君の演技見てないよ。一度も会場で見てない。いつかは演技をこの目で見たいと思っていた選手の筆頭だったんだよ。ずっとずっとそう夢に描いていたんだよ。
どれだけお金持ちになってももうテン君がどこのリンクにもいないなんて。間に合わなかっただなんて。こんな形で明日が来なくなるなんて。一生後悔が残ることになるなんて。誰か嘘だって言って。嘘だって言ってよ。


豪雨災害でいっぱいいっぱいな時に(私は広島在住です)、こんなことになるなんて…。もう耐えられない。無理です。こんなの無理。限界ってものがあるでしょう、神様?理不尽が過ぎるよ。
10年くらい経ったら、きっとまたソチの表彰台の3人が揃ってアイスショーで滑ることがあるかもね、なんて思ってた。羽生君と、パトリックと、テン君。そう思ってた。そう思ってたんだよ。

まだどこかで受け入れられなくて、お悔やみを言うのが怖い。祈っても届かないことも知っている。だから誓おう。代わりに誓おう。テン君を忘れないと。
よく言われることだけど、人の死にはふたつの段階がある。肉体の死と、この世界のすべての記憶から忘れ去られた時に訪れる死と。我々がテン君のノーブルなスケートを忘れない限り、テン君は生きている。我々の記憶の中に。映像に。本のページに。氷の上に。それは、天寿を全うした時にはもう誰にも覚えられていない人生より、もしかしたら長く長く続く命かもしれない。

無理な願いだろうけど、ロステレコムの出場枠を、今回だけひとつ増やしてもらえないだろうか。テン君の名前を、残してもらえないだろうか。もう二度と、どんなに待ってもリンクに戻ってこない彼を、幻でもいい、氷の上で見送れるように。


もし、悲しみの行き場がない方がいらしたら、どうぞコメントを残していってください。コメント欄を利用してもらえたら。私はテン君のファンと言うほどでもない、ただのスケートファンだけど、このやりきれなさを共有することならできます。いや、私が限界なだけかもしれない…。すみません。ひとりでこの悲しみを背負い切れないのです。

この文章がいつまでインターネットの海を漂うのかはわからないけれど、そしてただのファンのやり場のないつらさをぶつけただけの文章でしかないけど、それでもこの文が、テン君の記憶が我々スケートファンの心に残る手助けにほんの少しでもなれたなら、と思っています。それが私の、テン君へ手向ける哀悼の花束です。


こんな涙を流すのなら、テン君の唇の心配をしてる方がずっとずっと良かった。
失われてしまったものは、あまりにも、あまりにも大きい。もう世界中どこのリンクを探しても、デニス・テンはいない。

四大陸選手権2018雑感⑤

ではではエキシビションの後半です。前半については昨日の記事をどうぞ。


11:ケヴィン・リン
後半のトップバッターも台湾の選手。これはオペラ座ですな、衣装に仮面がいるとはなかなか新機軸…。綺麗な顔立ちの子ですね。ジャンプの転倒もあったし少し緊張してるようにも見えたけど、頑張って欲しいです。


12:チェ・ダビン
アナウンスを聞く限りは「ダビン・チョイ」って呼んでるなあ。そっちの方が正しいのかな?この表記に慣れてしまってますが、どうなんだろう。
このエキシビションプログラムは初めて見たかも。おろした髪がかわいい。


13:ミーシャ・ジー
うおお、すごい歓声。大人気だな。軽く流すようなプログラムだけどミーシャらしい鋭角な感じの動きがいっぱい入ってる。彼ももう競技の舞台には戻って来ないのだろう。エキシビションでミーシャを見ることはもうないのか…。寂しい。


14:キャロラーヌ・スシース&シェーン・フィルス
世界選手権のショートだけやっぱり無料放送で見られたんだけど、彼らの演技すごい良かったよねえ。へー、四大陸初出場でメダルなんだ。これは今後が楽しみですね、覚えておきます。美男美女だしね(笑)。


15:三原舞依
連続ジャンプすげええええ!さらさらっと滑ってくから、つられて流されるように見てたら、最後に「え?今すごいことやってなかったっけ?」って正気に戻る感じ(笑)


16:リョム・テオク&キム・ジュシク
やっぱりこの曲なのか!これは一週間は頭回るぞ(汗)。でもさりげなくいいプログラムだよねえ。このペア上手いし。客もすげえ盛り上がってる。


17:宇野昌磨
おや、オリンピックの時とは違うプログラムなのね。滑る前にかわいいって叫ばれて本人笑っちゃってるし(笑)。彼もさらさらっと滑ってくんだけどすごく上手い。本人が飄々としてるから伝わりづらいかもだが…。


18:ケイトリン・ホワイエク&ジャン=リュック・ベイカ
めちゃくちゃ盛り上がってるー!面白い振付がいっぱい。どういう設定なんだろうこれ(笑)。ツンとした毛皮のお嬢さんを口説いてる…のか?わからん(笑)。ベイカーさんのコミカル路線は貴重な個性なので大事にしてほしいですね。


19:坂本花織
みんな一度は滑りたくなるのかボンド。死ぬほどクールな振付でもっかい滑って欲しいと思ってはみるものの、この関西なボンドの明るさがいいんだよなとも思ってしまう(笑)


20:タラ・ケイン&ダニエル・オシェイ
20世紀初頭みたいな衣装と空気。しかし盛り上がってきたところで突然中断してしまった。本当に突然に。なるほどこれが噂の停電か。撮影そのものもできなかったんですねおそらく。滑ってる本人たちもびっくりしたのでは…。


そうなんです、今回の四大陸のエキシビションは、最後の最後に停電が発生して、停電以降の映像が残っていないっぽいんです(泣)。このあと、男子の優勝者であるボーヤン・ジンの演技とフィナーレが予定されてたはずなんですが、撮影もできなかったようで当然放送なし。客席を携帯のライトか何かの灯りが埋める写真が少し流れただけでした。そもそも撮影できないレベルで停電してたのなら、音楽も照明も無かったでしょうし、演技そのものが披露できなかったかもしれないですね(泣)。

そんなわけで、とても珍しい終わり方をした四大陸のエキシビション。噂の停電事件のことが何となくでもわかったし、面白かったです。でも選手や関係者の皆さんは大変でしたよね…。皆さん本当にお疲れ様でした。

ナレーションが全然邪魔にならなかった上、最後の締めがとても優しい言葉で印象に残りました。いい放送でしたねえ。充実した時間をありがとうございます。無料放送万歳。
しかし、残り30分時間があったはずが番組が終わっちゃいました…。その時間は何故四大陸の放送時間として枠が取ってあったのか謎…。


ちなみに四大陸の競技の感想はこちら。全3回シリーズです。テレビ放送があったものだけ見てるので、一部の選手だけですが…。
usagipineapple.hatenablog.jp

四大陸選手権2018雑感④

7月の無料放送デーにJ SPORTSが四大陸のエキシビションを無料放送してくれたのでガン見しました。CSでやってたテレ朝の番組と放送時間が被ってしまったので、どっちを見るかかなり真剣に悩んだんですけど、再放送の可能性が低そうな四大陸の放送を取りました。今回を逃したら、ほぼノーカットで見るのは不可能じゃなかろうかという判断です。放送していただけるのは超絶嬉しいのですが、結構かぶっちゃうもんなんですね(泣)。
そんなわけで、以下ざっくりと感想。


