うさぎパイナップル

主にフィギュアスケートの旅日記とテレビ観戦記とお題記事・ただ書き散らして生きていたい

やむにやまれぬつらつら語り

諸事情で思うように更新ができないので、今日はこのはてなブログでは滅多に書かなくなっていた日記記事です。
フィギュアスケートの記事はとても丁寧に書いているのですが、こういうさらっとした個人的な記事の方が読まれるようで、ちょっとばかし切ないです(悲)。


個人的な記事は、2018年9月から始めた「note」に書き殴っております。予約投稿ができないのと(できるけど有料みたい)、日々が破綻していて何も目新しい内容を書けないので、正直面白い内容は何にもないですけど。すみません(泣)。
面白く書けることもあるのですが、そういう記事はやっぱり手前味噌みたいです(悲)。これ、ブログ等書かれてる方は皆おっしゃいますね。読んで欲しい記事は読まれないという…。

たまーに創作も載せてますが、それはちょっと面白くなってきたかも、自分が。創作は時間がかかるのと、言葉が頭に降って来ないと書けないので、頻度はあまり高くないですけど。そう、私の軸は「センチメンタルな中二病」です。うわあ…(汗)。フィギュアスケートの記事もよくポエム化するのは、基本がポエマーだからしょうがないんだな、とポエムを生み出す度に頭抱えてます…。

イラスト系はどこか別の場所でひっそりやろうかな、とちょっと考え中。ひっそり表現できる場が、ブログやnoteやツイッター以外に欲しいし。イラストは正直上手くないし恥ずかしいのでひっそりしてたい…。でもあんまりあれこれ増やすと管理も大変なので、保留中。いい方法ないかしら。

そんな感じで、noteは気ままにやっております。noteも読んでくださってる方がいらっしゃったら、心からありがとうございます(涙)。


1000記事到達まであと約1ヶ月となりました。生命維持が危ういレベルの諭吉不足のため、ショーにも試合にも全然行けてないし予定もまったく立たないので(は、働かせてください…悲)、実はブログの存続が危ういのですけど(汗)、何とかあと1ヶ月毎日更新を頑張りたい。スケートと関係ない記事が増えたらごめんなさい…。

今日は本当はプリンスアイスワールドのテレビ放送の感想記事を載せるはずだったんだけど、諸事情で見送らざるを得ず、こんな内容のない記事で申し訳ありません。プリンスの記事載せたかったです、とほほ。

明日こそ通常の更新が出来ることを願って…。

毎朝迎えに来てくれた平成は、明日の朝からはもう絶対に待っててくれないんだ

さて、平成最後の更新でございます。きっと今日はこんな感じのエントリーが多いのでしょうが(笑)、とりあえず私も混ざってみました。

平成の間に色々何とかしたかったんですけど、何ともならないまま令和を迎えそうです。とほほ。平成30年のうち「思い出してもいいかな」と思える時期5年くらいしかなくて、あとは全部暗黒時代でしたね…。個人的にはですけど。5年もあるならまだいいんじゃ?とか今思ったし←基準低すぎ

本当にしんどかった。人生しんどかったわ。もう全部平成に置いていきたい。

平成と令和と

元号発表はリアルタイムに見ておりましたが、「何おじさんが誕生するのか」ということに夢中で、元号そのものについて考えを巡らせたのはそのあとだったというクズっぷりです。元号が変わるたびにひとりしかできない役目、って考えると「将来なりたい職業」の1位に躍り出てもいいと思うんだけど、◯◯おじさん。って職業じゃないから(笑)。

綺麗な響きの元号で、勝手にいいことがいっぱい起きそうな気がしてしまいますね。てかもうすべてを恩赦して欲しい。スッキリさっぱり面白おかしく生きていきたい←涙

しかし、天皇陛下はとても聡明な方なんだな、と今回の退位の様々を聞くにつけ改めて思います。私には現在の「開かれた皇室」のイメージしかないけど、あれだけ特殊な環境に生まれ育った方がそのイメージに変えていったのは並大抵のことではなかったのではないかと想像するに余りあります。私にはとても大変な30年だったけど、こういう形での時代の節目に立ち会わせていただけて、いい経験をさせてもらえているように思います。

炎と、氷と、そしてブログ

毎日更新も本日で950日。ブログ開始時から平成最後の日まで、1日も途切れず更新できたことは、ひとつ成果として誇っていいのかもしれません。誰も褒めてくれないんで自分で褒めます(笑)。

平成28年9月23日にこの「うさぎパイナップル」を始めた頃は、アクセス数は1日あたり1桁というのが普通でした。1年くらいは1桁の日がまだありましたね。今は2桁の日も無くなり、今月のアクセス数も「バズ無しでこれくらいあったらこんな地味なブログいい方でしょ」と思ってた数値に到達し、ありがたい気持ちでいます。
どこかで紹介していただいたりして一時的にアクセスが増えることはたまにあるので(いちばん多かった時は半日で5桁行って、地球が滅びる前触れかと思った…)、月々のアクセスの最高値より最低値の方が判断基準としては妥当なのではないかと考えています。なので、どっちかというと最低値の方を気にしてたりします←アクセスの記録をExcelでつけている

よくもまあこんなポエムばかり…、と振り返ると呆れてしまいますが、「独特の感性」と言っていただける要素をそこで存分に出してる、ってことに(汗)。そういうことに(泣)。
何にしろ、演技の背景に星が見えるとか物語が見えるとか、そういう感性は自由でいいと思うんですよ。むしろそれが面白い。ただ、その想像力を「採点には作為が働いている」「◯◯はいじめられている」とか何とかいった方向に働かせるのは別問題。個人の感性は排除して冷静に見るべき部分まで想像を働かせるからおかしな話になってるんじゃないかと。

自分でも思うけど、私は二重人格的なところがあって、ずれた感性そのもので生きてる部分と、死ぬほど冷ややかで現実的な部分とがハッキリとあるんですよね。炎と氷くらい違う。でもその氷の部分が、フィギュアスケートのファンであることにおいてはいい効果を生んでる気もする。
たぶん私の基本は炎なんだけど、人生色々ありすぎて氷の自分が生まれてくるしかなかったんだろうな、と思ったりします。

◯◯は努力してるのに認められない!みたいな声はよく聞くけど、私に言わせれば努力がすべて認められると思ってる方がおかしい。死ぬほど努力しても結果が出なかった経験がその人にはないのかもしれない。結果が出なくて、でもそれがすべてで、努力の過程を褒めてもらえることもなく、その苦しみから自力で這い上がったことがないのかもしれない。結果が出ない要因を選手以外に求める人は何でもうまくいく幸せな人生だったのかもしれないけど、それが世界のすべてじゃないよね。結果が出なかった、その事実は認めるしかない。どんなに悔しくても。
結果は結果。そこはキッパリ分けるべきだけど、あなたがその選手の演技が1位だろうが1000位だろうが好きなら、それでいいんじゃないのだろうか。結果を出せなかった無数の星に、それでも好きだと言えるのがファンにできるいちばん大事な役目なのではないのだろうか。

令和になっても、炎の自分と氷の自分とにうまくバランス取ってもらいながら、ブログを続けていけたらな、と思っています。

未来と春と、そして歌

明日のことすらわからないのに何言ってんだ、って話ですが、2022年の北京オリンピックには行くつもり。てか行くことになるはずだと勝手に思い込んでる(笑)。
と言うのも、手相鑑定していただいた時に、2022年の頭くらいは遠くへ行くことになったりして忙しいです、って結果が出たから。時期的に北京しかないと思うんですけど(笑)!もうそういうことにしといてあげて(泣笑)。
「今年の春くらいまではギリギリの生活、何とか生きていくことになる」という結果も当たらないで欲しかったのに当たったし(泣)、今後のことも当たってくれ。ホントによく生きてましたよ、食べ物とか色々助けてくださった皆さんのおかげです(涙)。本当にゴミですみません…。もう自分はゴミなんだなと自覚して諦めることにしました(泣)。

そんなわけで春なんですけど、ホントのホントに何とか生きてたんで、生き抜いたんで、あとはきっと何とかなるでしょ、と思い込むことにいたします。今のところ「よくこの状況で思い込めるな!」って感じですけど(泣笑)。


さて、これが載る頃には平成もあと4時間。ポテトチップスとアイス食べたい。ぱあっと遊びに行きたい。金がない。じゃあいいや←血の涙

きっと今日は各地で中島みゆきの『時代』が流れるのでしょうが、個人的には平成最後に聞きたいのはSMAPの『夜空ノムコウ』です。平成のアイドルの代表だったSMAPが平成の終わりにもういないということが不思議な気持ちですが、こうして音楽は残るのですよね。二番が超好きなんだよね、二番が。もう泣きながら熱唱したい。
そして改元したら土佐おもてなし海援隊の『維新回天ambitious』と『あしたのために』ですよ。もて海!もて海への愛は令和になっても変わりませんよ!
※もて海:高知の観光PR隊「土佐おもてなし海援隊」の通称。平成31年3月31日をもって活動終了。私は偶然高知で見た、一度だけ見た彼らのステージがずっと忘れられず、いつかまた高知観光に行くことを誓っている。もて海さんだった方々のその後も少しずつ分かったし(涙)。


ではでは皆様、残り少ない平成を噛み締めてお過ごし下さい。令和でもまたよろしくお願いいたします。



「うさぎパイナップルnote分室」を開設しました。フィギュアスケート以外の話題は2018年9月よりこちらに集約させております。心の叫びや日々の呟き、小説から趣味の話、フィギュアスケートの話も時々、要するに何でもあり。毎日更新中なのでお気軽に遊びに来てくださいね。
note.mu

黄金色の休日が来る前に

2年ぶりくらいに、お題記事をピックアップしていただきました。こちら↓

blog.hatenablog.com


歯についてのお題記事に参加したのですが(このブログは現在ほぼフィギュアスケートに特化してますが、それだけだとネタ切れするので時々お題記事も書いております。テーマ決まってると書きやすいしね)、選外にはなったものの、歯列矯正について書かれたブログを選考とは別にピックアップしたそうで、そちらに選ばれておりました。

どれくらいの方が目を通されるのか正直よくわからないですけど(時々ツイッターで紹介していただいたりはてなのトップページに載ったりしますが、そんなに大勢に読まれてる印象はないのだった)、少なくとも運営の方は読んでくださった、ということなので、それだけでもとてもありがたい気持ちです。

わりとさらっと書いたエッセイ記事の方が読んでいただけたりスターがついたりするので、スケートの記事をかなり丁寧に時間をかけて書き続けている身としては時々ちょっと切なくなるのですが(泣笑)、興味のない人には全然需要がないであろう内容より、一般的なテーマの方が親しみやすいってだけかもしれないですね。アクセス数は増減はあるもののずっと増えてはいるし、検索から来てくださる方が大半なので、読んでくださっているスケートファンの方がきっといらっしゃるはず、と信じておるよ…。

矯正に通っていたのは子供の頃で、イコール大昔の話なので現在とは事情が違うかもしれないですが、ひとつの体験談として読んでいただけたら幸いです。


今回ピックアップしていただいた記事のように、はてなは画像を全然載せてなくてもピックアップしてくれたり公式ツイッターで流してくれたりトップページに載ったりするのが、文章を読むための「ブログ」なんだな、と感じて好きだしありがたかったりもする。
とりあえず人目を引くために置いてある画像には意志が感じられなくて、時にはそれを見るだけで読む気が失せるし(少数派かもしれないですが…。もちろんその方が自分で撮られた写真などは別です)、画像が多くて重いブログにガラケー時代等々にうんざりした記憶もまだ強いし、画像の扱いを色々考えると「悩むくらいなら載せないのがいちばんだな」と思ったことなどもあって、基本的に文字で全部表現する方向になってしまいました。用意できるんなら載せるけど、うーん、書く方が好きみたい。

はてなブログフィギュアスケートにほぼ特化するためにnoteも始めたのですが、こちらはカバー画像がない記事はお呼びでない、みたいな空気なのが個人的にちょっとつらい。文章書くだけなら使いやすいんですけどね。んで、文章をひたすら書きたい人もいると思うんですけどね…。
しかもイラストやマンガ描いてもそんなに見られるわけじゃないので、ホントに画像必要なんだろうか?とますます疑問なのだった。たいしたイラストじゃないということは置いておいてもですね…(汗)。


さて、1000記事到達までたぶんあと2ヶ月を切ったくらいかなと思います。1000記事に到達したら、ブログ開始当初から続けてきた毎日更新は終了する予定です。その後ははてなかnoteのどっちかを1日1記事ずつ毎日更新する、という形に変更しようと思います。
はてなが一応メインのつもりなので、はてなの方を多めに更新したいのですが(週4はてなで週3noteとか)、スケートがオフシーズンに入ってしまったこともあり、どれくらい更新できるのかいきなりあやしい感じ(汗)。アイスショーの予定でも入っていればいくらでも書けるのですが、諭吉が生存を危ぶむレベルで不在なので現状厳しそうです(泣)。突然野球の記事とか入り出しても気にせずお付き合いいただけたらありがたいです…。


noteもはてなが1000記事に到達するまでは毎日更新する予定です。スケート以外の記事を気ままに書いてます。スケートの記事もたまに書いてます。ポエムとか暗黒な呟きとか炙りサーモン食べたいとか、ほぼただのカオスな日記の群れですが(汗)、カオスなエッセイでも構わないというお優しい方がいらっしゃれば、覗いていただけたら嬉しいです。
note.mu



ではでは皆様、楽しいゴールデンウィークをお過ごしください。

何故始めましたと言えば冷やし中華なのか←本文の内容とは一切関係ありません

2016年9月23日に始めたブログも、3年目に突入いたしました。毎日のアクセス数が一桁というのも珍しくなかった1年目に比べると、たくさんの方に見ていただけるようになり、たいへんありがたく思っております。アクセス数の増やし方のノウハウをレクチャーしてるような方から見れば鼻で笑う数字だと思いますが、こんなほとんど画像も載ってない、どこのどいつが書いてるかもわかんない偏った内容のブログをこれだけ読んでもらえてるって、私には十分ありがたいことなんですけども…。うん。

1日1記事ずつアップしていこうかな、と決めて2年間実行してきました。2年間毎日更新したら730記事にもなるんだ、と改めてびっくりしています。忙し過ぎてどうしようもない、という状況になるまでは続けたいと思っておりますが、そんな日は来ないと思うので、とりあえずできるところまで粛々と続けます(笑)。


さて、3年目を迎えるにあたって、以前少し検討したもののすっかり忘れて放置していた「ブログの分割」を実施します。

メインはこのままはてなブログに置きます。特に大きな変化はなく、フィギュアスケートのことやたまーにゲームやマンガのこと、どこかに出かければその体験日記的なもの、はてなのお題が面白ければ答える、という今まで通りの内容で続けます。毎日更新も可能な限りは続けていこうと思っています。

で、これまでにも時々混ぜていた、自分自身についての本当にプライベートな内容(スケートやゲームのこともプライベートな趣味と言えばその通りなんですけどね)を、はてなブログではなくnoteに綴っていこうと考えています。

noteの存在は知っていたし、最近はてなから移行していく人が多いけどそんなにメリットがあるのかな、なんて気にはなりつつ、せっかく少しずつでも読んでいただけるようになってきたはてなブログをわざわざ閉じてまで移行する必要性はまったく感じなかったので、検討はしていませんでした。何より「変なボタン押したら課金されそう」と思うと怖くてnoteの記事をほとんど読んでもいなかったんですよ(汗)。有料で販売されてる方たくさんいらっしゃいますよね。払う余裕一切ないので、うっかり寝落ちして変なボタン押したら…、と思うと開くのも躊躇ってまして(汗)。私自身有料で記事を販売する気持ちは一切ないですし…。

でも、そんな心配は不要で(笑)、普通のブログのように利用してる方も多いし、文章を読むのが好きな人がユーザーに多い印象だ、といったことを教えていただけまして、今後の自分の方向性的なものも踏まえて、ひとつプラットフォームを増やすという決断に踏み切りました。


以前から読んでくださってる方はご存知かなと思いますが、私はなかなかに底辺人生でしてな(泣)。今もなかなか這い上がれず、地の底でもがいております…。
そういうネタは山程あるんですけど、自分自身の心もかーなーりー抉る内容なのでなかなか書けず、それでもたまに書いてはいましたが、ちょっと闇の濃度が高過ぎて浮いてるな、と気にはなってたんですよ(笑)。基本的に私は笑いに走ってしまう人間なので(笑)、そのノリで読んでたら落差が激しすぎて面食らうだろうし、スケートの記事などを読みたい人には私の個人的なことはまったく興味ないだろうし。
ただ、そういう記事を読んでくださってる方もいらっしゃるし、私自身も感じてることなのですが、「その人自身」が見える方がブログって面白いんですよ、絶対に。少々重い内容だったとしても、その心の叫びに親近感を持ったりするんですよね。そういうのは嫌いだ、明るいことだけを書け!っていう声も聞くけど、それはその人の趣味の話で合わせる必要なくね?とぶっちゃけ思ってたりしますし…。実際、個人的な内容の記事の方が反応があることも少なくなかったりします。

けれども、決してそういう人ばかりではないのですけど、フィギュアスケートのファンには難しい人が多いのも事実なのですね。私自身にも経験があるし、そこそこ長くファンを続けておられる方はきっと、今頷かれていることだろうと思います…。
選手たちが子供と言ってもいい年齢のケースが多いせいなのか、王子様やお姫様のように感じて自分の理想を重ねてしまうのか、それはただの思い込みでは?という思考の元動かれる方が少なくなく、自分が正しいと信じて疑わない人も少なくなく…。インターネットという世界は、どこか狂っていても受け入れてくれる懐の広い世界で、自分でも気付かないくらいに自己愛みたいなものを肥大させた人も大手を振って闊歩していて、フィギュアスケートの世界はもしかすると特にその傾向が強いかもしれない。一度「地雷」を踏んでしまうと、容赦なく心を潰しにかかってくる。テレビの中の選手や関係者、インターネットの向こうのファンを、血の通った人間として認識していないのでしょう。
できるだけ選手のいいところを見つけて感想を言いたい、というスタンスで書いてますし、批判っぽくなる時は根拠もちゃんと述べてるつもり。ただ読んでる人がいないだけ(笑)かもしれませんが、おかげさまで今のところブログは平和ですし、せっかく大切に続けてきたブログを壊されたくもない。スケートのことで意見の相違が起きるのならともかく、自分自身のプライベートな内容でブログが崩壊するような事態は避けたい、と思うようになりました。一時、崩壊の危機が忍び寄ったことがあったんですね…。食事も喉を通らないほどになり、自分を守るために崩壊させたものもありましたが、このブログはほぼ壊れることなく守ることができました。しんどかった…。
自分の意見をどうしても通したい、相手の意見を待ったりじっくり考えて検討したり時間をかけることができないイライラしてる人にとって、長文のブログは面倒でそもそも目を通さないのかもしれず、だから崩壊させずに済んだのかもしれないですね。でも、逃げるつもりも折れるつもりもまったくないですが、防衛はしておくべきかも、とずっと考えてはいたのです。「彼ら」にとっては問題があるのは私の方なのでしょうし、100%私が間違ってないと言うつもりもないですけど、だからって壊れるまで相手の心を潰す権利なんてないはず。そのことに気が付かない人と戦うのは人生の無駄遣いだと思いました。本当に笑われてる「痛い人」は、「痛い人」を見つけて笑ってるつもりの方だっていつか気が付くのかな。本当は、誰であっても追い返すようなことはせず話を聞いてから、と思ってるけど、今の私には話が通じない人と戦う気力がないです、ごめんね…。