0:オープニング
青い衣装と黒い衣装の二人の女の子が楽しそうに滑り、各国の旗を手にスケーターがリンクを駆ける。競技のエキシビションって感じだ。ここからバッチリ放送してくれるのすごい嬉しい。会場で見てる気分になれちゃう。


1:ジョエル・リン
まずは地元台湾の選手から。スピンの途中かな、転倒してしまったがそれ以外は大きなミスもなかったんじゃないのかな。ジャンプの着氷が綺麗に流れるので見てて気持ちがいいですね。


2:宮原知子
珍しくジャンプが不調。女の情念系のプログラムを滑らせたら現役では右に出るものがいないんじゃないかと思うので、またこんな感じのプログラム滑って欲しい。私が勝手に情念系にカテゴライズしてるだけなんですけど(汗)。好きなんですよこのアランフェス。曲はアランフェスなんだけど、何故か昭和の日本映画のヒロインみたいな印象があるんだよねこのプログラム。


3:エカテリーナ・アレクサンドロフスカヤ&ハーレイ・ウィンザー
チャンネルをテレ朝からこっちに変えたのは、ペアやアイスダンスの演技見てもっと勉強したいという気持ちがあったからだったりして。オリンピックは私の見てる範囲で彼らの演技が流れなかったので(泣)、このたび見られて嬉しいぞ。


4:チーイー・ツァオ
たぶん初めて見る選手です。地元枠で出てくるだけあってなかなかいい滑り。バレエジャンプでかい!でも衣装はただのTシャツ(笑)。地元の声援がすごいですねー。お名前の表記これで合ってる?


5:シーユエ・ワン&シンユー・リウ
シンユーさんもTシャツ(笑)。簡単そうにやってるけど、リフトのバランスすげえよなあ。中国はペアは強いけどアイスダンスはあまりイメージがない。これから北京に向けて強化していくんだろうな。


6:ジェイソン・ブラウン
普段着男子が続く(笑)。何を今更な話だが、やはり上手い。この得難い明るさ。綺麗なスパイラル。これでクリケットへの移籍でジャンプ磨かれたらわりと最強じゃないか?


7:アシュリー・ケイン&ティモシー・ルデュク
こちらもお名前の表記合ってる?意外とペアやアイスダンスで二人とも同じデザインの衣装着てることって少ないと思うんだけどどうだろう。体格差があるからまったく同じじゃないけど、統一性があって見てて面白いし、不思議な音の曲にも合ってる。


8:エイミー・リン
再び台湾の選手。面白い衣装、華やかなジンベエザメみたいな。ってたとえが変ですみません(泣)。本人がすっごい楽しそうに曲に乗ってるのがいいですねー。


9:村元哉中クリス・リード
四大陸のメダルはそれだけでもう快挙だけど、彼らはこの先もどんどん日本のアイスダンスの歴史を変えていってくれそうな気がする。とても楽しみです。このプログラムも素敵ですよね。村元さんは華があるなあ。アイスダンスにはピッタリなのでは。


10:エラジ・バルデ
これが最後の競技のエキシビションかな…。客の盛り上がりがすごいし、それが当然だと思う素晴らしい演技。ダブルのバックフリップや楽しそうな表情も見ててワクワクする。もうエキシビションを盛り上げてくれる彼はいないのか…。みんな寂しいだろうな…。


ここからしばらく日本人選手のインタビュー。放送時間たっぷり取ってあるけどわりとサクサク進行してるな?と思ったらそういうことだったのか。エキシビションには出演していない選手のインタビューもあって貴重ですね。
アイスダンスは3組出てたのかな?すごいな。ペアは2組?木原君がなんか元気ないように見えるけど、オリンピックのショートはすごい良かったよってこの時の木原君に言ってあげたい。
競技の日に収録してるんだよねたぶん。無良君は現役最後のインタビューかなこれ…。でも来年度の話をこの時はしてる(涙)。そうだった、彼はオリンピック見てて引退決めたんだっけ…。半年近く経った今になって見ると、本当にいろんな事があった半年だったなってしみじみと感じる…。


長くなってきたので、いったんここで終了。後半はまた明日!

「フィギュアリクエスト企画 もう一度観たいあの演技 第4弾」雑感

7月のCS無料放送もありがたくガン見です。ですがこの日もフィギュアスケートの番組がかぶってしまい、こちらのテレ朝の番組は最初の一時間だけ視聴しました。かぶってしまったのは四大陸のエキシビションだったんですが、どちらがより再放送の可能性が低いか?を考えた結果、四大陸を選ぶことにしました…。見たかったんですけどね、こちらも(泣)。というわけで、またいつの日か再放送お願いします…。
ではでは、途中で終了してしまいますが(泣)、感想です。


羽生結弦
2016年 グランプリファイナル
ショートプログラム

ループのあとの「やっちゃったよちくしょう」って顔が印象的でしたよねこれ。羽生君の俺様プログラム大好き。今見ると疾走感がすごい。
全身紫という非常にインパクトのある衣装ですが、今考えるとこれで正解だったのかも。平昌の壁の色を見て「羽生君絶対金メダルだ」って何故か思ったんだけど、なんとなく紫って羽生君のイメージに合うのかもなあ。
個人的には「俺妖精じゃないから」って主張してるみたいなプログラムや衣装に見えて、羽生君が人間らしく思えて好きですね。ホログラムかなんかか?と思っちゃう儚いプログラムも大好きですけど。どっちでもいいんだな要するに(笑)
キスクラまで流れて、当時を思い出して堪能しました。


宇野昌磨
2012年 国別対抗戦
エキシビション

あああああ懐かしい、まだ小さい頃の昌磨君。でもこんな小さいのに度胸の座り方が半端ないんですけど。演技がノービスやジュニアのそれじゃない。いずれトップ選手になるだろうなってのがわかるよなあ、今見ても。


高橋大輔
2010年 スケートアメリカ
ショートプログラム

バンクーバーの翌シーズンですね。着氷は微妙な出来が多かったけど、ジャンプやキレはまさしく現役のそれだ…。このプログラム大好き。いい意味で胡散臭い(笑)。何度アンコールで見ても不思議と飽きなくて、「待ってました!」って気分になります(笑)。
ここまでに流れた3人、3人それぞれの音の取り方があってみんな好きだな。


★ケイトリン・オズモンド
2012年 スケートカナダ
ショートプログラム

これもマンボ。このプログラム記憶がないや、ごめんなさいケイトリン…。6年前か、若いなー。でもかわいい笑顔やリンクいっぱいに広がる躍動感は全然変わってないですね。


鈴木明子
2014年 スケートカナダ
ショートプログラム

衣装はあとになって変えたんだっけ?赤のイメージが…。あれ違うっけ、違ってたらすみません…。
こういう滑走者の思い入れや歴史が伝わるプログラムは名作になりやすい。フィギュアスケートという競技ならではの醍醐味だと思う。


三原舞依
2017年 国別対抗戦
フリー

今見返しても素晴らしいですね。あれから1年と少ししか経ってないとは…。すっかり大人になったなあ、この時はまだ少女だもの。このシンデレラは絶対へこたれないだろうなあ。
応援席の家電量販店の店員に吹き出す…。あの人オリンピック連覇する化け物ですよって説明しても誰も信じそうにない…(笑)