そのような想いもあって、以前いただいていた「ブログを分けた方がいいかもしれない」というアドバイスに従う時が来たのかな、と思ってはいたのですけど、このまま毎日更新を続けたい、という気持ちが強かったし、何より、じゃあ具体的にどうすれば?というのがわかってなかった。けど、後者について思いもかけずとても大きなヒントをいただきまして(ありがとうございます!いろーんな意味で大感謝です…!)、これはもうやるしかないな、と決断した次第です。
noteの方ははてなブログほど力を割かず、気まぐれに更新していこうかな、と思っています。読んで欲しいことははてな、自分自身の紹介とか心の叫び(笑)とか近況報告的な、これ誰が読むの?(笑)的な内容はnoteかな。そんなにパッキリ分けるつもりまではないですけど、フィギュアスケートのことはnoteには基本的に書かないかもしれない。反対に、スケートに興味はないけど私に興味がある、という奇特過ぎる方はnoteを読んでいただく方がいいかも。いないと思うけど(笑)。

悲しいことに暇なので(泣←死にそうなのでまずいんだがな…)、しばらくはnoteも1日1記事くらいでがしがし更新するかもしれません。自己紹介がてらマイヒストリーでも載せていこうかと。誰が読むんだ(笑)。そういう誰も読まない記事を嬉々として書いていきたい(笑)。noteってあんまり検索に引っ掛からない(という印象があるのですけど)からちょうどいいかもね。
ちょうどはてなブログ開始の日と合わせられそうなので23日から、と考えていたのですがオータムクラシック疲れで爆睡してしまいまして(笑)、一応本日からの予定です。登録は昨日したから、まあ合わせられたことは合わせられたかな…。オータムクラシックの記事はもう完成してるのでぼちぼち載せます。旅日記はやはり時間かかりますが、テレビ観戦記についてはブログ開始時に比べると書くスピードがかなりアップしたし、視聴環境が飛躍的に良くなったこともあってスケートの記事をたくさん書けるようになったのもブログ分割に踏み切った理由ですね。


勝手に名乗ってはいるし何もしてないわけでもないのですが、今のやり方ではライターとして生活していけるようにはならないし、結局諦めるしかなくなるな、と思い詰めていたのですよ…。自分の傾向諸々を考えた時、自分の文章を発信できる場を増やした方がいいのだろうか、でもどうすれば、と悩んでいた背中を押していただけた。この決断がどう転ぶかはわかりませんが、とにかくやってみよう、と思っています。
どうせ書くなら、生きた文章を書けるライターになりたい。今はたぶんまだ修行の時期だからそんなことばかりも言っていられないけど、何となくでも抱いた方向性はぶれずに持っておきたいのです。

…で、ここでまたいつもの(汗)ネタなんですけどね、私に「ブログを分けた方がいいかも」とアドバイスしてくださったのは、時々ネタにさせていただいてる手相鑑定の方、だったのですよ。なんと(笑)。しかも「フィギュアスケートのこととプライベートなことで分けた方が」というアドバイスだったのですよ、なんと(笑)。
いやいや面倒だし、と流しちゃったんですけど、結局こうなっちゃったよ!手相当たり過ぎなんですけどー(笑)。手相ではなく僕の個人的な意見、とおっしゃってた気もするが、たぶん何も感じ取れないのにまったくの個人的な意見を述べたりする方じゃないんじゃないかな、とも思うので。仮にホントに手相まったく関係なかったとしても、何でそんな話が突然出てきたんだろう、って今思い返すと不思議なのですよ。
これはもう、大きな仕事をやるようになるという鑑定が当たる予感しかないですね(笑)。でもあと半年くらいはギリッギリのギリッギリ、というのも当たりそうです(泣)。今まさにそうですし(泣)。いやだー、ホームレスだけはいやだあああああ!


そんなわけで、noteの方にも遊びに来てくださいね。もちろん気が向いたらでかまいませんので。3年目のうさぎパイナップルも、これまで通りどうぞよろしくお願いいたします。

noteはこちら↓
note.mu


ついでに、ツイッターもやっております。ブログの更新情報を呟いたりしてます。時々うるさいけど、ブログに注力してるのでしょうもないことしか基本は言わないです(笑)↓
https://twitter.com/pineappleusagi

730回の糸紡ぎ

本日で当ブログ「うさぎパイナップル」は開設から丸々2年です。明日から3年目に突入します。もがいている時期に始め、まだもがいている状態なので、長い2年間でした。あっという間、という感覚はないですね。ひたすら耐えて、地道に積み重ねてきた感じです。

一応、2年間毎日更新してきました。過去に友人知人に読んでもらうためだけに書いていた、全国のアイスショーに出掛けては綴っていた旅日記を修正して載せていたため、完全に新しく書いた記事は1年分くらいかなと思います。結構大幅に修正したり、初期に書いた記事などは文章力がどうこう以前にテンションがおかしすぎて(汗)ものすごく修正に悩んだりもしてるので、過去の文章を利用していたとはいえ、そんなに楽をして更新できた感覚は実はなかったりして。
過去のものや書きためていた旅日記もそろそろストックがなくなってきたので、毎日更新もどこまで続けられるかわかりませんが(基本は書きためておいて予約投稿)、そろそろフィギュアスケートシーズンも本格化。毎週末グランプリシリーズに大騒ぎする日々が待っています。既にB級大会も、ジュニアのグランプリシリーズも始まってますし、書くことはきっといくらでも出てくるだろう、とワクワクしていたりもします。

この2年の間に「今の自分にできるものはほかにない」とライターを始めました。理由を話せば長くなる…、ので今回は差っ引きますが(体調的に通勤に耐えられず在宅で働くしかないかなという現状とかまあ色々)、ブログを続けていたことがライターの仕事にも結局続いてたんだな、と実感する日々です。ライターとしてはスタートラインに立ったばかりで、これでやっていけるんだろうか?と不安になる毎日ですが、信じてやっていくしかないな、と思ってます。
このブログは1円も生まないけれど、それでも毎日更新しようって思えるってことは単に書くことが好きなんですよね(笑)。自分の書きたいものを自由に書いていいわけだし。見てもらえなければ確かに意味はないけど、見てもらえなくても勝手に楽しく書いてようと思ってます(笑)。


ついでにちょっと体調のことを書いておくと、おそらく持病に起因する貧血が、春に受けた健康診断の結果からしても明らかに悪く、どうも輸血だ入院だという話が聞こえてきそうな数値らしいのでひやひやしてます。そんなお金ない。払えませんよそんな大金!だからその前に何とかしないとやばい。
数年前に悪化し始めた頃に鉄剤を処方されたのですが、激烈な副作用のためとても続けられず、サプリメントを服用していたところ生活が苦しく費用が払えなくなって今に至ってしまい…。
鉄剤がダメなのでついに注射に通うよう指示され、実際注射後は体が軽くなった感じもあったのですが、2回ほど通って放置。病院に回せるお金がない…。長年治療している持病の検査も貧困により断り続けていて、「これだけ体調が悪いのに」と医者に嘆かれ、でも「何年も前から周囲に助けは求めているが、自力で何とかできないのなら死んでくれという話のようです」と答えるしかなく…。
自力で何とかしようとし続けてきたし今もそのつもりなんだけど、近所のスーパーに行っただけで帰宅後に動けなくなる状況を抱えていても「普通の人と同じように頑張れ、頑張れないあなたが悪い」と言われるのはごめんなさい、さすがにきつい…。私だって動けるものならバリバリ働きたい。でも言うことを聞かない体。つらい…。かと言ってまったく何もできないわけでも要介護とかでもないわけで、いちばん理解を得られないパターンと言えばそうかもしれない。
「あなたは体調が悪くて人に迷惑をかけるのを当たり前だと思ってる」という上司の言葉に心が折れて以来、紆余曲折しつつ、もはや性格の問題と言い切れるのか悩むくらい恐怖や不安に陥りやすく疲れ果てていた状況も踏まえ、自宅療養しながらでもできる仕事を、と必死で考えて、どうしようもなくて始めた面も大きいライターなのですが、で、自宅療養の効果が出ていることもたくさんあるのですが、貧血は自宅療養では無理っぽい。勝手に治ると軽く考えてた私が甘かった…。仕事が忙しいとか通勤が長時間とか上司がゴニョゴニョとか給料安すぎとか業界に未来なしとか思い当たることが多すぎて気がついていなかったけど、気力でどうにかならなくなってきた頃からおそらく貧血が悪化していたと考えると色々合点がいくんですよ…。

何でこんなに体力が続かないんだろう、すぐ横になって怠けてる自分はなんて情けないんだろう、それでも結果を出さなきゃ、誰にも頼らずに頑張らなきゃ、と日々現実に向き合っている本人も苦しい…。できて当たり前、と思われてること、自分でもそう思ってることができなくて苦しいのに、そこを責められるのつらくて相談もできず孤立してますます不安になって、の繰り返しだった気がする…。私の頼り方が下手なんだろうし(結構ギリギリまで我慢して本音を言わないのでだいたい伝わってない)、実際何の利益も生まない今の私に利用価値はないだろうから色々しょうがないよねと思ってるけど、でもひとりだってちゃんと話を聞いてくれただろうか。何も言わせずに色々決めつけたり、自分には関係ないからって態度を取られたり(確かに関係ありませんけどね。でもそれを言うなら相手の意志や事情も私にはまったくもって関係ないってことになるけども…)、甘えるなって怒られまくったり、そういうことが続くともう疲れちゃって、結局迷惑がかからないようにするにはこの世から消えるしかないんだな、と結論を出してしまう。時々ネタにしてる手相鑑定があまりにも当たってて「これだけはっきり未来の線が出てるから死にませんよ」ときっぱり言われてるので、何とか生きてみようかと思ってるだけで。手相すげえな、命救ってるぞ。だから貧血でも死なないだろうとは思ってますが、本当に死なないのかこれ?ってレベルになっててさすがにちょっと助けて欲しいんですけど…、という状況ですね。
ちなみに手相鑑定によるとあと半年くらいは現在の経済的に破綻した生活が続くらしく(泣)、でも今自分が選んでる道で正解っぽい…。つ、つらい…。けど確かに、それ以降は希望のある話がいっぱいだったんですよ。私くらい偏ってる人間じゃないと大きなことはできないそうで(笑)。ものすごく大きな仕事をするって言われた未来まで(4年後くらいらしい。そんな遠い未来じゃないですね)生きていたいなあ、とめっちゃ思ってます。…この2年ほどの予言を何一つ外してないんだもん、信じたくもなるでしょ…。ちなみにその鑑定がこのブログ始めたきっかけのひとつでもあるんですよね。

差っ引くと言いながら結局書いちゃった気がするわ。自分の心が勝手に行動を縛るのをばかばかしくてやめたいのにやめられない不安とか色々…。うん色々あってな…。おなかいっぱい食べたい…。あとこの体調でホームレスはちょっとな…。それ以上にたぶん重度の植物恐怖症なので間違いなく恐怖で発狂すると思うし…。どうも主に職場に問題があると強烈な不安や恐怖を感じるトリガーを引いちゃうみたいで、その職場を離れてもいろんな恐怖や不安だけ延々と残って自分の生活をがんじがらめにしてきた結果が今でしてな…。
まあそんな感じで私の人生ハードすぎなんですが投げていいですか!悲惨すぎると笑いも取れませんけどー!あんまり笑いに走ると現状が伝わらねえええ!私がまだネタにしようとか思えるのはずっと社会の底辺だったから悪い意味で慣れてるだけで、たぶんこれ「普通」の人がいきなり味わったらそれこそ命落とすやつだよ。だからこっちへ来ちゃいけない。でも私だってここはもうイヤなんだ。そっちに行くために力を貸して欲しいんだ…。
今はそんな感じで無理だけど、いつかは誰かの叫び声に耳を傾けられるようになりたいとずっと思っています。自分がどん底を見た分、同じ思いの人を見捨てるようなことはしたくない。甘いと言われてもそんな人間にはならない。人間でいたいから。今はそんなこと言ってる場合じゃないし、私には向かないことかもしれないけれどね。たぶん、共感しすぎると自分が心折れたりするからな…。


さて、本日が2年目最終日ということで、この2年間に書いた記事をいくつか振り返ってみようと思います。
と言っても、お題に答えたりして結構振り返り記事は書いているので、それをまとめるだけかな(汗)。

まず、これが1年前の振り返り記事。ブログ開設丸1年ということで1年間に書いた記事をいくつかピックアップしているのですが、この当時はほとんど読みに来ている人はいませんでした。なので完全な手前味噌記事です(笑)。1年間毎日更新していてもほぼ誰も読んでいない(笑)、なのに毎日更新していたというのはある意味苦行ですが、書くことが好きだったのでできた苦行ですね。
↓↓↓
usagipineapple.hatenablog.jp


自分も読者になっていくつかブログを読ませていただいてますが、毎日でなくても定期的に続けられる人はほとんどいないんだな、と実感しています。収入目的のブログではなかったり書くことが仕事じゃないのにこれができる人は本当に書くことが好きなんだろうし、実際に今後も何らかの形で「残って」いく人なんじゃないかなあ、と一読者としては感じています。ブログが残る、という意味ではなくて。

この頃の読者は「未来の自分」に設定してました。初期は知人が数人読んでくれてたはずなのですが、時々にでも反応をくれていたのはひとりだけだったし、ネガティブな内容だけが取り上げられ、私の意思を汲んでもらえてないんだなと感じることもあったので、だんだんと「読んでもらえてないなこりゃ」と判断するようになりました。アクセス数も今の1/3とか1/5とかでしたしね。今も別に多くはないので、どれだけ世界の外れだったのかと(笑)
2年目に入ってからやっと、毎日のようにスターをつけていただけたり、時々コメントがいただけるようになったんですよ。今でも、2年も続けているブログとしては破格の読者やスターの少なさだと思います(笑)。よく平気で続けられるなと思いますが(笑)、その辺りに価値があるのかどうか疑問が多いので別に…、という感じ。はてなでブログを書かれてる方ならご理解いただけるかと思いますが、明らかに読んでないけど、自分のブログへの導線とするためだけに痕跡を残していく人、という層が相当数いるのですよ。そういう点も含め、読んでいただいてる方ははてなユーザー以外の方の方がどうも圧倒的に多そうです。あくまで検索経由で、定期的に読んでくださってる方はほぼいらっしゃらないだろうと思いますが…。もしいつも読んでくださってる方がいたら心からありがとうございます(涙)。


そのほかの振り返り記事はこちら。

2016年の振り返り記事(これのみ書いた記事の振り返りではなくただの嘆き(笑)。始めて3ヶ月くらいでしたし…。とりあえず置いとくけど)
↓↓↓
usagipineapple.hatenablog.jp


2017年の振り返り記事
↓↓↓
usagipineapple.hatenablog.jp


フィギュアスケート関連(2017-2018シーズン)の振り返り記事
↓↓↓
usagipineapple.hatenablog.jp


2018年上半期の振り返り記事
↓↓↓
usagipineapple.hatenablog.jp


最新の振り返り記事以降だと、まずこれかなー。たまーにしか書かないゲームの記事ですが、私はだいたいとても楽しい。でもいちばん反応がないのがゲームの記事(笑)。そうそう引っ掛かるマニアはいないとわかって書いてる記事が大半なのでそれでも平気(笑)
↓↓↓
usagipineapple.hatenablog.jp


フィギュアスケートからはまず渾身のポエムをどうぞ(笑)
↓↓↓
usagipineapple.hatenablog.jp


それからやっぱりこれ。長いので本編スタートの回から(笑)。全16回。もう町田君のことを書くのも最後かな、と思うと寂しいですが、私という名もないファンの物語もフィナーレを迎えるつもりで書き上げました。この物語を悔いを残すことがなく終われそうなのは本当に奇跡としか言えないです。この一連の記事が書けた喜びを、私は生涯忘れることはないでしょう。
そして、おそらくこのプリンスアイスワールドの記事のおかげで1日あたりのアクセス数がぶっちぎりで過去最高を記録しました…。びっくりしました…。拡散してくださった方、本当にありがとうございます。おそらく15回目がはてなのトップページにも載り、はてなの公式ツイッターでも紹介され、珍しいこともあるものだと思っていましたが、それ以上に町田君のファンの方が読んでくださったようで、とても嬉しかったです。読み返すとあまりいい文章ではないなと思うのですが、それでも大切に書いた記事なので、たくさんの方に読んでいただけたのは最高の幸せです。この記事を書くことができて、本当に、本当に、良かった。
↓↓↓
usagipineapple.hatenablog.jp



いい加減長いので(笑)、こんなところで。
やっと道が見えてきたのを感じつつも、これを書いている今は何とも言えない状況…。3年目はきっと楽しく更新できるに違いないと天に祈る…。
ブログは本当に私の心の支えになりました。心が折れるような出来事にも遭遇し、もう続けられないと悩んだ日もありましたが、少しずつでも世界が広がってきたのはブログやツイッターのおかげです。1000記事まではがんばろっかなー、なんてなんとなく考えてますが、だからなんだという結果になりそうなので(笑)適当にやっていこうかなと思います。

世界の外れにひっそり佇むブログですが、こんな世界の果てを見つけてくださって本当にありがとうございます。明日からも世界の果てまで遊びに来てください。皆様が遊びに来てくださるなら、私ははりきって記事を書いてお待ちしています。時々「いつからこねて…もとい用意してたのこれ?」という記事も混ざりますが、あまり気にしないで遊びに来ていただければ(笑)。

歌を覚えた鬼だけにつける名前がたぶん、人

私は人生のうちそれなりの期間を広島で育ったので、いわゆる「平和学習」を毎年夏になると学校で受けていました。広島の学校では当たり前の光景だろうと思います。なので、原爆の投下日時を正確に言えない人の方が日本にはずっと多い、という事実に成長してから気付くのです、我々広島で育った人間は。周囲にはごく普通に原爆を体験した人たちがいて、それは決して寸断された過去ではなく、現在と地続きの日常なのです、この広島では。

学校の体育館に集められて、映画を見たり誰かの話を聞く機会は、毎年必ず設けられていたと思います。ぼんやりといくつかを覚えていますが、私がいちばん記憶に残っているのは、実は原爆の話ではなかったりします。

その日、体育館で話をしてくれたおじいさんは、言っていました。

戦争で、人を殺したと。


細かいことはほとんど何も覚えていません。でも、その話で受けた衝撃の跡は、今も自分の心に残っているのを感じています。

ごく普通のおじいさんでした。
この人が何十年も前に、人を殺したんだ。
この人が。

それが戦争なんだと、小学生か中学生だった私がいちばんよく理解することができたのが、この話だったと私は思います。

こんな普通の人が、人を殺してしまうんだ。
そしてその罪を、一生背負って生きていかなければならないんだ。
よく話をしてくれたな、と今となっては思います。
「何故戦争をしてはいけないのか」「人を殺してはいけないのか」ということを理解させる授業はきっと何度も行われていたはずだけど、この時以上にその答えを痛烈に感じたことはなかったです。


そして思いました。
人は誰であっても、常にナイフを片手に握っているものなのだと。
きっかけさえあれば、そういった状況さえ発生すれば、人はいくらでも殺人者になってしまうんだと。
その手のナイフを、振り下ろして。


凶悪な事件が起きるたびに、自分の周辺からも聞こえてくる言葉があります。

「頭がおかしい。理解できない」

言ってることはわかります。間違ってるとも思っていません。その心情や犯行に至った理由が、とても理解の及ばない内容であることは多々あります。そして、どんな理由があったとしても、起こしてしまった結果を是とすることはできません。

でも。
その言葉の発言者たちに、私は常に違和感を覚えるのです。

この人は、自分には完全に関係ない話だと思っている。
本当にそうだろうか?
本当に理解できないのだろうか?
立場が変われば、時が変われば、

その手に握っているナイフを振り下ろしていたのは自分かもしれない、

と何故思わないんだろうか?