浅田真央
2016年 スケートアメリカ
エキシビション

あああ、これ!これ!やっと見られたー!感激(涙)。ずーっっと見る機会を逃してたんですよ実は(泣)。
衣装が高級なティーカップみたい。意味不明のたとえで申し訳ない(汗)。でも優雅な貴族のティータイムに居合わせてるみたいで、なんかものすごく気だるくて贅沢な気分になれるんだけど。私だけ(汗)?これは真央ちゃんだから成り立つプログラムだなと思った。てか、せっかくの優雅なプログラムなのに客の奇声が(笑)


羽生結弦
2010年 ロステレコム
フリー

懐かしいいいい!!ツィゴイネルワイゼン!昔の羽生君見るとジャンプのうまさに毎度毎度びっくりする。高さや幅が明らかにこの頃からすごいんだよね。まだ15歳の原石だが、この原石主張しまくってるなー(笑)。原石だけど勝手に光ってるみたいで。最後はしんどそうにしてるのも今となっては懐かしいですね。
しかし、よくこの衣装まだ入ったな、今年のアイスショーで。今でも十二分に細いけど、この時の羽生君本気でリカちゃん人形かなんかかと疑うくらい細いぞ…。


小塚崇彦
2012年 ロステレコム
エキシビション

日本男子における滑りの達者さは、やはり小塚君がピカイチだなとこれを見ても思う。少し力を抜いて遊び心を入れた滑りをさせたら右に出る者はいないんじゃないか。個人演技だけでなくフィナーレでの滑りもちょっと流れたが、足元すげえー。小塚君の滑りも本当に大好きです。


高橋大輔
2012年 グランプリファイナル
フリー

ジャンプの乱れはあったけど、ベテランらしい円熟した演技。ちょっと陰鬱な雰囲気が彼は本当に似合う。久しぶりに競技の演技見ると、やっぱり上手いなあってしみじみと感じる。また競技での演技が見たい気もするけどそりゃ無い物ねだりだよな、なんて思ってた私はこの数時間後に驚愕の事実を知ることになるのでした…。皆さんもうご存知ですね。
控え室の羽生君の様子が映るけど、これ1-2フィニッシュだったっけ、どうだったっけ。やっぱそうだよねあの時だ。そうか、ずっと銀だった日本男子がついにファイナルの金メダルに輝いたんだっけ、この時。偉業だったんだよなあ。


高橋大輔
2012年 グランプリファイナル
エキシビション

ブエノスアイレス。これ大好き。高橋君の魅力をいちばんと言ってもいいくらいに引き出す曲だなあと思う。この彼独特の濃さがリンクに映えるんですよねえ。虜になる人がいるのもわかる。
アンコールもあり。会場アナウンスが「ありがとうございました」って言ってる?片言だけどなんか優しい雰囲気でいいなあ。


視聴はここまで。見ているだけとはいえ(笑)、私もかなりノってきたところだったので最後まで見たかったんですけどねホントに(泣)。是非ぜひ、またの機会にお願いします…!

我が青春の16BIT

今週のお題「ゲームの思い出」

最近はほとんど遊んでいないので(手元にソフトがほとんどない)ほんの時々ネタにするだけですが、私はその昔そこそこヘビーなゲーマーでした。ゲーマーだったのはもう20年くらい前の話で、その時点でレトロゲームの話題しかできないという範囲の狭さなのですが、私の場合はさらに、好きなゲームがだいたいわりとマニアックなやつ、というめちゃめちゃ読む人を選ぶタイプのゲーム好きなので、いくらでもネタのあるお題なのですが、どこまでアクセル全開にしていいものか少々悩むところであります(笑)

何度かネタにしてる話で恐縮なのですが、超当たる某手相鑑定のお兄さんによると、私は「超マニアックなオタクの手相」の持ち主らしいんですけど(笑)、それはゲームの趣味においては全開だったのではないかと言えます。
世間がファミコンに夢中だった頃、私は「セガ・マークⅢ」に夢中でした。ファミコンが品切れで売っていなかったのです。あの時マークⅢでなくファミコンを買い与えられていたら手相も変わっていたんじゃないかと結構本気で思っています(笑)。いや、こう考えると運命って最初から決まってるのかもしれません(笑)。
そのあとは当然のようにメガドライブセガサターン、と絵にかいたようなバリッバリのセガ派人生。毎月買ってた雑誌は『Beep!メガドライブ』。好きなゲームは『トージャム&アール』。ゲーム好きの子はいっぱいいたけど、そんな女は私の周辺には全然いなくて当然のように話は合いませんでした(笑)

ファミコンでも結構遊んでたんですよ。当時ゲームのあるご家庭に置いてあるのはほぼファミコンでしたから。チャレンジャーとかドラえもん(裏技で海底篇ばっかやってた)とかドラクエとかスーパーマリオとか。小学校の先生がマリオ大好きで、時々ピアノでマリオの曲弾いてたっけ。当時はそれくらい猫も杓子もマリオだった。気がする。私はよく最初のクリボーで死んでいて、あの頃から「ゲームは大好きだけどド下手」というキャラは成立していました←キャラか?それ
マークⅢでよく遊んでたソフトのひとつが『北斗の拳』だったんですけど、私には難しすぎて、たぶん2面が限界だった記憶が…。シンには勝てるのに!って1面だからシンは(泣)。兄弟もトキが倒せず、クリアどころか誰もトキ(4面←トキは4面のボス)から先を見たことがなかった…。て言うか「面」とか呼んでると歳がバレるよ!←もう遅いわ

しかし、私が今でもいちばん好きなのはきっとメガドライブなのである。黒いボディに金色に輝く「16-BIT」の文字。あんなかっこいいハードがあるか。いやない。『幽遊白書 魔強統一戦』、名作ですよ!全然勝てなかったけど!←クリボーで死んでる時点でお察しください
メガCDでももちろん遊んださ。うちになんかゲームソフトあったっけ、ってごそごそ探したら、何故かメガCDの『サイボーグ009』が出てきた。これだけ実家から持ってきたらしい。何故これだけ…。しかも本体ないし(笑)。009ファンの方には真剣にオススメなんですけど(だってラストが!アレだよラストが!)、自力では無理なので誰か代わりにクリアしてください…←クリボーで死んでる時点でお察しください

好きなゲームに挙げている『トージャム&アール』というのは乱暴に説明すると「2匹の宇宙人が大活躍するゲーム」なんですけど(←乱暴すぎ)、めっちゃ自由でポップでわけのわからないゲームで大好きでした。今でもアールのぬいぐるみ売り出されないかな、ってたまに妄想するくらい(笑)。ちなみにこれもメガドライブのゲームですね。

でも今でももう一度遊びたいのはセガサターンの『Hop Step あいどる☆』と『大冒険 セントエルモスの奇跡』、だったりして。そう、私は頑張れば何とかクリアできるクソゲーを力でねじ伏せるのが好きだった。後悔してもいいからまたねじ伏せたい。いやいや、『Hop Step あいどる☆』は名作だってば!