そうだ。
この人たちは、確かにこうやって多くの人に知れわたるような方法では、ナイフを振り下ろさないかもしれない。
でもナイフが刺さるのは肉体だけじゃない。心にも刺さる。深く、深く。
たぶん、この人たちはそうやって、無意識に誰かの心に傷を負わせ、時に死なせている。

その刺し傷が、手にしたナイフを振り下ろすトリガーになる。

そのことに、気付いていない。
気付くはずもない。自分が咎人だなどと、誰も思いたくはないからだ。
自分が正しいと思い込んでいることは、生きていくことをものすごく楽にする。
その代わりに、誰かを追い詰めていくから。
自分の汚れた手に気付いたら、もう生きてはいけない。それを受け入れられない、脆弱な人間だから。
脆弱な人間だから、無意識にナイフを振り下ろして、自分を守っている。

あなたが「彼ら」とは違う、とどうして言える?
違わない。何一つ違ってはいない。


誰も傷付けずに生きていくのは不可能です。そんなことはできない。今幸せを感じているなら、あなたの裏側には必ず泣いている人間がいる。どんなに「いい人」とされている人間でも、24時間365日「いい人」なんかじゃない。誰かにとっては天使でも、誰かにとっては悪魔でしかなく、そして天使が罰を与え、悪魔が救済を与えないとも限らない。
でも、自分が握っているナイフに気付いているかどうかで、その傷の深さはずいぶん浅くなるのではないでしょうか。気付いていれば、振り下ろすことを躊躇うから。

気付いていても、振り下ろしたくなる衝動は時に止められない。でも気付いている人の多くはきっと、その刃を誰かに向けるくらいなら自分に向けてしまう。けどそれは自分にとってもおそろしいこと。
だから生み出すのです、振り下ろす代わりに。刃の先から歌を、美を、文を。それは時に、誰かの手にしたナイフにまとわりついて、振り下ろしてできた傷を浅くする。
だけれど、それでも難しい時は、誰にも歌が届かないと思った時は、
何よりも、無意識の刃に歌を封じられた時には、
その手の刃は自分を突き刺す。そして時に、本当に時に、誰かに向かって振り下ろされる。
ただ、歌を聞くだけで良かったのに。それだけで、そのナイフは誰にも振り下ろされることはなかったのに。
歌に、声に、言葉に、物語に、耳を傾けるだけで。


ずっと考えていることだけれど、平和の本当の根幹にあるものは、「相手の話を聞くこと」だと思うのです。
理解はできないかもしれない。意味はわからないかもしれない。
でも、それでも気付くことはできる。相手も、自分と同じ人間なのだと。
ただ、生まれた場所や時代が違うだけなのだと。
そして、自分の周囲には無限の世界があり、それらはひとつひとつすべて違うのだと。
自分が理解できないように、相手もあなたを理解できない。
だから言葉がある。話すことが必要になる。

すべての争いは、そういった対話を奪ってしまうものなのでしょう。
対話を忘れている状態は、平和に見えても争っているのと何も変わらないに違いありません。
対話を最初から放棄している者もそうでしょう。
対話をすることを覚えている者からもその記憶を奪ってしまったから、あの戦争は今も許されないのだろうと思います。あのおじいさんから、手にナイフを持っていることを忘れさせた。振り下ろすことから躊躇いを奪った。でも、時代という呪いが解けても、そのナイフには一生消えない呪いが残ってしまうのです。本当はそんなものを背負う必要がなかったであろう人にも。


この世界には、おかしな人しかいないのです。
そうでなければ、普通の人しかいない。
どこにでも常識はあるけど、どこにも常識などないのです。
「おかしい」と切り捨ててしまった誰かは、選び損ねた自分の運命だったかもしれない。
そして、切り捨ててしまえるその人こそが、立場や時代が変わればナイフを誰かに向かって振り下ろす存在に誰よりも近いのではないか。

自分は片手にナイフを握りしめた危険人物である。
心の片隅に常にその意識を置いていることこそが、実は平和の礎となるのかもしれないと思っています。
そのナイフを振り下ろさずに済んでいられるのはただその状況を与えてもらえたからで、自分もまた誰かにそのナイフを振り下ろさせないよう状況を与えねばならない。何が状況として必要なのかは対話がもたらす。そしてこの意識こそが平和をもたらす。
でもその意識は、心に深く突き刺さる傷を負って初めて持てるものなのかもしれないと思うと、どうしても人の世に虚無感を覚えてしまうのです…。


73年前のこの日、時代の呪いは解けてはじけて、忘れていた感触が手のひらに戻ってきたのを感じた人たちの恐怖と絶望と、それでも手のひらの感触を忘れまいとした人たちの勇気と苦悩とに思いを馳せると、せめて戦争を理由に「普通」が入れ替わるような事態にはもうならないでほしいと願わずにいられない。
あのおじいさんが自分の腕にかかったままの呪いと見て見ぬふりをせずに向き合い、次世代に伝えようとしたことを、せめて私だけでも忘れまいと思うのです。たとえ私の捉え方が、理解できないと言われても。

バースデーカードも牧草でできています

いつもかわいいかわいい(←この間エンドレス→)かわいいふきちゃんのブログで、ブリザード吹きすさぶ私の心に湯たんぽを与えてくれる「兎徒然」のid:flemyさん。ってわけのわからんたとえですみません…。

flemyさんは芸術的センスにも溢れていらっしゃる方なんですが、このたびご自宅に七夕飾りをしつらえるにあたり、ふきちゃんのしもべ…、もとい(笑)ファンクラブ会員のお願いを短冊に書いてくださるという粋なはからいをしてくださいました。
こちらの記事↓
flemy.hatenablog.jp


素敵な飾りでしょ?色合いがめっちゃ好みです…!
で、私もひっそり参加してみました。ほぼ自動筆記状態で心の赴くままに書いたら、
長っ!めっちゃ長っ!
でもあえてそのまま書き込んでみた!←迷惑

迷惑極まりないそのお願い事をしっかり短冊に吊るしてくださったflemy会長様には頭が上がりません…。しかも絶対長いの書いてくる、ってバレてたらしい(笑)。さすがでござる(笑)!
ありがとうございました。なんか幸せな気持ちになれました。ふきちゃんのお誕生日、おめでとうございます!


実はですね、以前記事にした、よく当たってた手相鑑定のお兄さん(天道泰幸さん)から、面白いことを言われてるんですよね私。
何でも私は将来、ものすごく大きな仕事をするらしい。将来っても20年後とか30年後とかじゃなくて、4、5年先。ソチから平昌までもあっという間だったから、わりとあっという間な未来の気もする。
それは本当に大きな仕事で、ものすごく大きな団体か何かから依頼されるであろう話なんだって。
具体的なことはよくわからなかったんだけど、天道さんの口振りからするとフリーランスのままなのかなあ。私は今後二足のわらじで仕事していくっぽいんだけど、二足目の仕事が天道さんには読めなかったんだってさ。たぶんそんなに人がやってない仕事なんじゃないかってことくらいしか今はわからないんだけど、文筆業(って名乗っていいのかはいまだに悩むんだけど、もういいや名乗っちゃえ)とその謎の仕事のどっちなのかははっきりしなかった。私が聞き逃したのかもしれないけど。

どうですか、夢のある話でしょう(笑)。「ものすごく大きな団体」というのが「神」とかで(※もちろん思い込み)、「私は神から依頼された神の代弁者である!」とか言い出してあやしげな宗教始めたりしなきゃいいな、と結構ビクビクしてるんですけどね(笑)

その予言が当たったとして、さらに何故か200歳くらいまで生きたとしよう。ほかの人の寿命は今まで通りなのに何故か。その時昔とった杵柄で、依頼が来るんだよ。羽生結弦の伝記執筆だよ!
小学生の頃、学校の図書室に置いてあった、たぶん全50巻くらいの伝記のシリーズを1巻から読み始めて、確か16巻くらいのベーブ・ルースで挫折したんだけど、あの伝記シリーズみたいな感じ。ちなみに1巻は湯川秀樹だった。
何なら全巻スケーターでもいいっすよ!ただし200歳だからな、覚えてるかどうかあやしいけど!
その伝記の表紙と挿絵をflemyさんに描いてもらう!そこまで妄想した!だからflemyさんも200歳まで生きてね!

…って暑いからって何書いてるんだろう私は。もうちょっとマシな妄想しようぜ、暑いからって(汗)。flemyさんごめんなさい、暑すぎて、あとほぼ徹夜したせいで眠すぎて色々口走りました…。


flemyさんの絵、好きなんですよ。「絵の好きな人の絵」だなって思うんです。そこが好きなんですよね。ちゃんと世界があるの。ぶれない世界。そこも好き。
才能もあって好きでいられるって、最強なんですよね。私は好きだけど才能なかったから(そこに気付けただけまだ良かったと思う)。でも私みたいな人がたぶんいちばん多い。
そんなに好きじゃないのに才能がある人もたまにいるけど、そういう人がその才能ある何かを好きになったらたぶん強いんだろうなあ。好きじゃないのにやってるってことは、誰かに才能認められてないとたぶん続けてないよね。

私は「この人はスケートが好きなんだな」って感じるスケーターが基本好きなんだけど、好きなだけじゃやっぱりどうしようもないことってあると思うのね。テレビで見るような選手は本当のトップだからそこまで行けばあんまり関係ないかもしれないけど、やっぱり順位はつくし。
どっちにしろこっちの勝手な想像なんだけど、そんなにスケート好きじゃないの?って感じてしまう選手もわりといる。でも、スケートなんてお金も手間もかかる競技をトップクラスになるまで続けてこれたのは、誰かをその才能に惚れ込ませるだけの力があったんだろうな、って思うわけですよ。そういう選手がスケートを好きだと感じて競技に赴くようになったら、きっとものすごく強いんだろうな、って考えてしまう。
やっぱり最終的に結果を分けるのは競技への思いのような気もするけど。好きだけじゃ勝てないけど、好きだという気持ちは伝わるんだよね。私は演技に乗ってる感情みたいなものをいちばんに見てしまうようで、だから「スケートが好き」な選手が好きなんだろうな、そういう選手の演技に惹かれるんだろうな、と思う。本当はきちんと技術的な面で判断しなきゃいけないんだけど、まず純粋に「琴線に触れるかどうか」で見てしまう。ダメだなこれ、とは思ってます。もっとフラットに、技術優先でドライに観戦しなきゃって思うんですけど、ダメなんだ…。
あ、でもジャッジに文句言うとかそういうのはなしですよ。少しスケートに関わってる人からチラッとジャッジの話を聞いた時、不正なんかするような人はあんな大変なことわざわざやらないだろうと思った。ジャッジもたぶんみんな元選手だろうし、今応援してる誰かだっていつか辿る道かもしれないのに、何ですぐに不正だ不正だって騒ぐかな。その前にジャッジに文句つけられるくらいルール勉強してる人ほとんどいないんじゃない?こういう「感情論」はアウトだと思うので、そういう意味ではドライかな。それでも人間の心情的に、もっと点くれとか言っちゃうこともあるし、ん?と引っ掛かったこともあるけど、あくまで私は完全たる外野。結果は受け入れるのみ。


…途中から全然関係ない話になってしまいました、すみません(汗)。脱線し過ぎ(汗)。ほら、暑いからね…←言い訳

伝記の話は冗談として(←当たり前←本気だったらヤバいがな…)、いつかflemyさんに挿絵描いてもらう!っていうのは実はうっすら夢に見てたことであります。実現させましょう!手相鑑定的にはなんかやれそうな気がする(笑)!
未来のことは、特にいいことは書かない方がいいのかなと思ってたけど、そんな小さいこと関係なしに決まってる運命だったら今後に希望が持てるので、もういいや書いちゃえ。本当にあやしい宗教の教祖になってたらすみません(汗)。
つい最近のこともどうも当たったので(的中率ヤバいんですけど…)、あと半年くらい色々耐えたら来年にはこんなことがあってさらにあれとかこれとか、っていう予言の数々を信じる。って言うかそれ信じるのだけが今の心の支えっすわー…。そう、天道さんの鑑定は希望をくれるものだったのよ。当たるか当たらないかは別にして。今のところの的中率だったら、そう大きくは外さないはず。もうしばらく続くらしいギリギリ期間を、どうやって生き延びるかだけだ!

そんなわけで「4、5年先のことまで言われてるからたぶんそれまでは死なんだろ」と思って生きることにしてみてる(笑)。今の状況考えるととても信じられないのも事実だけど(汗)。ちなみに天道さん、今んとこほぼ外していらっしゃいません!そんな気全然なかったことまで時期もピッタリと当てていらっしゃる…。怖い(笑)
まあ、夢を見てなきゃ生きていられない人間もいるってことで。「心を折らない」ってことも、人生にはむっちゃ大事ですよ。うん。
…プリンスアイスワールド広島公演には経済的に行けそうもないという事実に打ちのめされてだいぶ心折れてますけどね今(血のような涙)

なんかとりとめなくなっちゃいましたが、こんなところで。flemyさん、本当にありがとうございました。良い七夕を!


天道さんの鑑定に行った時の記事はこちら。全3回+1回シリーズ(4日続く)↓
usagipineapple.hatenablog.jp

約束をするその指に、等しく降るのはただ太陽の温もり

今日は73回目の原爆の日です。
今年は広島にとって、ちょっと特別な1年になってしまったな、と思う。平和記念式典が無事に開催されて良かった、って今年ほど思ったことなかったかもしれない。

広島で育った人にとっては、原爆に関する基本的な知識は当たり前に持ってるものなんだけど(学校で徹底的に教え込まれる)、あれが世界共通じゃなかったと知った時は驚いたものですよ。
だから東日本大震災の際にしょうもない差別がはびこった時は、やっぱりなと思った。無知や無関心が罪深いのはこういうことなんだって。何十年経っても広島の人へ差別意識を持ってる人がいるという、時々耳にする話にも納得がいった。被爆者の方々が人生を懸けて伝えてきたことを無にしているようで、とても虚しかったし悔しかった。散々電気の恩恵に預かっておいて、そのことは振り向きもせずに、随分勝手だな、とも。
すべての事象に興味を持つことは難しいけど、でも平和の本当の基礎の基礎にあるものは「相手の話に耳を傾けること」、ただそれだけなんじゃないかな、って私は思ってる。

一年中で今日だけは厳粛に、静粛に過ごさなくちゃいけない、というもはやほぼ習慣化したかのような感情にのっとり、本日はこれで終了。来年の夏にはいろんなことが戻ってきているように、静かに祈ろうと思います。
カープは優勝するしかないよな、もう…。プレッシャーもあると思うけど、広島の人をいちばん元気付けるのがカープサンフレッチェの勝利、特にカープだって身に染みているから、申し訳ないと思いつつも両チームには期待させてもらいたい、とそんな気持ちです。球場行きたいんだけどチケットがまったく当たらないよ←3年くらい懸賞に応募し続けている


去年の8月6日の記事を最後に。↓
usagipineapple.hatenablog.jp

今日もただつらつらと日記を綴る

毎日暑いですね。暑さが増してもギリギリまで保冷剤だけで生き抜こうとする私もさすがに「これは無理」と保冷剤作戦をあっさり捨てました。元々大の苦手ではありましたが、年々夏に弱くなっていている気がします…。


3日前の記事にたくさんのコメントをありがとうございました。こんなにコメントをいただけるとはまったく思っていなかったので、とても驚きました。このブログ始まって以来のことです。ありがとうございます。

もう2年近く続けているブログなのですが、私がしょうもない記事を量産しているためか(たまに自分でも「これはちょっと」と頭を抱える記事もありますが、基本的には丁寧に書いてるつもりなんですけどね…)、読者もアクセスも全然増えず、はてなの運営に紹介されることなどもほぼないままなので、自分が楽しければいいと考えてはいるものの、手間隙かけて続けていても意味がないんじゃなかろうか、と思い始めていたところの災害で、この2年近くの間にもっと努力していればもっと読んでもらえたんだろうか…?とものすごく落ち込んでいました。

とにかく、あまりにも被害状況が酷くて…。傘を忘れてびしょ濡れで歩いていた私にそっと傘を差し出してくれたお嬢さん、きっと自宅へ帰るのであろう彼女に出会ったのは今回の災害で大きな大きな被害を受けた地域でした。あの時の彼女は大丈夫だろうか。理由は忘れてしまったけれど、延々と広島駅で停止して動かない電車の中で、たまたま隣同士になり話をしたお姉さんが帰ると言っていた地域も、おそらく断水で大変な思いをしただろう場所だった。電車も運休してしまい、あの人は仕事に通えているだろうか。
当たり前のようにそこにあった生活が、景色が、無くなってしまった。いつかは戻ってくるはずだけれど、濁流に抉りとられた道のように、削り取られてしまった。
そのことを思うと、何の役にも立たない自分に怒りしか湧かなかった。こんな時に自分の生活も健康もままならず、邪魔にならないことしかできないなんて。何をやっているのだろう?何をやってきたのだろう、自分は。

それに。自分なりに必死で生きていたつもりだったけど、何にも残っていなかった。うまくはいかなかったけど、自分なりに心を寄せてきた仕事や人々。でも、この非常時を通して見えてきたのは、改めて「私の築いてきたはずのものはほとんど何にも残っていなかった」ということでした。
改めて突き付けられた、「いなくてもいい人間である自分」という現実。究極的にはすべての人間がそうなんだけど、きっとそれを言われたくないがために人は他人を求めるのでしょう。
今、自分にとって確かに積み上げてきたと言えるものはこのブログだけ。でも、ブログがあったからって何になっただろう?すべてにおいて、何もかもにおいてあまりにも無力過ぎる。
そのことに向き合いながら、自分のどこにもぶつけられない思考と記憶の整理のつもりで流されるように記事を書きました。いつも読んでくださっている方には申し訳ないです。

私のそもそもの状況がまったく先の見えない暗闇だったので、そこにこの度の災害というさらに先の見えない事態が重なり、正直言ってどうしたらいいのかわからないです。家も自分も無傷なのに情けない、と思うけれど、何をどう頑張ればいいのかもうわからない。だって人生すべてが無意味だったってわかってしまったのに。ブラックホールのように果てのない虚しさを感じていることは確かです。少し前にネット上のトラブルがあったので、そのことで余計に虚しさを感じてしまいました。

でも、皆さんのコメントに本当に救われました。気を遣わせてしまって申し訳ありません。でもごめんなさい、今はその優しさにすがるしか、もう歩いていく方法がわからないです。


まだ二次災害の恐れがあって避難指示や避難勧告が発令されたままの場所もありますが、山陽自動車道が全線開通したため、物流も移動もかなり改善されて、きっと復旧も進むのではないかと思います。
災害直後の山陽自動車道の状況を見ると、とても一週間程度で復旧するとは思えなかったのですが、きっととてつもない尽力があったのでしょう…。
もちろん、被害の範囲が広すぎるし被害も大きすぎるし、道路状況やJRの運行状況もまだまだのところが多いので、今後も当分は不便を強いられることになろうかと思われます。つらい…。渋滞の激しい地域を通って通勤する友達は大変そうです。通勤や通学に時間がかかるのは、人にもよると思いますが見えないところで相当疲労がたまるのでは、とかつて往復3時間の通勤をしていた私は思います。通勤時間と合わせて長い時は1日15時間くらいを仕事に費やしていた頃は、今振り返ると本当に無理をしていました。通学に往復4時間だった頃も、学校に行くだけで精一杯でしたね…。いわゆるドアtoドアでもない限り、長時間通勤・通学ってただしんどいだけだな、と私は自分の経験から思います。