…ええっと(汗)、有名どころも挙げとくと、サターンは『DESIRE』がいちばん好きだったかも。ネタバレになってしまうので書けないが、今でもラストの某キャラのセリフ全部覚えてる。今まで遊んだゲームの中でいちばん泣いたのたぶんこれ。究極の純愛ものと言ってもいいんじゃないかな。18歳以下の方は遊んではいけません。

…誰もついてきてないですよねこの話題。ついてきてる人がいたら逆にびっくりだよ…。
まあ、私がそこそこヘビーにゲーマーだったということは伝わったのではないかと思います。ええどうせ、珍しく殿方にプレゼントを頂いたと思ったら『ソードオブソダン』という伝説のクソゲーだったり(※実話)、◯ルチ商法に勧誘しようとしてきた同僚に「将来手に入れたいものをこの紙に書け」と言われて正直に「メガドライブ」と書いた(※超実話)、どうせそんな女…。
もちろんマル◯の勧誘には応じておりませんよ。クルーザーとか豪邸とか書かせるつもりだったんだろうに、そこにメガドライブとか書いちゃう女勧誘できるわけないから(笑)。呼び出された時点から怪しいなと思ってたしな…。どうしてもクルーザー系の金持ちそうな何かを書けって言われたら素直に「スタークルーザー」って書きます…。絶対通じないから←もちろんゲームのタイトル

たまーにゲームの話題は書いているのですが、こんな感じなので、ほぼ私が書いてて楽しいだけの記事になっております(笑)。もっと書きたいんですけど、何せほとんど手元にゲームありませんし…。
「このゲームを宇宙一好きなのは自分」って言い切ってしまうくらい大好きなゲームもありますが、大好き過ぎるのでそっと一生胸の中にしまっておきます。それ以外のゲームについては機会があればまたこそっと書きたい。手元にソフトないのに記憶だけで書いてることも多々あるんですけど、遊んだばっかりだったらもっと濃く書けるのになあ、なんてたまに思う。誰が読むのか知らんけど(笑)


最後に、過去に書いたゲームの記事の中からいくつかリンク貼っておきます。


↓ブログを始めたばかりの頃の記事。始めたばかりなのにいきなり『大冒険』(笑)。どんだけ書きたかったのよ?!
usagipineapple.hatenablog.jp


↓『Hop Step あいどる☆』について。このゲームの記事が書きたくてずっとブログを続けていたようなもん←本気かお前…
usagipineapple.hatenablog.jp


↓名作についても挙げておく。長過ぎて全2回。日付を合わせたくて掲載を1年待ちました。というわけで『街』についてがこちら。
usagipineapple.hatenablog.jp

今日もただつらつらと日記を綴る

毎日暑いですね。暑さが増してもギリギリまで保冷剤だけで生き抜こうとする私もさすがに「これは無理」と保冷剤作戦をあっさり捨てました。元々大の苦手ではありましたが、年々夏に弱くなっていている気がします…。


3日前の記事にたくさんのコメントをありがとうございました。こんなにコメントをいただけるとはまったく思っていなかったので、とても驚きました。このブログ始まって以来のことです。ありがとうございます。

もう2年近く続けているブログなのですが、私がしょうもない記事を量産しているためか(たまに自分でも「これはちょっと」と頭を抱える記事もありますが、基本的には丁寧に書いてるつもりなんですけどね…)、読者もアクセスも全然増えず、はてなの運営に紹介されることなどもほぼないままなので、自分が楽しければいいと考えてはいるものの、手間隙かけて続けていても意味がないんじゃなかろうか、と思い始めていたところの災害で、この2年近くの間にもっと努力していればもっと読んでもらえたんだろうか…?とものすごく落ち込んでいました。

とにかく、あまりにも被害状況が酷くて…。傘を忘れてびしょ濡れで歩いていた私にそっと傘を差し出してくれたお嬢さん、きっと自宅へ帰るのであろう彼女に出会ったのは今回の災害で大きな大きな被害を受けた地域でした。あの時の彼女は大丈夫だろうか。理由は忘れてしまったけれど、延々と広島駅で停止して動かない電車の中で、たまたま隣同士になり話をしたお姉さんが帰ると言っていた地域も、おそらく断水で大変な思いをしただろう場所だった。電車も運休してしまい、あの人は仕事に通えているだろうか。
当たり前のようにそこにあった生活が、景色が、無くなってしまった。いつかは戻ってくるはずだけれど、濁流に抉りとられた道のように、削り取られてしまった。
そのことを思うと、何の役にも立たない自分に怒りしか湧かなかった。こんな時に自分の生活も健康もままならず、邪魔にならないことしかできないなんて。何をやっているのだろう?何をやってきたのだろう、自分は。

それに。自分なりに必死で生きていたつもりだったけど、何にも残っていなかった。うまくはいかなかったけど、自分なりに心を寄せてきた仕事や人々。でも、この非常時を通して見えてきたのは、改めて「私の築いてきたはずのものはほとんど何にも残っていなかった」ということでした。
改めて突き付けられた、「いなくてもいい人間である自分」という現実。究極的にはすべての人間がそうなんだけど、きっとそれを言われたくないがために人は他人を求めるのでしょう。
今、自分にとって確かに積み上げてきたと言えるものはこのブログだけ。でも、ブログがあったからって何になっただろう?すべてにおいて、何もかもにおいてあまりにも無力過ぎる。
そのことに向き合いながら、自分のどこにもぶつけられない思考と記憶の整理のつもりで流されるように記事を書きました。いつも読んでくださっている方には申し訳ないです。

私のそもそもの状況がまったく先の見えない暗闇だったので、そこにこの度の災害というさらに先の見えない事態が重なり、正直言ってどうしたらいいのかわからないです。家も自分も無傷なのに情けない、と思うけれど、何をどう頑張ればいいのかもうわからない。だって人生すべてが無意味だったってわかってしまったのに。ブラックホールのように果てのない虚しさを感じていることは確かです。少し前にネット上のトラブルがあったので、そのことで余計に虚しさを感じてしまいました。

でも、皆さんのコメントに本当に救われました。気を遣わせてしまって申し訳ありません。でもごめんなさい、今はその優しさにすがるしか、もう歩いていく方法がわからないです。


まだ二次災害の恐れがあって避難指示や避難勧告が発令されたままの場所もありますが、山陽自動車道が全線開通したため、物流も移動もかなり改善されて、きっと復旧も進むのではないかと思います。
災害直後の山陽自動車道の状況を見ると、とても一週間程度で復旧するとは思えなかったのですが、きっととてつもない尽力があったのでしょう…。
もちろん、被害の範囲が広すぎるし被害も大きすぎるし、道路状況やJRの運行状況もまだまだのところが多いので、今後も当分は不便を強いられることになろうかと思われます。つらい…。渋滞の激しい地域を通って通勤する友達は大変そうです。通勤や通学に時間がかかるのは、人にもよると思いますが見えないところで相当疲労がたまるのでは、とかつて往復3時間の通勤をしていた私は思います。通勤時間と合わせて長い時は1日15時間くらいを仕事に費やしていた頃は、今振り返ると本当に無理をしていました。通学に往復4時間だった頃も、学校に行くだけで精一杯でしたね…。いわゆるドアtoドアでもない限り、長時間通勤・通学ってただしんどいだけだな、と私は自分の経験から思います。

この話は自分にとってあまりに生々しくて、書くべきなのかどうか迷っていたのですが、この機会に書きます。
先月記事を書いた熊野町にある「あんま堂」。マッサージしながらオーラ鑑定をしてもらえるという、有名なお店です。こちらの記事。↓
usagipineapple.hatenablog.jp


この記事にある、あんま堂へ行くために乗ったバスは、今運行していません。
私の利用した路線は、広島市の中心部にあるバスセンターから、マツダスタジアムの横を通って(だからカープラッピングバスが走っていたんじゃないかな)、熊野へ向かうルート。マツダスタジアムよりも南東部の、とても被害の酷かった地域を経由するルートなのです。
あの時通った道のいくつかは、今も通行止め。あの時窓から見えた静かな住宅地、緑の山々。そこに当たり前のように暮らしていた人たちの生活が、一変してしまった。話を聞けば聞くほど、あのバスルートが再び運行されるのはいつになるのか、見当もつきません。あのバスを使って通院してるんだと話しかけてきたおばあちゃん、困ってるだろうな…。

先月記事にしたばかりなのに、あまりにその時の事態と変わってしまっているのが自分の中でうまく消化できず書けませんでした。これを書いたら、少し伝わるかな、と思ったけど…。
あんま堂のご夫婦はきっとご無事だと思います。ただの客が予約でもない電話をかけるのは迷惑極まりないのでそう思ってるだけですけど…。また近いうちにマッサージしてもらいに行ければ、と願うばかり。お金も足もないのが現状ですけどね…。

この連休に行われるイベントの中止のお知らせがテレビで流れたりもしてましたが、山陽道も復旧したしそろそろ色々普通に開催されるようになるのかな。何せ来月には平和記念式典がありますしね。あれは中止するわけにはいきませんからね…。バスや電車の運休が続いている現状を考えると、式典に行けない地元のお年寄りがいたりするかも、と思うと心苦しいものがあります。

しかし、今回強く思ったのが、「災害時のひとり暮らしはめちゃめちゃメンタルやられる」ということでした。そもそもお前のメンタルは最初から壊れてるじゃん…、というツッコミはとりあえず置いておいていただいて、避難するかしないかの判断、その後の被害状況への対応、そういったことを相談できる相手が身近にまったくいないこと、メールや電話の相手すらいなかったということは、いくらしょうがないこととは言え、正直きっつかったです。この非常時ですら世界から隔離されてるんだな…、と。非常時ではあるけど家に被害があったわけでもないので、ひとりで頑張れば、って言われるのしょうがないんだけど。でも、家族と離れることになった時、いつか年老いた時に、同様の状況に陥る人はおそらく少なくないと思います。その時のことをちょっと想像してもらえたら、何となく伝わるかな。

さすがに親くらいは電話してきたし、何人か状況に気付いてくれた人もいたので少しホッとしましたけど、それでも自分から連絡した相手の方がたぶん多いくらいで(と言っても、連絡先を消した相手がほとんどなのであまりいないけど…。何日も何ヵ月も返事も来ない相手を知り合いだと認識しててもしょうがないなと思ってちょっと前にほとんど消した)、本当に何かあった時に何日も気付かれないパターンだな、と今回改めて自覚しました。
私がブログを続けているのは、自分から発信しておかないと何かあった時(まあ、最悪の事態ですね)に対応してもらえないから、という非常にドライな理由もあります。今回の件で、たぶんもう知人はほぼ見てない、ということがわかったので、いつまでこの理由で続けるかはやっぱり悩ましいのですが。

ブログに反応がなくて気持ちが折れてしまい続かなかった、という話はとてもよく聞きます。それを考えると、ほぼ何の身にもなってないわりにはよく2年近くも続いてるな、とも思いますが、やはり「何やってたんだろう自分は…」という悔しいのか悲しいのか何なのかよく分からない思いでぐちゃぐちゃになってしまいました。

今日の記事もまとまりがなくてすみません。これが3、4年前の自分なら、この状況はこの状況で頑張れてたんだろうな。そう思うと、つらい。
せめて広島の楽しい場所の情報などの記事が書けたら、とは思っていて、それはずっと前からやりたかったことなので、今こそその時では、と考えているのですけど、何せ貧困すぎて遊びに行ける状況ではないというのが現実です…。おまけに今は交通網がめちゃくちゃですしね(車持ってないんですわ…)。いくら趣味で書いているブログとはいえ、お店に許可を取らずに勝手に撮影して記事にしちゃうのってどこまでOKなのだろう?と悩んでいたりもします。好きなお店が店内撮影禁止、と明言してたことがあって、それ以来考えてしまう。まあ、聞けばいいんですけども。
ずいぶん前の記憶で、写真なしでもいいなら色々あるけど、そんなのでも良ければ、って需要ないか…。大久野島に泊まりで行った時なんてめちゃ楽しかったけど、10年くらい前の話だからなあ(笑)。アイスショーに赴いた際に、ショーの感想だけでなく前後のこともだらだらと書いているのは、旅日記をつけることがそもそも好きだから。実際に体験したことでないと、薄っぺらい気がして書けないんですよね私…。いい加減そういう記事が書きたいんですが、いったいいつこの状況から抜け出せるのか。顰蹙買ってもいいからクラウドファンディングで生活費とか活動費とか募ればいいのか。やっぱり虚しい…。

Fantasy on Ice 2018 in SHIZUOKA 雑感②

昨日から続きます。ではでは早速。


フィリップ・キャンデロロ
やっぱりこれですね、ダルタニアン。これも久しぶりだなー。毎年のように見てたのになあ、会場で(泣)。
今のジャンプ転倒したけど高いな、と思ったらトリプルルッツかい!すげえええ46歳!これだけ動けてるってことはヘルニアは良くなったのかな。最後に真壁さんと握手?してるし(笑)。このシーンコアなファン以外わかんねえぞ、あの人誰?って思うよね普通の視聴者は(笑)
さらにさらに、まさかのトリプルルッツ跳び直し。手はついたがどうにか立ったぞ。とりあえず元気そうで良かったです。


鈴木明子
岸谷香コラボ。本当にゲストの発表よりも前に「今年のファンタジー・オン・アイスのコラボは『M』だな」とふっと思ったのよ、これはマジ。相変わらず意味不明の勘の良さ。何の役にも立たないし(笑)。いちばんかもしれないくらい有名な曲だけど、まさか羽生君はないだろうし安藤さんかな、と思ってたら鈴木さんとのコラボでしたね。
家なのをいいことに熱唱(笑)。自分で歌いながら演技を見るって新機軸(笑)。楽しいぞこれ、すげえ演技伝わってくるし!よく家で歌うので壁の薄い部屋には住めません(笑)。


ハビエル・フェルナンデス
お馴染みのコミカル闘牛士。いろーんな人が滑ってるカルメンだけど、やっぱりスペインの人が最強って証明しちゃいましたね。


カロリーナ・コストナー
すげえ、別格だなあ…。照明の色も綺麗だ。ラストの振付が『Ne me quitte pas』を彷彿とさせる。エキシビションからまたショートプログラムに、競技の舞台に戻っていくような。現役続行とのこと、楽しみにしてます。


織田信成
藤澤ノリマサとのコラボ。沢田研二の『勝手にしやがれ』。登場した時から既に歓声がすげえ。
また熱唱しながら見た(笑)。袖で踊ってるスケーターの中に真壁さんが混じってるぞ(笑)。ナレーションもジュリーでしたって言ってて爆笑。これ一生の持ちネタにできると思うんですけど(笑)。


ジョニー・ウィアー
藤澤氏コラボで『川の流れのように』。いい演技。思いっきり歌謡曲なのにジョニーのエレガントさに合ってるのが不思議だ、ホント。また熱唱したけど、美空ひばりの歌の中では歌いやすい方じゃないかなあ。『みだれ髪』あたりは常人には歌えないと思った…。
ここでひっそり「若王子殿」って書いてみる。通じた人はコメント残していってください…←絶対いない


★アリオナ・サフチェンコ&ブルーノ・マッソー
このプログラムはマッソーさんが変態っぽいとこが最高だが、アリオナの嫌そうな演技もたいへんにキュートである。腕から抜けるときの表情が最高(笑)。どうしてOKする気になったんだろうって想像しちゃうとこも楽しい。彼らのスロージャンプにチケット代払いたかった…。