この話は自分にとってあまりに生々しくて、書くべきなのかどうか迷っていたのですが、この機会に書きます。
先月記事を書いた熊野町にある「あんま堂」。マッサージしながらオーラ鑑定をしてもらえるという、有名なお店です。こちらの記事。↓
usagipineapple.hatenablog.jp


この記事にある、あんま堂へ行くために乗ったバスは、今運行していません。
私の利用した路線は、広島市の中心部にあるバスセンターから、マツダスタジアムの横を通って(だからカープラッピングバスが走っていたんじゃないかな)、熊野へ向かうルート。マツダスタジアムよりも南東部の、とても被害の酷かった地域を経由するルートなのです。
あの時通った道のいくつかは、今も通行止め。あの時窓から見えた静かな住宅地、緑の山々。そこに当たり前のように暮らしていた人たちの生活が、一変してしまった。話を聞けば聞くほど、あのバスルートが再び運行されるのはいつになるのか、見当もつきません。あのバスを使って通院してるんだと話しかけてきたおばあちゃん、困ってるだろうな…。

先月記事にしたばかりなのに、あまりにその時の事態と変わってしまっているのが自分の中でうまく消化できず書けませんでした。これを書いたら、少し伝わるかな、と思ったけど…。
あんま堂のご夫婦はきっとご無事だと思います。ただの客が予約でもない電話をかけるのは迷惑極まりないのでそう思ってるだけですけど…。また近いうちにマッサージしてもらいに行ければ、と願うばかり。お金も足もないのが現状ですけどね…。

この連休に行われるイベントの中止のお知らせがテレビで流れたりもしてましたが、山陽道も復旧したしそろそろ色々普通に開催されるようになるのかな。何せ来月には平和記念式典がありますしね。あれは中止するわけにはいきませんからね…。バスや電車の運休が続いている現状を考えると、式典に行けない地元のお年寄りがいたりするかも、と思うと心苦しいものがあります。

しかし、今回強く思ったのが、「災害時のひとり暮らしはめちゃめちゃメンタルやられる」ということでした。そもそもお前のメンタルは最初から壊れてるじゃん…、というツッコミはとりあえず置いておいていただいて、避難するかしないかの判断、その後の被害状況への対応、そういったことを相談できる相手が身近にまったくいないこと、メールや電話の相手すらいなかったということは、いくらしょうがないこととは言え、正直きっつかったです。この非常時ですら世界から隔離されてるんだな…、と。非常時ではあるけど家に被害があったわけでもないので、ひとりで頑張れば、って言われるのしょうがないんだけど。でも、家族と離れることになった時、いつか年老いた時に、同様の状況に陥る人はおそらく少なくないと思います。その時のことをちょっと想像してもらえたら、何となく伝わるかな。

さすがに親くらいは電話してきたし、何人か状況に気付いてくれた人もいたので少しホッとしましたけど、それでも自分から連絡した相手の方がたぶん多いくらいで(と言っても、連絡先を消した相手がほとんどなのであまりいないけど…。何日も何ヵ月も返事も来ない相手を知り合いだと認識しててもしょうがないなと思ってちょっと前にほとんど消した)、本当に何かあった時に何日も気付かれないパターンだな、と今回改めて自覚しました。
私がブログを続けているのは、自分から発信しておかないと何かあった時(まあ、最悪の事態ですね)に対応してもらえないから、という非常にドライな理由もあります。今回の件で、たぶんもう知人はほぼ見てない、ということがわかったので、いつまでこの理由で続けるかはやっぱり悩ましいのですが。

ブログに反応がなくて気持ちが折れてしまい続かなかった、という話はとてもよく聞きます。それを考えると、ほぼ何の身にもなってないわりにはよく2年近くも続いてるな、とも思いますが、やはり「何やってたんだろう自分は…」という悔しいのか悲しいのか何なのかよく分からない思いでぐちゃぐちゃになってしまいました。

今日の記事もまとまりがなくてすみません。これが3、4年前の自分なら、この状況はこの状況で頑張れてたんだろうな。そう思うと、つらい。
せめて広島の楽しい場所の情報などの記事が書けたら、とは思っていて、それはずっと前からやりたかったことなので、今こそその時では、と考えているのですけど、何せ貧困すぎて遊びに行ける状況ではないというのが現実です…。おまけに今は交通網がめちゃくちゃですしね(車持ってないんですわ…)。いくら趣味で書いているブログとはいえ、お店に許可を取らずに勝手に撮影して記事にしちゃうのってどこまでOKなのだろう?と悩んでいたりもします。好きなお店が店内撮影禁止、と明言してたことがあって、それ以来考えてしまう。まあ、聞けばいいんですけども。
ずいぶん前の記憶で、写真なしでもいいなら色々あるけど、そんなのでも良ければ、って需要ないか…。大久野島に泊まりで行った時なんてめちゃ楽しかったけど、10年くらい前の話だからなあ(笑)。アイスショーに赴いた際に、ショーの感想だけでなく前後のこともだらだらと書いているのは、旅日記をつけることがそもそも好きだから。実際に体験したことでないと、薄っぺらい気がして書けないんですよね私…。いい加減そういう記事が書きたいんですが、いったいいつこの状況から抜け出せるのか。顰蹙買ってもいいからクラウドファンディングで生活費とか活動費とか募ればいいのか。やっぱり虚しい…。

無力だからただ日記を綴る

誰も読んでないし関心もないんだろうけど、自分のために記録しておく。

一週間経ちました。長かった、この一週間。

金曜日と土曜日の深夜はたぶん本気で「最悪の場合も覚悟しよう」という状況だったので、無事に朝が来たことがわかった時は「良かった、何とか頑張ろう」と思えたけれど、そのあとの反動がきっっつかったです。てかまだその渦中。なんかもう呆然としてる…。
私でこれなので、生活拠点を一気に失った人たちの心中はいかばかりか…。せめて私のように、孤独や孤立に陥っていなければいいが、と思うばかり。逃げておいでよって声かけたいくらいですよ…。ああでもここ、安全な地域とは言えないからなあ…。まだあっちこっちで二次災害の危険があるくらいなので安全な所の方が少ないのでしょうが。

情報収集が命綱だったので、ネットなりテレビなりをこの一週間そこそこ積極的に見ていて、色々感じたこと。

まず、やっぱり多かれ少なかれパニック状態は続いているんだと思った、自分含め。真実なのかどうかわからない情報も何度か流れて、自分も振り回されたものも実はありました。あれだけの被害が出たのだから皆ナーバスになるのは仕方ない。ものすごい快晴にも関わらず、まだ川が氾濫して避難指示が出たりしてるわけですし。
やっぱり情報が大事だな、と痛感した。細かい地区の情報も出てくるし、何よりいちばん早いので、ツイッターの情報にはすごく助けられたけど、不確かな情報も回りやすい。テレビなどで流される、ある程度確かな情報はやはり重要だなと強く感じました。

なので、報道の少なさには正直違和感を覚える。豪雨災害の話題ばっかりやればいいってもんでもないけど、金曜日にはもう被害が出てたのはわかってたのに、いくら土日だからって何故?と申し訳ないが思ってしまった。週が明けても「そのニュースにそんなに時間割く必要ある?」と何度も感じた。
自分から積極的に情報を取りに行く人ばかりじゃない。仮にそうしていても、それは自分の興味ある情報だけで、それ以外には関心がない人も多い。すべての情報に目を通すことはできないから、取捨選択は確かに大切だ。
だからこそ、雑多な情報を垂れ流すテレビ、ラジオ、見出しだけでも拾える新聞は重要なメディアなのである。テレビから散々状況が流れてくれば、いくら自分の周辺のことにしか興味のない人でも(それでも生きていけるからそうなのだろう)、これは危機的な事態なのでは?と気付く。それくらい、人間というものは自分の身に降りかからなかったことには関心を持たない。内容や報道の仕方以前に、「まずきっかけを作ること」は重要なのである。
その観点で言えば、ネットやテレビは今回あまり役割を果たしていないと思った。

あまり言ってはいけないことだと思うし、仕方ない部分もあることを重々承知で、やっぱり今回も思ったので、書いておく。

東京が巻き込まれない限り、大ニュースにはならないんだなあ。

テレビ局だって企業だって多くは東京に本社があって、どうしても東京が中心にならざるを得なくて、東京に何事かが起これば日本の機能が停止しかねないこともよくわかる。東京の街はエネルギッシュで大好きだ。
でも、「これが東京だったら」という方向にしか話題を持っていけない人が必ず出てくるのは何故なのだろう。
東京以外は日本じゃないのだろうか。時々感じてたことなんだけど。
東京が東京でいられるのは数多の地方都市があるからだ。皆が東京に住むことを選択したら東京は成り立たない。それは地方都市にも言えることで、首都機能が別にあるから地方なのだけど、東京以外は日本じゃないのであれば、その逆だって言えてしまう。東京で何が起ころうと、地方都市は地方都市で存在できる。

その辺の「無関心さ」でやりあってもしょうがないだろうと思うのだが、「単に自分が何らかの事態において感じた無関心さへの嫌悪感を無意識か意識的にかは知らないがやり返しているだけなのでは?」という声もたくさん見かけた。何らかの非常事態に遭遇し、その時に感じたことや学んだことを活かしている人もたくさんいる一方で、「これはあの時の教訓だから」として、自分のこと以外に興味のない自分を自己弁護してるんだな、と感じた例もあった。嫌な言い方になるけど、せっかく自分の身に降りかかる体験をしながら、それを活かせる人と活かせない人にくっきり分かれるな、とこの度も思った。

「何故避難しないのか」という声もたくさん聞いたけど、本当に避難できる状況だったかどうか、それは人によるんだから責めてもしょうがないだろうと思ってもいる。
避難所がそもそも被害を受けたとか、家の中より外の状況の方が酷かったとか、体が悪くて動きづらかったとか。あっという間に川が氾濫したり、砂防ダムを土砂が乗り越えたり破壊したり、想像をはるかに超えた被害が起きている状況で、個人の責任にすべてを委ねて話を終わらせようとするのはあまりにも強引だと思った。たぶん、同じ状況で自分が被害を受けたら、この世の終わりみたいにいつまでも騒ぎ続けるんだろうな、とも思ったし。

要するに、あの悪名高い「自己責任論」がここにも引っ張り出されている、のかなと思う。確かに自己責任は大切なことで、究極的にはすべてがそこに収束されるものなのかもしれない。が、自己責任論の何が悪質なのかと言えば、つまり、他人にすべての責任を押し付けて自分は安全なところへ逃れるための言い訳に使われてるからだ、と私は考える。本当に相手に責任があるかどうかなんて関係ない。何もしない、何もしたくない、考えるのが面倒くさい自分を弁護できるから、あの理論はとっても便利なのだ。だからいざ自分のことになると、けろっと忘れて騒ぎ立てるのである。誰しも、世界でいちばん不幸なのは自分だと思っているのだ、程度の差こそあれ。

こういう災害時に限らず、誰かや何かの有事の際に「何もできない」とつい言ってしまうことは多いと思う。私もきっと何度もあるはずだ。でもそれを、本当に打つ手がなくなってから言っている場合は圧倒的に少ないと思う。大抵の場合は先手を打つかのごとく口にしてしまうのではないか。
要するにそれは、何もできないんじゃない。何もしたくないのだ。誰かのために自分の労力を使いたくないのだ。気を遣っているようなふりをして、自分のテリトリーを守りたいだけの言い訳である。
だからって、闇雲に何かをすればいいわけじゃないのも良くわかる。食べるものにも困ってる人が寄付するのは難しいし、体力が落ちている人が無理矢理手伝いに行ってもかえって迷惑をかけるだけ。自分で勝手に「これが必要だろう」と判断して送りつけた物が相手にはただの迷惑でしかないことも多々ある。
でも、何もできないのかと言うと、決してそんなことはないはずだ。

『ひるおび』だったかな、デーモン小暮が出演していて、こんなことを言っていた。広島には知り合いがいるので連絡をしているが、大変だったら返事をしなくてもいい、と添えてメールしていると。
これは満点に近い対応なのではないかなあ、と思う。有事の際の連絡は、確かにするべきかそうでないか悩みどころである。もしかしたらすごく邪魔かもしれない。私も連絡を控えてしまったケースが何度もあった。
だけど、そのように添えてあれば、受け取る方は無理にでも返事を出さなければと思わなくていいし、送る方も返事がなくて当たり前だと思っていられるので過度の心配がいらない。無事なら無事で安心もできる。
何よりも、そうやって心配してくれる相手がいたということが、長い目で見ればその人の支えになるのではないか、という気がする。人生の中で築いてきた誰かとの関係性は、災害によって壊される類いのものではない。そしてそれは個々人が、その人だけが築いてきたものだ。あなたの人生で出会ってきた誰かに、あなたという立場で言葉をかけられるのは、心を寄せられるのは、世界であなたひとりだけだ。だから「何もできない」なんてことは、本当はないはずなのである。しかもそうやってコンタクトを取ることで、できることが見つかるかもしれないのだから。

デーモン小暮氏は子供の頃広島に住んでいたと聞いたことがあります。閣下の子供の頃なら十万年くらい前の話では?とつっこむのはここでは堪えてください(笑)。大学の卒業式のエピソードを聞いた時、この人カッコいいなあ、と思ったんだよねえ。
歌さんと楽さんの毒まみれの掛け合いを聞いて育ち(あれは絶大な信頼関係のもとに生まれたものだったのだと知ったのはずっとあとになってから)、歌が今でも何曲か歌えたり某幹部にマジ惚れする同級生が出てきたりと青春の1ページにいまだオウム事件が大きな影を落としてる私にとって、もっとじっくり掘り下げて見たいニュースがたくさんあったのが本当のところなんだけど、まさに被害甚大な地域にいる身としては、今はそれじゃない、ネット見ない層も多いんだから、と声を大にして言いたかったのは確か。

ああ、私に読者が300人とかフォロワーが3000人とかいれば。いや、100人でもいい。ブログはあんまりこういう場合に向いてないかもしれないが、ツイッターなら、ひとりかふたりくらいは「あれ?ひょっとして大変なことになってる?」ってわかってもらえたかもしれない。しっかりした情報源からの情報を流すことで、多少なりとも貢献できたかもしれない。拡散力ってこういう時のためにあるんじゃないの?違う?
せっかくの拡散力を活かすかどうかはその人次第なんだけれど、要するに自分の利益になること以外はお呼びじゃないんですかね、と思わせてしまうのは得策じゃないのでは?と思ったのも確か。日々色々な意見が流れていくのを目にするけれど、正直「砂上の楼閣」という言葉が頭をちらついていて、何故なのだろうと考えていたけど、その正体が見えたような気がした。崩れてもまた積み上げればいいだけの話だけれど、ね。もちろん、砂のお城ではないところに住んでいる人も多くはないけどちゃんといる。でも、お城が小さくて見えない人の方がもしかすると多いかもしれない。
ツイッターはトラブルがあったので(いつか書ければいいのかもしれないけど…。その元気まだないし永遠に出ないかも…)積み上げ直しになってしまってしょうがないけど、2年近くも毎日ブログ書いててこれじゃ、無力過ぎて涙も出ないですよ。もうちょっとしっかり積み上げることができてたら、こんなに虚しい思いしなくて済んだんじゃないだろうか。自分にできることは、周辺がとにかく酷い状況で混乱してるので邪魔にならないことと、伝えることだと思ったけれど。私には無理でも、どこかで伝わってて欲しい、これは本当に。でもいちばんに「書いて伝えよう」と思った自分に、それがいちばん自分の求めてることなんだ、と非常時だからこそ痛感してしまった。こんなにもうまくいかないのにね。

多かれ少なかれ自分の仕事や生活にも影響を与えるだろうから、「何で品薄なの?」とか何とか騒いで「ニュースくらい見ろよバカ」と突っ込まれないためにも日本のすべての方がある程度情報を知っておいて欲しい、と思う一方、遠方の人はしょうがないんだろうという諦めもある。
だが、それぞれの地元の人までそうなのははっきりダメだと思う。私の周辺だったら広島な。あちこち被害は出てるんだけど、おそらくそれほど大きくなくて話題にもならず、生活にさほど影響の出ていない人も実際には多い。「◯◯は災害の少ない地域で安全だから」とほかの地域に住んでいる人間をバカにしたクズもいた。その地域にそう遠くない過去に大規模な土砂災害があったことを知らないで言ってるんだとしたら本物のバカである。ま、実際に言われたんですけどね、私が。
ほかにも色々と「アンタ何言ってるの?」と思う例が様々ありました。日常通り、通常通りにするのは大事だが、そういうことではなかろうに…、と首をかしげてしまった。
他愛もない会話の中で、年賀状のやり取りで、住まいや会社の所在地は何となく知ってたり、遊びに行ったことがあったりする場合も多々あるんじゃないのだろうか。地元ならなおさらである。こういう時に思い出せるかどうか、それは記憶力の問題じゃないと思った。どれだけ誰かに心を寄せられるかどうかの話で、最後に人間を人間たらしめるのはそこなのではないかと、私は感じている。

レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』という小説に出てくる非常に有名な言葉を今また思い出している今日この頃。おそらく皆さんもご存知だろう。両方を備えているのはとても難しいけれど、それを放棄することもまた人間には許されていないのだと痛感する。解釈の仕方もまあ、人それぞれだと思うけれど。この言葉を理解したくて『プレイバック』も読んだんだけど全部忘れた(笑)。『長いお別れ』は面白かったんだけどなー、長いけど(笑)。

しかし、思った以上に復旧が早い。何せ主要道路や線路がほぼ壊滅してたもんな。とりあえず、のところも多いのだろうけど、全力でどうにかしてくださった方々には頭の下がる思いだ。美味しいものいっぱい食べて欲しい…。
イベントも続々と中止になっているが、この交通状況では仕方ない。自粛等々ではない、普通に無理だろう。フィギュアスケートの話題が7割のこのブログ的には来月のプリンスアイスワールドがどうなるかは気になるところだが、一ヶ月後だし開催はされるだろうと考えてはいる。高速道路も復旧するし、新幹線も動いている。ただ、それはあくまで「遠方から来る人」の利便性だけを考えた場合だ。在来線や一般道は来月の開催までに復旧するかどうかわからない、まず復旧しないだろうと思われる路線も多い。地元の人が移動に困難を伴う状況で開催されるのは、正直言って苦しい思いがある。
広島はおそらく10年はアイスショーすら開催されなかった。ショーや試合を見たければ、遠方まで出向くしかなかった。国に保護されるレベルに低い給料をやりくりして、後悔だけはすまいと必死に出掛けていた。やっと地元でショーや試合が開催されるのだ。できれば広島の人に優先的に見て欲しい、と願ってしまうことは許して欲しい。私は貧困のためチケット争奪戦に参加すらできなかった身の上で、無関係と言えばそうなのであるが、だからこそ余計にそう思うのだ。それなのに、このような災害が起きてどれだけ心を痛めている人たちがいるか…。言ってはいけないことなのかもしれないけど、割り切れない思いが残ってしまいそうである。

「無関心」は「嫌い」よりもずっと残酷である。以前から感じていたことを、改めて反芻していた一週間だった。まとまりがないけど、そんなところで終わる。明日からたぶんまた書きためてた記事に戻ると思うけど、色々と割り切れない。でも、いくら叫んだって届きはしないのだから、思う存分勝手に叫んでおくことにする。
お金がなくてなくて、物資不足以前の問題で買い物を控えていましたが、なんかもう精神的に限界だったのでアイスクリームとポテトチップスをやっぱり買ってきてしまった。値段見ないで買っちゃったあたりに自分の限界ぶりが伺えた。大好きだった喫茶店、お金なくて最近全然行けてないけど、大丈夫だったかな。あそこも場所的に被害を受けてるはず。日常がね、削り取られてしまったんだよ。心をえぐっていくように。