ステファン・ランビエール&デニス・ヴァシリエフス
もちろん指導する側とされる側なので似てる部分はあるけど、一緒に滑ると全然違う個性なのがわかる。曲線と直線みたいな。コーチと生徒のコラボプログラムってなかなか新鮮だな。


三原さんのインタビューがここで。インタビュー内容からすると、これ最終日の演技を撮って出しなのかな。


★テッサ・ヴァーチュー&スコット・モイヤ
藤澤ノリマサ歌唱による『You Raise Me Up』。グランプリシリーズのアサインには名前なかったな…。去年のNHK杯のインタビューで「これが最後のNHK杯」って言ってた時点でわかっていたことだけども。もう戻って来ないのかもしれないけど、まだまだ見たいなとやはり思ってしまう演技だった。ひょっとして全公演出てたのかな。見たかったなあ…。


エフゲニー・プルシェンコ
後半になっても元気だな、ワールドカップで盛り上がってるのかな(笑)。どうやらニジンスキーをこの目で見られないまま一生を終えそうですね私…(血涙)。


羽生結弦
清塚氏コラボの『春よ、来い』。神戸公演の演技はひたすら儚かったけど、今回は、実体のなかった幻の桜がはっきりと現世で姿を結び、青空の下に咲き誇った、という印象を受けた。そして、競技者・羽生結弦が戻ってきたのだとも。


★フィナーレ
ジェフがかわいい、かわいい…。ステファンもノリノリ(笑)。羽生君すごい煽ってくれてるし、こりゃ会場にいたら歌ったな自分(笑)。もちろん家なので気にせずここでも熱唱だよ!←多目に見てあげてください、カラオケ行く金もないんで…

さらに一芸大会。ステファン、4回転まだ跳べるのか…!織田君はしっかりジャンプ成功。何故引退した(←毎回言ってる)。紀平さんは4回目だったかな、トリプルアクセル成功、しかもコンビネーション!
しかし、今回はヴァーチュー&モイヤのジャンプが最大の見所ではなかろうか。しかも羽生君が一緒だし。アイスダンサーのジャンプって貴重な気が。


最後に羽生君のインタビュー。もう競技モードにシフトしてるな、と思った。ああ、ギラギラした羽生結弦だ…。もうあの羽生結弦は戻ってこないのかも、と思ってたから期待感でゾクゾクする。今シーズンこそ競技見に行くぞー!

Fantasy on Ice 2018 in SHIZUOKA 雑感①

静岡の最終日だけでも行きたい、と発表の時点では思っていたファンタジー・オン・アイスですが、身内の事情もあり今年は無理だなとバッサリ諦めました。1公演も行けなかったのは2010年以来初めてで、だいぶ空虚です…。
しかも高橋大輔現役復帰の衝撃であまり集中できず、そもそも神戸とさほど内容が変わらなかったので(実際会場で見るならともかくテレビだからなあ…)、かーなーりーざっくりした感想文ですが、よろしければ最後までお付き合いください。


★オープニング
おお、静岡にはキャンデロロいるんだ。そうか、もう46歳かあ…。
ステファンの歓声が大きくて何故かホッとする。羽生君はジャンプ転倒。ちょっと悔しそう。でも神戸より元気そうに見える。毎年ショーで見てた羽生君って感じだ。


紀平梨花
衣装は新しくなったのかな?転倒が多かった。まだシーズン序盤だしね。神戸の方が出来は良かったかなとは思うけど、また見てみたいプログラム。


★アンナ・カッペリーニ&ルカ・ラノッテ
コラボ。清塚氏のピアノによるニューシネマパラダイス
シンプルなピンクの衣装なのに本当にかわいい。このプログラムは絶品だなあ。グランプリシリーズのアサインに名前なかったから、競技のエキシビションでも見たいって書きそうになった自分に少し涙が出た…。まだ進退ははっきりしてないと聞いたので、もう少し待ちたい。


★アリオナ・サフチェンコ&ブルーノ・マッソー
こちらもコラボ。素晴らしいスロージャンプ…!競技だといくつ加点がつくだろう。
金メダリストの人生の喜びそのもののような演技に感じた。夢を叶えるのは諦めなかった人だけ。アリオナもまたそれを教えてくれたひとりだった。


ジョニー・ウィアー
白い衣装の『Creep』。ジョニーの人生を映画化するときはスタッフロールをこの演技で締めくくって欲しい。ああ、もう一度会場で見たかった…。


紀平さんのインタビューが挟まれて、演技は続く。神戸の放送内容から考えると、演技はかなりカットされているのではないだろうか。


ハビエル・フェルナンデス
だから見たかったんだよう、切ない系のハビエルが…!絶対正統派似合うからってずっと言ってたんだよおおおおお(泣)。また滑ってえええええ(泣)


★アンナ・ポゴリラヤ
藤澤ノリマサ氏とのコラボ。ポゴリラヤ静岡にも出てるのか。転倒がちょっと心配になってしまうけど、本当に彼女は素敵なスケーターだと思う。見とれてしまった。また演技見に行きたいな。


エフゲニー・プルシェンコ
タンゴアモーレ。超ノリノリじゃん、どしたん(笑)。すんごい美味しいものでも食べた?
チケット20000円だとしたら10000円はプルシェンコ代だからね、アイスショーって。私は本気でそう思ってるぞ。それくらい生で見た時の迫力というのかオーラというのか、が桁違いです。


カロリーナ・コストナー
『Ne me quitte pas』。これいいプログラムだよなあ。この年齢だからこそ出せる悲哀と味わいと、それを確かにする足さばき。昨年のNHK杯は会場で見たけど、女子のショートの日はテレビ観戦だったから、これ見に行きたかった…。


★テッサ・ヴァーチュー&スコット・モイヤ
このプログラムは初めて見るな。息がピッタリ過ぎてすごすぎて、あっという間。もっと見たかった…。このカップルはスコットの主張ぶりが好きである。


★アンサンブルスケーター&エラジ・バルデ
岸谷香さんとのコラボ。暑い季節に元気出そうなプログラム。実はその昔偶然すれ違ったバルデさんに微笑まれたことがあり、それ以来彼の笑顔が好きです←突然の告白


安藤美姫
こちらも岸谷香コラボ。この曲友達か友達のお母さんが好きだって言ってた記憶があるな、遠い昔に。こんな曲だったんだねえ。安藤さんも歌ってる。滑る姿が気持ち良さそうで、いい演技でしたね。


ジェフリー・バトル
上手い、上手すぎる、何これ…。簡単そうにやってるけど、これジェフだからできるんだよな。ホントに引退して10年も経つの?


★アンナ・カッペリーニ&ルカ・ラノッテ
冒頭でラノッテが新聞を客に渡してる。こんな演出もあったのね。長いプログラムなのに、飽きさせないように見所がぎゅうぎゅう詰まってて、すごく楽しいプログラム。おっ、泥棒役のアナウンスがちゃんとあるわ今回(笑)


三原舞依
おおお、シンデレラか。久しぶりですな。あの国別対抗戦から1年くらいしか経ってないのに、顔立ちも体型もすっかり大人に。六連続ジャンプすげええええ!もう彼女にガラスの靴は必要ないんだな、と思った。


今回も長いので、このあたりで明日へ続く。明日で最終回の予定です。

無力だからただ日記を綴る

誰も読んでないし関心もないんだろうけど、自分のために記録しておく。

一週間経ちました。長かった、この一週間。

金曜日と土曜日の深夜はたぶん本気で「最悪の場合も覚悟しよう」という状況だったので、無事に朝が来たことがわかった時は「良かった、何とか頑張ろう」と思えたけれど、そのあとの反動がきっっつかったです。てかまだその渦中。なんかもう呆然としてる…。
私でこれなので、生活拠点を一気に失った人たちの心中はいかばかりか…。せめて私のように、孤独や孤立に陥っていなければいいが、と思うばかり。逃げておいでよって声かけたいくらいですよ…。ああでもここ、安全な地域とは言えないからなあ…。まだあっちこっちで二次災害の危険があるくらいなので安全な所の方が少ないのでしょうが。

情報収集が命綱だったので、ネットなりテレビなりをこの一週間そこそこ積極的に見ていて、色々感じたこと。

まず、やっぱり多かれ少なかれパニック状態は続いているんだと思った、自分含め。真実なのかどうかわからない情報も何度か流れて、自分も振り回されたものも実はありました。あれだけの被害が出たのだから皆ナーバスになるのは仕方ない。ものすごい快晴にも関わらず、まだ川が氾濫して避難指示が出たりしてるわけですし。
やっぱり情報が大事だな、と痛感した。細かい地区の情報も出てくるし、何よりいちばん早いので、ツイッターの情報にはすごく助けられたけど、不確かな情報も回りやすい。テレビなどで流される、ある程度確かな情報はやはり重要だなと強く感じました。

なので、報道の少なさには正直違和感を覚える。豪雨災害の話題ばっかりやればいいってもんでもないけど、金曜日にはもう被害が出てたのはわかってたのに、いくら土日だからって何故?と申し訳ないが思ってしまった。週が明けても「そのニュースにそんなに時間割く必要ある?」と何度も感じた。
自分から積極的に情報を取りに行く人ばかりじゃない。仮にそうしていても、それは自分の興味ある情報だけで、それ以外には関心がない人も多い。すべての情報に目を通すことはできないから、取捨選択は確かに大切だ。
だからこそ、雑多な情報を垂れ流すテレビ、ラジオ、見出しだけでも拾える新聞は重要なメディアなのである。テレビから散々状況が流れてくれば、いくら自分の周辺のことにしか興味のない人でも(それでも生きていけるからそうなのだろう)、これは危機的な事態なのでは?と気付く。それくらい、人間というものは自分の身に降りかからなかったことには関心を持たない。内容や報道の仕方以前に、「まずきっかけを作ること」は重要なのである。
その観点で言えば、ネットやテレビは今回あまり役割を果たしていないと思った。

あまり言ってはいけないことだと思うし、仕方ない部分もあることを重々承知で、やっぱり今回も思ったので、書いておく。

東京が巻き込まれない限り、大ニュースにはならないんだなあ。

テレビ局だって企業だって多くは東京に本社があって、どうしても東京が中心にならざるを得なくて、東京に何事かが起これば日本の機能が停止しかねないこともよくわかる。東京の街はエネルギッシュで大好きだ。
でも、「これが東京だったら」という方向にしか話題を持っていけない人が必ず出てくるのは何故なのだろう。
東京以外は日本じゃないのだろうか。時々感じてたことなんだけど。
東京が東京でいられるのは数多の地方都市があるからだ。皆が東京に住むことを選択したら東京は成り立たない。それは地方都市にも言えることで、首都機能が別にあるから地方なのだけど、東京以外は日本じゃないのであれば、その逆だって言えてしまう。東京で何が起ころうと、地方都市は地方都市で存在できる。

その辺の「無関心さ」でやりあってもしょうがないだろうと思うのだが、「単に自分が何らかの事態において感じた無関心さへの嫌悪感を無意識か意識的にかは知らないがやり返しているだけなのでは?」という声もたくさん見かけた。何らかの非常事態に遭遇し、その時に感じたことや学んだことを活かしている人もたくさんいる一方で、「これはあの時の教訓だから」として、自分のこと以外に興味のない自分を自己弁護してるんだな、と感じた例もあった。嫌な言い方になるけど、せっかく自分の身に降りかかる体験をしながら、それを活かせる人と活かせない人にくっきり分かれるな、とこの度も思った。

「何故避難しないのか」という声もたくさん聞いたけど、本当に避難できる状況だったかどうか、それは人によるんだから責めてもしょうがないだろうと思ってもいる。
避難所がそもそも被害を受けたとか、家の中より外の状況の方が酷かったとか、体が悪くて動きづらかったとか。あっという間に川が氾濫したり、砂防ダムを土砂が乗り越えたり破壊したり、想像をはるかに超えた被害が起きている状況で、個人の責任にすべてを委ねて話を終わらせようとするのはあまりにも強引だと思った。たぶん、同じ状況で自分が被害を受けたら、この世の終わりみたいにいつまでも騒ぎ続けるんだろうな、とも思ったし。

要するに、あの悪名高い「自己責任論」がここにも引っ張り出されている、のかなと思う。確かに自己責任は大切なことで、究極的にはすべてがそこに収束されるものなのかもしれない。が、自己責任論の何が悪質なのかと言えば、つまり、他人にすべての責任を押し付けて自分は安全なところへ逃れるための言い訳に使われてるからだ、と私は考える。本当に相手に責任があるかどうかなんて関係ない。何もしない、何もしたくない、考えるのが面倒くさい自分を弁護できるから、あの理論はとっても便利なのだ。だからいざ自分のことになると、けろっと忘れて騒ぎ立てるのである。誰しも、世界でいちばん不幸なのは自分だと思っているのだ、程度の差こそあれ。

こういう災害時に限らず、誰かや何かの有事の際に「何もできない」とつい言ってしまうことは多いと思う。私もきっと何度もあるはずだ。でもそれを、本当に打つ手がなくなってから言っている場合は圧倒的に少ないと思う。大抵の場合は先手を打つかのごとく口にしてしまうのではないか。
要するにそれは、何もできないんじゃない。何もしたくないのだ。誰かのために自分の労力を使いたくないのだ。気を遣っているようなふりをして、自分のテリトリーを守りたいだけの言い訳である。
だからって、闇雲に何かをすればいいわけじゃないのも良くわかる。食べるものにも困ってる人が寄付するのは難しいし、体力が落ちている人が無理矢理手伝いに行ってもかえって迷惑をかけるだけ。自分で勝手に「これが必要だろう」と判断して送りつけた物が相手にはただの迷惑でしかないことも多々ある。
でも、何もできないのかと言うと、決してそんなことはないはずだ。

『ひるおび』だったかな、デーモン小暮が出演していて、こんなことを言っていた。広島には知り合いがいるので連絡をしているが、大変だったら返事をしなくてもいい、と添えてメールしていると。
これは満点に近い対応なのではないかなあ、と思う。有事の際の連絡は、確かにするべきかそうでないか悩みどころである。もしかしたらすごく邪魔かもしれない。私も連絡を控えてしまったケースが何度もあった。
だけど、そのように添えてあれば、受け取る方は無理にでも返事を出さなければと思わなくていいし、送る方も返事がなくて当たり前だと思っていられるので過度の心配がいらない。無事なら無事で安心もできる。
何よりも、そうやって心配してくれる相手がいたということが、長い目で見ればその人の支えになるのではないか、という気がする。人生の中で築いてきた誰かとの関係性は、災害によって壊される類いのものではない。そしてそれは個々人が、その人だけが築いてきたものだ。あなたの人生で出会ってきた誰かに、あなたという立場で言葉をかけられるのは、心を寄せられるのは、世界であなたひとりだけだ。だから「何もできない」なんてことは、本当はないはずなのである。しかもそうやってコンタクトを取ることで、できることが見つかるかもしれないのだから。

デーモン小暮氏は子供の頃広島に住んでいたと聞いたことがあります。閣下の子供の頃なら十万年くらい前の話では?とつっこむのはここでは堪えてください(笑)。大学の卒業式のエピソードを聞いた時、この人カッコいいなあ、と思ったんだよねえ。
歌さんと楽さんの毒まみれの掛け合いを聞いて育ち(あれは絶大な信頼関係のもとに生まれたものだったのだと知ったのはずっとあとになってから)、歌が今でも何曲か歌えたり某幹部にマジ惚れする同級生が出てきたりと青春の1ページにいまだオウム事件が大きな影を落としてる私にとって、もっとじっくり掘り下げて見たいニュースがたくさんあったのが本当のところなんだけど、まさに被害甚大な地域にいる身としては、今はそれじゃない、ネット見ない層も多いんだから、と声を大にして言いたかったのは確か。

ああ、私に読者が300人とかフォロワーが3000人とかいれば。いや、100人でもいい。ブログはあんまりこういう場合に向いてないかもしれないが、ツイッターなら、ひとりかふたりくらいは「あれ?ひょっとして大変なことになってる?」ってわかってもらえたかもしれない。しっかりした情報源からの情報を流すことで、多少なりとも貢献できたかもしれない。拡散力ってこういう時のためにあるんじゃないの?違う?
せっかくの拡散力を活かすかどうかはその人次第なんだけれど、要するに自分の利益になること以外はお呼びじゃないんですかね、と思わせてしまうのは得策じゃないのでは?と思ったのも確か。日々色々な意見が流れていくのを目にするけれど、正直「砂上の楼閣」という言葉が頭をちらついていて、何故なのだろうと考えていたけど、その正体が見えたような気がした。崩れてもまた積み上げればいいだけの話だけれど、ね。もちろん、砂のお城ではないところに住んでいる人も多くはないけどちゃんといる。でも、お城が小さくて見えない人の方がもしかすると多いかもしれない。
ツイッターはトラブルがあったので(いつか書ければいいのかもしれないけど…。その元気まだないし永遠に出ないかも…)積み上げ直しになってしまってしょうがないけど、2年近くも毎日ブログ書いててこれじゃ、無力過ぎて涙も出ないですよ。もうちょっとしっかり積み上げることができてたら、こんなに虚しい思いしなくて済んだんじゃないだろうか。自分にできることは、周辺がとにかく酷い状況で混乱してるので邪魔にならないことと、伝えることだと思ったけれど。私には無理でも、どこかで伝わってて欲しい、これは本当に。でもいちばんに「書いて伝えよう」と思った自分に、それがいちばん自分の求めてることなんだ、と非常時だからこそ痛感してしまった。こんなにもうまくいかないのにね。

多かれ少なかれ自分の仕事や生活にも影響を与えるだろうから、「何で品薄なの?」とか何とか騒いで「ニュースくらい見ろよバカ」と突っ込まれないためにも日本のすべての方がある程度情報を知っておいて欲しい、と思う一方、遠方の人はしょうがないんだろうという諦めもある。
だが、それぞれの地元の人までそうなのははっきりダメだと思う。私の周辺だったら広島な。あちこち被害は出てるんだけど、おそらくそれほど大きくなくて話題にもならず、生活にさほど影響の出ていない人も実際には多い。「◯◯は災害の少ない地域で安全だから」とほかの地域に住んでいる人間をバカにしたクズもいた。その地域にそう遠くない過去に大規模な土砂災害があったことを知らないで言ってるんだとしたら本物のバカである。ま、実際に言われたんですけどね、私が。
ほかにも色々と「アンタ何言ってるの?」と思う例が様々ありました。日常通り、通常通りにするのは大事だが、そういうことではなかろうに…、と首をかしげてしまった。
他愛もない会話の中で、年賀状のやり取りで、住まいや会社の所在地は何となく知ってたり、遊びに行ったことがあったりする場合も多々あるんじゃないのだろうか。地元ならなおさらである。こういう時に思い出せるかどうか、それは記憶力の問題じゃないと思った。どれだけ誰かに心を寄せられるかどうかの話で、最後に人間を人間たらしめるのはそこなのではないかと、私は感じている。

レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』という小説に出てくる非常に有名な言葉を今また思い出している今日この頃。おそらく皆さんもご存知だろう。両方を備えているのはとても難しいけれど、それを放棄することもまた人間には許されていないのだと痛感する。解釈の仕方もまあ、人それぞれだと思うけれど。この言葉を理解したくて『プレイバック』も読んだんだけど全部忘れた(笑)。『長いお別れ』は面白かったんだけどなー、長いけど(笑)。

しかし、思った以上に復旧が早い。何せ主要道路や線路がほぼ壊滅してたもんな。とりあえず、のところも多いのだろうけど、全力でどうにかしてくださった方々には頭の下がる思いだ。美味しいものいっぱい食べて欲しい…。
イベントも続々と中止になっているが、この交通状況では仕方ない。自粛等々ではない、普通に無理だろう。フィギュアスケートの話題が7割のこのブログ的には来月のプリンスアイスワールドがどうなるかは気になるところだが、一ヶ月後だし開催はされるだろうと考えてはいる。高速道路も復旧するし、新幹線も動いている。ただ、それはあくまで「遠方から来る人」の利便性だけを考えた場合だ。在来線や一般道は来月の開催までに復旧するかどうかわからない、まず復旧しないだろうと思われる路線も多い。地元の人が移動に困難を伴う状況で開催されるのは、正直言って苦しい思いがある。
広島はおそらく10年はアイスショーすら開催されなかった。ショーや試合を見たければ、遠方まで出向くしかなかった。国に保護されるレベルに低い給料をやりくりして、後悔だけはすまいと必死に出掛けていた。やっと地元でショーや試合が開催されるのだ。できれば広島の人に優先的に見て欲しい、と願ってしまうことは許して欲しい。私は貧困のためチケット争奪戦に参加すらできなかった身の上で、無関係と言えばそうなのであるが、だからこそ余計にそう思うのだ。それなのに、このような災害が起きてどれだけ心を痛めている人たちがいるか…。言ってはいけないことなのかもしれないけど、割り切れない思いが残ってしまいそうである。

「無関心」は「嫌い」よりもずっと残酷である。以前から感じていたことを、改めて反芻していた一週間だった。まとまりがないけど、そんなところで終わる。明日からたぶんまた書きためてた記事に戻ると思うけど、色々と割り切れない。でも、いくら叫んだって届きはしないのだから、思う存分勝手に叫んでおくことにする。
お金がなくてなくて、物資不足以前の問題で買い物を控えていましたが、なんかもう精神的に限界だったのでアイスクリームとポテトチップスをやっぱり買ってきてしまった。値段見ないで買っちゃったあたりに自分の限界ぶりが伺えた。大好きだった喫茶店、お金なくて最近全然行けてないけど、大丈夫だったかな。あそこも場所的に被害を受けてるはず。日常がね、削り取られてしまったんだよ。心をえぐっていくように。